ああやだ手が震える
家に一人でいるのは全く苦ではないが、親がいると耐えられない。
体と精神が合わない。
死に時を逃してからとても辛い。
もう終わりかな。
去年も今ごろいなくなろうかと思った。行動に起こすのは怖い。
生きるの疲れた
電車賃も含めて一万円以内で一日遊べるのでそこまで高いとも思わない。
初めてデートした時、「慣れてるのは今までこうやって女の人と遊んでたからだろうな」って彼女は思ったらしいし、
初めて抱きしめた時、「この人が最初こうやって他の女の人を抱いたのはいつだったのかなぁ」ってすごいブルーな気持ちだったらしい。
で、今まで彼女ができたことがないと知った時、「レベル上げのために、とりあえず手頃なのと付き合ってるのかなぁ」って卑屈になってたらしい。
一方の俺「ぁゎゎ」くらいしか考えてなかった。
頭がおかしくなりそうだったので2回転のピンサロに行ってきた。
半ば強引に跨らせてキス。
胸は小ぶり。
あまり経験無いのかと思っていたが、案の定フェラも亀頭をモゴモゴしてるだけ。
歯も当たる。
抜く前に既に賢者モードだったが、最後のスパートで手コキも加わりなんとかフィニッシュ。
フィニッシュに入ると急激にローリングを加えだし、刺激が強すぎて怯む。
ハズレ、大いにハズレ。
そしてメガネ。
しかし細い、華奢な腕、脚、腰。
マジマジと見すぎてしまう。
積極的に話しかけてくるし、ちょいちょいホッペにチューしてくるので照れて目が合わせられない、可愛い。
跨ってもらっても軽い軽い。
もう軽いコじゃないとイケない体になってしまったのかもしれない。
キスも上手いし舌も細い。
小ぶりだが確かな胸。
脚は細いし、ニーハイ。
天使か。
せっかくなのでフェラに入ってもらうが残念ながら手コキメインで亀頭チロチロタイプ。
だがめちゃくちゃ気持ちイイ。
先ほど無理矢理出したのを痛烈に後悔。
ただ風俗は射精だけにあらずと言うことを身体に刻み込んでくれたコだった。
完全に満足してニヤニヤしながら家に戻ったのである。
生きる意味なんてないのに、なにかと意味づけした日常に心を奪われて生きているんだけど、ときたま自分がぼんやりと考えていた意味と矛盾した例がでてきて、そのときは自分の意味を変更せざるえないんだ。もちろん、意味なんてないっていう意味づけでもいいよ。だって意味ないんだもん。
しかしそのことを公言すると必ず女性から人間じゃないかのような扱いを受ける。
みんななんでそんなにディズニーランドが好きなんだ?
例えばBTTF?T3?なにそれ?洋画なんか一切見ないって人がUSJに行っても楽しめるとはあんまり思えないだろう?
なぜその程度のことで残念な人、恋愛対象外みたいな扱いを受けなきゃならないのか。
数えるくらいしか行ったことはないが、そこで感じたイメージを列挙する。
キャラクターと世界観に興味が無いと一切楽しくないアトラクション多すぎ。ハニーハントの何も起きなさと言ったら。
出来てすぐくらいに運悪く当時の彼女と行ってしまい、5時間待って乗ったクソみたいな記憶。
ジェットコースターも富士急やらに行けばもっと気軽に激しい物に乗れる。
・異常な混雑
子供騙しのアトラクションでもすぐに乗れるならそれなりに楽しいだろうが、行列が全てを打ち消す。
あんなに並んでこの程度かよ。
・何もかもが高い。
まだ付き合ってもいない女性とディズニー行こうって話ししてたら宿泊費・お土産代合わせて50万以上払わされそうになった。
もちろん話は流れたが。
そしてそれに付き合って行く男は本当にディズニーランドを楽しめているのか?
