はてなキーワード: マヨネーズとは
今回の目当てはモーニングメニュー
私も1回買った事がある
この店のパン使ってたのかな?
メニューにモーニングメニューは明記されてなかった
店員さんに「カフェコーナーにモーニングメニューはありますか?」
早速注文して奥の厚めでふかふかのクッションが敷かれたアンティークソファーでくつろぐ
テーブルの天板の下は木樽を4個並べてテーブルの椅子代わりにしている面白い
モーニングは飲物(コーヒーOR紅茶ORあと忘れた)とワンプレートに
レタスとパプリカ?のサラダとソーセージ2本とプレーンオムレツ
パンコーナーのゴボウパンが1個160円、カフェのコーヒーの最安値が350円だから
かなりのお得感と満足感
アンティークのフォトフレームに花瓶に挿した花の絵が飾ってあるのを見て
花を部屋に飾る替わりに「こういうのもありかな」と思ったりガラスケースに入れてある
アンティークの小皿などを見て楽しみました
そもそもの問題解決にも使えるのだが。人類が数千年に渡り人と人とが協力をする事によってあらゆる問題を解決してきた事から今回はその論理の応用編。論理を用いたコミュニケーションについて解き明かしていきたいと思う。
人が人に意思を伝える時にはどんな種類があるだろうか?
※分類できるというわけではなく要素として
一、命令(相手に何かを要請)
一、伝達(単に事実や事柄を)
とまあ色々あるけれど、個々に主観的なものと客観的なものがある。
ではこれらの情報交換を人と人が行う時にお互いの共通認識が多いか少ないかだけでその人とその人が仲良くなったり仲良くならなかったりというのではなんとも勿体無い。
だって誰でもそうだろう。例え偶然でも似たような過去の経験があったり似たような将来像や様々な物事に対して個々に思う感覚が似ているかどうかだけで大概の人は親近感を抱いたり、はたまた嫌悪感を抱いてしまう。
自分はそれは非常に非常に勿体の無い事だと言いたいのだ。
だって、たまたま誰かにとても嫌っている同僚だとか上司がいたとする。お互いに相容れないのがもしこの世に生を受けてからの全ての経験の似通りにたまたま距離があった事で様々な物事に対する認識が離れてずれてしまったのだとするのならば、もし、もしも今後共通の体験をしたり、または知識として何かしらの経験を得たのならば、“今”は協力できないと思っている相手とでもいずれ協力でき、お互いに“楽しい”と思える時間を人生に内に占める部分が増えるのではないだろうか?
例え話しに基づいて解いていく
さてここはある雑談の場だ、そして誰かが話しだす。
※実際はどちらの発言にも主観と客観が交じりあっているが便宜上無視
まず主観的例文
次に客観的例文
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
強引な例だが、こういった雑談の場では今までに聞いた事の無い意見に対して聞いた側がどう思うのかがこれからの検証を進めていく上でとても重要になってくる。なぜなら既に自分の中で“自分はこれに対してこう思う”という一つの自我が既に形成されていると、案外素通りで他者の自分とは異なる意見を受け入れてしまうからだ。
例えば、雨降りの天気に対して
「嫌な天気だね」
と誰かが言ったとする。かなり住んでいる地域の影響も受けるかもしれないが年間数日しか雨が降らない地域の人は絶対にそんな事は思わないだろうし。例え日本国内でも雨に対して一切の「嫌な感じ」を抱かない人もいる。それにその時の状況として洗濯物を天日干しにしよう!などと予定していたのであれば嫌だと思うかもしれない。この場合客観的例文だったので状況に左右されやすいのだが、例えば
「えーっ、不味そう」
と誰かが言えば、味に対しての感覚の相違なんていうものは人それぞれだという前提が多くは幼い頃から経験しているので、さほど相手はそう思うのか程度にしか自分とは相容れない主張に対して不快感を抱かない。
では、何かの物事に対して新規の見かた、新たな捉え方を意見として雑談の場で表明された場合はどうだろう?
