はてなキーワード: ウズベキスタンとは
サッカー好きな人なら一度は目にしたことがあるであろうこちらのブログ。先日の「セレッソ大阪研究。今シーズのセレッソ大阪の変化について」という記事もまたキャプチャを利用してそれっぽく仕上げられているせいか、そこそこブクマを集めている。
この人の記事、本当適当だよ。ただ長文でキャプチャをぶち込んでそれっぽく書いているだけの記事。でもこういう文量が多いのはブクマされやすいからなあ。。。。。でも、ちゃんと読んでるんですかね?ブクマした人々は。
前のウズベク戦の記事も相当突っ込まれていたけれども。
たとえば前出の記事に関しては、レッズはセットプレーの練習はしてますよ結構。
それにキャプチャに関してだって、サッカーのすべてのシーンに対してこうやって止めてここにスペースがあるだろ?みたいなことは誰でもできるし、内容が薄すぎる。そもそも、この人はかなり思い込みが激しいと思うんだよな。取材もなしに○○○はカウンターサッカーを目指しているわけです、とかサイド攻撃を狙ってやっているわけです、とか平気で書いちゃうもんね。それどこ情報?どこ情報よーみたいな。
書ききれないけど、言いたいことは長文でそれっぽいキャプチャ挟み込んだ記事をみて「おお!すげえ!」とか思ってブクマしてんじゃねえよって話。ちゃんと中身読もうぜ。
俺の勘違いは始まった。
おれ、イケんじゃね?
Numberに載ったことが影響してか、
必死になって書いた。
手にした大金を見て思った。
おれ、サッカーで飯食っていけんじゃね?
憧れのサカマガに行けると思っていた。
無理だった。配属されたのは営業部で、
取締役の人にやめたいと言った。
このまま営業をしていてもダメだ、
取締役の人は、うちでやってみろよ、
と言ってくれて、編集部に異動させてくれた。
ある程度のスキルも身についたと思い、
転職活動を始めた。
相変わらずちょくちょく更新していた。
運良く内定をもらえた。
配属されたのは、別の部署だった。
また回り道。
それから二年経った。
ひょんなことから、
勝てば休日出勤。面倒だなあと。
だが、勝った。勝ちやがった。
朝からずっと張り付いて、
ようやく昼過ぎに落ち着いたとき思った。
しちゃってるんじゃねえの?!
急に目頭が熱くなってきて、
涙がこぼれ落ちた。
ガランとした社内で、
ジュるジュると鼻水をすすりながら、
一人むせび泣いた。
2005年9月3日に行われた2006 FIFAワールドカップ・アジア地区予選 5位決定戦のウズベキスタン代表-バーレーン代表戦での誤審(本来、PKの蹴り直しとなるところをルール適用のミスで相手の間接FKとした)により、FIFAとAFCから国際審判資格の無期限資格停止処分を受けた。当該試合は後日、再試合となった。 なお、当該試合はFIFAが再試合を実行した、唯一の試合となっている。
「プレーに関する事実についての主審の決定は最終である」とするサッカーの競技規則を覆して再試合が行われたことについて、2006年1月17日の朝日新聞のコラム内で、「今後判定を覆すことを認めるルールができるなら、『トシズ・ルール』と名付けてもらい、歴史に名を残したいぐらいに考えていた。」と語っている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%AF%BF%E5%85%89
ちょっと調べてみて、こういう事例を見つけたんだけど
それでも高体連には権限がないの?
ていうか結局主審はそんなに絶対じゃなかった…
たとえ話みたいなことしたら再試合だわ
樽と輿:銚子で嫁入りの際に使用されていた大きな醤油樽のこと。大きいほど豪華とされる。
山口県の山間部に伝わる数え歌の6番。
怒ったおとうも
泣いた赤子も
ボケたおじいも
朝でも昼でもタルトコシ
樽で7年寝かせたコシの強いうどん。第二の讃岐を目指す岐阜県で開発。
あけちこごろうの辞世の句:たるとこし 隣は何をする人ぞ。
タルトコシ:ウズベキスタンに隣接している共和国。旧ロシア連邦。
樽床市:北海道東部に位置する。
タルト漉し:キッシュやミルフィーユを作る際に必要な工程。きめ細やかな生地を作るときに必要。
タルトコシ:モンゴル王朝第7代皇帝。その残虐な刑罰から皮剥ぎタルトコシとして恐れられた。
たるとこし 裾に取り付き泣く子らを 匂うがごとし 花の散るらん。
『中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
◎
「中国の近未来をいま一度考えてみると、これまでの固定概念的な地方軍閥、地域対立、王朝の腐敗、衰退という文脈から分裂に至るというシナリオは遠のき、むしろ現代中国に拡がった新しい空間、すなわちネットにおける反政府言論というゲリラ戦争、イスラムの思想的連帯という見えない武装戦争、利権争いの集大成としての個別経済ブロック化、他方ではグローバル化に波に乗った資産の海外逃亡などが次の舞台の開幕を告げるであろう」(あとがきより)。
「つねに未来がリスクに満ちていると仮定すれば、わたし達は日常的に危機に対応するシナリオを幾通りも用意しておく必要があるだろう。賢者は最悪に備えるという箴言もあるように、中国が分裂しないという保障は何処にも存在しないのである」。
「米国も英国も分裂気味なうえ、カナダも恒にフランス語圏の分離独立運動を抱えている。イラクにはクルド族独立運動、グルジアにはオセチア、アブハジアという「国内国」との紛争、スペインにもバスク独立運動。。。。。。。。。」
「フランスの人口学者、エマニエル・トッドは1976年にソ連の崩壊を予測した。当時、だれも彼の予測に耳を傾けなかった。あり得ないと踏んで、その仮説を嗤った。
ソ連を構成していた十五の共和国のうち、バルト三国(ラトビア、エストニア、リトアニア)はすぐに西側に飛び込み、カフカスのグルジア、モルドバ、アゼルバイジャンはモスクワ離れが激しく、そして”スラブ三兄弟”といわれたウクライナ、ベラルースもモスクワと袂をわかった。この趨勢をみていたイスラム圏中央アジア五ヶ国も便乗して独立した。カザフスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンだ」。
「そもそもチベット、新彊ウィグル自治区、内蒙古自治区、旧満州はそれぞれが独自の歴史をもつ漢族とは異なる国家だ」。
「チトー大統領の強引な手腕で「国家」を形成したユーゴスラビア連邦は重圧な桎梏が消えると血なまぐさい殺戮を開始し、北からスロベニア、クロアチアがさっさとセルビアに反旗を翻し、ボスニア&ヘルツェゴビナとの紛争に手間取る間にモンテネグロとマケドニアも独立、セルビアが孤立した。加えてコソボが事実上の独立宣言をしており、ユーゴは六つの分裂から事実上は七つの分裂国家になる。
この伝でいけば中国が七つ前後に分裂するという議論はまったくおかしくない(本書の仮説は七分裂だか、必ずしも分裂後の中国が七つになるとこだわっているわけではない。五つかも知れないし、或いは十数に大分裂を引き起こすかも知れない)」。
本日発売
『中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)
http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%88%86%E8%A3%82-%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4484092344/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1253137807&sr=1-1
