はてなキーワード: ガチホモとは
http://www.toranoana.jp/mailorder/cot/genre/2/1107_01.html
その意味では比較的治安がよくて、「犯される女が悪い」というのが少数派の日本に産まれ育ってよかった。
恐怖感はガチホモか否かは不問かも。
http://anond.hatelabo.jp/20111208155045
女性がレイプされる感覚≒男性がガチホモに掘られる感覚を書いた者です。
ほとんど言いたいことは他の方が言ってくれているのですが、補足。
確かに生物学的にはそうだが、女性の性器は受け容れられる男性は極めて限定されているのが一般的。
一方個人差はあるが、男性用の風俗は日本全国溢れていても女性用風俗は圧倒的に市場規模が小さいことからも
男性の方が不特定の女性との性交渉に対する抵抗感は小さい人が多いと思われる。
(据え膳食わずは男の恥とは言っても、女の恥とは言わない)
受け容れる前提がないという点で男性のケツが掘られる状況に類似
妊娠のリスクに加え、体格の差を考えれば恐怖の度合いは女性が男性にレイプされる場合の方が逆の場合より大きいと考えられる。
包丁で今にも刺さんばかりの勢いで脅されるか、素手で脅されるかの違い。
対格差補正すると男性が屈強なガチホモに反抗不能状態にされた時に近くなるのでは?
実際男性にレイプされた女性がその後もトラウマで心身症に罹ったりする例は多く聞くが
男性が女性にレイプされて心身症、という例は聞いたことがない(事例が少ないだけかもしれないが)。
横だけど、「異性の相手から襲われる」って、男が女に襲われるパターンのときは特に、
なんかどうしても「うらやまけしからん」的な方向に妄想されがちなんじゃね?
二次元ポルノ系とかのネタとして定着しちゃってる感があるというか。ペニバンもその点同じ。
それが恐ろしくておぞましいことだっていう認識が一般に薄そう。
実際にそういう目に遭わないとわからん部分があるってのがそこんとこに拍車かけてそう。
ガチホモを持ってきたのはガチホモとレイパー属性併せ持つ奴が「相手」に回ったときの
「欲望を手前勝手に自分にぶつけてくるかもしれない存在」として典型というか。
だからそれほど例が違ってるとは思わない。
「大部分は」って書いたのはまあ例外もいるかな、という気持ちからだった。ガチホモってのもいることだし。
あんたすげえヒートアップしててちょっと怖いけど、「普通の男は中一には欲情しない」が偽だなんてこと、統計を持ち出すまでもなく(というかこのテーマで信頼性のある統計は無理だと思うが)明らかだと思うなあ。
だってさあ、「俺はこいつに欲情したことがある」っていうのは証明可能だけど「俺はこいつには欲情しない」っていうのは悪魔の証明でしょう。
まるで好みのタイプでない筈の女性に劣情を催した経験ってない?そこから類推すると、あきらかに射程外の筈の年齢であっても欲情しないと断言することはできないと思うんだけど、どうかな?ああ、あんた女だったか。
僕は異性愛者なのだが、それでも時々Google画像検索で『ガチホモ ブリーフ モッコリ』などと書き込んでは雄臭いモッコリブリーフ画像を見たり、ついつい『あー、チンポしゃぶりたい』などと発言してしまう。ノンケなのに。
同性愛者には申し訳ないのだが、同性愛はやはり笑いのネタになってしまう。どうしても。しかもかなり気軽に、その場の空気をギャグ化することが出来てしまう。だから、仕事などで体が緊張していたり、つらいことを忘れたいときには、ガチホモ的な事物を見たり発したりして、自分の空気を軟化させたいのだと思う。
つらいことが多すぎるから、ついついガチホモネタに頼ってしまう。まるで麻薬のようだ。今日もニコニコで『Hattendo』タグを検索している。動画を探しているときは、やはりドキドキワクワクする。欲情はしないけど。だから僕は、ガチホモさんたちにありがとうといいたい。ありがとう、ガチホモさんも僕が生きている理由の一つなのかもしれない。
僕が雪村に出会ったのは、大学の研究室の新入生歓迎会のときのことで、そのとき歓迎する側にいたのが僕で、歓迎される側にいたのがいっこ下の雪村だった。
彼女は、長くきれいな黒髪の落ち着いた女の子で、お嬢様という感じではないが、どこか品のある立ち居をしていた。
僕は彼女とは別のテーブルにつくことになり、でも彼女のことが気になったのでたまにそちらの方へ目をやったりしていたのだけれど、ちゃんと正面に座って話す機会は、ひとつ上の先輩がくれた。
「真田くん、ちょっとこっち来てよ」と先輩が僕を手招いて呼んだ。「この子エーティーフィールド張ってて、俺ひとりじゃキビシイよ」
それで僕は、彼女の向かいに座って話をした。雪村は聡明で、控えめで、微笑みながら人の話にうなずき続けることができるタイプの女性だった。
でも僕は自分のことが話したいわけではなくて、彼女のことが聞きたかった。僕はゆっくりと、何か自分と合うような話題がないかと探した。彼女の趣味は読書で、好きな作家は恩田陸(←「ああ、あのガチホモミステリの……」)。よく読むのは講談社ノベルス(←今にして思えば恩田陸は講談社ノベルスとあんまり関係ない気がする)。映画も好きで、好きな監督はスタンリー・キューブリック(←『バリー・リンドン』)とピーター・ジャクソン(←『乙女の祈り』)。ピクサーとジブリも好き。好きな漫画は『夢幻紳士』『百鬼夜行抄』『うしおととら』『タブロウ・ゲート』……。まともにやったゲームは『ファイナルファンタジーX』くらいで、時間のカウンタが止まるまでやって(←大学受験が終わってから暇だったようだ)、「全てを越えし者」を倒すところまではいったとか。あと何かのレースゲームは前に進めなくて諦めたという。
