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はてなキーワード: 哲学者とは

2008-11-19

議論の出口がみつからない。

科学似非科学の議論はそもそも論点が定まっていない。」ということに問題があると思う。

俺は科学は実用上では「真理」として十分に認める価値があると思う。

しかし一方で、科学を「正しい」と決めるのが人間である限り、この世の「真理」、いうなれば絶対的真理(文法的にはおかしく見えるがニュアンスをつかんでほしい)とはなりえないのではないかという疑念をいつも持っている。

科学実験結果を認識する人の認識の問題まで考え始めると、まさに宗教や文化的な考え方を完全には無視できなくなるだろう。なぜなら人の「クオリア」の問題は、いまだにこれらの哲学的な考え方を排除できていないのだから。そして、似非科学批判の批判(あくまで似非科学批判の批判であって、似非科学擁護ではない点に注意)がされるときはよく、この「絶対性・真理性」が話題に上る。

いっぽうで俺の視点からすると、似非科学批判者は、実用上での「真理」が問題だと考えているように思う。こういった論客たちは、おそらく科学の問題に哲学的な考えを導入する必要はない、似非科学を使って悪用しようとする人間が排除されればいいと考えているのかもしれない。

結局この問題は共有した論点が設定しにくい、というよりほんのわずかにしか見えない少しの溝が、世界をまったく分けてしまっているのではないかと思う。

似非科学批判者にはどうかわかってほしい。

俺のような似非科学批判の批判をするようなものは、一見敵対してるが、本当はまったく違う話をしているのだ。

おそらくはてなにいる論客たちの多くは、どちらの立場にせよ、似非科学によるまやかしを憎んでいる。

ただ、俺のように、科学哲学的な目線から見て考える、哲学者もどきみたいなやつもいる。

それは科学を「真理」ととるか、とらないかの違いである。それはある種、工学者と理学者の違いのように、学問の「深さ」に対する考え方の差であり、じつはお互いを必要としあう関係なのかもしれない。だから、そろそろお互いがののしりあうのはやめよう。お互いの違いを認めるのも時には大切なことだ。

追記

もし似非科学批判の人で、俺のあなたに対する見方が違ったらごめん。似非科学批判を批判する人でもそういう人がいたらごめん。

2008-11-16

自分へのメモ 偉人言葉から

「可能性をぎりぎりにおしすすめて行く

 ことこそが、私の存在理由を決定する。」

 *田宮虎彦作家

現状を維持しているだけじゃ成長もないし、つまらない。

「ひとは軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。

 だから自信のある者はあまり怒らない。」

 *三木清哲学者

確かに私はそういう理由で怒ることが多いかも・・・

何に反発しているのかよくわからないけれど、

失恋して怒ったのも、相手が惜しくてじゃなくて、軽蔑されたと感じたのかもしれないね。

人間には上・中・下の三種類がある。

 上というのは、他人の良い分別を学んで、

 自分の分別とすることである。

 中というのは、他人から意見をされて、

 その意見を自分の判断に変える人物である。

 

 下というのは、他人から良いことを言われても、

 ただ笑って聞き流す人間をいう。」

 *鍋島直茂江戸時代藩主

素直に、柔軟に生きていきたい。

「男は、そのすべてを捧げることを女に求める。

 女がその通り生涯をかけて尽くすと、

 男はその重みに苦しむ。」

 *ボーボワール(フランス小説家

あはは。まったくもってその通りw

・・・・orz (今度からは出し惜しもう)

男女は逆でも通じるけどねー!

「女の涙は、必ずしも今、口にしている事を

 理由として流れているのではない。」

 *伊藤整作家

これもおもしろいな。女性って言っていることと思ってることも違うよね。

「やってみせ、言ってきかせて、させてみて、

ほめてやらねば人は動かじ。」

 *山本五十六軍人

人をモチベートするのは、とても大変!

そういう仕事をしてみたいけどなぁ・・・

「傷つきやすい人間ほど、複雑な鎖帷子を身に

つけるものだ。そして往々この鎖帷子が、自分の

肌を傷つけてしまう。」

 *三島 由紀夫(作家

いつまでも傷ついてられないから、もう殻を脱ぎ捨てなければ。

人生には2通りの生き方がある。

1つは何も奇蹟なんてないと思って生きること。

もう1つは、すべてが奇蹟だと思って生きることだ。」

 *アインシュタインアメリカ物理学者

中途半端だから苦しいのかもしれないですね。

「知っていると思い込んでいる人が利口なのではなく、

自分が知らないということを自覚した人が賢いのである。」

 *クラウディウスドイツ詩人

無知の知』、ですね。

できるできる!

やれるやれる!

松岡修造ノリもちょっときついなぁ・・・)

2008-10-27

anond:20081027174339

ヤマアラシジレンマみたい。

ショーペンハウアーはこの寓話のむすびに、自分自身の中に温かみを多く持つ者は、

いざこざを与えたり与えられたりしないように、むしろ社交から遠ざかることを好むって書いてる。

当然この哲学者は一生独身だった訳だけど。

2008-10-21

http://anond.hatelabo.jp/20081021203036

されてるとすれば、実際にオタク人間性が低いからだと思うよ。

特定のジャンルだけに拘って、幅広い会話ができないのは

人間性というよりはコミニュケーション能力が低いからと思うが。

ただし、天才と呼ばれる人たちや哲学者にもそういった人たちはいるが

そういった人たちは「リア充」のような仮想敵を作って他人を呪ったり

しない。

[][][][]意志の力でどうにもならない物事

他人や出来事の犠牲者にならないための「思考のフィルター」 | 考えるための書評集

君のものだけを君のものであると思う

[自他境界線]

[権内][権外][分限自覚]他人の評価は他人のもの自分の行動は自分のもの

自分は自分、他人は他人。

大衆がする尊敬と侮辱

「自分がコントロールできないことを心配しても仕方ない。自分にコントロールできること、自分にできることをやればいいんだ」宇宙飛行士・医師 古川聡

「自分がコントロールできることとできないことを分けて考えなければいけません」元プロ野球選手 松井秀喜

王さんとヒデキ・マツイと『7つの習慣』

「7つの習慣」セルフ・スタディ・ブック 第一の習慣:あなたが変えられるものを考えてみる――「関心の輪」と「影響の輪」 (1/2) - ITmedia エンタープライズ

7つの習慣 - Wikipedia

google:東大家庭教師が教える 頭が良くなる思考法 コントロール内 コントロール外

「コントロール外の事を変えようとしない」東大家庭教師が教える 頭が良くなる思考法

「人の事を変えよう」と思わない。「見抜く」「決める」「やる」の3ステップ

コントロール内 コントロール外 - Twitter検索

自分と未来は変えられる。他人と過去は変えられない。

「なんとなく」を可視化し、「変えられるもの」に集中する - 点と点をつなぐためのメモ - connecting the dots

最近、他人を説得したり、意見することにエネルギーを使うことをやめました。それよりも、自分を変えることが大切。

カウンセラーのつぶやき 相手を変えようとする生き方(外的コントロール心理学)

カウンセラーのつぶやき 自分を変える生き方(内的コントロール)

Amazon.co.jp: 幸福論 (第1部): 本: ヒルティ,草間 平作

幸福論/ヒルティ著/岩波文庫

「ラインホルド・ニーバーの祈り」について

自己の「分限の自覚」(自由になるものとならないものとを区別すること)

ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

[ゲシュタルトの祈り][Gestalt Prayer]

私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。


哲学は人間の外側のものを与えない。エピクテートス

人間の幸福は外部より受けて生ずるものにあらず ソクラテス - 名言から学ぶ幸せのヒント

エピクテートス | 幸福・不幸 道 意志 物事 | 幸せを呼ぶ名言‐偉人たちの言葉‐

幸福への道はただ一つしかない。それは、意志の力でどうにもならない物事は悩んだりしないことである

エピクテートス

ギリシャ哲学者

『D・カーネギー名言集』 64頁

権内と権外|terraのブログ

人は生きる上で何よりも、自分の権内にあって自由になるものと、

自分の力の権外にあって自由にならないものとを、

きびしく区別しなければならぬ。

エピクテトスからマルクスへ - 哲劇メモ

意見や意欲や欲望忌避一言でいえばおよそわれわれの活動であるものはわれわれの権内にあるが、

肉体や財産や評判や官職一言でいえばおよそわれわれの活動でないものはわれわれの権内にない。



エピクテートス 提要

The Enchiridion by Epictetus (Audio Book) - YouTube

The Internet Classics Archive | The Enchiridion by Epictetus

提要 エピクテートス 人生談義〈下〉 エピクテートス

諸々の存在のうち
ある物はわれわれの権内にあるが
ある物はわれわれの権内にない
意見や意欲や欲望忌避
一言でいえばおよそ
われわれの活動であるものは
われわれの権内にあるが
肉体や財産や評判や官職
一言でいえばおよそ
われわれの活動でないものは
われわれの権内にない
そして
われわれの権内にあるものは
本性上自由であり
妨げられず
邪魔されないものであるが
われわれの権内にないものは
脆い隷属的な
妨げられる
自分のものでないものである