謎すぎる。
どう見ても可愛くならない女子中学生が将来、可愛くなることはまあない。
整形をしてもマシになる程度の女がおおい。可愛くない女は何を救いにして生きていくのか。
ついでに僕は若人のときからキモいので、キモいおじさんになるの確定である。未来が輝いてるぜ。
昔、おばさん一人が経営している個別塾に通っていた。個別塾と大手予備校に通った結果は大変輝かしい結果となった。
輝きすぎて、爆発しそうだ。
個別塾には元水道橋のJKで今は超一流大学で女子大生をやっている容姿の悪い女がいた。体型もボッキしないどうしようもない感じで、目は小さく鼻もくちびるも形は悪く、イラストの蛸のような顔だった。肌はどす黒く、肌は強い天然パーマがかかっていた。
顔を大きくして肌を汚くしてペニスと病気を持たせて知性を抜けば、僕みたいなものが出来上がる。
普段教えてくれる人が休んで代わりにその女に教えてもらったことがあった。英単語でリベラルという言葉があったので、リベラルと保守についてその女はテキトーに説明した。
保守は自民党の人の「女性は家庭を〜」みたいなやつでと言った気がする。
経済学では特に威厳ある一流大学の学生である。こんなテキトーな見方をしているわけがない。だが、そういう風に説明したからにはやっぱり何かあるのだろう。僕は女性であるというメリットが享受できない悪い容姿だからあんな風なことを言ったと思った。容姿がいい女は愛玩動物のような扱いを受けれる機会が多いだろう。にゃーんにゃんにゃんって。そういう女は現状を肯定することが多いはずだ。楽だし、幸せなことが多いから。しかし、超一流大学の容姿の悪いJDは愛玩動物になれない。だけど、超一流大学に入るからには優秀だ。女という性が邪魔で、社会で活躍したいのだろう。世の中がそうなっていないのに苛立ちを感じるのだろう。努力をして超一流大学に入ったわけだし、いつも経済学の英語の論文を読んでいるのを見ると凄いなと思うが、やはりブスだなと自分のどうしようもない不細工な僕の評価がはいってしまうからまぁ僕はどうしようもない。
一方で愛玩動物なのにいろいろと幸せな女子医大生も見た。肌が滅茶苦茶な僕を毛嫌いしている様子な気がしたけど、気にしない気にしない。
元四ツ谷のJKで将来の旦那探ししないっとなぁとかほざきやがる輩だった。色々とけなしてやりたいが、彼女にあって僕にないものというのが醜さと持病なので泣くだけだ。愛玩動物としての喜びを享受しようとする者に、旦那探しの場と将来の保険税金が大量に注ぎ込まれていると感じた。僕も愛玩動物になりたい。
今日もプルーンプルーンな胸をもった容姿の女を歯ぎしりしながら見ていた。正直限界だと感じて、クレジットカードでロープを買い出したのには本当にどうしようもねーなと感じた。こんな文章書き続けてもどうもならないけど、楽しい女の話とか書くと頭がくらっくらっしてロープしそうになるから、書きたくないし、書けない。ブコメを得て、そこから救いを見出そうとしたけどアホだからただ稼ぐのに一生懸命になると言いたくないけど、嘘かかない程度になってしまうようだ。学校のシナリオの課題とかやった先にどうしようもない状態の四回生がいるのを見ると死にたくなる。
容姿がいい女が就職で有利なのはやっぱりである。あぁ、あぁ、あぁ。
どうにもならない。就職とかよりも、大学が楽しくなさすぎるのと、あぁ、慶応に行ったはるちゃんや、かなちゃんが愛玩動物としての喜びと、高い社会的地位を両方獲得するのだからまぁどうしようもない。あぁ、◯◯◯大学◯像学部万歳である。金蔓な僕万歳である。4年間で八百万で専門学校と大して変わんない感じなの素敵だ。
父親が稼いだ金数万でセックスはしてくれるだろうが、欲情はしてくれないだろう。一目惚れなんて言葉があるけど、それって要は性的欲情だ。僕に一目惚れはなんてしてくれないだろう。顔じゃねえとか説教する人はどこでもいるけど、なんだかんだで美人がみなさんお好きである。疲れたから、大学にいるブス巨乳を思い出してオナニーして寝ます。
http://megalodon.jp/2015-0613-0413-55/anond.hatelabo.jp/20150613024315
アフロ田中ってけっこう好きな漫画があって、高校生ぐらいのころから読んでいた。
そのときはまだ高校アフロ田中から中退アフロ田中になるころで、自分の現在と重ねて、「中退!なにそれおもしろ」とへらへら笑っていた。
それから自分は大学にいくことになるのだが、住んでいた寮にスピリッツがあることや、たまーにネットカフェに泊まることがあるとバックナンバーを見返すことがあり、不定期に、でも長い目でみて定期的に触れていた。
アフロ田中はさすらった。あくまで日常、しかもちょっとエロい、人間味のある日常。あの感じが居心地がよかった。
かたや自分はできるだけ非日常を日常にしようと、まだ見ぬものを見ようとふらついていた。今もその点変わらない。今思えば、あの漫画は自分の浮き足が何センチぐらい地面から離れているのか確認していたのかもしれない。
今日、ひさびさにネットカフェで泊まる機会があり、恒例となったアフロ田中を手に取り、ひそやかに笑っていた。