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英紙フィナンシャルタイムズ(9月9日)速報に拠れば、中国はオフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。
香港のオフショア市場を利用して総額60億元を世界の投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。
これは中国の通貨戦略の具体的発動で、自国通貨のハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。
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ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)
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(承前)
ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリーでルースキー島へ上陸して驚いた。
道路はぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製のランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。
普請の騒音が高い。
現場は日本製のクレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。
建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。
建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブのマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅で大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホールも外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。
ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーでウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。
▲ビルが林立して壮観だった
さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。
瀟洒なレストランで豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。
展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍の満州侵略に触れていないのはロシアの歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。
翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。
ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。
港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。
ナホトカで一番大きなホテルは中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテルは中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。
▲チャイナタウンは火が消えていた
中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。
「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮、キルギス、ウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。
われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。
ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ、所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店は絵本と小説くらいしかない。村上春樹の翻訳? ナホトカでは見かけなかった。
2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。
慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地の標識は落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。
ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。
ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。
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通巻第2703号
宮崎正弘『トンデモ中国、真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)
ウィグル自治区で殆どのモスク(イスラム寺院)は静謐そのもの、宗教活動は地下へ潜ったと見られる。
新彊ウィグル自治区は地理的にみると中国の西北に位置し、その面積は百六十四万六千八百キロメートル。じつに中国総面積の六分の一を占める。日本の総面積の四倍以上だ。
大半が砂漠である。だから中国は平気で核実験場としてきた。そのうえ新彊ウィグル自治区とカザフスタン、キルギス、アフガニスタン、パキスタンなどとの国境線だけでも五千七百キロに達する。
国境警備にも力点をおくわけだから長大な防衛戦において兵站の確保は並大抵ではなく、どこからでも駱駝は進入できる。ビンラディン一派に通じるイスラム原理主義過激派のゲリラが武器を中国国内に運びこむのもさぞ容易なことだろう。
極めて厳しい自然環境、乾燥した気候である。とても住み良い、暮らしやすいという環境ではない。砂漠では水の確保も簡単ではない。広大であっても貧しいこの地域におよそ千六百六十万人が住んでいる。そのうちウィグル族が約九百五十万人、言うまでもなく大半はイスラム教徒で、古くからマホメットを信仰している。
中世から近世にかけて現在の中国北西部を収めていた元は原住民のイスラムの信仰には介入しなかった。近代になっていまのカザフスタンから新彊ウィグルにかけて「東トルキスタン」が建国されると、復古を主張する地下運動が盛んになり、血の弾圧に屈しないばかりか、ますます闘志をかき立てて原住民は漢族に立ち向かうようになった。