そこで次のことを記憶しておくがいい
もし本性上隷属的なもの自由ものと思い
自分のものでないもの自分のものと思うならば
君は邪魔され
悲しみ不安にされ
また神々や人々を非難するだろう
だがもし君のものだけを
君のものであると思い
君のものでないもの事実そうであるように
自分のものでないものと思うならば
誰も君に決して強制はしないだろう
誰も君を妨げないだろう
君は誰をも非難せず
誰をもとがめ立てしないだろう
君は何一ついやいやながら
することはなく
誰も君に害を加えず
君は敵を持たないだろう
けだし君は何も害を受けないだろうから

エピクテートス 提要 1 人生談義〈下〉 epictetus

エピクテートス 提要

[語録][エピクテトス][エピクテートス][Enchiridion][Epictetus]

エピクテトスと『The Enchiridion』について

[人間関係は腹六分]

こころの時代 中村元 ブッダの人と思想セレクション(4)「一切にわがものなし」 - NHK

ブッダの人と思想④一切にわがものなし

google:愚かな人は常に名誉と利益とに苦しむ。上席を得たい、権利を得たい、利益を得たいと、常にこの欲のために苦しむ。

google:悪から遠ざかる味わい、寂[しず]けさの味わい、教えの喜びの味わい、この味わいを味わう者には恐れがない。

本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは

人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン

鶏口牛後 - はてな匿名ダイアリー

影で「きもい、最悪、勘違いすんな」って言われてても気付かなくてシアワセなんだろうな。

ラベンダー畑の向こう側

・・・ 毎日のように夜遅く電話してくる

友達

いて非常に迷惑だった。

☆ゴミの通院日記☆:波浪注意報 - livedoor Blog(ブログ)

私はあんたのことなんて知らない、お前が男とどうなろうがしったこっちゃない。

言いたいのに、いえない。

私へのメール日記じゃないのです。

うざいからやめてくれない?

泣きながら電話するのやめてくれない?


[心][粗野][人間]心が粗野にできている人間

あるとき、ある男が、人に挨拶をしたら、挨拶を返さなかったというので

腹を立てていると、彼は言った、

「笑うべきことだよ、君は身体の悪い人間に出逢っても別に腹を立てないのに、

心が粗野にできている人間に出合ったというので、憤慨するというのは。」

クセノフォーン ソークラテースの思い出

「人が君の身体を行き当りばったりの人に任せるならば、君は立腹するだろう。

だが君は君自身の心を出会う人に、

--もしその人が悪口するならば、それで君が悩まされ、動揺させられるように任せるのを恥じないか。」

エピクテートス提要 28

岩波文庫人生談義・下』(鹿野治助)



あなたを大切にしない人のことを、あなたが大切にする必要はない

自分を大切にすることだ。

自分を大切な人間だと思えば、自分感情他人の意のままにされることなど決してありえない。

から他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである

エイン・W. ダイアー

【人間関係】他人を許すのは、他人の意のままにならないための手段なのである。

結局ものすごい憎しみがあると、自分いちばん辛いんで。そっから脱出するには、相手を許すしかない。敵を許すしかないんだという結論に彼は達して。それで救われるんですね。

町山智浩 アンジェリーナ・ジョリー監督作『アンブロークン』を語る

許しとは強者の態度である。ガンジー

Amazon.co.jp:ゆるすということ―もう、過去にはとらわれない

『本当に偉いということの証拠は、殴られても気にしないという態度である

たとえば、犬どもの吠え立てる方をゆっくりと見返す大きな野獣のごときである

打ち寄せた波が当たっては空しく砕ける巨大な岩礁のごときである

怒らない人は被害に動ずることなく、しっかりと立ち続ける。

怒っている人は動かされているのだ。』

セネカ 怒りについて

堅い岩が風に揺るがないように、

賢い人はそしられてもほめられても心を動かさない。

おのれに勝つのは、戦場千万の敵に勝つよりもすぐれた勝利である

BUDDHA



ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

[ゲシュタルトの祈り][Gestalt Prayer]

私は私のことをします。ですから、あなたはあなたのことをして下さい。





[アドラー][心理学][マズロー][欲求5段階説][反証可能性]

ラインホールド・ニーバーの祈り The Serenity Prayer

宇宙飛行士に学ぶ心の鍛え方 (マイナビ新書) : 古川 聡 : 本 : Amazon

信念を貫く (新潮新書) : 松井 秀喜 : 本 : Amazon

[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬

http://anond.hatelabo.jp/20131030005950

http://anond.hatelabo.jp/20150716215301

http://anond.hatelabo.jp/20151118234024

2008-10-20

森岡×宮台に好き勝手突っ込んでみる

せっかくid:heartless00が起こしてくれたので、森岡正博×宮台真司 なぜ日本人は結婚しなくなったかに好き勝手突っ込んでみる。発言順の編集有。

30~34歳の未婚率

70年 男 11.7%  女 7.2%

05年 男 47.1%  女 32.0

宮台:これはすごい。70年はほとんど結婚していた。結婚していない場合かなりの説明を要する。

しかし30代前半ということはこれから結婚の可能性が高く、単に晩婚化を示した数値だからなあ。寿命が延びて教育が長期化した当然の帰結だし。「なぜ日本人結婚しなくなったか」がテーマならせめて30代後半、生涯未婚がテーマなら40代以降の数値を出して欲しかった。

まあどの年代の数字を出してもこの傾向は示せると思うけど、テーマに対する的外し感と一番数字が離れて見えるとこを狙った感が見え見えで萎えるなー。

武田:原因として、男性の収入減があげられているが、本当にそうなのかと。

宮台:ヨーロッパではむしろ収入が少ないから結婚する。

宮台:フランスではまったく逆。収入が少ない事、孤独である事はむしろ結婚動機付けになる。

早く男性性なんて捨てちゃえばいいのにね。2人口で細々やっていくか、女に食わせてもらうのも普通になればいいんだよ。

宮台:「感じない男」は衝撃的だった。思春期男子射精をする自分は汚いと思う、女の子に生まれてくればよかったのに。

女の子女の子で、その汚い射精や劣情を惹き起こさせる存在である自分を汚いと思ってるよ。どうせ汚いなら他人の汚さ(を喚起するという自分の性質)に振り回されるより自分でなんとか出来る方がいいじゃんね。自分の汚さの源泉が他人の欲情だったらもう本人にはどうしようも無いよ。鈍感になるくらいしかないよ。女に生まれたかったなんて考える潔癖症気質の繊細クンは実際に女に生まれてたらもっとドツボにはまってたと思う。(そういう性質の人にとっては)男に生まれてラッキーだったと思うよ。

宮台:アキバ殺傷の書き込みを見ると、「顔が醜いからモテない」それが彼を絶望に追いやっているが、これはありえない勘違いナンパカメラマンは平均的な顔で、イケメンはむしろ女性に警戒される。

ですよねー>「イケメンはむしろ女性に警戒される」

女の行動原理は自らに向かうナルシズムであり、イケメンはナルシズムの妨げになる。話は逸れるが、女性描写でこのナルシズムを正確に書いてあると、やるなこの筆者と思う。男から見た俺が女だったらこうだろう描写が多すぎるから。「顔が醜いからモテない」はその典型例だなー。お前が顔重視だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるんだろ。

武田キャリアウーマン女性は・・ネタなのか、自分を負け組定義していたりはするようだが・・

宮台:あれはむしろ女子高文化的、「他とは違う自分」肯定の身振り。

宮台うぜーーー。お前が負け組語りをするとしたら「他とは違う自分」動機しかありえないってだけだろーが。まさに手前が○○だから他人もそうだってことにしといた方がリアルティがあるメソッド発動中。女で高学歴高収入キャリアってのはヒエラルキー的には下がるんだってば。履歴見ただけで高慢で嫌な奴だと推定されるからお腹見せスタンスではじめてバランスがとれるんだよ。お笑いで生きづらさを解消してるんだよ。他にもピエロ役いっぱい買って出てるって。そんなん現代を生きていたら嫌というほど分かるって。

森岡:事実婚というカテゴリーはどうなっているのか。ヨーロッパでは事実婚が大きな位置を占めている。

森岡:婚活とか言われているが、法律婚にすぐ結びつくのは危険。男女の関係、いっしょに生活をする観点から考えれば法律婚だけが結婚ではないはず。法律婚一種類を前提にすることが少しおかしい。もっと多様な結婚形態があるべき。

法律婚とか待ってるから少子化とかするんだよ。もっと婚外カップルやその他のパターン婚外子を想定すべきだよなあ。そんで授かったもんは全部有難く育てればいい。産む人と育てる人が別でもいいよね。養子制度がもっと普通になってさ。