僕はといえば、好きな作家は星新一で、好きな映画は『ショーシャンクの空に』で、好きな漫画はジャンプとチャンピオンとヤングジャンプとヤングマガジンとスピリッツとモーニングだった。僕はその程度の文化パワーの人間だった。
雪村は本当に本が好きで、暇なときには一日一冊くらいのペースで読んでいた。「『雑食なのでなんでも読みます』とか言うやつは信用できねえよ。そういうやつは絶対に大して本を読んでない」と吐き捨てる友人が僕にはいたが、雪村は本当に雑食で、ノンフィクションを除けばなんでも読む女の子だった。小説も漫画も。
その新入生歓迎会の日は、友達が帰るというので、彼女もそれについて早めに帰っていってしまった。僕はもっと残っていってよと頼んだけれど、穏やかに断られてしまった。
次に僕が彼女と話をしたのは、それからしばらく後の教養の授業のときのことで、雪村は教室の最前列に座って、社会学だったか文化人類学だったかの講義を無視してペーパーバックを読んでいた。
勇気を出して隣りに座って(←勇気を出したのだ)、何読んでるの、と彼女に訊ねた。雪村は手に持った本の表紙を見せてくれた。G.R.R.マーティンの『玉座をめぐるゲーム』だった。もちろん僕にはまったくわからなかった。
それからも僕は、折にふれては勇気を出して彼女に話しかけていった。レポートがあるので……と断られてひどく落ち込んだりもしたけれど、ついに僕は彼女を連れて名古屋城にデートにいくことに成功した。名古屋城はつまらなかったけれど、彼女といるのは楽しかった。
これはおもしろかった。本当に。
それからも授業で隣りに座ったり、食事に誘ったりして、僕らは付き合うことになった。僕は実家に住んでいて、彼女は下宿をしていたので、よく彼女の家に泊まって二人で本を読んだり、映画を見たりした。本山にゲオがあったので、近所でレンタルができて助かった。
でも不思議なことに、幸せなことはそんなに長く続かないもので、僕と雪村が二人で東尋坊を見に旅行に行ったとき、泊まった旅館でカニを食べて一緒の布団で寝たあと、彼女は僕の知らない何かに引っ張られて、僕が寝ているうちに布団を出て服を着替えて旅館から脱げ出して、東尋坊の先から海に飛び降りてしまう。
東尋坊では死ねないという話があるけれど、やっぱりそれは嘘で、飛び降りればちゃんと死ぬ。雪村がそれで死んだのだから間違いない。
彼女を失った僕は悲しくなって、雪村が死んだというそのこと自体よりもむしろ雪村が僕に一言も告げずに死んでいったことに鬱々と悩んで、こりゃだめだ、このままじゃ何も解決しない、と思ってそのまま十五の夜ばりにバイクで走り出す。でもそのバイクは別に盗んだものじゃないし行き先もきちんとわかっていて、僕は一直線に福井まで行って、雪村と同じように海にダイブする。そして生きて浮かんでくる。本当に死にたいのなら、そのための飛び降り方をしなければならない。
病院のベッドでしばらく暮らすことになった僕は、とりあえずアマゾンで小説と漫画と学芸書とDVDを注文しまくって、それを片っ端から消費する。雪村が生きていたときにはこの女はまたなんか読んでんなあとしか思っていなかった僕が、いまさらになって雪村の触れていたものたちに目を向け始める。村上春樹を、伊坂幸太郎を、恩田陸を道尾秀介を舞城王太郎を僕は読む読む。雪村のようにペーパーバックをぺらぺらとはいかないが、翻訳者に感謝しながら、ヴォネガットをカポーティをフィッツジェラルドを読む読む。福満しげゆきを藤田和日郎を増田こうすけを読む読む。カントを、デリダを、ヴィトゲンシュタインをホフスタッターをドーキンスを読む読む。そんでDVDはよく考えたら病室じゃ見られねえなと思ってそのままジャケットだけを眺める。いいじゃんアマデウス。時計じかけのオレンジ。タクシードライバー。
そして読みたい本をあらかた読み終えてしまったので、そろそろ家に帰ってDVDでも見るかと思って僕は退院する。退院するために荷物を片付けてきれいな服に着替えて、もう忘れ物はないよな、と思って振り返った病室に雪村がいるのを見て僕はびっくりする。
「いまさら化けて出てんじゃねーよ」と僕は言う。
でも雪村は生きていた頃と同じ顔で、僕がさっきまで寝そべっていた病室のベッドに腰掛けている。いつもと同じように黒い服ばっかりを着ていて、別に幽霊だからって白いベッドが透けて見えたりはしない。
「いやーいいじゃん。嬉しいでしょ」と雪村は言う。
そんな口調じゃねーよ。
僕はゲイでもホモでも無いが、それでもゲイ・ホモ的作品にはある種の親近感を持っている。
こういう話をすると「You are ガチホモ?」
って聞かれるけど、僕は必ずこう答える「No, I'm not ガチホモ.」ってね。
ではなぜ僕はガチホモ作品を見ちゃうのか。
これによく似た感覚があった。
確か、高校生クイズを見たときだ。
超絶難しい難問をスラスラ解いていく高校生を見て、僕は「すげぇなぁ」と思いながらも、
ニヤニヤしながら、それを見ていた。そのときの感情に似ていた。
自分と関係ない世界を覗き見て、その世界の常識のシュールさに触れて、楽しみたいのだ。
そういった意味では、僕は歪んでいるのかもしれない。