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はてなキーワード: 哲学者とは

2009-07-30

将来の夢なんだ

おれ

宇宙飛行士にもなりたいし

物理学者にもなりたいし

恐竜発掘する古生物学者にもなりたいし

哲学者になって哲学語りあいたいし

学芸員司書仕事もしたいし

世界中の名作と言われる本全部読みたいし

小説書いて伝えたいことを言葉で伝えられる人になりたいし

マラソンサブスリーで走れるようになりたいし

尊敬される人になりたいし

表現したいことを絵で表現できる画家になりたいし

世界一周したいし

作曲したいし

政治思想について議論して政治よくしたいし

自分が好きな人にできたら自分を好きになってもらいたい。

 

全て叶えるのは無理なのかな?どれか選べなんて無理なんだけど。

2009-07-28

http://anond.hatelabo.jp/20090728120446

ああこれ、はてな界隈でよく感じる違和感が凝縮されたやり取りだなあ。

現実にある差し迫った問題が無視されて、哲学者思考実験みたいな「そりゃ可能性としては無くは無いだろうけど」みたいな論点がことさらに取り沙汰され、しかもそっちのが目新しいから注目されがち。けど、現実差し迫った問題に晒されている側にしてみれば、心底どうでもいいんだよね。なに贅沢なこと言ってんだと思う。

2009-07-23

http://anond.hatelabo.jp/20090723174215

さすがに解説不足だったか。哲学だと、素質論じゃなく、本質論と訳すのが一般的だよ。

本質論というのは、対象の不変的・普遍的な本質を設定し、

いかなる事態であってもその本質は保持されるとする考え方のこと。

この用語はものすごく広範囲の哲学思想の総称だから、プラトンのように本質論を標榜する哲学者の本を読むことは出来ても、

本質論全体を総括したような本は無いんじゃないかな。

2009-06-21

最初の書き込みに沿えば、それは十分主張可能である

※以下に例を示す。

たとえば、かしこい嫁がいるとするだろ

で、結婚からずっと死ぬまで、楽しい思い出ばかりになる

知性は一生物だからな

仮に70になるころ痴呆が始まったとしても「これまでのこいつとの人生を思えばな…」と愛着がもてる


でも、愚かな嫁と結婚したら、数十年間、砂を噛むような思い出しか残らない

これは悲しすぎる

あるいはその事実は彼を哲学者にするかもしれないが、それはまた別の話だ。

ましてほとんど女とつきあってこなかったような男がたとえ若くても愚かな嫁と結婚したら

女や恋愛に関する楽しい思い出は何もないまま人生終わるわけだ

価値観は人それぞれといえど、そんな結婚しない方がマシじゃないのか


この事実にしらんぷりして話を進める人間には反吐が出るよ

邪悪すぎて

という改変は、十分成り立っているではないか?

つまり、当初の書き込みの焦点が「人生の充実感」である以上、「それは性格の問題です。よって年齢は関係ありませんね。」という結論は十分導かれると思うが、逆にそれが成立しないとあなたが考える理由は?

2009-06-17

偏見を治す第一歩として

どうも、偏見でモノを見る癖が抜けない。

大阪出身者が、何か事件起こしたら、「やっぱ大阪のやつってこれだから」って反射的に思ってしまう、そういう癖がついてる。

いかんと思った。

でも最初から「人それぞれなんだ」と思おうとしてもなかなかうまく処理できないので、

便宜的に、偏見を治す1歩として、とりあえず、これは「いい〇〇」「悪い〇〇」だ、と分けることにした。

たとえばいかにもDQNなオッサンが大声で騒いでいるのを見ると(もうそれだけで外に出たくなったりするという弱さぶりなのだが)、そういうときは「これは悪いおっさんだ。」と思うことにする。

そうすることでオッサン全てを「ち、これだから団塊世代は」と思わぬようにする。

騒いでる大阪人を見たら「ち、これだから大阪の奴は……」と思わず「あれは、悪い大阪の人だ。」と思う。

優しい大阪人にあったら「これはたまたま特別いい人だっただけ」とか思うんじゃなく、単純に「いい〇〇だ」「悪い〇〇だ」と分けるのがコツ(コツってか、俺の中でだけだけど…)

これでも「おいおい、二分法かよ。ガキかよ」と思われるだろうけど、とりあえず、あるカテゴリに属した人が何かやらかしたら全部そうだと見る癖は、なくなってきた……と思う。

そもそもなんでそうやって、例えば女性だったら、誰か一女性やらかしたら「女は全部……」って思いたがるかっていうと、多分そうやって自分の中でケリつけて、っつーのか、まとめて、というのか、収集を一応つけることによって安心がしたいのだと思う。

分からないものをそのまま心のうちに留めておくのは案外難しいてか、キツい。人ってそのへん、すぐ自分論でもなんでもいいから使って、とにかくとりあえず納得したがるとこがあると思う。世界自分流に解釈したがるというか。多分そうしないと謎だらけ、不確定要素だらけで生き辛いんだと思う(哲学者とか、だから生き辛そうだし)。