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
どうだろう?実際に身体の成長と日常的ストレスまたそれによる日常的な筋肉の緊張には関係があるので、そうだ!と思う人もいれば、関係無いよって思う人もいるだろう。だがここで言いたいのはそんな事ではない。
命題の因果関係が成立するかしないのか?という部分に目を取られてしまうから“こいつとはなんか合うな”とか“こいつとは合わないな”なんていう思い込みで他者との相性を判断してしまうのである。
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
という主張に対し論理の技法にのっとって哲学し分解考察して行こうと思う。では
A “親が怖い”のならば“子の背が低い”
B “子の背が低く”ないなら“親は怖く”ない
C “親が怖く”ないからといって“子の背が低く”ないとは限らない
解りやすくすると
A´ 親が怖いと子の背が低い
B´ 子の背が高いなら親は優しい
C´ 親が優しいからといって子の背が高いとは限らない
そして、それぞれに反論すると
A” 怖い親に育てられても背の高い子はいるはずだ
B” 背の低い子の親でも優しい親はいるはずだ
何かを“そうだ”と言いたい時に、その物事が“在る”事を証明するのは簡単だ。その主張のたった一例であってもそれを相手に提示すればいいだけの事だから。
しかし、何かを物事や事実を“ない”と証明する事は非常に困難を極める。今回の場合で言うと
「なんか怖い親に育てられた人って背が低いよね」
に対して“そんな事は無い”と思った時に、因果関係は別として世界中の全ての怖い親の子が背が高い事を明らかにできればそもそもの因果関係を抜きにしても“そんな事は無い”という事を文字通り証明できるのだが、世界中を調べる事は物理的にも時間的にも不可能に近いしそもそも過去現在未来においてその事実が存在し得ない事を証明するのはそもそも文字通り不可能だ。
ではあなたがだれかと物事に対する感覚や捉え方で不一致を感じた時に、どう考えたら、無駄かもしれない不和発生の原因を取り除けるだろうか?
誰かが何かに対してある考えを持つ時に、自分も相手と同じ境遇、同じ体験、同じ経験をしていたならば同じ事を“今”思うかもしれない。
だって相手は“そう思う”という事実も自分も沢山見聞きしていたら“そう思う”だろう事は、ここまで読んだあなたなら想像つくだろう。
それにそのあらゆる相手の主張する事実は勿論、あなたにとって想像可能な事かもしれないしもしかしたら想像不可能な事かもしれない。けれど、ただ“違う”や“こいつとは違う”と思うのではなく先ほどの“悪魔の証明”により“(自分が)そうとも思える可能性”があるよな!と論理の帰結として言えるのだという事だ。
人生とは様々な物事や関わる相手に対して
なんとなく常に“判断”をしてしまう。
“いいな”とか“やだな”とかなんとなく思ったり・・・
確かに本能として“好感”を持つ対象には関わろうとして“不快感”を抱く相手とは関わろうとしないという現実はある。だがしかし、これは自分自信の経験でもあるけれど、なんかむさ苦しそうだなと思っていた奴が凄い楽しくて面白い奴だったり。なんかいつも不機嫌そうで関わりたくないなと思っていた人が実は共通の趣味がとても多い人だったりという事が多々あったりする。またその発見は良いものだとも自分は思う。
あなたは、ここまでこの日記を読み「論理の技法」を手に入れた。
ある命題に対しては「肯定」「否定」「対偶」があるという事。対偶とは超訳すると、ある意見に対して肯定できないからと言って否定した事にはならないというとても重要な考え方だ。
くどいけれどもう一度おさらいで例文をだす。
アルファベットでないならAではない
さらに拡大解釈をしてみよう!
