はてなキーワード: ポイズンとは
LGBTやら文化の盗用やら弱者男性やら昔なら「うるせえ黙っとけ」で済んでた話しがやたらクローズアップされる昨今。
昔はさ、一言でいえば世界中が「強者たれ」で統一されていてその価値観が良くも悪くも人類を進歩させてきた。
その価値観を背景にしたときにマイノリティはマイノリティになる相応の理由あったわけ。
しかし今は誰もが「弱者に権利を」と言い、マジョリティもそれを受け入れる流れにある。
今や弱者って最強の盾で矛になってて、なんだったら日々最新の弱者ムーブをみんなが探してる。
でもさ、呼吸するだけで微生物を殺すように、誰もが何かをしたら絶対に誰かを傷つけてて日々弱者は発生してる。
傷つけられた誰かの声が大きくてみんながそれを受け入れてたら人類は進歩できなくなるじゃん。
もしかしたらこの流れって人間を観察してる高次の存在が「SNSを与えたらこの共同体がどうなっていくか、ちょっと実験しようぜ」って始めたんじゃない?
テレワーク期間を利用してVHSの整理をしていたら2000年にHNKで放映された俺の中では6本の指に入る傑作「6番目の小夜子」が出てきた。
見てみると、当時俳優デビュー1年目16歳の山田孝之が出ていて「うおっ、えらい正統派美少年やなぁ。これが今のテストステロンドバドバの雄臭い個性派男優になるんか」とびっくりしてしまった。身長は伸びなかった。
山田の二つ年上の俳優の藤原竜也はデビューから蜷川幸雄の寵愛を受けていたからか、同年に出ていたバトルロワイアルでは今の「と゛お゛し゛て゛た゛よ゛お゛お゛お゛!」の原型は完成していた。
山田の一つ上の小栗旬は2年前の1998年にはGTO(ポイズン)に出演しており、いかにも線の細い優等生感ある軟弱そうな少年だったが今では立ってるだけでサマになる雰囲気高身長男優に立派に進化している。
当時の自分は彼らを20年後にこんな目で見るとは思わなかった。人生って不思議なもんだ。
今の若い子が見ている若い俳優が20年後にはどうなっているか、私にはよくわからんがジャニタレばっかりでかわいそうとも思わない。
TOKIOの長瀬智也、NEWSの山久智久は6番目の小夜子の同年というか同クールに池袋ウエストゲートパークIWGPに出演していたが今でもコンスタトに俳優活動を続けている。今では立派な男の色気溢れるいい男優だ。
この人たちはどれだけ面の皮が厚くなったら
自分を棚に上げて他人に対して「想像力が足りない。自分たちがどれだけ恵まれているのか自覚せよ」みたいなことを真顔で言えるじゃろ。本当に不思議。
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たぶんそういうことを言ってる人って東大生とか実家が太い人っていう属性を持つ人物を概念としてしか認識してなくて具体的な人間として見てないんじゃないかしら