新彊ウィグル自治区の党書記・王楽泉(山東人)はすでに十年以上(駐 執筆時点。いま現在は17年)に亘って、この地域の党書記として君臨している。
あたかも欽差大臣のごとく居丈高に振る舞っているが、九八年九月二日の記者会見で!)宗教の管理をさらに強める!)共産党員はイスラム寺院に行ってはならない!)女性が顔を隠すのを禁止する!)ウィグル青年が長期不在となれば「過激分子」とみなし「宗教の自由」を剥奪する、などと時代錯誤の対策を語った。
ウルムチへ入った。ウルムチ市内には西安やチチハルの清真寺のように迷路の奥の路地裏の、さらに裏にこじんまりと立つ小規模なモスクもあれば、福建省泉州のように街の真ん中に公園化した瀟洒なモスク(漢字で「清真寺」を一般的に充てるが、泉州だけは「清浄寺」という)もある。道路沿いに多くの信者が住んでいるが、各地で表向きの信仰生活がみられない。公安の警戒を懼れ、モスクに信者がちかつかないのだ。
冷戦終了直後に旧ソ連領のカザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタンを歩いた経験があるが、随所で早朝から大きなスピーカーで「アッラー、アクバール」とコーランが流れているのを聴いた。
ホテルでこの聖なる音に目覚め、やおら窓を開けると、♪アラーは偉大なり♪
イスラム圏のまっただ中にいるという旅情がわき上がってきた。バグダットでもイスタンブールでも、エルサレムのアラブ街でもサマルカンドやタシュケントでも同じ情景があり、必ずそこに宗教音楽が付帯した。
しかし中国は違っていた。宗教音楽はおろか公然とした祈りさえないではないか。
一方でアルカィーダ秘密基地に「東トルキスタン独立」を掲げたイスラム原理主義過激派が訓練を受けていた。
寧夏回族自治省のみならず新彊ウィグル自治区のトルコ系住民のなかにイスラム原理主義が拡大している事態の到来は、五輪をひかえた北京中央にとっては鮮明なる脅威という認識である。
北京は「9・11事件」の事後処理に便乗し、ウィグル独立運動を「テロリスト」とそそくさと規定した。そのうえで米国に圧力をかけ、容赦ない弾圧を新彊ウィグル自治区で強化した。911テロ以降も一万人もの「テロリスト容疑者」を拘束、一部を拷問にかけた。
イスラムの動きに鈍感で敵対心を潜在意識に潜ませる欧米諸国は、ウィグルに関してはチベットに寄せる同情心と較べるとやや薄い。まして米国は02年八月にアーミテージ国務副長官を訪中させた際に「ウィグル独立運動」を中国が要求するまま「テロリスト」に認定し直した。イラク包囲網を実行し国連で武力容認決議を急ぐあまり米国は拙速にも北京と妥協したのだ。
(中略)
村全体がウィグル人だったりする農村では、当たり前のようにモスクに集う人々の姿がある。また西安のような大都会でも、中心部のイスラム寺院「清真寺」には人々の礼拝が絶えない。モスク近くでコーランのテープやCDを買おうと尋ねてみるが、一枚もない。一軒だけコーランの経文を売る店がトルファンにあったが。。。
あまりの弾圧ぶりに、宗教活動は地下に潜ったのだ。年齢によって差はあるが、人々の服装を見ても若者の一部はイスラム帽もかぶらず、ピアス、茶髪、ショート・パンツが珍しくない。ウルムチにさえディスコやカラオケがあって暴走族がいる。カザフ・カラーという独特の模様の民族衣装はかろうじて残るが、TVと新聞を北京に握られている以上、イスラムの主張は宥和的、微温的にならざるを得ないようだ。
ウィグル族の首都であるにもかかわらず、ウルムチには圧倒的に漢族が多い。動物園にはパンダ、市民の公園、遊園地も漢族の家族連れが目立った。いまやウルムチは「ウィグルのチャイナタウン」ではないか。
街の看板は漢字とアラビア文字が併記されている。ところが目立つのはカラオケ、瀟洒なビジネスビル。大通りに溢れるのはトヨタ、日産、ホンダの車である。
服装もあか抜けしたデザインが主流で、ウィグルカラーの民族衣装を着た人は少数派になりつつある。自転車が道に溢れ、商店の物売りたちの活気ある呼び声。バザールの喧騒。中国全土のどの都会にも見られる風景で、設計思想は似通っている。
最近のおびただしい漢族の入植は、この地にも工業化をもたらし、経済的な発展を遂げた。生活が少しでも豊かになれば物質的な欲望が果てもなく拡大するのは致し方のないものであろう。
都会のウィグル人の若者は懸命に北京語を学んでいる。言葉ができないと官として出世は望めず、給料も上がらないからだ。
中国沿岸部の人たちは競って英語か日本語を習得し、外資系企業に勤め、うまくすれば外国人の伴侶を見つけて外国籍をとりたいと考えているようにムスリムのあいだにも漢族と同化し暮らしを豊かにしたいと考える若い世代が増えている。むろん村の古老たちはこうした現象を苦々しく見ている。
~~~~~~~~~(中略)~~~~~~~~~~~~
「交河古城」は岩の大地を上から発掘して造った、世界でも珍しい彫刻都市である。
南北一キロ、東西が三百五十メートルの大地の真ん中を道路が貫いている。寺院、仏塔、住居跡が掘り起こされていて壮観であるが、どんな理由があってこんな苦労をして大地の中に都市を閉じこめようとしたのか。異民族の進入を防ぐための秘密都市だったのだろうか。
交河古城はそうした思惑の通りには行かず、漢族に滅ぼされ、城は徹底的に破壊され、新たに建てられた高昌城にとってかわられた。その高昌城とて後年には唐の大軍隊が侵略してきて滅ぼされた。数千年の間、仏教とイスラムの苛烈な戦いが繰り返された新彊ウィグル各地の仏教遺跡には、一つとして満足な仏画、仏像がない。偶像崇拝を禁ずるイスラム教徒の手によってことごとく破壊されたからである。
嘗てタリバン支配下のアフガニスタンではヘラートに近いバーミャンの石仏をイスラム原理主義過激派らはミサイルで破壊した。「世界遺産」であれ、なんであれ狂信的教徒は他宗派を認めない。それは共産主義も同様である。
南に天山山脈を挟むクチャ、カシュガルともなるとイスラム教は俄然、強い色彩を帯びる。カシュガルのエティカル・モスクは中国のイスラム教徒のメッカだ。ここに巡礼を果たしたイスラム教徒は仲間の尊崇を集めるという。
現代の宗教の一つである共産主義は他の宗教指導者を逮捕し、拷問にかけ、北京に刃向かうと見れば次々と処刑した。モスクを物置にされたイスラム教徒の怨念はなまなかなものではなかろう。
血の弾圧を受けた新彊ウィグルの民は、チベットと同様にイスラム教への信仰をひたすら内面に押し込めた。その分、人々は心の中に蓄積された漢民族に対するルサンチマンを歪んだ形で膨らませだ。歴史的に蓄積されたこの反漢感情のエネルギーに火がつけば予想外の炎となって燃え広がるのは明らかである。
イスラムの歴史と文化は漢民族に蹂躙され、独自の文明は形骸化した。イスラム教は地下に息を潜めている。したがってもしイランのホメイニ師のごとく強靱な精神的指導者が現れたなら、かつてシャーを打倒したイラン革命のように漢族に対する一斉蜂起が起こるだろう。
(拙著『トンデモ中国 真実は路地裏にあり』(阪急コミュニケーションズ)からウィグル箇所をダイジェストしました。同書は全33省を寄稿した、おそらく日本で唯一の本です。アマゾン ↓)
俺の勘違いは始まった。
おれ、イケんじゃね?
Numberに載ったことが影響してか、
翌シーズンのリーガについて、というもので、
必死になって書いた。
手にした大金を見て思った。
おれ、サッカーで飯食っていけんじゃね?