森岡:「草食系男子の恋愛学」は恋愛のススメではない。今の社会は「恋愛しなればならない」という言説が振りまかれすぎている。その言説によって苦しんでいる男女がたくさんいる。それは問題で、「恋愛しなければ一人前じゃないというのは嘘だ」というのは前提として・・。

森岡:私の若い頃はモテず、好きな女性からは必ずフラれていた。それでも恋愛したかった。肉体的な欲求もあったが、もっとメルヘンチックな感じの欲求があった。

森岡:非モテの場合問題になるのは劣等感。誰かと比較して、だからオレはモテないんだと。

どうでもいいけど非モテとか草食系男子(予備軍)とかは非モテ同士でくっついて慰め合って、必要ならセックスもそこですればいいのに。お互いに一番よく分かってるじゃんね。メルヘンチックな欲求も劣等感も。そんなもん他人に向けんなよ。

森岡:それは微妙で・・。世界的に見ても「男たるもの、マッチョたれ」という言説があふれてて、「草食系でもいい」というメッセージはあまりない。だから私はそういうメッセージを投げたかった。

森岡:僕の場合草食系だったけど、モテるためには肉食系にならなけばならないと思って、筋トレしたり、マッチョに付き合ったりしたんだけど、結局アイデンティティークライシスに陥った。

読めば読むほど自分(達)で完結すべきで、他人を巻き込むなよと思うんだが。森岡はストレートに先輩非モテから後輩非モテへのメッセージだけしてればよかったのに。なんでそこで女を介さないといけなかったのかね。対象にされた方は気分悪いよね。

森岡:私の場合は思春期の頃、自分が男として生まれてきた事がどうしても肯定できなかった。今だからその感覚言語化して考える事ができるが。社会は男にマッチョたれとずっと言って来た。稼げ、戦えとか。それも疑念だったがそれとは別に、男は汚いと思っていた。すね毛は生えてくるし夢精はするし、肯定できなかった。

宮台:僕もまったく同じで、自分が女の子だったらよかったのになと思っていた。小学校の頃、女の子とよく戯れていて、男子中高で女の子と接しなくなって、大学に入ったらショックを受けた。合同サークル女の子達は男に色目を使う性的な汚い存在だった。

再び女の子になりたい発言。しかしこの発言、この2人の対比がよく出てるな。どっちかというと森岡氏の方が付き合いにくそうな。こういう思考が内に篭るような、なんかあると全部自己帰着させちゃうタイプの人は扱いにくい(哲学者なんで本業のためにはいいんだろうけど)。女なんて汚ねーとか言って外に出してしまう方がまだ健全な気はする。

森岡:社会男の子はかくあるべし、と言って来たし、いつのまにか女の子もそれを内面化してたのかもしれない。僕は今でも女の子が2人で手を繋いで歩いてるとこ見ていいなぁと思う。男同士じゃ出来ない。

そんなこと言わないで非モテ同士で手をつないで歩けば世の中も平和になるのに。その代わりこっちも一切の男性性を求めないから。

宮台:デートレイプの話ですが、今は彼氏彼女がいてもメルトモがいたりする。束縛男の場合、疑心暗鬼になって相手の携帯を見る。30分おきに居場所を報告させる。自分がいるところの写メを送らせる。そんな監視状態に置かれた女の子がどんどん増えている。それは暴力的で、女の子開放してあげたいと思うし、男の子も不自由だと思う。監視を承認の代替物として受け取っている。そんな男の子にどう言えばいいのか。

いや宮台それはちょっとレア事例すぎだよ。それになんでこれがデートレイプなんだ?いくらなんでも言葉を軽く使いすぎじゃないの。

宮台:(略)ずっと監視して汚いものにさわらせないのがイノセンスだ。というのは僕に言わせるとステージが低い。

ステージ(笑)前後で言ってることは間違っちゃいないけど、それ以上に、こういうことを高いだの低いだので発想するのがそもそも「ステージが低い」わ。陳腐過ぎて眩暈がする。このひとホントに言論人かね。想定読者を意識して意図的に言ってるんだとしても、読者を馬鹿にし過ぎな印象。

かしこ引用しながら偉そうに言いたいこと吐くid:**********メソッド(各自好きなidを入れてお楽しみください)ってうざいな。我ながらキモいものを書いてしまった。

追記

はてブを見たら、追記をしておく必要を感じたので。

この記事を書いた自分は、射精や男の体そのものが汚いとは全く思わない。しかし「思春期男子が」「射精をする自分は汚い」と思う、そう思ってしまう子が一定数いるのは無理もないと思う。そして自分の欲望を汚いと思いながらそれを向けるとき、向けられる側としてはどうしようもないということ。欲望を持つ側がそれを汚い欲望だと思えば「汚い欲望を喚起する汚いわたし」になるし、そう思わなければならないで済む。

http://anond.hatelabo.jp/20081020025244

何か似てるなーって思った。周りの人と一緒にいても楽しめないし、一人でいるほうがいい。ただ、決して現状に満足できているわけではないから、何をすれば満足できるのか求めている。観念論で考えれば、友達(小集団)と一緒に何かに取り組むのは面白いと思っている。興味や関心の対象が一致しているならもっと充実した毎日を送ると思う。だけど、心から楽しめる趣味を持っているわけではないので、物足りない毎日を送っている。

もっといえば、周りの人間自体がつまらないのではなくて会話がつまらない。日々、目の前の出来事を消化するように会話をしていても楽しめない。注意深く観察すれば、人間的な魅力の一つや二つぐらいはすぐ見つかる。でも、根底としている考え方が一致しないから自分には合わないと思ってしまう。

一時期「孤独」についての本を読み漁ったことがある。孤独の良い面と悪い面。小説家芸術家哲学者なんかは人間関係から離れることで創造的(統一性への興味)になれるとか。

ex)ヴィトゲンシュタインショーペンハウエルドストエフスキー

>>誰か1人、孤独感を共有する人がいれば生きていけると感じるのだが、その1人を愛せるのか、不安に駆られる。

誰か1人、孤独感を共有する人がいれば、何が期待できる? お互いに存在は認めつつ、沈黙のまま場を共有するってこと? もし、無根拠にそう思っているならずっと不安なままだと思う。