だからどうせ心中に収めるなら、それを二つの箱にしようと思った。

将来的にはもっと細かい箱になって、そのうち一人一人の箱になればいいと思う。

2009-05-29

一年ぶりに読み返した東浩紀は、耐えられないほど悲しかった

ふと目についた「存在論的、郵便的」ぱらぱらとめくり、そして続けざまに「リアルのゆくえ」を読んでみました。すると、「虚しさ」を通り過ぎて、聖なるものが失われた「悲しさ」が漂ってきたのです。どうして、気鋭の哲学者との呼び声が高かった人が一オタク評論家へと落ちぶれてしまったのでしょうか。情報化社会論のあたりはまだ良かったのですが、最近は同じような内容のゲームアニメ評論を繰り返すばかりです。

10年前の彼は、論壇の島宇宙化を打破すると意気込んでいました。しかし今の彼は、思想地図という新たな小島に、彼の信者と共にこもってしまっているではりませんか。

論壇の全体性を回復したいのであれば、思想地図の人々は、マンガアニメを語るのと同様に、オタク系文化と関連のある、純文学映画についても語らなければならないはずです。オタク系が文壇から疎外されているのには同意しますが、自分たちが他の文壇界から距離を取って、「タコツボ化」しては元も子もないように思えます。

若いうちにマスコミに持ち上げられるとろくなことにならないと言います。すっかり東は、それを身をもって示す反面教師となりはてています。彼の惨状を見ていると、ビーチ・ボーイズアルバム、「ペット・サウンズ」にあった歌詞が思い起こされます。「美しいものが死ぬのを見ているのは、なんて悲しいんだ」一人の天才の終焉に、今はもう涙も出ません。

2009-05-22

http://anond.hatelabo.jp/20090522020205

本当の友人は戦場の仮設ベットのようなものである。

と昔の哲学者は言ったけど。

まあ、そんなことを要求してるわけではないけど

すくなくとも女性自分に無いものを相手に求めているんじゃまいか。

2009-04-14

ヘルヘブンコール

死んでる作家評論家哲学者等……の中で、ぜひまた地獄天国から蘇って何か書いて欲しい人たちへのリクエスト。書いてたらキリないので限定5人で。みなさんもあったらぜひ。




※ここの部分は「ラディゲは、コクトーに招かれた夕食の席で出た牡蠣にあたり、それが死の遠因になった」のような記述を見たことがあったのを元に書いたのですが、今探してみたところそのように書いてある文献は見つからず情報の出典は不明です。僕の記憶違いかもしれません。もし混乱を招いたとしたら失礼いたしました。ラディゲの直接の死因は腸チフスだったはずです。

2009-04-09

海外文学作品聖書の理解なしに読める?

海外文学作品はだいたい聖書からの引用が入っていたり,

その宗教観が根底にある言動・振る舞いするから,

話の本筋とは直接関係ないとしても分からないことが多い.

カラマーゾフとか罪と罰とか読んでいても首を傾げる場面が多い.

ただの小説として読むだけなら十分楽しめるけれど,

本当に理解しようと思うとどうしても壁にぶつかる気がする.

ドストエフスキーは人気あるし評価も高いけれど,

作品を賛美する人はどれ程度理解しているんだろう?

作品について解説している書籍があるから

それを読めばいいのだけれど,それらを読んでしまうと

そういう読み方しかできなくなってしまう.

といって全ての作品自分研究するのは無理.

そもそも研究することが目的ではない.哲学者ではなく

哲学研究者になってしまうのと似た感じだろうか.

仮に時間をかけて聖書を読んで頭で理解したとしても

自分がそのように信仰を持って生きていくとは思えない.

それなら既に研究され尽くしている作品であれば

解説読めばそれでいいのか?聖書読んでいなくてもいいのか?

読書は好きだけれど,本を読めるとは何かよく分からなくなる.

2009-03-13

かまってちゃん乙

それはあなたの"望んでいること"、"思っていること"、"根本的な考え"なんだよね。

結局はあなただけ(包括的に)の問題なんだよね。

あなたは質の高い音楽を聴けばいいじゃない。

今後もそういう音楽を聴き続ければいいじゃない。

音から受ける心底からの感動は、そのような努力からしか得られない、と俺は考える。

質の高い音楽や、24時間音楽のことだけを考え、試行錯誤し、長い時間をかけてやっと作り上げた己の全存在をかけたような音楽を聴くことで受ける心底の感動強要強要ってほどでもないか)する矛盾。それがわかってないならあなたは無知であるとしか言えない。

感動は与えられることでのみ得ることができる。 アサンドリ・ディ・シュールソクラテス弟子であり、哲学者

http://anond.hatelabo.jp/20090312233645

2009-03-02

http://anond.hatelabo.jp/20090302141720

そんなもん外部からモノサシ導入しないと測れないに決まってんだろ。

集合に位相を入れろっつー話。モノサシ(位相)無しで比較は論理的に不可能だから。

君らの大好きな哲学者たちの誰かがそういう話してるだろjk

モノサシが無いならどっかから入れるか自分で作り出すか努力してくださいって話。

2009-02-13

書評を書くのが恥ずかしい

みんなすごいなー!

