ネトウヨに流されてる人は「え、嫌われてるの韓国じゃないの?」と思うかもしれないけれど、韓国って最先端テクノロジーの国で、全世界で人気爆発中のKPOPの国で、北朝鮮平和外交でアメリカと北朝鮮を繋ぐ奇跡を演じ全世界から外交の天才と絶賛された文大統領の一番イケてる国ですぜ。— ono hiroshi (@hiroshimilano) 2019年8月2日
私は競技プログラミングが好きだ。AtCoderのコンテストも質が良く私は好きだが、AtCoder社の役員がどうも好きではない。
高橋氏はAtCoderのために、競技プログラミングのために尽力しているのはひしひしと伝わってくるが、軽率な発言も多い上、女性関係の価値観等どうも人となりが苦手だ(人格攻撃になっているが、そもそも主観の話なので許してほしい)。
青木氏は本当に論外で、もう少し自分がAtCoder社の役員だという自覚を持って発言をしたほうが良いのではないかと思う。言論の自由があるとは言うが、それは無責任に発言をして良いという意味ではない。公式として発言したいならば発言内容には気をつけるべきだし、公式として発言したくないのならば、AtCoder社役員としてのTwitterで発言するべきではないと思う。あれは甚だ不快であり、高橋氏もなぜ放っておいているだろうか。
このエントリを書きたい気持ちとなったきっかけとなったのは、本日AtCoder社が実施した生放送だ。恐らく今後AtCoderをどうしていきたいか等を話したのであろう。少し見たが、どうしてもイライラしてしまって見ることができなかった。この試みは当然多くの運営を好意的に捉えているAtCoderユーザーにとっては良いことだと思うが、私にとっては私がAtCoder社が好きではないということを再確認させることとなった。
好きなコンテンツの運営が苦手という状況はかなり辛い。本人たちにどうしろというつもりは勿論ないが、これからこれが原因で興味を失ってしまうのが怖い。(無趣味にはなりたくないので……)
それとも新しい趣味を早く見つけたほうが良いのだろうか。
p.s. すぬけさんは好きです。
追記:こどふぉに行けば良いと言われているが、当然こどふぉも出ている。SRMやyukicoder、chef等にも出た上で、やはりAtCoderのコンテストが好きだ。AtCoderに出ないようになったら、自然と競技プログラミングもやめてしまうのではないかという漠然とした不安があるというのが正しい。所詮その程度の趣味なのかと言われれば反論の余地がないが、それでも競技プログラミングが好きなことは確かで、できれば続けていたいのだ。
らしい。
実家を出て、あるいは捨てて、遠い場所で看護師をしている私はそのことを今知った。なんでも庭で転倒してICUに運ばれていたのだと。長年のパーキンソン病でもともと身体の動きはぎこちなかったし、退院後に寝たきりになるということはまったく不思議ではない。遅かれ早かれこうなっていただろうという感じ。むしろ、パーキンソン病の発症時期を考えれば、寝たきりになるまでずいぶんと持った方だと思う。
だから、諦めという感情で割り切れていた。母親から「入院している病院の看護師を私の名前で呼んでいる」と聞くまでは。
パーキンソン病はつまるところレビー小体型の認知症だ。発症が認められたそのときに身体症状と精神症状のどちらが強く出ていたかで、診断名が異なるのだろう。たぶん。知らんけど。
ここ一年の祖母の精神症状というか、認知症症状というか、ちょっと見ていられなかった。(元々の性格もあるのだろうけれど)不安や焦燥は強かったし、幻覚がそれに拍車をかけていた。忘却はもちろんあった。転倒する前から親族のこと、たとえば一緒に暮らしている私の母親のことさえも、覚えていたり忘れていたり。
でも、孫の中でいちばん不出来だった私のことだけは覚えていたんだよなあ…
なーんで私のことを覚えているかな、と思う。いっそ忘れてくれればよかった。私はICUで働く看護師のように真面目に働いてはいない。病棟でもやっぱり不出来であるし、それでいて、勉強熱心でもないのだ。志も低い。だから、忘れてくれればよかったのに。どうして覚えているんだろう。悔しい。苦しい。私がいちばん心配をかけたからだよね、わかってるよ、ずっと不登校でごめんね。家を出てごめん。帰省しなくてごめん。もっとあなたに親身になってくれる人たちのことを覚えていてほしかったよ。私のことなんて真っ先に忘れてほしかった。忘れられても、私はきっと、たいして傷つきもしなかった。それくらいに薄情なのにどうして覚えているのかな。どうしようもない。苦しい。
とにもかくにも精神科医に行って脳の病気を明らかにしてもらえ。そしたら仕事で困らないくらいの最低限のコミュニケーションは取れるだろう。
そして親しい友人は、少なくとも当分の間は、諦めた方が良い。
確かにお前の望む通り、親しい友人ができたらそれはそれは幸せな人生が送れるだろう。けれど友人が出来るのは100面ダイスを振ってお目当ての目が出るくらい確率だ。つまりはほとんど外れると言う訳だ。
ギャンブルと同じさ。お前は一発逆転を狙って高額配当の馬にかける奴らと一緒さ。賭けなければ当たらないが、外れるたびに負債はどんどん積み上がっていく。
お前が首が回らなくなるまでギャンブルをやりたいというなら、お前の人生を止める権利なんて誰にだってありはしないのだし、俺はお前の家族でもなく責任は何もないのだから、お前の好きにしたらいい。
けれど、きちんと医者にかかり自分の特性を理解し、薬を飲み、生活と向き合って、孤独ながらもお前自身の人生を見つけて行く。そしていたら、お前はお前が一人でも十分楽しく笑って生きていけるのだと思えるようになるはずだ。そっちの道を選ぶほうが人生の期待値はずいぶんと高いように俺は思うね。
コロナだししゃーない
P←こんな頭してるって本当なのですか?