はてなキーワード: かなみとは
正義とか、弱きを守ろうみたいなの描いてた人が迷惑系youtuberに面白おかしく加担するのは悲しいものだ
悪意であればクソだし、流されるバカでもクソだ
三家元礼はだいぶ前からアンフェ発言が増えて、元々はほぼ女性誌といってもいい女性向けホラー雑誌で描いてて
女ファン多いのになんでそっち行ったんだってショックで、それ以上嫌いになりたくなくて流れてこないようにブロックしてた
ゾンビ屋で、「私は男なんかに負けない!」みたいな軍人キャラがいてそいつがコケにされる描写があり
女キャラがいっぱいいるうちの一人としてそういうキャラもいるだけだと思ってたが
作者がああいうことになると、昔から思想はああいう系だったのかなみたいなかつて楽しんだ時期も汚される
スケバンはゾンビ屋の自己模倣で、絵柄も魅力がなくなっていったから途中で自然と追わなくなっていた
同じような人が多かったのか打ち切られたそうで、もう5年くらい単行本出していない
作品画像あげるよりも女叩きの方がいいねしてもらえるからそっち行ったんだろうな
エログロの人がそっち行くとシャレにならんよ
眼の見えない偏屈な琴の先生の話で、検校ってのは盲人の最上級の官名のことらしいので、主人公はわりとえらいおっさんなんだと思う
この柳のおっさんは全盲で、柳の一人称視点で進むから、この作品では視覚情報は描写されないんだよ
この風、草の香りすんなとか、この女生徒しとやかに戸を閉めたな(推測)とかそんな感じ
柳のおっさんは昔は目が見えていたらしく、子供の頃見た夏の風景を思い出しながら、今もそんな花が咲いてる季節なんかなみたいなこと柳は語るけど、実際に花咲いてるかどうかは読み手にもわかんないわけ
御付きの人に手引きされながらも自分の家と教え場の行き来をするから、「渡り廊下」とか「庭」とか「校門」とかの言葉は柳の語りには出てくるけど、そこがどんなところかという視覚情報は描写されない
もちろん先に述べたように聴覚、触覚、嗅覚などを介しての描写はあるけど、具体的にどんなところなのかはよくわからないんだよ
でも小説としてすらすらと読めてしまって、読者である自分にとって「渡り廊下」ってただの言葉でしかないんだよと自分で証明してしまったようで気落ちした
何も描写が無くても問題がないってことは、いつも小説の中の世界を想像せずに、場所や風景を読み飛ばしているということだろう
もっとこう『指輪物語』とか『はてしない物語』とか『死のロングウォーク』を読んでいた中学生の頃は一つ一つの情報に目を凝らして小説の中の世界や登場人物の顔を想像してどきどきしながらページをめくってなかったけか
NHKの20minという20分の短いドキュメンタリー番組の『見えない人の見る世界』の回で、とある全盲の女性が自分は脳内に偏見スタジオがあると言っていたことを思い出した
今いる場所が商店街と聞いて、周りの音や活気を感じて、自分の脳内の偏見スタジオにパーツを組み上げてどんな場所かを作り上げていくとのこと
両側の白線は掠れていて、敷かれているタイルはモスグリーンでみたいな想像風景を、同伴者の話や新たに出てきた情報で間違っている部分を修正し、偏見スタジオで組みなおしていくみたいに世界を見てるんだってさ
目の見える自分とは違うなとか、面白い話だなってドキュメンタリーを見た直後は思ってた
でも、『柳検校の小閑』を読んでから、小説を読むときだけは小さな情報から世界を予測して組み上げて修正してのスタジオが自分の脳内にもかつてあったよなと思った
むしろ逆に、栗の花とあまり遭遇しないからこそ良くない勘違いを防げるというか、誤魔化せるというか
青少年達はあの匂いを嗅いで「おい誰だよここでシコったの」となるし、でもそれに対して「馬鹿お前アソコにある栗の花の匂いだよ」と言える
逆に情事があった際には「栗の花のにほひかな」と知らない花の名前を出されて逆になんか知ってない自分が悪いのかなみたいな気持ちになるし、そんな雅な感じで誤魔化すことができる、気がする。
でもムワッとしてるし汗臭いし汗かいてるし服乱れてるしで結局バレる。
とはいえ誤魔化す為にあまり理解されない花の名前を出して「そんな花あるんだぁ」と姑息に誤魔化すのがあの表現のある意味、でも結局そんな花咲いてないと気付かれてバレて白い目で見られるのも込みの話なんだろう。
自分も家を建てるときに住宅系Youtuberをよく見てたんだけど、ある日突然気付いてしまった
「こいつら一体だれやねん」
それっぽく数字を出したりして説明してくるけど国やメーカーが出してる数値とは違ってたりしてて
その理由については「国はメーカーの言いなりで〜」みたいなことしか言わない
医療系だと「Youtuberの言ってることだもんな」という感じになるのに
住宅関係や自動車、その他いろいろの場合はYoutuberの言ってることに一定の信頼性を持ってしまってるのは非常に危ういと思う
例えばメーカーの人間は自社の贔屓もあるだろうけれど嘘をつくわけにはいかないのである程度の信頼性は確保されてる
テレビに出ているコメンテーターなどでも、発言内容はテレビ局側の責任やスポンサー問題になるので信頼性がそこで確保される
Badのクリック数なんてそもそも見てない人は押せないわけだし
誰かが「あのYoutuberは嘘をついている」みたいな指摘をするわけでもない
仮にやってたとしても、わざわざそれを見ることは無いし、そもそもその指摘が正確なのか判断する術が無い
100歩譲って顔出し名前出しのYoutuberならその人の今後の活動に影響が出るから自己責任として信頼性を確保するかもしれないが