自分の、ものすごい「内なる感情!」みたいな、半ば哲学者のような、中二病みたいな、アツい思い、

そうゆうのって、本を読んだり、日常生活でも、抱くことがある。

それをブログに書いたら、同じような場面に出会った人や、同じ本を読んだ人が見たりすると、もしかしたら楽しいのかもーと思うんだけど、残念なことに恥ずかしくて書けない。

ネットの友人に見られるのも恥ずかしいのに、大学の友達に見られたときなんて、恥ずかしさで軽く死ねるくらい、というか、

そうゆうのは自分美学?のようなものに反する。

自分のことを深く知らない人に、そういう記事を見て、そういう先入観をもって接されるのもむずがゆい

でも書きたいなー。

たぶん、どこかしら潔癖っぽいところがある俺は、記事を書いても我に返って、それを消したりしてしまう。

自分の読んでる本とか、その感想を、ガンガン書いていける人って、すごいな、と思ったとです。

思いをさらけ出すことが出来る人ってすごいな

2009-02-08

英語で書く その弐

http://anond.hatelabo.jp/20090206052528

英語で書く、を書いた増田でーす。ブクマしてくださったみなさん、ありがとうございました。

まずご質問にお答えします。

私がよく行くアメリカサイトはごくごく一般的なところです。

ヤフーメッセージボードとか、ヤフーチャットです。

チャットレスポンスにある程度、早さが求められますので、初心者の方は掲示板の方がいいんじゃないかな。

YouTubeコメント欄おすすめです。ビデオがあるわけですから、何について話しているか、一目瞭然ですから。

問題はむしろそこで何を話すかということですね。

コミュニケーションもいいんですけど、英語学習目的なら、ただただフレンドリーな話題、環境では「やあやあお元気?」で終わってしまいがちなんですよ。

そうじゃなくて、相手も自分もそう簡単に譲れない問題、何でもいいんですけど、政治とか宗教とか、思想とか、わりあい固めの話の方が、突っ込んだ会話になりやすいんですね。インターネットではむしろ。

私も、英語学習という意味では、友達よりもむしろ論敵の方が役にたってくれました。

私を育ててくれたのは私の敵です。

だから争いや議論を恐れずに、どんどんハード環境に身をおいた方が結局は近道なんですよ。

私たちは受験のために膨大な熟語や英単語を覚えてきましたよね。

でもそのほとんどは一回も実際に使うこともなく、見ることもないんじゃないでしょうか。

受験のためには必要なんですよ、どういう試験問題が出るかわからないですから。

でもあなたが化学に何の興味もないなら、化学関係英単語は使う機会もないでしょうし、見る機会も少ないでしょうから、必要から言えばそれを覚えるのは無駄なんです。

あなたに興味のある分野のことを英語で書いたり話をすることのメリットは、あなたにとって必要性の高い単語や構文を集中的に覚えられるということです。

私は文法はとても大事だと思います。

単数と複数の違いとか、時制の違いとか、三単元のsをつけ忘れただとか、そういうことは正直言ってどうでもいいです。間違えても全然問題なく通じます。国際語としての英語は今後そういう方向に進むでしょう。

先日も、You and him is student? とか、間違って書いてしまったところ、突っ込まれたんですね。

私もbe動詞の疑問文の作り方や、主語の人称とbe動詞関係はもちろん知っていますけど、たくさん書いていればこういう間違いもやってしまうんですよね。

でもそれでもまったく問題なく通じます。だからあなたが文学作品を書きたいとか、英語修士論文を書きたいとか、そういう高度な欲求がないのであれば、そんなことはまったく気にする必要はありません。

けれども文法そのものは大事です。

文法が分かっていないとそもそも何をどうやって言えばいいのかが分からないからです。

やっぱり中学の英文法くらいはざっとおさらいしておくのがいいでしょう。

it~to, it~that, so that 構文はとくによく使います。関係代名詞もあやふやではなくきちんと分かっていたほうがいいでしょう。

完了形、過去完了形はあんまり気にする必要はありません。

それでしか言えない文章、過去経験とか、継続してその状態にあるとか、そういう時以外は普通現在形、過去形で押し通して差し支えありません。

話していると、相手ももちろんいろいろ書いたり言ったりしてきますよね。

それも、私に対して、私が興味があることについて言ってくるわけです。

その時、ああ、なるほど、これはこんなふうに言うのかっていうことがよくあります。

そういうのは興味と驚きとともにインプットされるんで忘れないんですよね。

そういう時は早速自分も使ってみて、表現力を高めましょう。

表現力を高めれば、ニュースを読んだり聞いたりしても、何を言っているかが分かります。

私、日本人ヒアリング能力がないんじゃないと思うんですよ。ヒアリング能力がないんじゃなくて、そもそも単語力や構文力がないから何を言っているかが分からないんだと思うんですよ。