2008-10-19

最も必要な事を、その主要点から着手しなさい。ヒルティ

仕事をするときには、いつでも、

まず第一もっと必要なことをしなさい。

元気よく、そしてその仕事の主要点から着手しなさい。

これが多くの仕事のために時間を得る手段である

それとほとんど同じようによい第二の手段は、

必要仕事努力をすべて避けることである

ヒルティ スイス政治家哲学者


一番重要な事柄を最初に処理する。カーネギー

80点主義

認知資源

2008-09-10

【追記あり】草食男子と付き合って4回目のデート図書館

http://anond.hatelabo.jp/20080909021526

27歳で、4年ぶりに彼氏が出来た。まだ1ヶ月も経っていない。

年下の彼氏は一見は草食系…。

草食男子…と書きながらも、実は全然そうでは無いと実感してきた今日この頃

私達がまだ付き合う前に、私が彼に有川浩の【阪急電車】という本を勧めた事があった。

昨日はNHKトップランナー有川浩ゲストだった。

私は事前にチェックしていたのだけど、彼は夜勤に行く前にわざわざ電話を掛けてきて教えてくれた。

まぁ、彼は私の声が聞きたいと、夜勤の時はよく電話をくれるのだけど。

トップランナーを見終わった後に、夜勤仕事中の彼に番組感想メールで送ったら、

夜勤が明けて疲れているだろうに朝8時過ぎに彼から電話が掛かってきた。

「有川作品をもっと読んでみたいから、図書館に付き合って」と。

仕事終わりで疲れてるだろうに大丈夫かな…と心配しつつも、図書館に付き合う事にした。

会って、彼の顔を見たら、やっぱ少し疲れてたし、眠そうだった。

朝イチの図書館はまばらで、高齢者の方が多かった。

彼氏は運良く【ラブコメ今昔】と【クジラの彼】と【レインツリーの国】を借りる事が出来た。

私は本を読むのは割りと好きで、彼が本を借りる手続きをしている間に色々な書棚を見ていた。

ここの図書館大学図書館並みに書棚が高く、蔵書の数も物凄く多い。

私はいつの間にか殆んど人の寄り付かない哲学のコーナーに来ていた。

大学時代哲学を専攻していたので、懐かしい哲学者の名前がいくつもあった。

今はもう名前ぐらいしか覚えていないけど。

それにしても凄い数だと感心しながら、首を上げて書棚を見上げていると、

手続きを済ませた彼が、「そこに居たんだ」と後ろからギューッと抱き締めてきた。

『ちょ…、こんなとこでヤバいって。誰か人来たらどーすんの…』と

私が言ってるにも拘わらず、後ろから今度は胸を揉んできた。

「誰も朝からこんなコーナーに来ないよ」と言いつつ、

調子に乗って、私の右耳を舐めだし、左の乳首をキューッと摘まんできた。

何か朝から刺激が強すぎるというか、正直、気持ち良すぎて、

どんなに声を殺しても『あっあっあっあっ』と勝手に声が出てしまう。

彼が「俺の指咥えてて…」と言い、彼の右手の人差し指、中指、薬指を口に咥えさせられた。

それでもやっぱり声が出てしまう。

「声可愛い…その声、可愛い…」と耳元で囁いてくる。

彼の息もはぁはぁ…と荒くなってくる。

何だか私の方もかなり興奮してしまって、彼の方に向き直り、

『チューしよ?凄いチューしたいよぉ…』と言うと

「チューしたいの?うーん、どうしようかな…」と焦らされた…。

『嫌だ…チューしたいよぉ…凄いしたいよぉ…』と言うと彼が物凄い勢いで、私の唇にむしゃぶりついてきた。

ほんと腰砕けになりそうなくらいに気持ちの良いキスだった。

彼は今日夜勤なので、帰って寝ないといけないのに、興奮して眠れないかも…とか言ってた。

まさか草食男子に焦らされるとは。

最初の内は、私の方が彼の事を私のカラダに溺れさせたいと思っていたのに

彼のねっとりとした愛撫が気持ち良過ぎて、私の方が溺れそうになってる。

エッチな事はしまくってるけど、まだセックスはした事が無い。

ディープキスしまくってるけど、まだ裸で抱き合った事は無い。

追記

http://anond.hatelabo.jp/20080911024323

2008-08-31

anond:20080831121948

狭義の哲学者とは違うかもしれないけど、ブッダおふくろさんも広義の哲学者には入りうるんじゃね?

宗教には哲学的な要素はあるし、

なんやかんやで母親哲学に基づいて子供は育てられるからね。

しかしそもそも、哲学定義もどっからどこまでなのかわからないのだけど。

人間はどこからきて、どこにいくのだろう?という命題が、哲学の出発点か。

世界で一番、信憑性が高いとされている哲学者は誰か?

キリストブッダマホメット孔子ケインズカントニーチェルソーアリストテレスプラトンソクラテス

誰が最も信憑性があるの?

一番信憑性があるのは、きっと俺の母親に違いない。

2008-08-22

先生

幼少の頃の純度100%の疑問を思い出すのに努力が必要になるのは、何も職業哲学者だけじゃないんです。

職業を別に持ち、その傍ら日々こつこつと思索を重ねる人間もまた、だんだんと疑問そのものを保持、再生するのが困難になるのですよ。

2008-07-24

エコ自殺

挨拶

夏ですね!

とっても暑いですね!

夏休み、楽しんでますか!?

さて、今日エコ自殺について考えてみましょう!

エコ自殺って何?

いわゆる自殺(Suicide)」のことなんだけど。

ここ数年、地球環境について関心が高まってるみたいだし、エコをくっつけて考えてみようかな!と思っちゃいました。

何をするの?

自殺するだけだよ!

つまり自分の命を自分で捨てるってことなんだ。とっても怖いね!

それっていけないことじゃ…

それが、ぜんぜん悪いことじゃないんだよ!

なぜなら、地球地球温暖化のせいで暖まってて、何か大変だっ!ってことは、みんな知ってると思うけど、

どうもその地球温暖化の原因を作ったのは、僕たち人間が悪いみたいなんだ!

で、その温暖化の原因を作った僕たちが、その事実を悔やんで自殺をするということ。そこが重要なんだね。

これは倫理的観点からも、とっても素晴らしい行為として認められるんだよ!なぜなら、君の素晴らしい行いは、世界を確実に救う方法だからだよ。

今まで、様々な政治家宗教家哲学者軍人もろもろが僕たちの生活、生き方をよくしてくれようと頑張ってくれたんだ。

確かに技術は昔に比べたら発展しているだろうし、いろいろな考え方が生まれたね。そして自分の生き方も自分で決定できて、しかもそれを実行できる、とても素晴らしいことだ。

でも、彼らは全人類を救う、助けてくれる、そんなアイディアを考えついたり実行したりしてくれたかな?僕はそんな万能なアイディアは無かったと思うんだ。

エコ自殺」はそれらとは全く違う。確実に、世界は救われる。自殺することによってね。

なんで救われるの?

僕は大学では地球環境なんて学ばなかったから、きちんと説明できる自信はないけど、みんなついてきてね。

100年くらい前に外国の偉い人達が、次々と便利なものをたくさん作ってくれたんだ。

これを産業革命って言うんだけど、このときからずっと二酸化炭素をはき出し続けてきたんだ。

二酸化炭素って言うのは、たくさん出しちゃうと地球が暑さでおかしくなっちゃうんだ。そしてこれからも二酸化炭素の排出は続くと思う。

僕たちは生きる上で、いろいろなものを食べたり着たり、使ったりするよね。そのとき僕たちは確実に二酸化炭素を出してしまうんだ。

これは地球規模の犯罪だね。

そして、生きている以上、地球環境破壊しているんだ。

君がいなければ君の部屋のエアコンは使われないし、扇風機は回らない。電気も必要ない。パソコンだって必要ないね。

君の部屋なんて造らなくてもよかったんだ。つまり、君がいなくなれば君を取り巻くすべての活動が停止する。

そうしたらそれに伴って消費される予定だった資源や、排出されるはずだった温室効果ガスは、少なくとも今回は使われなく/排出されなくて済む。

これは素晴らしいことじゃない?

そんなのちょっとのことで何が変わるの?

ちょっと落ちついて考えてみて。

割り箸を使わずにMy箸を使う。素晴らしいことだね、木を切らなくてもいいね。でも、その箸すら使わなければもっといいと思わない?

エアコンの設定温度を少し変える。素晴らしいことだね、発電量も減って東京電力も困らないね。でも、エアコンを使わなければフロンは排出されないよね?

電気をこまめに消す。素晴らしいことだね、電気代も減って効果的だね。でも、電気自体使わなければ、火力発電所原子力発電所も必要ないよね?

エコバッグ?そんなもの使うより、君が買い物もしないで、家で自殺すればいいんじゃない?そうしたら、ビニール袋の消費なんて考えなくても大丈夫だよ!

どうだい?君が今実践している「エコ(笑)」がどれだけアリのように小さくミジンコのように細かいことかわかったかい?

どんなふうに死ねばいいかな?

それは君次第だと思うよ。普通自殺で生まれる環境破壊より、君が生きていることの方がよほど問題だからね。今はまだ、そんなことは気にしなくてもいいと思う。今はまだね。

2008-06-28

現実でも一人。ネットでも一人。劇団でも一人

秋葉原通り魔事件──絶望する社会希望はあるか」

秋葉原通り魔事件は単なる半狂人による特殊な犯行ではない。宮崎勤幼女殺人事件、オウム事件、酒鬼薔薇事件と続くこの20年の社会の闇の部分──若者達の不満や怒りを見据えないと、事件の真相は見えてこない。『現実でも一人。ネットでも一人』という絶望的な状況で人は脱社会化するしかないのか?

【出演】宮台真司社会学者)、東浩紀哲学者/批評家)、切通理作評論家)、雨宮処凛作家)、他

http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/schedule/lpo.cgi?year=2008&month=8

現実でも一人。ネットでも一人という絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的だと思うんだけど。

交通事故に巻き込まれて死んでいく人がいることを思えば

現実にひとりでただいることなんて何も絶望的じゃない

それは日常を送っているという平和な状態なんだから

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1214158434/383


「「私」にとって絶望的だと思うんだけど」と正確に言うべきだろう。
じゃあ「僕ら」にとっては?
いや、ここも「僕」と言うべきだろう。
僕には、そのような逆説――「絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的――の提示がすでに息苦しい。
むしろそれこそが「絶望的な状況」を余計に封鎖するように感じるから。
なぜなら、絶望絶望することなんてできやしないから。
絶望脱構築なんて論理的に不可能なんだよ。
メタレベル絶望を述べたところで、僕はそのレベル絶望してるわけじゃないんだから。
彼は僕のあずかりしらぬ絶望について、上のほうで何やらぶつぶつと呟いているだけ……。

彼の声を僕はよく聴き取ることができない。
僕らにだってできないだろう。
彼の逆説が語ろうとしている何事かは、僕らには決して届かないだろう。
結局のところ、彼は、「私は絶望しているあなたと違って絶望していない」というふうに、
彼の「私」を確認して完結しているに過ぎないのだと思う。
言うまでもなく、僕らは日常的にひとりひとりである。
それは、僕とあなたは違うということ。
「僕ら」とは僕僕僕……僕だらけっていう複数形ではなく、僕とあなたは違うという意味
「僕ら」や「私たち」は、僕や私が一人きりであることを完璧に表す人称だと思う。