無理だった。新卒で入社したのは、
憧れのサカマガに行けると思っていた。
無理だった。配属されたのは営業部で、
それから四年もの間、全国を飛び回る営業マンをやった。
退社を決意して、部長をすっ飛ばして、
取締役の人にやめたいと言った。
このまま営業をしていてもダメだ、
だからバイトでもいい、まずは
取締役の人は、うちでやってみろよ、
と言ってくれて、編集部に異動させてくれた。
ある程度のスキルも身についたと思い、
転職活動を始めた。
相変わらずちょくちょく更新していた。
運良く内定をもらえた。
配属されたのは、別の部署だった。
また回り道。
それから二年経った。
仕事ってのはわからないもんで、
ひょんなことから、
勝てば休日出勤。面倒だなあと。
だが、勝った。勝ちやがった。
試合が終わってから軽く仕事をして、
ちょっと寝て会社に向かった。
朝からずっと張り付いて、
ようやく昼過ぎに落ち着いたとき思った。
しちゃってるんじゃねえの?!
急に目頭が熱くなってきて、
涙がこぼれ落ちた。
ガランとした社内で、
ジュるジュると鼻水をすすりながら、
一人むせび泣いた。
ちょうど11年前の今日その日だった。
イランのガスはパキスタンから中国へルートが確定、米国勢は敗退
そもそもの新グレートゲームの始まりはクリントン政権のときである。
中東から南アジアにかけての資源争奪戦争は冷戦後新しい局面を迎えていた。
「ユノカル」は米国石油メジャーの後発企業で、カリフォルニアが地盤、ただし海外に鉱区の開発権を多く抱える。米国内での政治的コネクションが薄く、主流のメジャーは共和党系が多いため、ユノカルは民主党を頼った。
出発からボタンの掛け違いだったかも知れない。
クリントン大統領はホワイトハウスに実習生モニカ・ルインスキーを招き入れ、情事にふけっていた。
後日、大統領弾劾裁判において、「あれは挿入していないからセックスではない」ととてつもない言い逃れの詭弁でクリントンは危機を切り抜けた。
そんなおりに遠路はるばるとアフガニスタンから珍客があった。タリバン幹部である。
要件はなにか。
トルクメニスタンのガスを、アフガニスタン経由でパキスタンの港へ運ぶ。総延長1560キロのパイプラインを敷設する。これをユノカルが主導する。
米国を引きつけた魅力の第一は、このルートは「悪魔」のイランを通過しないこと。
ソ連崩壊後、世界帝国の輝きを取り戻したかの錯覚のなかに米国は酔った。
クリントン政権はこのプロジェクトに前向きで、カリフォルニアのメジャー「ユノカル」はトルクメニスタンとアフガニスタンを根回しし、それからパキスタンから分岐してインドへも輸出ルートを追加でつなげようとインドを訪問した。
インドも工業化を急ぎ、ガスは必需品、プロジェクトに乗ってきた。
これをトルクメニスタン→アフガニスタン→パキスタン→インドの頭文字をとって「TAPI」という。
直後、タリバン系アルカィーダがタンザニアなどの米国大使館を襲撃し数百の犠牲がでた。
クリントンは激怒し、ただちに報復としてインド洋上の米艦からトマホーク・ミサイルを五十発、アフガニスタンのアルカィーダ軍事基地にお見舞いした。
当時、カブールでタリバン政権に協力して電話工事をしていたのは、中国の企業だった。不発弾のトマホークを中国はタリバン政府から買った。
もちろん1560キロのパイプライン・プロジェクト[TAPI]はご破算になった。
01年9月11日、NY貿易センタービルとワシントンDCのペンタゴンが、テロリストの奇襲を受けた。ブッシュ大統領はただちにアフガニスタンへの空爆準備に入り、まずはロシアを口説いた。
旧ソ連衛星圏のカザフ、ウズベク、キルギス、タジク上空を通過して爆撃機は飛んだ。
米本土からは長距離爆撃機がウクライナ上空をかすめ、NATOはトルコの基地から旧ソ連イスラム諸国家の上空を飛んだ。
そればかりか世俗イスラム国家となったウズベキスタンとキルギスンは空軍基地を米軍に貸与し、タジキスタンには訓練基地、パキスタンも四つの空軍基地を貸した。
グレートゲームの変質を知覚していなかった。表面的に米軍の装備が優れていたため、地上戦、ゲリラ戦の抵抗をかるく想定してしまった。
仇敵ロシアとその配下だった国々がテロ撲滅戦争に協力するという目的で米軍とNATOの活動を支援したことも見通しを曇らせた。
そしてアフガニスタンに米傀儡のカルザイ政権が発足し、カブールにしか統治が及ばない新生アフガニスタンが誕生した。
ユノカルは、「あの話」(TAPI)を復活した。カルザイ政権発足直後にトルクメニスタンとアフガニスタン、パキスタンの三カ国は、例のパイプライン敷設プロジェクトで正式に合意した。
これを不快に見ていたのは第一にイラン、第二にロシア、そして第三が中国である。
密かな反撃が準備された。
イランは中国と密かに武器輸入などを交換条件として、ガス鉱区を与え、さらには25年の長期契約でガス輸出を許可していた。イランが中国からえるものは武器と核技術である。
中国は上海シックスの主導権をもつが加盟六ケ国(中ロ、カザフ、キルギス、ウズベク、タジク)にオブザーバーとして、イラン、インド、パキスタン、モンゴルを加え、あたかもNATOに対抗するかのような、東側の軍事盟主の立場を確保し始めた。
解体されたワルシャワ機構に変わるものとしてロシアは「全欧安保」を言いつのり、CIS間では個別あるいは集団的安全保障条約を結んだが、バルト三国とグルジアと、そしてトルクメニスタンが加わらなかった。
プーチンはがむしゃらにロシア帝国の栄光の復活を夢見て、バルト三国とウクライナへのガス供給をとめ、グルジアには戦争を仕掛けた。
同時に欧州がロシアルート一本のガス供給ルートを多角化するためにナブッコ、ジェイハン・ルートの建設を始めるや、同時に対抗して北方ルート、黒海ルートを提示して欧州を揺さぶっていた。