あと、英語の発想がそもそも日本語とはズレているんですよね。

その発想を理解するってのも大事だと思います。

たとえば…。

インターネットを通して知り合ったアメリカ人の友達にデービッドくんっていう男の子がいます。

彼、ニューヨークに住んでいるユダヤ人でものすごくイケメンなんですよ。

なんでも大学哲学勉強しているらしくて、

「あほか、そないなゼニにならんことしてどないするんや。男は甲斐性やで」

と言ったところ、

「あのな、うちのお父ちゃん、ものすごくお金持ちやねん。そやからわいはお金のために勉強せんでええのや」

と言っておりました。

なに!お金持ち!ということで、

「そかそか、ほなら結婚しようか」

と言ったんですが、「わいはゲイやで」とおっしゃいました。

ゲイでもなんでもええわ。うちが欲しいのはあんたの体やない、あんたのカネや。正確に言えばあんたのお父ちゃんのカネや。カネのために結婚してやろうって言っとるんじゃ!」

と言ったんですが、なかなかうんと言ってくれません。強情な男です。

その、ユダヤ人ニューヨーカー哲学者ゲイイケメン金持ちボンボンデービッドくんと、ある時、パレスチナ情勢について話したんですよね。

彼はユダヤ人のくせにシオニスト嫌いっていう希少種で、イスラエルに批判的なんですけど、その時に彼がこう言いました。

What do you think of israeli invasion with impunity?

私、衝撃を受けましてね。この文章を画像にして、いま、デスクトップの背景にしてますけど、それくらい衝撃を受けたんです。

訳しますと、

イスラエル、好き勝手に侵略やっておりまんな。あなたさん、どない思われます?」

くらいの意味です。

impunity (不処罰性、処罰されないこと、免責)ていう単語がちょっと難しいくらいで、他はどうってことないですよね。

別に何の変哲もない文章です。文法的にもまったく難しくありません。

ただ、この意味する内容のことを日本人が英文にする時、まずこういう構文では言いませんね。

Israel invades. But it never be punished. What do you think of them?

とかでしょうか。

まず with impunity ってのがほれぼれしますよね。日本人だとここは without punishment ってするでしょう。

思うんですけど、英語って名詞で文章をいいがちなんです。

日本語は同じことを動詞で言うんですよね。

起訴、とか、免責、じゃなくて「処罰されない」って言うのが日本語の癖なんです。

侵略、じゃなくて、「侵略している」って言うのが日本語の癖なんです。

それと、否定文ももちろんありますけど、形としての否定文じゃなくて肯定文に直して言う、そういう発想は日本語にはあんまりないですよね。

without punishment や not with punishment じゃなくて、with impunity ってやるってのが英語っぽいというか、英語の癖なんだなって思います。

日本語の構文に沿って英訳すると、どうしても長くなりがちなんですよ。

接続詞関係代名詞が複雑に入り組んで、そういう時はひとつの文章を複数にわけるのもひとつの手段なんですけど、動詞名詞に変えられないか、否定文を肯定文に変えられないかって発想するのも、すっきりした英文を書くコツなように思います。

で、まねをして、I don't know him っていうところを、I have absent of knowledge about the male って言ったことがあるんです。いくらなんでもこれはやり過ぎだったみたいで、「君はイギリス人みたいな英語を書くね」って言われました。

これ褒め言葉じゃないですよ。

なにもったいつけてんだYO!ってことです。

ただ、もったいつけるべき場面、論文とか文学作品とか、ちょっと高尚に見せたい時には有効だってことです。

彼はイギリス人みたいって揶揄しましたけど、実際、イギリスメディアではこういう文章を書く人が案外います。

BBCとかはすっきりした表現が多いですけど、新聞ではけっこうありますよね。

ま、そういうこともお楽しみのうちということで。

2009-02-05

ゼロアカ第5関門

イベントに来てくれたら、ボクと握手だよ

東浩紀の愉快な仲間たちpresents

ゼロ年代批評night」

次世代の批評は俺たちが作る!まったく新しい批評の形を模索する、熱き批評魂を持った若者たちが、批評未来についてガチバトルを繰り広げます!ザクティ

革命の真の意義とは!?ゼロ年代批評の申し子となるのは誰か?そしてスペシャルゲストは誰なのか!?批評論壇の新生を目撃するために、次世代の批評家(と

ウォッチャー)たちよ、阿佐ヶ谷ロフトに集結せよ!