もちろん彼の言うように、「現実にひとりでただいることなんて何も絶望的じゃない」んだよ。
絶望本質とは希望が絶たれること。ただそれだけだ。(かの哲学者の言う、死ぬことすらできない絶望だってそうだ。)
彼もそのことは理解しているだろう。
だから彼も希望について語っているのだ。
交通事故に巻き込まれて死んでいく人がいることを思えば」と彼は言っている。
交通事故に巻き込まれて死んでいく人」が彼には必要なのだ。
交通事故に巻き込まれて死んでいく人」が彼の希望だから。
これは『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』式の希望だろう。
つまり、主人公少年ライカ犬の不幸を必要としていたような希望
またこれは「「絶望的な状況」という思いに至ってしまうことが絶望的」と同様の希望だろう。
なぜなら、逆説とは常にメタレベルから発せられる天上の声だから。
逆説を唱えた途端に、彼はまるで魔法にかかったかのように飛翔する。
それを呟きつづける限り、彼は落下することはない。
そして、彼の声が僕に届かない限り、彼は落下することはない。
ここに希望がある。
ここに彼の希望がある。

僕の絶望がある。

2008-06-24

だから「文学」という概念の捉え方が違うのだぜ

なんか色々同情するな。

星新一宮沢賢治教科書に載っているからOKだったかなw

SFにハマった季節が来たときはそんな空想本ばっかり読んでいないで現実の本を読めと怒られた。

文学は空想だろw

増田の言う通りだよ。文学は空想だ。だからSFも当然文学だ。別に、たとえば”SF界の抒情詩人ブラッドベリや、”哲学者フィリップ・K・ディックだけが文学だと言うんじゃなくて、ハインラインだってアシモフだってJPホーガンだって、あるいはオレが中学時代少しエロい興味で読みふけってたバロウズだって(笑)文学だ。ちなみにオレも小学校のときは推理小説が好きだったし、純文学的なものは高校に入るまでほとんど読んだことが無かったな。高校時代には教師のすすめるままに読み狂った。まあ半分も分からなかったが。

…まあ、気の毒に思うのでもう少しサービスする。

今でも人を疑うのは好きではないが、そんなものは実戦経験で嫌でも身につく

「簡単に信用しない」といったのは「批判的(critial)にとらえて理解する」ということだ。「信用しない(distrust)」だけなら子供でもできるだろ。

と言うかその「高校国語」とやらははむしろ歴史部活の役割であって文学とは関係がないのではないか?

歴史」を学ぶことに文学を学ぶことと同じような効果がありうることは理解するが、それは歴史学本来の目的とは違って、単に歴史を「文学を読むように」読んだ結果ではないのか? また、部活動のような合目的的なある程度等質な人間集団で、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」が得られるかどうかは難しいな。音楽系の部活動でなら、たとえば過去の偉大な音楽との出会いなどでいくらかそれに近い体験は可能かもしれないが、誰もが使っている「ことば」を媒介にすれば全体に対して正課の授業時間内でそれができるわけだろう。部活(のそういう効果)に意味があるのなら、より低コストにかつ誰にでも体験可能な形で、国語の授業時間内でそれを行うことにはもっと大きな意義があるんじゃないのか。

それに人を楽しませる文章は文学なのか?

時代小説ラノベ歴史書SFファンタジー推理小説は好きだが文学

少なくとも純文学とは言わないだろう

「純」文学というのは、文学の中のものすごく狭い(それも日本限定の特殊な)ジャンルに過ぎないので、その変な教師に教え込まれた変な定義正直忘れた方がいい。実は、増田の受けた教育の中でもっとも有害なのがその頑なな思いこみだと思う。俗に、教え込まれた「内容」よりも自然と学び取る「根本姿勢」こそ教育本質的価値だというが、増田の場合、まさにその「根本姿勢」の部分でバッチリその変な教師の影響を受けている(だから気の毒に感じるのだが)。

再度言うが、上で書いたとおりSFは当然文学だしラノベだって文学に決まってる(疑うなら、どこの大学文学部文学科の適当研究室電話して、気の済むまで聞いてみても良い、以下の内容も含めて)。大体「純文学」などというジャンル分け自体が、過去歴史上のある特殊な「考え方」に過ぎないというのが、現在の一般の評価。純文学新人賞という主旨のはずの芥川賞にしてからが、最近は(大衆文学新人賞という主旨の)直木賞と見分けがつかん、というより正直受賞作は逆じゃねえのか、と言われるようになって久しい今日この頃。だから、生徒に「純文学こそ文学!」とかそういう価値観押しつけてブンガクばかり論じたがる古い文学青年崩れの困った教師に教わった不幸には同情するが、とりあえずそれは忘れて、現代の「文学」観に目を向けるべき。たとえば、今や現代思想をまともに語れないようでは高等学校現代文教師というのはやってられないのだぜ。

その証拠に、昨今の大学入試の「現代文」というのがどういうものを取り扱っているか。小説(それも純文)なんてほとんど出ない。出るのは大抵現代思想関係で、ざっとキーワードを例示してみると「記号・身体・空間・言語論・メディア情報・文化論・芸術論・経済教育日本論・近代主義・心理学倫理学宗教歴史学国民国家テロ文明の衝突ポスコロ」……etcだ。大抵の国語教科書は、これらのテーマに可能な限り触れるようにしてるし、これ以外のマイナーテーマ(たとえば少数民族問題・沖縄差別風景論・都市論・スポーツ時間論・労働高齢化社会etc)を取り扱ってそれをウリにしようとしてる(さらに言えば、気の利いた会社なら、中学校教科書から生徒が自然とこれらのテーマに触れるように仕組んでいたりする)。教師はそれを意識して、生徒の理解力と相談しつつ、何をどのくらいどういうシステムで学ばせるか考えてる。このへん詳しく知りたければ「教養としての大学受験国語」(石原千秋)でも読んでくれ。さらに、小説の読解についても、「この小説テーマはなんでしょう?」なんて寝言を言って漫然と黒板の前でむにゃむにゃと自説を垂れ流してるようでは商売あがったりで、一行一言に込められた含蓄をあの手この手でどのくらい掘り起こせるか、読む作業の中にセンスオブワンダーを感じさせることができるか、たとえばわずか一つの比喩にどのくらいの意味と力が籠もっているかを解き明かせるか……それだけの文学理論の裏付けと力量が必要になる。これ全部「高校国語現代文)」の仕事なのだな。

それに、「学校国語」で扱える領域なんて、実際に大人が出会う「国語文学」の領域全体の広さに比べれば、庭の池みたいなもんだ。雑誌編集後記だってエロ小説だって新聞記事だって漫画だって、「ことば」の介在するコミュニケーションの領域は全てが「文学フィールドだ。その意味での「文学教育というのは、メディアリテラシー教育であり、社会学であり哲学教育であり、知的好奇心の喚起であり、ひいては大学以降のあらゆる高等教育の基礎を為す重要資質(少なくとも読み書きという点だけを取っても)の育成なわけで、これから「知の大海」に漕ぎ出す生徒にとって国語が必修科目であるのは当然すぎるほど当然なことなのだ。

まあそんなわけで、困った「国語教師」との出会いには重々同情するが、「国語」という教科の意義を疑うなら、これらが全部無意味だということを示してくれるか、あるいはそれを全て外の教科で代替する(たとえば論理的思考力の育成なら英語科の授業内で全て行う、とか、ギリシャ哲学に始まり構造主義と記号論に至るまで全て倫理で教えるとか、メディアリテラシー情報で、日本文化論は日本史の教師が、芸術論は芸術の教師が教える、とかしてくれると、かなり楽だが、多分嫌がられるだろう。なぜなら、これらを教えるための大前提としてあらためて『膨大な本を読まなくてはならない』から。だから結局、これらは国語の教師がやれということになってるのではないかと推測する。そんなわけでこれらの提案は余り現実的ではない。やれやれ。)現実的な対案を示して頂く必要があろうと思う。

どうだろう。増田の言ってるような狭い意味での「ブンガク」授業に価値がないということを否定しているのではない。むしろそこに関しては積極的に同意だ。こちらが言ってるのは、あくまで「国語」というのがもっと広い領域を扱っているということ、だからこそ「国語」を否定するのは間違いで、実際にそれは必要とされているのだ、ということなんだよ。

http://anond.hatelabo.jp/20080624192723

2008-06-14

東浩紀は何がしたいの?

http://www.asahi.com/national/update/0612/TKY200806120251.html

なんかおかしいので、ちょっと一言いいたい。

確かに加藤は幼稚だと思う。情状酌量の余地がないのも同意だ。

けれども、なぜ「幼稚」がそんなに社会的に緊急な問題みたいに語ってるのだろうか。なぜ、東は「ネットの一部」に過剰反応して新聞紙上で叩いているの?無駄社会不安を煽りたいの? 何のためにそうしてるの?

