はてなキーワード: ラケットとは
今の男子テニス界でラケット破壊を頻繁に行う選手として、ニック・キリオス(オーストラリア)やアレクサンダー・ズベレフ(ドイツ)などが挙げられるが、サフィンはその破壊数で群を抜く。
サフィンは1999年に48個ものラケットを試合中に破壊しており、これは1シーズンの公式戦でのラケット破壊数の歴代最多記録となっている。彼はこの年71試合を戦っているため、2試合に1個以上は壊している計算になる。また彼は、練習でもラケットを投げたり壊したりしている。
この話題度々見かけるんだけど、そのたびに原因が選手の内面的なものだけに還元されているのを見てゲンナリする。
選手がただ短気である、思いやりがない、という理由だけでこんなに多くのテニスプレイヤーがラケットを破壊するものか?と疑問を抱かないのは精神論を無意識に高く評価しすぎている。
テニス経験者から言わせてもらうとテニスというのは、端的にそうなってしまうスポーツなのだ。普段温厚で優しい人柄の人間がレシーブのボールをネットにかけてしまったとき
そこには通常考えられないほどのフラストレーションが瞬間的に顔を見せる。これはほとんど生理的なもので抑えが効くやつがいたら本当に尊敬する。
その試合が真面目なものだったとしたらそのフラストレーションは殊更である。3年間隣でテニスをしていた友人が一度だけラケットをたたきつけてハート型にしたとき、周りは震えあがったが
それと同時に納得もした。「テニスはそういうスポーツだから」という共通認識があるからだ。遊びでテニスをしている人やテレビの前で観戦している人との決定的な認識のズレは
試合のために日々練習し真面目にテニスをプレイした経験が有るのか無いのか、というところにあるのだと思う。怒りという感情に対して倫理的な観点から文句を言うのは誰にでもできるが
その観点はあくまでも他者の感覚を共有しない独断的な立場から理想を述べているだけである。その独断的な理想に他者が適わないからと言って「性格が悪い」と悪口を言うのはいかがなものなんだろうか
同意。
「人の作った物をどうしようが購入者の勝手」が成り立つのなら、スポーツ選手は自分の競技風景をどれだけズリネタ動画として消費されようが文句なんか言わなければよい。
ラケットを破壊することがOKでズリネタには文句付ける、ならば「用具の製作者は愚弄されてもよくて自分たちは愚弄されてはならない存在だと思っているのですね」「つまり、あなたは競技用具製作者を自分と対等の人間とは見なしてないのですね」という批判が確かに成り立ってしまう。
「いやいやズリネタOKですよ。所詮スポーツなんて自慰ですし」って言うなら、ラケットを破壊する行為にも首尾一貫したものがあると言えるが、少なくともそういう考えを公表するアスリートの話は聞いたことがない。
俺はそもそもテニスをするようなやつってそんなこと考えられないと思う。
だって、なんであんな奴隷のように少年少女を何人も配置して、球を拾わせるの?
そんなことに意義を唱えないようなやつらなんだから、そりゃブルーカラーが作ったようなラケットは躊躇もなく壊すでしょ。
これまでも、これからも。
理由として一番大きいのはこれで
別にセリーナ・ウィリアムズだとアンディ・マレーだとか錦織がラケット壊そうが割とどうでもいいんだけど、
大阪なおみだけがダメなのは、彼女が反差別などの公正さ・正義の政治を訴えかける政治活動家でもあるから。
議会の議員なんかそうだけど、本人自身に極めて清潔さを求める風潮が存在している。
政治家の仕事には本来何にも関係ない、私事の家庭事情なんかも清潔であるのが必須で、不倫なんかは致命傷だし。
当然、大阪選手の主な活動のテニスのプレイにも「政治家としての清潔さ」を求められるので
そうしたら選手もラケット破壊を戦略的に行わないといけなくなるし、観客も「ここはラケット破壊して立て直すべき」とか「あのラケット破壊が優勝を手繰り寄せた」とか言い出すし、メーカーも派手にぶっ壊れるラケット開発して販売本数増えるしでいい事だらけになるよきっと。
普通に見てて気分いいもんじゃないしテニス観戦が広告ビジネスで成り立ってるんなら選手として悪手だろうなと思う。ラケットを破壊する選手と大切に扱う選手なら後者の方が明らかに印象いいのは明白だし。
大坂選手のやつ、ファンによる擁護はわかる。「まあまあ、彼女も世界の大舞台でイライラしてたんだし。」とかね。どこの世界でもファンってそんなもんだ。
だが「あれはアンガーマネジメント」ってなんだよ。おかしいだろ。
じゃあDVモラハラ男みたいなのが妻の前で壁殴ってたらそれはアンガーマネジメントなのか?示威行為じゃん。
大坂なおみくらいの選手だったらそんなそこらの労働者が作ったラケットじゃなくて特注なんじゃないの。
ていうか勝手に身内の労働者代表と結びつけておセンチな精神論語りだすの何なの。
自分に酔ってる感がすごい。
製造業をしている零細会社勤務でテニス好きの自分の意見としては
ただ”ひょっとしたら彼女は、物を作る労働者階級の人間のことを、自分と同じ『人間』と思っていないのではないか”
彼女はラケットを壊す瞬間は、生産者の気持ちを考えていないだろう。
でもそれと同様に増田も彼女の気持ちを考えていないと文章から思う。
世界中から注目され期待されている中で、自分が思うようにプレーできなくても、
一人孤独に戦い続けなければならないコート上の彼女の気持ちを考えた事があるのだろうか。