【出演】

坂上秋成(ゼロアカ道場第四次関門通過者/道場破り)

筑井真奈編集者ゼロアカ道場第四次関門通過者)

藤田直哉(SF評論家ゼロアカ道場第三次関門通過者)

三ツ野陽介(東京大学大学院生ゼロアカ道場第四次関通過者)

峰尾俊彦(ゼロアカ道場第四次関門通過者)

やずややずやゼロアカ道場第四次関門通過者)

スペシャルゲスト

現代思想の第一線で活躍する哲学者批評家など凄い人たちが多数来場予定。

※来場者全員に、会場限定のスペシャル同人誌プレゼント

これってどうみてもこれ自体が第5関門だろ。当然、企画者はあずまん。

事前にこれが関門だと告知せずにやろうというわけだね。

2009-01-11

そういえば

東浩紀さんのことを、学校の進路課長が始業式で「哲学者」「社会学者」って言ってた。

こいつわかってねえな、って思った。

この人の文章を、50台後半の尊敬に値する国語教師が実力テストに出していた。

そのときは東さんのことを知らなかったんだが、やっぱあの国語教師は違うなあ。

常に知識人であろうとする姿勢は感動に値する。

2009-01-04

http://anond.hatelabo.jp/20090104160206

確かに実用的ではないですが、

哲学者は基本的に、自分社会はどのように生きれば良いかを考えているからです。

哲学だけをしていて自分生活費すら稼げないレベルだと困りますが、

幸せに生きるために、多くの価値観と考え方を取り入れることは有益だと思います。

あんまり古いとそれこそ時代に合わないので、

ポストモダンあたり、一冊いかがですか?

2008-12-19

http://anond.hatelabo.jp/20081218235536

本当に関係のない追記

ヴィトゲンシュタインでずっと覚えてたけど

ウィトゲンシュタインを使う人のほうが多いのね

彼がベルリンケンブリッジ、と行ったので、過去には漠然ドイツ系の哲学者のように誤解されて「Wittgenstein」を「ヴィトゲンシュタイン」と誤読されてた時期があったけど、本当は彼はオーストリアの人で、しかも本人自身が「『ヴィ』ではなく『ウィ』だ」と主張していたという話があって、'90頃からはずっと「ウィトゲンシュタイン」が基本表記になってます。

2008-12-16

東浩紀南京関連トピックは紙媒体でとりあげるべきでは

常野でも誰でもいいけど、まじめに今回の顛末をどっかの論壇誌に載せるよう動くべきだと思うんだ。東の「若いやつが騒いでいるだけだから、自分ネットを見なくなれば終わり」とかいう甘い考えは糾すべきだろう。

考えてみなよ。

東は象徴資本を握ってるから、今後もビエンナーレみたいな国が関与する海外向けのイベントとか、村上隆が絡んだ国際的に注目を集める場にコメントを発するわけだ。日本哲学者批評家代表みたいな感じで。

そうして注目が集まったところで、どっかのアンチが例の南京がらみの発言を翻訳して、東のコメントをとった新聞社なり出版社なりに紹介すると想像してみる。シャレにならなくね? おおげさではなく、ちょっとした外交問題になりかねんレベル。国内のつまらんゴシップで済んでいるうちならまだしも・・・・・・。

というわけで、これをご覧になった出版業界コネのある方は、早急に動いていただきたい。

いささか繰り返しになるけど、別に常野やらはてサたち当人、もしくは東本人が執筆しなくてもいいんだ。とにかく紙媒体に載せて、もし役所の人とかが東を何らかの形で国際的な舞台に立たせようと思うときに、資料としてリファーできるようになっていればいい。

大ごとになる前に・・・・・・。

2008-12-15

今見た夢を書く

お客様の中で哲学者はいらっしゃいませんでしょうか?」

「…ストア学でよければ…」

おやすみ

2008-12-13

死とは何か

死とは何か。

それも、身近な人が死ぬということはどういうことなのか。

言葉にするのは難しい。ぼくは哲学者ではない。

だが、ぼくが実際に感じた感覚にいちばん近い言葉がある。

過去になる。

この言葉が持つイメージは(少なくともぼくの中では)人が死んだときに感じた感覚と非常に近い。

それがどういう意味を持つのかは自分でもよく分からない。

言葉で考えるのは苦手だ。

感覚が近いというのはつまり、「死ぬ」という言葉を色に例えると紫だとする。

「亡くなる」は黄土色で、「消える」は水色。そして、「過去になる」は同じ紫なのである。

過去になる。つまり、もう戻らないという意味だろうか。

確かに死んだ人はもう戻らない。

生の反対が死で、過去の反対が未来

どちらも言葉としては対等な関係に見えるが、実際は不可逆の変化だ。

時間が一方にしか流れないように、生から死への変化も一方にしか流れない。

そして、死んだ人は未来には存在しない。

でも、過去には「存在していた」のである。

過去になる。つまり、存在していたという意味なのか。

夢や幻想ではなく、現実として存在していた。

存在していたからこそ過去になりえる。

現在そして未来は、その時点でのすべての過去を含んでいる。

そして、すべての過去から成り立っている。

だから例え誰かが死んでも、その存在は生きている人に含まれているのではないか。

それがよくいう「心のなかで生きている」というやつなのだろう。

想像ではなく、実感として理解できる。

その死はぼくの過去に含まれ、それは現実として存在した。

それによって今のぼくは成り立っている。

なるほど、死とは、そういう意味なのか。




ああ、それにしても休日出勤憂鬱だ。

宗教に興味がない人でも分かる仏教入門

最初に言っておくが、私はなんら仏教関係ないし信者でもない。ましてやキリスト教イスラム教新興宗教にも全く興味が無い。ただ仏教哲学には納得する部分が多いし人生の参考になるので簡単にまとめたいと思う。だから全く興味がない人や食わず嫌いの人に触りだけでもかじって欲しいと思い書きます。