さらにこの考え方と飛躍拡大していくと
どうせなら自分にとって都合の良いように考えた方が得のはずだ
だって水が低い方に流れるのと同じで人も楽な方に流れている
当たり前の考え方になるだろう
「相手の立場に立って考えなさい」
などと言われているのではないかと思うが
逆の考え そして更に、逆の裏(上記★の部分)を“一念”に置く事で世の中のだいたいの悩み、問題は晴れるだろう。まさしく世界の見え方が変わってくるのだ。そしてこの考え方を上手に活用すればより多くの人と協力が可能になるだろう。
なぜなら
人類は“協力”によって様々な問題を解決し、そして発展してきた。
そしてこれからも
@awaikumo
材料
・米0.5カップ
・水5カップ
鍋に入れて沸騰したら弱火。30分ぐらい炊く。
おいしいお粥の出来上がり。マヨネーズをたくさんかけて召し上がれ。
簡単でしょ。やってみろよ。
基本ポイント押さえれば誰でもお店の味に。本当に基本のみ。
1.ちゃんと皮をむけ
切り子でも塊の奴でもちゃんと皮を細かくして混ざりやすくすること。
んでもって軽くボウルで混ぜてペースト状にすること。
2.味付けはしろ
醤油でも白だしでもかまわんけど、明太子の味だけでは単調かつ量が多く必要になり財布に優しくない。
個人的には醤油、白だし、料理酒、マヨネーズを上のペーストに加える。茹でるときの塩も忘れずに。
3.バターをすぐに和える
ゆであがったらお湯を切ってすぐバターを和えろ。こうすれば風味も際立つしよく混ざる。
麺も固まらなくなるので次の日弁当とかに入れるのにも良い。
4.のりは彩りに非ず
のりは彩りじゃない。大量に入れる必要はないがなるべく細く切って全体に混ぜろ。
のりと明太子の風味はよく合う。
5.オリジナリティは出すな。
パスタ系全般にいえることだけどあんまり色々いれると大抵失敗する。
7月現在、12人のユーザーがレビューを書いているが、うち11人が最高評価の5つ星を与え、トータルの評価でも、5つ星を獲得している。キユーピーによれば、同社の米国でのマヨネーズ販売は近年、平均2~3%の伸び。同社広報室では「米国販売での販売は、アマゾン効果かどうかは分からないが、じりじり伸びており、今後もその傾向が続く」と話している。
この程度で絶賛 というのはいかがなものかと思ったので、自分の知ってる例を一つ
Who Is Fourier?: A Mathematical Adventure
http://www.amazon.com/dp/0964350408/
http://www.lexhippo.gr.jp/publication/
別増田が追加するよ!
まず、食事の回数を増やす。たまに食事抜いちゃうくらいはいいけど、1日1食はダメすぎ。
食べる習慣をちゃんと取り戻す。栄養を考えるのはそれからだと思うのね。
がっつり食べなくても、クラッカーにチーズとか、ヨーグルトにフルーツとかでもいい。
コンロは熱いうちにざっと拭き掃除。大抵の汚れは落ちる。
シンクは洗いもののときに、洗いものと同じスポンジでさっとこすって流す。
どちらにしても、毎日のちょっとした掃除で維持できる。
水滴・油滴1つたりとも逃さない勢いだと、心配しすぎだよね。
オシャレなの大好きな人だったら、ルクエのスチームケースとかレンジ可のタジン鍋おすすめ。
野菜ざくざく切って入れて、上にしゃけとかたらとかの切り身の魚を入れて、レンジでチン。
バター風味にするもよし、ポン酢で食べるもよし、塩コショウでもよし。
野菜切るのもめんどくさかったら、もやし売り場周辺に炒め物用カット野菜があるからそれを。
外食するなら、単品(どんぶりものとかパスタとか)じゃなくて定食を選ぶ。
品数の多いもの。自分で作れなかったり、作るのがめんどくさいもの。材料の数が多いもの。
どうしても油ものが多くなるのでそこだけ注意。
もうちょっと自炊に手間かけてもいいなと思ったら、夏場はラタトゥイユおすすめ。
トマト嫌いな人には向かないけれど。
なすとピーマンとズッキーニとにんじんときのこ類をささっとオリーブオイルで炒めて、
ホールトマト缶つぶして入れて煮る。味付けは塩コショウ。パンとかパスタにあう。