とくにオーストラリア、ブルガリア、ドイツにはそれぞれが薔薇色のシナリオを提示し、欧州の団結をそぎ、利益誘導型で西側の分断パイプライン建設を妨害する。
トルクメニスタンは砂漠の国だがイランやクエートの匹敵するほどの天然ガス埋蔵があり、いまのところ地政学的にロシアへ流通を依存せざるを得ない。
だからこそニヤゾフ前大統領はガス輸出の多角化に乗り気でアフガニスタンルートの開発が急がれた。これを“脱ロシア”化と捉えるモスクワは不愉快である。
直後、トルクメニスタンの中立路線は変更となり、新政権はややロシア寄りに外交姿勢を修復した。
そして延々と中国へ輸出される総延長7000キロものガス・パイプライン敷設工事が始まり、TAPI・ルートへの比重は軽くなった。
いや、というよりも投げやりになった。
(所詮、アフガニスタン戦争は片付かない。パキスタンは所詮、米国にはつかない)。
トルクメニスタンは変心した。
イランはこの機会を待ち望んでいた。
もともと内陸部のトルクメニスタンとアフガニスタンを経由して、パキスタンの港を目指すというユノカル案は、「イラン回避」ルートである。
だとすればイランはガス油田から運搬ルートを南下させ、南の港へパイプラインを敷設していた。全長900キロのうち、残すところはあと250キロ。
地図を凝視していただきたい。この地点からパキスタンのグァイダール港は「となり」なのである。
すでにパキスタンのムシャラフ前政権のときから、治安の悪いバルチスタン地域に中郷は労働者を運び込んで道路を建設し、資材を運び、グァイダール港を近代的港湾設備を持ったものに改築してきた。
つまりイランからパキスタンの隣町へ運ばれるガスを、この地で精製し、パイプラインでパキスタンの西安から北東へ貫き、しかもインドへは分岐せず、この点でイラン、中国、パキスタンの利害は完全に一致した。
パキスタンは白昼堂々の裏切りを演じた(ここで「裏切り」と穏当でない語彙を用いるのは米国の契約概念からみれば、そういうニュアンスだから)。
中国が最終ユーザーとなり、中国、パキスタンがともに天敵であるインドへは分岐しない。
パキスタン西端に位置するグァイダール港は、すでに中国の資本と技術をもって港湾のかたちをなしており、大々的改築(新築に近い)が進み、アラビア海に面する深海は将来、中国海軍の原潜基地になりうる。
げんに中国の六隻の軍艦はアラビア海、ソマリア沖の海賊退治に参加している。
パキスタンから中国への高速道路も着々と工事がすすみ、嘗てのカラコルム・ハイウエィは完成しているため、ガスの運輸ルートはこれに添ってパイプラインを敷設すれば良いのだ。
中国がこのルートに執着するのはマラッカ海峡への依存度を低減させるためで、ほかにもアンダマン沖合のガス田から(開発成功後は)ミャンマーを南北に貫くパイプラインを建設して、マラッカ海峡への依存度をさらに激減させる計画がある。
中国にとっては、ユノカル買収を土壇場で拒否された米国への心理的復讐劇にもなる。
パキスタンはこのパイプラインの通貨料収入を年間五億ドルと想定、つまりこれをAPAI計画では、アフガニスタンがもともと受け取る予定だったのだが。
イランとパキスタンとの正式調印はイランの大統領選挙の直後に盛大にテヘランで開催される(アジアタイムズ、5月27日、6月3日付け)
敗者はインドとアフガニスタンと米国、勝者はイランとパキスタンと中国。
ほくそ笑んだのはロシア、臍を噛んだのはトルクメニスタン、そして日本はいつものように、こうしたグレートゲームの変質さえ知らず、ユウセイの人事とか、セシュウ制とか、およそ世界の現実とは無縁の矮小な論議にエネルギーを費やしている。
政情不安。
ビシュケクは緑豊かな学園都市でもあり、大学が十七校ほどある。教育に力を入れてきたので、カザフスタンやウズベキスタンからも多くが留学にくる。
ところが肝腎のキルギス国内に産業がないので、優秀な学生の多くは卒業後、資源リッチのカザフスタンやモスクワへ就労していく。
さらにキルギスはイシククル湖を挟んで南北で対立があり、南のオシュでは何回も暴動が起きた。
現在のバキーエフ大統領は南部出身。北部のインテリからは嫌われている。
政敵サデルクロフの突然の「交通事故」は政治的暗殺だとして、野党連合が団結し、3月27日に大デモンストラーションが行われる。
バキーエフ大統領の周辺は秘密警察長官的な、大統領の兄弟ザンイシが弾圧、暗殺司令の張本人ではないかと言われ、大統領の息子マキスム・バキーエフとは仲違いしているという情報もある(ISNニュース、3月17日付け)。
ウズベキスタンもキルギスもふたたびモスクワの家来の道を選んだが。。。
2009年二月現在、ガスの国際価格は1000立方メートルにつき400ドル強。
ウクライナに圧力をかけたロシアは十八日間にわたってパイプラインを止めガス供与を中断したが、1月18日に360ドルで合意した。
ガスは生産価格が謎なので、流通の情報の一部から推定すると、おそらく1000立方メートルにつき300ドルだろう。
1月23日、メドべージェフ大統領はタシュケントに飛んで、カリモフ・ウズベキスタン大統領と会談している。
この結果、ウズベキスタンのガスは全部がロシアに輸出されている。「全部」である。
地政学的に海への出口もなく、カザフスタンと露西亜に挟まれた格好のウズベキスタンとしては他に手がない。とはいえ全てをロシア任せ、つまりロシアの完全な価格統制下にはいったという事態を意味するのだ。
08年の購買価格は160ドル、09年の価格は305ドルで合意、ウズベキスタンの価格はトルクメニスタンのガスを独占しているロシアの思惑よりちょっと高い程度と専門家は見る。
三年前の06年1月1日にもロシアは突如、ウクライナへのガス供給を中断し、値上げ交渉の武器とした。