「幼稚」で社会問題が説明できるんだったら気楽だし、俺もそうしたい。

意地悪に言えば、「加藤が幼稚じゃなかったらテロリストだったろう。そして、加藤は幼稚だからテロリストとして誤ってて、だから、秋葉原につっこんだのだ。そして、そういうテロリストとして幼稚な人間が生じかねないくらい幼稚な人間がいることは、社会的にすんごい真剣に考えないといけない問題だ」という主張なんだが、なんで哲学者とか批評家とか言われる人物が、そんなことを必死に主張しないといけないのかわからない。すごい幼稚な発想。その上、「英雄化するのはダメだからテロリストとみなすべき」っていうのは東がどんなつもりであろうと、加藤伝説を印象づけるだけの、英雄化したいやつを喜ばせすぎの発想だと気付かないのだろうか。「加藤テロリストでも、政治運動家でもない。ただの犯罪者だ」、そうみなすことでしか英雄化を拒否できないのがわからないのだろうか。ナンセンスだ。

普通に、関連する社会問題を真剣に考えればいいだけで、ことさらに「テロ」とみなすことに煽り以上の意味があるのだろうか。つーか、わざわざテロとみなさないと、この事件から雇用とかの社会問題すらなんともしようとさえしない社会だったら、それは社会が悪いと考えるしかないだろう。今の社会は、ただでさえ悪い方向に変えられかねない現状もあるのに、その上にテロ扱いして、無駄規制を増やしたいのか? 東ってそういう立場だっけ?

ああ、社会がそこまで悪くなっているとしよう。じゃあ、そんな非常事態に東が叩いているのは、なんで「ネットの一部」みたいな限定された「幼稚」な層なんだ? そいつらを社会的に煽って叩いて社会がいい方向に変わるんなら、そうすることが大人の責任であり、やるべき行為なのなら、俺は毎日そいつらを叩こうと思う。

「大人」概念の幼稚な理解がほんとにやだなー、とよく思う。

「幼稚なやつは黙って何もしないでいるべきだし、幼稚なやつを叩くのも当然だぜ? それが大人ってことだぜ?」という意見は、どう考えても幼稚だ。そういう「大人」を主張する人間は幼稚だろう、常識的に考えて。大人なら、幼稚な人間に遭遇しても、冷静かつ寛容に大人の対応をするだけのことなのではないか? もちろん、厳格になるべきときにはなるのも大人だろう。それに、ほとんどの人は、どっかで幼稚であるしかないだろう。

んで、東がそういうマトモな大人として朝日に記事を書いているか? 俺には単に無駄に不安を煽っていて、「幼稚」叩きをして、大人ぶってるだけに見える。リソース無駄なので、せめて自分のサイトブログか自分の周囲でやって欲しい。

それに、「幼稚」なやつを叩くやつは、ほっといても発生するわけで、あえて煽ってそういう連中を増加させることの必要性がわからない。わざわざ有識者が強く主張しなければならないようなことではない。無駄すぎて理解できない。俺は東みたいなもっともらしくもないことを言う「幼稚な大人」が存在することは理解できるが、そのことをなぜわざわざご大層に新聞紙上で発表する必要があるのか、何の利益があるのか、まったく理解できない。朝日新聞読者への意図的な煽りなのかもしれないとか一瞬思ってしまうが、こんな緊急事態にわざわざそうする理由はないだろう。それとも、俺がわからないだけで、なんかあるのか?

産経からも取材を受けているらしく、来週載るって言ってるから、それ見て東の真意が少しでも理解できればいいんだが、今の僕には理解できない。

2008-06-01

きっと俺の黒歴史になるであろうきもち

ペシミストじゃあない。じゃあなにか。よくわからん。

病気かね。違う気がする。

思春期特有のなにがし?まじで?そうだったら気楽になる。

でも信じられるかって。無理だろ。馬鹿言うな。

悩みを晴らすには?打ち込め?勉学?運動?何か?わけわかんね。

それでかいけつできんのか?信用できん。

医者に行って話をしたい。悩みを聞いてくれ。おれの悩み。

ひたすらもやもやするんです助けてください。いいてえ。言いてえ。言わせろ。

もやもやするんです。わかるかよ。そんなんで伝わるか。

なんていえばいい。言葉を持たない猿は気を病んだときこんな気分なんだろ。

口が動かん。頭回らん。悩み減らん。消えない。いやになる。どうにかせい。

どう訴えればいい。どうすれば楽になれる。邪魔なんだよもやもや邪魔なんだよ不快

どけろよくそったれ。理屈じゃ変わらん。

化学的に消滅させてくれ。もうよくわからん。

理想は楽に。言いつけどおりにしますんで。

解決策どっかから降ってこいし。変えろし。俺を。

映画音楽アニメ小説?なんか本?漫画?会話?コミュニケーションセックス恋愛?薬?それとも自分探し

何が効くんだ。どうしろというんだ。悩めというのか。それでいいとかぬかすのか。黙れクソども。

考えろとかいうのか。苦しめというのか。自力で行けというのか。馬鹿言え。くたばる。

のたうちまわるか。走るか。食うか。寝るか。死ぬのはいやだ。

ばかばかしいと言えればなあ。一笑にふせればなあ。

死ぬ気で何かやる?くそが。何をすりゃいい。

すべきこと?なにそれ。生まれて死ぬんだ。

わからん。よーわからん。めんどい。わからん。

なにがなにやら。世界はおれでできてるみたいな。

いつからか溜息でなくなった。たまってるな。

おにゃのこ。体温。ちゅう。なんでもええ。

夢?ない。理想?あるよ。かなうか?くそが。

あるだけじゃま。霧散しろ理想。

俺から想像力剥ぎ取れ。いらん。クーソーの役にも立たん。

コンプレックス?腐るほど。欠点?どうかな(笑)

主観?ばりばり。客観?常に。どちらか?知らん。

理解?想像?可能性?現実妄想?夢?嘘?どうせ無駄。知ってます。

無駄です。たいてい無駄です。だいたい無駄です。他者はロボットです。主観は嘘です。騙されてるとしか思えない。

誰が俺を?神?いるの?信じられん。でも奥底でその存在を肯定しているから俺はこんなにも世界存在の可否について悩むのだ。

俺だけじゃね?他者嘘じゃね?言葉存在現実存在を肯定するなんて信じられん。理屈がわからん。

わかろうとしろだぁ?たるいよ。

ようは自己しか信じられん。いやはや。うそです。自己すらも。

俺?確実なの?うそだ。不確実だ。

あるのは認識。あと幅。視野だけ。視野外は無し。

俺の後ろ?なし。他者?ねーよw

信じたい。でも無理じゃん。

人間越えるほかなし。

われ思うゆえにわれあり?でもほかのは?おれだけあっても困るw

外部信じさせろし。不自由。

教えろ哲学者。確実を。

死ぬまで俺をだませる理屈を。世界を信じさせてくれ。

2008-04-25

3万4427人、悲しき真相 

 02年8月24日から29日にかけて横浜市で開かれた、第12回世界精神医学会(WPA)の推計によると、世界日本が実質自殺率1位でした。 

マスコミは同年、「自殺4年連続3万人超」「昨年 目立つ経済苦」などと報じました。遺書から動機や原因を分析したところ、「健康問題」が統計のある78年から連続してトップ。次いで2番目に多かったのが「経済・生活問題」で、内訳は多い順に「負債」「事業不振」「生活苦」「失業」「就職失敗」「倒産」でした。

年次別自殺者の推移を見てみると、1978年昭和53年)から1997(平成9年)までの自殺者数は年2万人台でしたが、1998年には3万2862人に急増します。1997年からの増加率は50歳代男性54%、同40歳代男性33%で、以後この傾向に変化はなく、20003年の自殺者数は3万4427人に達しています。このことから1998年は、自殺者が3万人台に定着した「自殺境界年」、また自殺理由の中で「経済・生活問題」が一気に上昇した「自殺理由境界年」に、当たります。

同年以降、同一グラフ上に完全失業率曲線と自殺率曲線を描くと、両曲線の推移は見事に一致します。また、東京都立衛生研究所は「日本における自殺の精密分析」において、「自殺の増減は景気の動向と密接に関連しているといえよう」と記しています。以上から、自殺誘引の大きい要素の1つに、失業増加があることが分かります。同時にこの動向は、日本男性マネーを生死の判断基準にさえしているという悲しき真相を、如実に語っています。

命あってこそ! 