そもそも現代の人は私を含めて宗教と聞くと胡散臭い洗脳など怪しいイメージが強いから拒否反応が自動的に働くと思います。しかし、そういうイメージがついたのは仏教キリスト教適当に模写し都合の良いように作りあげた新興宗教カルト教団のことを言います。例えばオウム真理教なんか日本代表である!つまり、仏教は胡散臭くも無く怪しくも無いブッタが一生をかけて考え抜いた精神世界の教えです。

ちなみに私は仏教本に関して、自己啓発本の一種としか考えていません。つまり仏教本を読めばモチベーションが向上する。ただそれだけです。しかし、知っているのと知らないとではこれからの人生生き方価値観は大違いだと思います。後、仏教と聞いて、お経なり墓参りや、お坊さんやお葬式など思い浮かぶと思うが、面白くないので触れません。私が興味あるのはブッタという哲学者が考えた知識です。

できるだけ専門用語は使わずまとめていきたいと思います。まず仏教といえば仏(ほとけ)様がイメージできますが、決して仏像の仏ではありません。では仏とは何かというと、悟った者のことを示します。

仏=ブッダ

ブッダとは「ブッダ」という名前ではなく悟った人のことを言います。それで「悟る」とはサンスクリット語でブッドゥッといい、その過去分詞がブッダ、つまり悟った人なのですね。とりあえず、ふんふんと頷いといて下さいwでは仏教を始めた人は誰か?ブッダと呼ばれるものは誰か?

ゴータマ・シッダールタ」  この人がブッダであります。ちなみに仏教インドから広まったものです。これで分かるように仏は神みたいな絶対的存在ではなく、ただの人間であり、ゴータマ・シッダールタという悟りを極めた哲学者であります。この人の生きた時期は具体的には分かっていません。なぜならその当時のインド人に「いつ」の概念がなかったからなのです。だいたい紀元前5世紀くらいの人と言われていて、生まれた場所はルンビニーという所。裕福な生活をしていて結婚して男児もいて普通の生活をしていました。しかし、29歳のときに家族を捨てて城から離れ修行者として旅立つことに。つまり出家ですね。それから苦行を続け、やがてナイランジャナーの河のほとりで瞑想を開始します。そして、35歳で悟ったと言います。それからたくさんの弟子をかかえて享年80歳という長命で姿を消すことになります。それで亡くなってから、当時の弟子たちがブッダの教えで会議を行い文章として作ったのが「経典」であります。

まず仏教キーワードは「縁起」”えんぎ”。  是非この言葉だけは覚えて欲しいと思います。

縁起」とは人や事柄などが関係しあってお互いを支えていることを言います。例えば、ここに40歳男性がいるとします。彼は妻にとっては夫であり、子から見れば父、彼の親からすれば子である。会社にいけば彼は課長であり、オーナーから見れば従業員である。つまり、自分存在とは情報によって作り出されたものであり、あなた自身多くの人々の関係、周囲にあるあらゆる物との関係において、今のあなた自身でいることができる。だから、最初からあなた自身が存在しているのではなく名前という情報があり、住所という情報があり、職業などがあってこそ自分がなりたつ。つまり、他人が自分存在を示してくれる。逆にいうとあなた自身も周りを支えていることになる。こういう関係性を仏教では「縁」と呼びます。

もうひとつ知ってほしいのは<「空」”くう”です。

「空」とはそこに見えてるものは実体がないと考えます。ちょっとややこしいが、普通は実体があるからこそ人やものが存在していると考える。しかし、仏教では現象にすぎないと考えます。簡単にいえば全て幻と考え、起きることや物、人生、人すら実体のない幻と解釈してしまう。バカらしいと思うかもしれないが、ちょっと待ってほしい。例えばテレビ画面やパソコンの画面、映画スクリーンを近くでよーく見てみると、小さい四角や丸の集合体であることは知ってますよね、知らない人はテレビ画面におデコをつけて見てほしい。すると小さいドットが繋がっている状態でひとつひとつがいろんな色に点滅しているただの光の集合体というのが分かります。つまり実体のない幻といえる。物や人も素粒子レベルで考えると、点滅しているにすぎない、だからあなたも私も幻と考えることができるということなのです。ちょっと分かりずらいが、「空」とはすべてが現象と考えると分かりやすいと思います。