09年1月にもおなじ暴挙を演じ、18日間、ロシアはガス供給を止めてウクライナを締め上げたことは述べたが、ウクライナから先へ伸びるパイプラインが供給するEU諸国分が激減し、EU諸国が悲鳴をあげた。「プーチンはガス供給の中断を政治的な武器として脅した」と。
▲プーチンの人気に大きな影
欧米の経済危機が深化する中で、ロシアの思惑だったガス価格値上げはうまく機能せず、どちらかといえば中途半端に、今回の恐喝騒ぎは中断した。
「まったく商売の下手な実りなき闘争」という批判がロシア国内にも沸き起こる。
ロシア経済は好況から暗転、目も当てられない惨状となっている。
第一に「ペトロ・エコノミー」と別名されるロシア経済で、GDPの大部分をしめる石油とガスの収入が激減したため財政赤字がGDPの5%に達した。
第二に09年に支払いを迎える対外債務合計は1600億ドル。外貨準備は4000億ドルと言っても08年には、このうちの1300億ドルが海外へ流失し、さらに09年1月第二週だけでも外貨準備から303億ドルが減っている。
第三に経済見通しの暗さ。
09年のロシアGDP成長率は2・4%に落ちるだろう。反面、消費者物価は13%値上がり予測だ。
為替レートは一ドル=24ルーブルが、36に落下。50%もの通貨下落となれば輸入物資の価格が暴騰するだろう。
そこへもってきて中国と露西亜の間を結ぶ石油パイプラインの建設が世界大不況と原油価格暴落の影響をもろにうけて暗礁に乗り上げたようだ。
東シベリアの資源を延々とパイプラインを敷設して、最初は分岐ポイントから中国の大慶を運ぶという計画。その次にパイプラインをさらに延々と敷設しナホトカまで運んで日本向けとするという世紀のプロジェクトが挫折する危機を迎えたのだ。
▲当初見積もりの十倍以上
ESPO(東シベリア・太平洋・石油パイプライン)プロジェクトだが、当初の見積もりより十二倍のコストがかかるらしい。事業主体「トランスネフツ」社のニコライ・トカレフ会長によれば総予算122億ドル(当初見積もりは10億ドルだった)。
第一期工事のスコボロディロから中国の大慶区間は3億ドル。タラカン↑タイシット間1100キロの工事は、すでに83%が完成した。
しかし83%完成という数字はパイプライン敷設だけ、ポンプ拠点は65%しか完成しておらず、難工事区間に至っては27%しか工事が終わっていない。
この区間が完成すれば年間3000万トンが中国向けに輸出される手はずだった。
第二期工事区間はタイシット~フコボロディロで2009年末の完成を目指す。これが出来ると年間8000万トン。
ところが専門筋の見通しによれば2020年までにせいぜい年間5000万トン、その裡の2500万トンがESPOに供給され、残りはロシア側へ運ばれるという。
あまつさえ東シベリアに眠るとされる無尽蔵の資源は、当初予測を大幅に下回り、このプロジェクトはコストに見合わないと露骨に反対するロシア側の学者も出てきた(欧米メジャーが逃げたのは、これが理由だった)。
さらにややこしいのは中国側の事業主体「ペトロチャイナ」社とロシア側事業主体「トランスネフツ」との最終的詰めが成立せず、最終価格、信用枠とくに利子の支払い、中国側の建設主契約を誰にするかなどの問題で、依然として話し合いはもつれ、紛糾を続けている。雲行きはじつに怪しくなっているのだ。
アフガニスタンへの最大兵站拠点を失う。
米国退役統幕幹部のリチャード・マイヤーズはAFP(2月20日付け)のインタビューで、キルギスのマナス空港を米軍が使用しているのは主として燃料補給であり、代替はいくらも可能という「強がり」の見解を示した。
米軍はマナス基地を撤収することになる18ヶ月後にそなえ、ひそかにカザフスタンとタジキスタンに基地使用交渉をしてきた(ユーラシア・ディリー・モニター、2月23日)。
またウズベキスタンとも基地使用再開の交渉を秘密に開始したという噂も飛び交った。
理由はトルコがNATOの一員でもあって米軍との共同作戦が多いうえ、トルコは地政学的にもカフカス、中東、そして中央アジアに近く、恒久的な戦略ポイントであるからだ。
オバマ政権によるアフガニスタンへの増派が決定した以上、2010年8月までに代替基地を建設するか、外国の既存の基地借用を決める必要がある。
それも早急に代替基地を見つけなければならない。
一方、受け入れに熱心に見えるトルコだが、この世俗イスラム国家の国内にはイスラム原理主義が猖獗を極めており、アルカィーダがトルコ国内に多数が潜伏、とくにユダヤ人を標的にテロを再開する動きがある。
08年12月にもトルコ警察はアルカィーダのメンバーと見られる二十数人を拘束している。
テロリストの攻撃目標は国際都市イスランブールのほか、NATO海軍基地があるイズミール、加えて首都のアンカラだ。ユダヤ人観光客を狙うという情報もある。
こうしたテロ情報により、これまでテルアビブとトルコを結んでいた航空機もフライト中断に追い込まれた。
ユダヤ人観光客への攻撃を恐れたこともあるが、トルコの飛行機は、イスラエルの警備員を登場させないため、安全保障上問題があり、同時にイスラエルの「サンドル航空」も、トルコ乗り入れ便を休便とした。
ビシュケクの国際空港マナスに米軍は2000人規模で駐留しているが、そこから30キロだけ離れた場所がロシア軍の駐留するカント空軍基地だ。
イシククル湖はソ連時代、秘密のベールに包まれた保養地だった。このイシククル湖を囲むようにキルギスという国家は地形的になりたつが、湖にロシア軍の海軍施設が残っている。
沿岸警備というより湖沼警備隊で、主たる任務は武器密輸の取り締まりである。
ロシアにはCSTO(緊急展開部隊)があり、キルギスのカント基地に駐留している700名は、このCSTO所属。