この漫画はついに終わった。ついに、と言うが、終わったのは単行本としては2013年だったらしい。
んー、知らん間に、時間は進行している。こんな感じでこれからも進むのだろうか。俺はもっと違う未来を期待していた。カタチは結構期待通り変わったが、中身って断絶なく連続してるね、意外と。
あれってどう見てもただの思考停止だろ。
アメリカンヒーローと言えば、どんな困難な状況に陥っても決してあきらめず
とことんまで知恵を絞って打開策を編み出すものであり、それが主体性ゼロの
事なかれ日本人の価値観を揺さぶり、大きな教訓を与えてくれるのだ。
私が小学生から高校生の間、黒猫を飼っていた。名前はハナ。近所の神社に捨てられていた3匹の子猫のうちの1匹だった。従兄弟が可愛いからと連れて帰って来たものの、彼はマンション暮らしでペットを飼えなかった。そのため、我が家と祖父母の家のある敷地で飼うことになったのだ。成り行きでなぜかうちで飼われるようになったハナだったけれど、わりと私の家族や祖父母は歓迎した。
ハナは気性の荒い猫だった。撫でれば嫌な顔をするし、気に入らないことがあるとすぐに引っ掻いた。それでも私は猫が好きだったので、小学校高学年くらいまでわりとたくさん構った方だと思う。黒い毛のしたに、灰色の柔らかい毛が生えていた。ハナのお腹の下の柔らかい部分が特に好きで、幾度となく触ろうとしては蹴られたり引っ掻かれたりしていた。私はハナを手なづけようと必死だったし、ハナは適当にあしらってくれていた。
話は変わるけど私が小学生の頃、悩み事があった。ひじの裏やひざの裏、首元や耳の後ろ等、皮膚の柔らかい部分に赤い湿疹ができていたことだ。なぜできるか分からないそれが好きじゃなくて、いつも肌を隠すことばかり考えていた。
でも、転機が訪れた。その発疹が、中学生になり、家に居ることが少なくなるとピタッと止んだ。私は猫アレルギーだった。中学生になって、部活がすごく忙しくて、家に帰るとベッドに直行していた。当然ハナと接する機会が減ったので、私のアレルギーは止んだという訳である。それが分かったその日から、ハナは大分肩身の狭い思いをしたと思う。とにかく、家に入れてあげなくなったし、私もハナを抱かなくなった。もちろん、ハナを触りたい気持ちもあったけれど、あの湿疹と決別できたことが私にとって何よりも重要だった。
最初ハナは若干戸惑っていた。いつも構ってくれる人間が「ちょっと、こないで!湿疹が出るじゃない!」「あっちにいって!ハナちゃん触ると痒くなっちゃうの」と言い始めたから当然のことだ。でも、ハナもクールなもので、あっという間にで慣れてくれた。私を見ても「あ、いるな」くらいの間隔の距離を保ってくれた。私を見ると、ハナは少し尻尾を振った。
そのうちハナもおばあちゃんになり、祖父母の家から出なくなった。ますます、私はハナを構わなくなって、そのうちハナのことを考える時間もほとんどなくなった。ハナはいつの間にか年老いていて、静かに天に旅立った。12年生きてくれた。でも、そのうち、6年間はほとんど接していない。最後に触ったのは、多分高校生1年生の冬。祖父母の家のこたつに足を突っ込んだらハナがこたつの中にいたのだ。私はびっくりしたけれど、これぐらいでは湿疹が出ることはないだろうと思って放っておいた。その時、ハナはこたつの中でそっと私の足に寄りそった。本当に、遠慮がちにそっと。
ハナが死んだ時、大学受験の真っ最中だった。私は、ハナが死んだことすら1週間気付かず、母の「ハナちゃんがいなくてさみしいね」という一言でようやく知った。悲しみはなくて、淡々としていた。もう6年も適度な距離感があったペットに、私は特に心を動かされたりはしないと思っていた。でも、やっぱりふとした瞬間にハナが恋しかった。庭先のツバキの下や、祖父母の家の縁の下、陽のあたる畳の上、こたつの中に、ハナがいないのは違和感があった。あるいは、庭先で何かを追い掛けて軽やかに駆け回るハナがいないことに、喪失感を覚えた。だんだん、ハナがいない違和感は消えたけれど、誰も猫を飼おうと言い始めはしなかった。猫アレルギーの私が就職して一人暮らしを始めてもなお、猫を飼い始めようという話はない。ハナであれば、あの気性の荒い、でも本当は優しい猫でなければ、私たち家族は嫌なのだ、結局。
命は切ない。一瞬で、消え去ってしまう。
ハナが死んであっという間に5年経った。早いものだなぁと思う。私はもうハナの目の色や、耳の形を覚えていない。写真も、あまり残っていない。
でも、時々思う。あの、遠慮がちにそっと身体を寄せた、暖かいからだを。あの時、ぎゅっと抱けばよかった。アレルギーなんて気にせずに、なりふり構わず、あの瞬間を生きていた小さな命をぎゅっと抱き締めたらよかった。
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アレルギーの件:皮膚のアレルギー症状…発赤(ほっせき)・かゆみ で、私はこれに該当するアレルギーだと思います。皮膚科で血液検査しました。
いぬ、うさぎ、チンチラ等の毛もNGで、未だに治っていません。恋人の飼っている犬にも触れず、つらい思いをしています。なおせるものならなおしたい。