もうひとつ例えを出します。皆様は普段から牛肉を食べますよね。これって食べた後にどうなるか知っていますか?そもそも、食べるものとは”アミノ酸”だとか””コラーゲン”みたいに色々な分子が集合してできているのが食物で、それを体内に入れた時に分子に分裂して体中に分子が散ればめられてたんぱく質に変わり栄養として吸収され破壊されて行くのですが、ここで問題なのが牛肉は牛であり、人間と同等の生物ということです。具体的に言いますと、牛肉は分子の集合体ですよね、ということは、牛も集合体ということになり、故に、人間も分子や原子の集合体ということになるのです。、だから、人間も実体がなく現象であり「空」であるというのが仏教という哲学なのです。

ちょっと分からなくなってきたと思いますが、この2つセットが仏教の基本なので、先入観を少し置いといてこういう考え方もあると思ってくれれば結構です。補足ですが、瞑想と言う言葉を聞いたことありますよね、洞窟の中とか誰もいない森の中で永遠瞑想という修行をする人たちのことですが。なぜ、できるかというと全てが幻と思っているからです。どこにいようとも何をしようといいというわけです。これが究極の空です。

ちょっと話がそれますが、巷では占い師の方が「あなたの前世武士」だとか、死ねば生まれ変わるだの言われることがありますが、仏教では輪廻転生はないと考えているし来世も前世存在しない、自我も空だと考えています。つまり、体がなくなっても魂は来世に蘇り繰り返すという概念はありえない(正式には分からない)しかし、一部では霊がいるとか神がいるとか、輪廻するとかいうのが信じられています。まあ信じる分だけならいいのですが、それに付け加えて出てくる概念が、この世で苦しめば苦しむほど来世でランクステージ)が上がるという考え方です。インドカースト制度がこれ、ランクステージ)の低い身分の人はこの世で自分を苦しめ相手も苦しめることを現実にします。つまり問題なのは現世で苦しめば来世でランクが上がるという概念が怖いのです。

例えば、電車の中で騒いでいる若者がいたとする、こいつは人に迷惑をかけていてこのままでは来世でランクステージ)が下がるのでかわいそうと思い、早い段階で苦しめて殺しちゃえという考え方になり、ナイフで刺してぐりぐり苦しめて殺してしまう。この考え方がオウム真理教の「ポアの思想」。

もうひとつ例えれば、映画館で隣の男性がポップコーンをボリボリ食べていて人に迷惑をかけているとする。すると、前にも言ったがそういう人は現世で苦しめて殺してあげる、そして「来世でランクステージ)を上げて楽しく暮らしてね。」って感じで平気で人をナイフでぐりぐりして殺してしまう。刺されている人が「痛いよ!」って言っても刺してる側は全てが「空」だと思っているから、「この世には実体がない幻なんだから痛くないでしょ、何言ってるの」ってなる。これがオウムの「ポアの思想」で宗教を悪いことに利用したスピリチュアルな考え方です。

怖い考え方のキーワードは3つ

  1、ランクがある(麻原は最高ランクみたいに)

  2、輪廻転生がある(来世や前世存在する)

  3、現世で苦しめば来世でランクが上がる概念

現在テレビで人気の○木数子はかわいいもので彼女はただのオカルト。怖いのはスピリチュアルの○原氏。輪廻ランクがありきと考え、しかも視聴率が良い番組で堂々とわけの分からないことを言っているので、このままいくとオウムみたいになりかねないと私は危惧します。

話を戻しますが、人間には煩悩がたくさんあります。代表的なのでは睡眠欲、食欲、性欲、物欲、などなど、これらの煩悩をなくしてしまうのが悟り、つまり全てが空と考える概念を「空観」”くうがん”といいます。その逆が「仮観」”けがん”。仮観は煩悩むき出しでお金も稼ぐだけ稼ぐし、あれも欲しいこれも欲しい、その為には戦争もする考え方。みんなが仮観の考えでは世界は滅びます。逆に「空観」もみんなが考えるとやる気もないし何もしない、食欲もないし睡眠欲もないからこれも世界が滅びます。

じゃあどうするの?

そこで仏教ではその間の「中観」”ちゅうがん”という概念存在します。では「中観」とは何か。まず全員が「仮観」の考えかたをすると欲望を限度なく追求するから結局戦争になり人類が滅びます。次に全員が「空観」の考え方だと全てが幻と思っているからボケーっとして誰にも迷惑かけないけど何も進歩しないからこれも滅亡する。しかも「空観」にカルマ思想が入ると他人に迷惑をかける最悪のことになります。

それではダメなので昔に「中観」という概念を考えたナーガールジュナという人がいます。「空観」と「仮観」の間の「中観」。さっきの例で言うと、ポップコーンを食べている人はボリボリと人に迷惑をかけているが、その男性彼女映画を見にきていて彼女と楽しむことや、彼女を楽しませるなどやること、役割ががあると考えます、つまりその男性は機能をもっていて、デートいう役割を果たしている。すると矛盾が発生して殺してはダメになる訳です。