人の願望の極致は、マネーにではなく幸福にあります。マネーは単なる幸福になるためのひとつの、しかもニュートラルな手段に過ぎません。東京上野公園小屋掛けするホームレスにも幸福な人はいます。マイクロソフトの創始者で、世界有数の資産ビル・ゲイツ幸福とは限らないのですから。

人は自殺するとき、うつ状態になるといわれています。しかし中には死ぬ前に生命保険に加入するなど冷静に計画を立てていた事例もありました。たとえ多額の生命保険金を受け取っても、遺族は悲しく悔しい思いに苛まれ、屈辱感・無気力感に襲われます。しかも、それらを生涯抱えて生きていかねばならず、いつまで経っても、遺族に春はやって来ないのです。

自殺する勇気があれば、人生やり直せる」などと、よく人口に膾炙されている警句は正しいのです。仕事の失敗、失業・不治の病などに遭遇したとき、死を考える気持ちは痛いほど私にも理解できます。しかしその試練はあなたにとって、人生に一度の、最高の学びのチャンスでもあるはずです。その苦しみを成長の機会に転じることができたなら、それは人生最高の歓びであり、財宝であり、自信として結実します――。

スポーツでも「ピンチの裏にチャンスあり」と言うではないですか。事実、ノーアウト満塁、絶体絶命のピンチを凌いで、逆転勝利する場面を私たちはたびたび観戦させられます。また命あってこそ、逆転満塁ホームランを打つ至福の瞬間を味得することが可能だし、打たなくても、その希望を常に持ち続けていくことができるのです。

ニッポン人の劣化  

日本アメリカ20世紀後半から21世紀初頭に、絶頂期を迎えた近代科学文明優等生でした。特に、日本はこの文明の熱心な教徒であり、保守革新哲学者もみな、その礼賛者でした。その執念が実って日本今日経済大国・技術大国になったのです。ところが、いまわが国は長期不況の下にあり、労働者失業や賃率の低下・長時間勤務・サービス残業に直面し、またフリーターニートも増えています。それに加えて、年金受給額の引き下げと負担増、近い将来に予想される消費税率引き上げが追い討ちをかけます。労働者にとって茨の道は長く、さらに厳しくなっていきますが、この程度ならまだいいのです。

亡国の兆候ともいえる事件が日本社会の隅々にまで広がり、それは明示的にあるいはメタンガスの気泡のように、不気味にぶつぶつと隠れて噴出し始めています。たとえば、最近マスコミ紙面を見てみましょう。「世帯所得、4年連続減」「個人自己破産 24万人」「雇用悪化が家計圧迫」「週50時間以上労働日本人4人に1人」「離婚率上昇中」「世帯の所得格差最大に」「働かない若者、年28万人に急増」「ニート急増、社会の機能不全映す」「不登校10年で倍増」「増える若者ひきこもり」「小学生1割強抑うつ傾向」「日本高校生 自分は駄目」「検挙少年、成人の8倍」「10年で治安悪化86%」などの見出しが踊っています。

さらに憂慮すべきことは、東京都衛生局のアンケートに対し、18歳から24歳の層が「仕事の疲れがとれない」「生活に張り合いを感じない」と答えたことです。他の調査では「授業中じっとしていない」が小学校で8割、中学校で6割、高校で5割、「首、肩のこり」「不登校」「腰痛」「腹痛」が中学校高校とも8割でした。これはいわば一昔前の老人に特有な症候群でした。日本若者は、精神的にも肉体的にも確実に老化に向かっているのです。

ともあれ実質世界一豊かな日本なのに、皮肉にもその豊かさ指標マネーを苦にして自ら命を絶つ同胞が後を絶ちません。しかもこの数の陰にはその10倍??20倍もの自殺候補者がいると推定され、日の出の来ない日没を見送るような、なんともやるせない心境にさせられます。

だが、《自殺大国》になったのは不思議でもなければ偶然でもありません。

芝伸太郎は、「日本人」、「鬱病者」という言葉を同意語的に用いています。つまり内向性・律義・几帳面・苦労性・馬鹿正直・融通がきかないなど日本人一般の人格構造を極端にしたのが鬱病者の人格構造だからです。この風土の中で培われてきた繊細な日本人メンタリティーが、価値観マネーに置く文明人間疎外の文明に拒否反応を起こしているからのです。

2008-04-12

KY

空気よめとか、空気よめてないとかいまいちその言葉自体がピンときてなかったんだけど、この間「もしかしてこれがKYってやつか?」て場面にぶちあたった。

サークルでのことだったんだけど。その場には一人先輩がいて、そのほかは俺含めて皆同い年だった。

それで先輩が、得意げに「そーいや最近ニュースでさ」とあるニュースの事について語り始めた。

「ほんと間違ってるよな世の中!」的な感じでヒートアップしてきて、ま、これはいつもの事なんで、俺含めほとんどのやつは「はは」「まーそうっすねー」と適当に流していたんだが、そこで俺の友達がなんか急に対抗して語り始めたのよ。

「いや、それは違うんじゃないっすか」って立ち上がって、先輩に負けじと熱弁奮いだした。

先輩とそいつ以外の皆、全員「え…?」って感じの顔してたけど、そいつは全くおかまいなしで続けた。

「そういうのは違う」「いやでもこうだから」と先輩とそいつは言い争い始めた。もともと先輩の言い分は酔っ払ったオッサンぽい感じで、たいした内容でもなければ論理もあんまり通っていない、ありがちな論だったため、ガチに議論し始めた俺の友達に押され始め明らかに不機嫌になってきた。うわ、これヤバいわ、と思って結局俺たち他の人間が「まあ色々その辺はあるよな」「なんでも一長一短ってあるし」的に誤魔化し、次の話題へ移行させて事なきを得たんだが……

正直、その友達に俺は少々呆れていた。

なんでそこでガチに議論をし始めるのか?

先の予測がつかないのか?と。

大体、ガチ議論をして、一体何をする気だったのか?

そこでガチに言い返したところで、先輩は不機嫌になるだけで、「そうだなお前の論もありかもな」なんて収まるわけがないし、第一、その友達自身やや思い込みが激しいタイプだから、自分の論を曲げるはずもなく、議論を始める前からお互いに和解する気は100パーない、相手を口で倒すことのみが目的の議論になるというのは分かりきっていたことだ。

若いくせして団塊のオッサンメンタリティを持つ先輩にそんな事を言えば、不機嫌になってサークルミーティングgdgdになりと散々な目になるということは安易に予測できる事だ。そして、議論をしたところで先輩の考えが変わるわけないことも。

その上で、なぜ、言い返してしまうのか?

俺は正直呆れた。

そんなもの、適当に流しておけばいいのだ。どうせ言い返したところでまともな議論が実る相手ではないのだから。(というと先輩はうだつのあがらん最低男のようだが、別にそういうわけでもない。他の面ではしっかりしてるしそこそこいい人だ)

そこでなぜわざわざ言い返す?言い返して、誰が何を得るというんだ?先輩は勿論不機嫌になるし、友達だって不機嫌になるし、俺らは俺らでそんなピリピリしたムードの中それでもサークルの話し合いを進めていくためにフォローせねばならない。一体それで誰が何を得するっていうんだよ。何も得られないのに、言う必要もないのに、何故言い返すのか?本当に分からない。言い返して、一体、何がしたかったのか?先輩を黙らせたかったのか?先輩に「お前の論が正しかった」と反省させたかったのかよ?お前が正しいって、皆に認めて欲しかったのか?

何もいつなんどきでもあわせてろというんじゃない。ただ敢えて言い返す必要性のないときに、言い返したところで何も得られないどころかマイナスの結果しかもたらさないであろうことが容易に予測できるときに、それをするっていう神経が分からない。

そう思ったとき、俺はこういう友達がいわゆる「KY」と言われているのかと思い当たった。

たとえば、酒が飲めない人が、「おいおい、空気よんで飲めよ」といわれたりした場合にはそんな空気なぞぶち破って言えばいいと思う。それは、必要性もメリットも十二分にあるからだ。そういうことならどんどん言えばいいし空気も破っていけばいいが、今のばあいのような、「で、それをして何になるんだよ?!」って時に敢えてやる奴は確かに俺も「空気読め」と言いたい。空気読めというか、「予測しろ」といいたい。予測したらとても言う気になれないだろ?不毛な言い合いが続いて、皆の気分が悪くなって終わり。それでもするって奴は一体何がしたいんだよと。「言い負かしてやりたい」ってことだろ、結局は?そんなくだらない個人の欲望に振り回されるこっちの身にもなってほしい。そんなことは二人きりのときにやればいいことだろ。

空気読めっていうとすぐ、「周りに迎合しろというのか!!」と憤る奴がいるけど、そもそもコミュニティ社会ってもんはそういうもんだろ。皆が皆好き勝手やってたら、社会なりたたないだろ。勿論さっきもいったようにどんな時でも読まねばならないわけじゃなくて、言う必要性・メリットがあるなら空気を読むべきじゃないよ。でもそれらがないのに、いたずらに空気をかきまわして終わる奴は「わがまま」なんじゃないのか。自分のことだけ考えてるだけ。自分の権利を主張するだけ。

それでまだ、「空気をかきまわした責任を取る」っていうんならいいよ。でもおおくの「KY」者は、かきまわすだけかきまわして、後は知らん、だ。今回の場合も、友達は言うだけ言って、あとは不機嫌そうにむっつり黙り込んで終わりだ。そんなん、空気かきまわした責任もとれないくらいなら、余計に言うなよ。無責任自分勝手すぎだろ。周りの被害ってもんを考えろよ。空気読みたくない!っていうなら、読まなかった場合の責任はお前がとれよ。空気読みたくない上、そんなKYな僕を受け入れてなんて勝手すぎる。なんでお前一人だけ自然体で受け入れてやらなくちゃいけないんだよ?KYでいい、ってんなら、「KY」って言われても憤慨するべきじゃないだろ。空気読みたくないけど、それで「KY」って言われるのは嫌だ、なんて、わがまますぎる。どうしてお前一人だけ自然体で迎え入れなきゃなんねーの?社会ってのは誰かしらちょっとずつ我慢して譲り合って成り立つものなんだよ。それが度をこえたときには空気破ったっていいけど、この程度のことでいちいち破るなんてそりゃ「KY」って言われるよ。