第一にビシュケクとカザフスタンを繋ぐ鉄道計画の着手と見られる初期工事を始めた。モスクワから鉄道工作兵30名がキルギス入りしたのが2月20日に確認されている。
第二にキルギス南部オシにある飛行場も軍事利用する可能性を探っている。これは近未来にタジキスタンのアンイ空港を本格化させて、カントーオシーアンイを結ぶ空のルートを確定する動きと見られる。
第三にロシアのカント基地にはミグ21が、48機配備されているほか、スホイ25,スホイ27,アントノフ輸送機(AN26)、武装ヘリにくわえて、L39訓練機などが駐機している。
オバマ政権のアフガニスタン増派に対して、米軍の有力な兵站基地がキルギスのマナス空港。背後から政治的に圧力をかけてバキエフ政権を動かし、米軍を撤退させる一方で、ロシア軍は着実に増加させる。
これがロシアの対応である。
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アフガニスタン攻略の当初、米国が引っ張り出してきたのがカルザイだった。
国連大使、アフガニスタン外務次官の顔を持つカルザイは、民族衣装をまとい、米国の代理人のごとく、或いは自由民主の使者、大げさに言えば“希望の星”として世界政治に登場した。
カルザイをこの日のために育ててきたのはCIA筋と言って良いかもしれない。
米国に事実上の亡命時代、カルザイはカリフォルニアのメジャー「ユノカル」の顧問として食いつなぎ、しかもユノカルは当時、トルクメニスタンのガスをアフガニスタンを経由してパキスタンの港までパイプラインを敷設するプロジェクトを進めていた。
カルザイ政権が誕生するや、このプロジェクトはすぐに成立、参加国の署名式をすませた。
そして、この1580キロのガス運搬ルートに着目し、ユノカルへの買収をかけたのが中国CNOOC(中国海洋石油)だった。
ブッシュ政権はCNOOCによるユノカル買収を回避させるため、コノコと合併させた。
しかし、ブッシュ大統領が簡単に制圧できると考えたアフガニスタンは泥沼だった。
嘗て英軍はアフガン征伐に向い、殲滅され、ロシアはアフガンで失敗した。アフガニスタンは強悍な部族が伝統的に収めてきた土地である。
アルカィーダをテロリストと決めつけた米軍は911直後から大規模な空爆。
米軍の制空権の下で北部同盟(マスード派)とウズベキスタンに逃げていた部族(ドスタム将軍)との連合がタリバンを南へ追いやった。
そしてカルザイ政権が成立し、まがりなりの七年間が経過した。
▲カルザイ政権の腐敗は目を覆いたくなる
「より良い状況が、カルザイ治世下で、単に「よい」だけの状態となり、それがやや悪くなり、より悪くなり、いまや最悪の状況が現出した」(アブドラ元外相)。
NATOと米軍は数万の軍隊を投入したが、タリバンは逆に勢力を回復した。連合軍はかろうじてカブールの治安を掌握しているに過ぎず、西側の援助は、いったい何処へ消えたのか?
麻薬は撲滅されず、アフガン政府軍は弱体、警察は役に立たず、そしてカルザイ政権の腐敗は目に余るようになった。
バイデン上院議員(現副大統領)は昨年、カブールを訪問した際に大統領官邸の大理石を敷き詰めた宮殿のようなダイニングルームに招かれ、ほかの二人の米国上院議員らと食事を執った。
バイデンは「汚職はなんとかならないのか」とカルザイを問い詰めた。カルザイは答えた。
バイデンら三人の上院議員はナプキンを投げすて「食事会は終わった」と45分で席を蹴った。爾来、この政治家のカルザイへの不信感、不快感は根強く、これはヒラリーに伝播している。
ヒラリーはいまや国務長官。「あの国は麻薬に汚染されている」と発言している。
オバマ大統領も「カルザイは信頼出来ないし、かれのやっている統治は効果をあげていない」と発言している(この三人の発言はIHI,3月10日付け)。
カルザイは、しかし「米国の傀儡」を離れて独自の道を歩もうとしているのではないのか。
どの国にも独立自尊の精神はあるだろう。あれほど米国の傀儡として登場し、西側をこまめに回ってカネをかき集めながら、カブールの治安もままならない境遇に陥れたのも、カルザイの無能によるものではあるが、カルザイ一人の責任ではなく、これはたぶんアフガニスタンの民が内包する長老支配という「伝統」の所為ではないか。
カルザイの任期は五月まで。もちろんカルザイは再選を目指し選挙準備に余念がない。
アブドラ元外相とアシュラフ・ガニ元財務相が5月20日の大統領選挙に対抗馬として立候補する。
「デモクラシー」なるものはイスラム世界では適応が難しい。その通用しにくいシステムを維持し、それが民主化だというポーズを維持して西側の援助をさらに期待する。それ以外、この国におけるまつりごとは成立しまい。
だからオバマ政権はブッシュとの違いを見せるため、ブッシュが肩入れしすぎたカルザイを、[CHANGE]しようとたくらんでいるわけである。
「カルザイ政権はよくやっている。タリバン政権下ではふたつしかなかった大学が17に増え、600万の子供が学校へ通い、女性も学校へ行けるようになり、当時なかった軍と警察をカルザイ政権は保持している。」
だが、首都のカブールを離れると、アフガニスタンは「タリバニスタン」である。
嘗てバングラデシュ独立戦争で、突如「英雄」として登場したラーマン大統領は直後から一族の腐敗が絶えず、一年か貳年後に、暗殺された。
なぜかカルザイの不評を聞いて、そのことを思いだした。
カザフスタンの「ロシア離れ・米国接近」はモスクワを深刻に苛立たせている
カザフスタン軍将校は毎年米国軍へ留学、沿岸警備隊は米国のノウハウを習得
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カザフスタンは石油と瓦斯に恵まれ、その豊かな資源を外交の武器としてきた。