ちょっと話が脱線しますが、ブッダ弟子ブッダに対して「神はいますか?」「生まれ変わりはありますか?」という質問をした。その時にブッダが「毒矢の例え」で答えたという。「毒矢の例え」とは一人のひとがどこからか飛んできた毒のついた矢が胸に突き刺ささって苦しんでいて、その時にどこから矢が打たれたのか、この毒の成分は何なのか、何メートル先からか、ベクトル計算するとなど考える前に矢を抜けよってこと。つまり、ブッタは「霊」とか「神」とか「自我」とか考える暇があるんだったら他にやることあるだろ、だから「神」がいるとかいないとかどっちでもいいじゃんっていうのが結論。これが「空観」に機能(やる事)(役割)をもたせた考え、つまり「中観」。

私も「どっちでもいいじゃん」ってのが結論で、答えがでないものを考えるより他にやりたい事や、大切なことを楽しむ、そして人生有意義なものにできればと思いました。ただ仏教などの哲学全体を把握しての「どっちでもいいじゃん」と何もせずめんどくさいから開き直って、さも分かっているかのように「どっちでもいいじゃん」とでは雲泥の差があるので勘違いしないで欲しい。是非、皆様も仏教と聞いただけで邪険にするのではなく、知っていると悪徳新興宗教スピリチュアルなんかで高額なお布施などを払うことも予防できると思います。是非これをきっかけに仏教本でモチベーションを上げてみるのもいいのではないでしょうか。

言葉は「どっちでもいいじゃん」です。

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081212144047

哲学者ぶる」のが簡単だからって「哲学」そのものを否定するのはおかしいだろ。

むしろそういう教育的・精神的土壌があること感謝すべきじゃないのかな。

こういうオナニーのはけ口があるから日本平和でいられる気がする。

2008-12-07

吉田利子訳『書きたがる脳』を読んだ。

まず内容以前の問題として、原著にはあったであろう脚註が一切なし。

著者あらゆる分野のエピソードを紹介しているのに、これではまったく引用元が確認できない。

次に、二九三頁で「信念のウェブ」の「W・V・クイン」という人名が登場する。

これはウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン(Willard van Orman Quine)のことだと思うが、

訳者哲学者クワインのことを知らないのだろうか。

英語の発音に忠実に表記したのかもしれないと思い確認したところ、

少なくとも「クイン」ではない。

http://video.google.com/videosearch?num=20&hl=ja&newwindow=1&safe=off&client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja:official&hs=KAw&q=quine&lr=&um=1&ie=UTF-8&sa=X&oi=video_result_group&resnum=20&ct=title#

茂木先生、ちゃんと監修してください。

[amazon:書きたがる脳]

2008-11-23

馬鹿でも分かる」という文句は嘘

馬鹿には分からない事というのは必ずある。

能力を超えた事というのは、どうあがいたって分からない。

赤外線紫外線が見えない我々には、可視領域の異なる生物世界をどんな風に「視て」いるか、分からない。「こんな風に見えています」と仮想化して(つまり『馬鹿でも分かる』状態にして)見せる写真とかあるけど、それは彼等が「視て」いる風景ではない。

複眼のある生物世界をどんな風に「視て」いるか、我々には分からない。複眼に見える世界を表現しようと数百個くらいの小さい映像をぐるっと並べたような想像写真とかあるけど、複眼なめんな。我々に「二つの映像」が見えているのではないように、彼らだって「数百個の映像」を視ているわけではないだろう。数百個の映像によって構成される「一つの世界」を認識しているだろう。でもその現実感覚を理解することは多分できない。

西尾維新風に云えば「ムカデにどうやって歩いているのか聞いても、アンタにそれは理解できないだろう?」。

だから「馬鹿でも分かる」という謳い文句は、大抵の場合馬鹿をひっかけるための宣伝文句で、嘘だ。百歩譲って嘘でなかった場合、それは本来馬鹿でも分かることであって、馬鹿でも分かるように言われなくても分かっておくべきだったことに過ぎない。つまり、馬鹿が分からないことを「馬鹿でも分かるようにする説明」など無い。

唯一例外に見えるものがあるとすれば、『ある種の聖典とか、偉大な哲学者による哲学書の類。天才が生み出した科学の新しいパラダイム』みたいなもの。確かにそれは、壮絶な天才たちが自分の思考を一般人に理解させるために書いた物だ。だがそれは厳密に言えば「読むことによって賢くなるようになる何か」であって、「馬鹿にも分かる説明」ではない。それらは「馬鹿に分からせている」のではなく「馬鹿でなくすることによって分からせている」に過ぎない。

つまり「馬鹿にも分かる説明」など、この世に無い。

まあそれが分からなくて欺されるのが馬鹿馬鹿たるゆえんなのだろうが。

http://anond.hatelabo.jp/20081123221711

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