別に具は↑これじゃなきゃだめってわけじゃなくて、オクラとかジャガイモとかも。
作ったらタッパーウェアに入れて冷蔵庫に入れて、数日で食べきる気持ちで。
時間がなければ冷たいまま食べても大丈夫。玉子焼きに入れてもかけてもおいしい。
豚肉とか鶏肉とか入れて一緒に煮てもおいしいよ。
ブロッコリーとカリフラワーとアスパラガスとにんじんが入ってる。
そのままレンジでチンしてマヨネーズで食べるも可、ドレッシングも可。
生野菜より量が摂取できます。
冬場は鍋。
一人暮らしに鍋?と思うかもしれないが、汁物とメインディッシュを同時に満たせる最強技。
いろんな味の液体つゆが出てるので、それを何種類か買ってローテーションすれば飽きない。
具はそれほど凝らなくてよい。野菜は白菜とねぎとか、肉は固まりじゃなくて薄切りでもOK。
魚は切り身ならそのまま入れたって問題なし。どうせ自分で食べるんだ。
新タマネギは生のままに限るのだと父は言う。あの甘み、あの歯ごたえ、鼻の奥にぬけていくさわやかな風味。パーフェクトな食べ方なのだと、父は鼻の穴を大きくさせる。
だから、今日も夕食には新タマネギのサラダが出た。透明なガラスの容器いっぱいに盛り付けられたタマネギ。薄く丁寧にスライスされたお陰で、反対側が透けて見える。
そんなタマネギを、父はマヨネーズをたっぷりかけて味わう。そんなにかけたらタマネギの味が消えてしまうんじゃないだろうかと心配になるほどチューブを絞ってから、おもむろに箸を伸ばす。
大口にばくりと放り込んでしばらく咀嚼。やがてにんまりと頬を緩めると、やっぱりこれだなあ、としみじみとつぶやくのである。
「大人の味だよ」
わたしには、父の味覚がよくわからない。大人の味ってなに? どうして生のタマネギが美味しいなどと思えるのだろう。まったくもって理解ができない。
だって、ふつうタマネギは辛いものなんだもの。包丁で切るだけで涙が出てくる刺激物なんだもの。水にさらしていたからといって、そう簡単においそれと食べられるものなどとは到底思えなかった。
第一、よく炒めて飴色にしたほうが旨味がでるじゃない。カレーなんか正しくそうだし、野菜炒めにしてもぐんと甘くなって、わたしはそっちの方が大好きだった。
「どうだ、えり。お前も少し食べてみないか」
「いい。いらない」
知っている味で満足しているんだもの。わざわざ冒険してみることは、いささか魅力にかけることだった。
「そうはいってもお前、新タマネギは生で食べるのが一番美味いんだぞ。この味を知らないってのは、ちょっともったいない気がするけどな」
「それは父さんの考えでしょう。わたしは食べたくないの。それでいいじゃない」
「でもなあ。もしかしたら好きになるかもしれないじゃないか」
「試さなければ、もしかしたらもあり得ない」
「でも、試してみたらあり得るかも知れないぞ」
思わず顔をあげて父を睨んでしまった。いつにもましてしつこい。娘の機嫌を損ねているにもかかわらず、どこか飄々とした態度がいっそう癪に障った。
「ほら。食べてみなさい。絶対に美味いから。保障する」
「じゃあ、もし美味しくなかったら」
「そうだな。何でもいいから一つ言うことを聞いてやろう」
「言ったね」
「ああ。言ったとも。だから、食べてみな」
そうして、ずいと新タマネギの容器がわたしの前に押し出された。薄くて、たぶん辛い、半透明のやさい。小皿に取り分けて、一呼吸入れて、ぱくりと勢いよく口に含んでみた。
一噛み。二噛み。三噛み。
父と視線が交わった。結果を期待しているような、確信しているような、不適なにやにや顔でわたしの動向を探っている。
顎は終始問題なく動き続けていた。早まることも、遅くなることもなく、一定のリズムでしゃくしゃくとタマネギを噛み砕いて、ついには飲み込んでしまった。
「美味かったろう」
ここで、どうだった、と質問しないところが父の腹立たしいところなのである。
「不味くはなかった」
http://portal.nifty.com/2010/04/05/a/
この記事読んで、実際にパスタをレンジで茹でるやつを買ってみた。
結果、食卓に革命が起きた。
なんだったんだ、この落差は?いや、楽さ!か?