……って、友達を見てて思った。思ったっていうか言ったけど。そんでギャーギャー言い合いして今に至る。

(言い合いの内容

友「でも真実を言うべきなんだ!」

俺「お前は哲学者か?!そんなんリアルでやるなや!」

友「でもいやなんだよ!なんか黙っていられない!」

俺「お前が黙っていられないせいで俺らがどんだけ苦労したと思ってるんだよ!そのくらい制御しろよ!ガキじゃないんだし適当にあわせるくらいへでもないだろ」

友「でも嫌だ!あわせるってのが嫌だ!」

俺「お前なぁ、合わせることなしに人間生活どうやって成立させる気だよ。皆はお前のカーちゃんじゃねーんだよ。いちいち世話してらんねーんだよ」

友「真実を言い合うことこそが真の人間生活の営みだよ!」

俺「哲学書読みすぎだって」

友「だからあ!……あ、風呂わいたから入るわ」

俺「分かった。じゃあ続きはメールで」

2008-04-10

世界じゅうのあらゆる哲学者の力をもってしても奴隷制廃止に成功するかどうか疑わしい。たかだかその呼び名を変えるくらいのことであろう。わたしはわれわれの奴隷制よりももっと狡猾で目立たぬゆえにもっと悪質な奴隷制の形態を想像することができる。たとえば、自分が仕事に縛りつけられているのに自由だと信じている白痴的に満足した機械人間を変えることとか、人間的な閑暇や娯楽をとりのぞいて、人間の内に、蛮族が戦いに対していだく情熱のようにがむしゃらな労働への嗜欲を助長することなど。この精神の隷属、あるいは人間想像力の隷属よりは、事実上奴隷制のほうがましである。―――「ハドリアヌス帝の回想」ユルスナール

2008-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20080404003048

哲学者とは言え、やはり宗教を語るとなると、霊とコンタクトとれるぐらいでないとダメなんだろう(笑)

梅原さんと言えば「誤解された歎異抄」だな。

親鸞会サイトhttp://kazoku.sub.jp/hankyou/071110taniisyou01.htmで突っ込まれているが、キオスクにも置いてあって驚いたよ。

親鸞の霊が来ているなら、本人に聞いて誤解をもっと正してちょうだい。

哲学者梅原猛って、大川隆法江原啓之

朝日新聞の記事。檀ふみとの対談で。

http://www.asahi.com/kansai/kokoro/taidan/OSK200803070003.html

 檀 能に夢中になっておられるそうですね。

 梅原 ええ。2年ほど前から世阿弥の霊がどうも乗りうつってきたようなんです。40代の時は、聖徳太子柿本人麻呂の霊がきて「隠された十字架」「水底の歌」を書いたんですが、私は間もなく83歳ですからねえ(笑)

 梅原氏のところに、霊が、霊が来ている!

 ってか、こんなオカルト記事をよくも載せたものだ朝日さん。

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320021353

・・・なにかに似ているんだが、それが何なのかがわからない。

なのでどんどん似ていそうなものを書いてみる。

オレたちは複数の人間だから、複数の人格を持っている。

ある人格から見れば普通に正しいことでも、他の人格から見れば正しくないこと。

「絶対の真理」が存在するわけではない。

現実生活は妥協の産物。

複数の人が妥協した結果が「その場における真理」となる。

------

目に見えない場所でなにかが起こっていてはなぜダメなのか?

検出できない現象は存在しない…というのは現象論的アプローチに過ぎる。

もちろん脳は目に見えるなどの電気信号しか直接的には受け取らないが、

世界はそもそもが抽象的なのだ。

目に見えるものや触れるものだけから世界を知る人間は(ほぼ)いない。

仮想の世界モデルがあるからそれを使って世界シミュレートする。

このシミュレーションこそが彼(彼女)にとっての現実世界なのだ。

つうかなぜ認識論が問題になってくるのかがわからない。

これは問題の不必要なまくれかえりに見える。

ロジックに十分な強度がないために思索がはじかれて観察者自身を分解しようとしている。

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神が存在する理由を見つけようとする中世哲学者に似ているんだ。

問いが間違っている。

「そもそも神なんて存在しない」のだから。

2008-03-02

勝ち組という古典的なデマゴーグ

勝ち組」の代表格に勝間和代という人がいる。いや、別にこの人だけを槍玉に挙げるつもりはないのだが、あまりにもわかりやすかったので。

やたらとポジティブ自己啓発書を次々と出しておられる方だが、やっぱりこういう人だったか。以下の記事の末尾を参照。

座右の銘は、「起きたことはすべて正しい」。

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/yw/yw06112601.htm

来たよ来たよ。要するに "This is the best of all possibile worlds" というやつですな。何百年も前に使い古された「最善説」というやつです。本を月に何十冊も読む(上記記事参照)のなら当然ヴォルテールカンディード」なんて小説なんかも読んでるんだろうね。フランスなんかだと古典教科書として国語の授業で教えられるような本ですよ。もう一度読みなおすことをお勧めしますよ。この方が既に以前に指摘していることですが、もう一度書かねばなるまい。

この「カンディード」という小説のなかにこんなくだりが出てくる。d:id:hokusyu:20080112から孫引き。

ジャックという商人の、戦争財産を巡る争いを見るに人間自然堕落させたのではないか、という質問に、パングロスはこう答えます。

「そうしたことはすべて必要不可欠だった」と片目の博士はすかさず言い返した。「個々の不孝は全体の幸福をつくり出す。それゆえに、個々の不幸が多ければ多いほど、すべては善なのだ」

ちなみにジャックリスボン沖で溺死するのですが、パングロスは「リスボン沖の停泊地はあの再洗礼派の男(ジャック)が溺死するように特別につくられたのだと証明」するのです。

もはや説明は不要であろう。これほど「勝ち組」のネオリベ思想を的確に風刺した表現はそうないのではないのだろうか。

ちなみにこの「カンディード」という小説は、このパングロスを天才的哲学者と信じて馬鹿正直に信じたカンディードという純朴な青年が、世の不条理と師の教えの間の葛藤と戦いつつ、幾多の悲惨な体験を乗り越えて精神的自立を達成するに至るまでの物語、というわけなのだが、この小説が書かれたのは二百五十年前なのである。努力によって自分を向上させることが大好きな「勝ち組」の頭の中身というのは、どうやら二百五十年間進歩しないものらしい。

さて、上に引用したくだりをもう一度読みかえした上で、ロスジェネに関するこれにはじまる話題、たとえばこれとかこれを読みかえしてみてほしい。あまりにもこの小説と構図が似ていないだろうか。このような形で見せられれば誰でも、「自己啓発」の限界馬鹿馬鹿しさに気付くのではないか。結局「自己啓発」というのは世の中の仕組みを全て肯定して不問に付した上で「全ては自分次第でどうにでもなる」という、あまりにもナイーブな思想なのだ。もうそろそろいい加減そのことにみんな気付いてもいいのではないか。

この小説の結論では次のようなことが語られる。あまりにも単純で、まともな大人なら誰でもわかっているはずのことだ。

正直者が報われるとは限らない、全てが必要不可欠で正しいなんてことはあり得ない。世の中は理不尽で満ち溢れている、しかしその中で自分なりに細々と努力して生きていくことこそが唯一の「人生を耐えられるものにする手立て」だということだ。そして、そのことについて他人がどう論評しようとも、すべてはどうでもよいことなのだと。

言いかえれば、「自己責任」だとか「自己権利」なんてものはどこにも存在しないのだ。健康環境才能努力と時の運、それらを全て兼ね備えたときにだけ「成功」ができるし、「責任」があるとすればその「努力」の部分だけだ。それに、その「努力」さえも、「健康」と「環境」がなければどうすることもできなかったりするものでもある。その辺の複雑なことは自分にしかわからない。一般的に「負け組努力が足りないから自己責任」なんてことが言えるはずもないのだ。

なんでその程度の平凡な理屈が誰の口からも出てこないのだろう?自己啓発自己啓発といって騒いでいるはてな民は、自分の努力だけでなんでも解決できると思ってるのだろうか。だとしたら随分、挫折を知らないお坊ちゃんお嬢ちゃんだとしか言いようがないのだが。

ちなみに「ルサンチマン乙」と言われないために言っておくが、俺自身はどちらかというと「勝ち組」に属する人間だし、才能のない俺にとっては努力だけが切り札だったことは理解しているつもりだ。しかしそれでもなお、いやそれだからこそ、努力だけで全てが解決できるなんて素朴すぎる発想にはとてもついていけないのだ。

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