第一は地政学的に中国に隣接しているため、90年にアスタナと新彊ウィグルとの間の鉄道輸送を開始し、中国という新しい顧客を得た。
第二にカザフスタンはロシアへ従来通り、既存のパイプラインを通じて石油と瓦斯を輸出するが、ウズベキスタンやトルクメニスタンなどと異なり、ロシア以外の顧客を抱えるため、ロシアからの一方的な価格決めには反発できる立場を得た。
この資源外交を主導した独裁者=ナザルバエフ大統領のしたたかさは特筆しても良い。
第三の強みはウランである。
日本ですらカザフスタン通いを始め、長期的なウラン獲得のために、同国の原発建設にも日本は援助の手をさしのべる。
さて米国は中央アジアで枢要なカザフスタンを「戦略的」に重要視して、巧みな外向的接近をはかってきた。
在カザフスタン米国大使館には駐在武官。とくにカザフ軍将校を毎年30名の枠で米国へ「留学」させてきた。09年度は予算縮小の関係で20-25名規模になるが、くわえてカザフ沿岸警備隊(KNB)の防衛ノウハウを米国の沿岸警備隊が教練してきた。
ウズベキスタンの米軍基地撤去に続き、キルギスの米軍基地契約終了の危機を迎えて米国は、このカザフスタンへのテコ入れを強化する模様である。
手始めに「アフガニスタンへの米軍32000名増派にともなって、非軍事物資(テント、食料、医薬品)をカザフスタンで買い付け、運搬するロジェスティック拠点にする」(『カザフスタンディリー』、09年1月28日)。
ロシアがジリジリと苛立っていることが手に取るように分かる。
キルギス、マナス米軍基地の閉鎖を通告、在ビシュケク米国大使館は「知らない」
バキーエフ大統領がモスクワで記者会見、オバマ政権に強烈なブロー
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キルギス大統領はロシアの圧力(?というより取引条件)に負けて、首都ビシュケクのマナス空港に駐屯している米軍基地の撤去を決定したとモスクワで発表した(2月4日)。
『モスクワの記者会見』での発表がミソで、クレムリン向けのパフォーマンスの可能性もあり、まずキルギスの国会承認が必要だが。。。。
米軍はこの基地の「家賃」として毎年1億5000万ドルをキルギス政府に支払い、さらに過去五年間でおよそ8億5000万ドルを教育振興、インフラ整備、雇用機会増大などを目的に援助してきた。
むろん「独立国」としての矜恃を示すためにもキルギス国内には反米ナショナリズムがあり、基地の継続使用に反対する勢力があった。それらは微々たる政治勢力で、そもそもキルギスの民は遊牧民が多く政治的無関心、エリートは海外へ出稼ぎに行く。
バキーエフ大統領は、ロシアから20億ドルの援助と引き替えたのだ、という情報が飛び交かい、AFPがただちに在キルギス米国大使館に確かめたところ「何も聞いていない」と回答があった。
『ユーラシア・ディリー・モニター』(2月5日号)によれば、モスクワがバキーエフのクレムリン訪問で提示したのは水力発電建設プロジェクト(ただしロシアとの合弁)に17億ドルの拠出という魅力ある条件だった。
これは2005年にプーチン大統領(当時)がビシュケクを訪問した際に約束した総合20億ドル援助のなかに含まれる。
ついでバキーエフを魅惑したのは次のキルギス大統領選挙へのロシアの支援(キルギス野マスコミはロシア統制、+選挙資金)である。
さらにキルギスからロシアへの出稼ぎ労働者は60万人。おそらく後者も死活的条件。なぜならロシアはグルジアやアゼルバイジャンと対立すると、出稼ぎ労働者を追い出すからだ。
キルギスは国内的に失業者だらけであり、追い出されると政情不安にも繋がる。
もしキルギスが正式に米軍の撤退を要求する挙にでたとすれば、オバマ政権にとっては強烈なブローとなる(キルギス国会の承認が必要なので米国の再交渉はありうる)。
なぜなら米国はアフガニスタンへの増派を決めたばかり、すでに二年前にウズベキスタンの空軍基地から撤去をさせられ、中央アジア最後の拠点だったビシュケクの飛行場を喪えば、米軍のアフガニスタン攻略計画に大きな支障がでるからだ。
筆者はおととしキルギスの、この拠点のマナス飛行場を取材している。
http://miyazaki.xii.jp/tyosya-kinkyou/index.html
米軍が借用しているマナス基地から僅か30キロの地点にはロシア駐留軍が陣取り、キルギスの宗主国然として、米軍を監視している、不思議な構図が、ビシュケクでは展開されてきた。
今回、唐突なキルギスの米国離れの印象があるが、じつは舞台裏で進んでいたのはロシア資本によるキルギスのメディア支配で、過去三年ほどに、このロシア統制下にあるキルギスのメディアが何を報じたか。
まず米軍基地では麻薬取引が行われ、さらに核兵器を隠匿しており、アフガンの次にイラン攻撃の拠点となる云々という作り話、うわさ話を広めてきたのだ。
07年12月には米軍軍属が、キルギス人のトラック運転手をひき殺す事件が発生し、どこかの国の反米闘争が往々にして、こうした事件を政治利用するように、背後に反米運動の組織化がなされていた。
つい一週間前、メドべージェフはタシュケントを訪問し、ウズベキスタンのガス全量をロシアが購入するという独占契約に調印した。
ウクライナ、ベラルーシへのパイプラインを締めあげて瓦斯代金を値上げし、いずれウクライナ東半分とベラルーシとの合邦を考えているロシアは、中央アジアの嘗ての属国群を巧妙に老獪な手段を繰り出して、いままた隷属化させようとしている。
プーチンはすでにトルクメニスタンの瓦斯利権を抑え、今度はウズベキスタンの瓦斯の全量を抑え、アフガンに隣接するタジキスタンには軍事援助、そのうえで、勇躍、キルギスを囲んだのだ。