しかして、我が家(男独り暮らし)の食卓にパスタの上がる率が格段に上がった。
昼飯もこれ(会社でチン)で済まし始めた俺がいる。
会社でも十分に満足できる昼飯が食える。原価は150円を切るくらい。
パスタ(100g:40円)、水菜(2分の1株:30円)、にんじん(小1本、15円)、シーチキン缶(1缶:50円)、マヨネーズ、塩コショウ各少々
# にんじんは大量入手で偉く安く買ったので、市場相場とはかけ離れているのは確かだが・・・。
いやぁ、この革命は大きかった。
そんじゃ追加で。うちの近所にはトップバリュ扱ってるところ見当たらないんだよね。
ローソン・ローソン100・SHOP99が近所にある人には、バリューラインおすすめ。
量は未確認だけど、同じような有機野菜ミックスがある。ウインナーはメーカー品だったかな?
コンソメも売ってる。少量だから使い切るまでにそんなに時間がかからない。
これで同じことができる。
元増田も書いているが、あまり量をつくらないこと。
これから夏に向けては悪くなりやすいので。
できれば一度で食べきれる量、多くても夜と翌朝の分で。
ウインナーは冷凍してもいいので、作るときは適量をイメージすると吉。
量のイメージが湧かなければ、盛り付け予定の8割くらい(スープを考慮して)で。
ちなみに、コンソメは顆粒のほうが量の調節が効きやすくて便利。
もう少しだけ手間をかけられるなら、ウインナーの代わりにベーコンにして、
ベーコンを焼き色がつくくらいに炒めてから野菜と水とコンソメ。
それは君がどういう人だかわからんのでそれを知るために投げてる質問。
大体二択で、「なにかしたんですよ」か「なにもしてないですね」の二つ。
「あー休日寝てたんですよ(なにもしてない)」だと、相手は君が自分に興味をもっていないか、話したくないかのどっちかと考えて話しかけるのをやめる。
「なにかしてた」だと、相手はそっから話題を広げて君という人を知り、どういう話をしたらいいか判断できる。
こういう時は
「休日寝てたんですよ疲れちゃって。なんか疲れ取るいい方法しりません?」
とか、相手に質問投げ返せばいい。
話したがりやだったらがんがん話しかけてくるし、そうでなかったら適当に話を切り上げてくれる。
相手とコミュとりたかったら相手の服装や話の内容に出てくる話題を出して質問すればいい。「最近あなたのつけてる服かわいいって誰かがいってましたけど、何処で買ったんですか?」とか。
まあ、一番無難なのは食べ物の話題だな。目玉焼きにマヨネーズかけて失敗しちゃったけど何かけてますか?って話やら、インスタント焼きそば流しに流しちゃったとかいうありがちな話で10分くらいは持つだろう。
そういうくだらないけど笑える系の話のストックを10個くらいもってると、名前忘れてる相手とすらてきとーに持たせることができる。ストックはまとめサイトとか笑える体験談とかその辺で探して「こういうのみたんですけどね」といえばいい。