2019年10月04日の日記

2019-10-04

anond:20191004174151

別にコンビニ店員の吃りに限らず、電車事故で遅れたときの駅員とか、接客業の逆らえない人に対して怒鳴りつけたりクレームを言ってストレスを発散する人種存在するので、うまい返し方を研究するしかないと思う。

よくtwitterとかで「理不尽クレームに対する上手な返し方」みたいなのがRTされまくっているので、そういうのを参考にすると良いのではないかと思う。

それにしてもそういうおじさんって何なんだろうね。たぶん職場でも家庭でも居心地の良い場所がない可哀想な人たちだろうと思うが、そんな連中のストレス解消に良いように使われる必要はない。

anond:20191004175747

から、「歪んでない認知」を見せてくれないと、だれも判断できないだろ

anond:20191004120220

そんな女が相手立場に立ったらどっちが嫌なんだろうかというのをここで書いてるんだけどね

anond:20191004175340

ほぼ飲食店なのにイートインと言って消費税を払わないとか、目に余る脱法行為あれだけど、コンビニのイートインに文句言う連中なんやねんって感じだわ。

anond:20191004174151

どもりくらいでなにか感じることないけど、人によっちゃめちゃめちゃ腹立つ行為に見えるんだろうな

どこに地雷があるかわからん

anond:20191004175456

私がいま見ているのは増田の画面だよ。

かに白いけれど・・・

anond:20191004175234

誰も「君の脳内」は黒く出来ないよ

そして、「君の脳内」は白いんだろ?

それを開陳しろって話だよ

歴史修正主義しろ何にしろ、歪んでるww、間違ってるww

と言って悦に浸ったところで、君のオナニーなだけで、みな君を冷笑してるぞ

anond:20191004175020

評論家の間で評判がいい映画ってたいていクソ

今日夜ご飯はかんぺきにマック買って帰る気分だったんだけど、ジャンプコミックス買って帰らないといけないこと思い出した

んもー何たべよー

まだ戦後にいる

父親が殴るひとなのはなんでなのかな、とずっと考えてきた。

うちの父はひとでなしではない。

ごく一般的良心正義感くらいは備えている。

やさしくされたことくらい、いくらでもある。

ただ、怒りで我を忘れたとき、自制がきかなくなるだけだ。

その不安定さと、不安定である自分を黙認できてしまう狡さはどこから来るのか。

わたしはずっと疑問だった。

父は保守的田舎で育った。

そして体罰普通に罷り通っていた時代学校生活を送った。

自身自分父親や周囲の大人に殴られて育った。

実際、なんでもない思い出話として、虐待しか言いようのないエピソードを聞いたこともある。

殴ることへの罪悪感の薄さは、きっとごく普通に殴られながら育てられたことによって生まれた。

当然のこととしてきた常識を、父は疑っていないだけなんだろう。

当然と思わなければ、きっと生きていかれなかったから。

なるほど、理屈としては理解できる。

でも感情は納得しない。

わたしは再び、なぜと繰り返した。

なんでうちの父は殴られて育ったの。

誰のことなら責めてもいいの、とその問いの意味は同じだった。

わたし知識を蓄え、考え続けた。

そして、ある推察を得るに到った。

父を殴って育てた、祖父の推察だ。

祖父は早くに父親を亡くした。

若者というだけで召集令状が来るような頃、祖父は同年代より早く正真正銘家長となっていた。

から赤紙は、祖父には遅れて届いたらしい。

家父長制的な配慮祖父には行われた。

遅れて兵隊にとられた祖父は、内地出世した。

階級的にはたかが知れているだろうけど、ともかく内地で新兵の訓練に当たった。

祖父はどんなふうに訓練をつけたのだろう。

当時の軍隊では体罰が横行していたと聞くけれど、祖父も殴っていたのか。

殴れる立場になる前に、祖父も殴られただろうか。

そうして、お国のために玉砕しろと言って、新兵を戦地へ送り出したのか。

そもそも、友人たちが次々に出征していくのを、祖父はどんな思いで送り出していたんだろう。

赤紙が来たとき果たして祖父はどんな感情に襲われたのか。

今となっては分からない。

祖父戦争のことを語らないまま死んだ。

祖父内地終戦を迎えて家に帰ったけれど、祖父と同年代の友人たちはほとんど誰も帰らなかったそうだ。

その状態で、待たせていた妻と幸せ家族を築けと求められことは、どんな気持ちになるのか。

祖父はひとでなしではない。

孫にはやさしい祖父だったし、昔のひとには珍しく体調不良祖母に代わって父の弁当を作ることもあったそうだ。

自分だけ生き残って、未来を生きていくことを、祖父はどう感じたのだろう。

耐えがたく、許されないことに感じられたとしてもおかしくはない。

祖父戦争の話をしなかったのは、できなかったから。

罪悪感が祖父の口をつぐませたからだと考えれば、筋が通る。

祖父戦地に行かなかった。

凄惨戦場経験していない。

から戦闘撤退戦過酷さが祖父沈黙を強いた訳ではない。

そのくせ、出世話で自尊心を満たし、死を免れた我が身の幸運をひけらかす道を祖父は選ばなかった。

復興していく日本、生まれる我が子。

祖父の目にはどう映ったのか。

幸せ自分からぶち壊そうとするしかできない夜。

殴って、殴った自分を許容させて、ほら俺は悪いことなんかしていないと自己正当化したくてたまらなくなった夜。

そういう夜があったとしても、理解はできる。

酒に溺れ、妻子に手を上げた理由を察することができる。

サバイバーズ・ギルトPTSD

今ならば祖父に何が起こっていたのか説明してくれる言葉がある。

当時はなかった。

PTSD最初に診断されたのはベトナム戦争帰りの兵士だ。

第二次大戦が終わったばかりの日本で、戦争精神的な後遺症は見逃された。

少なくとも、祖父は見逃された。

誰も祖父を、父を、救わなかった。

父を殴った教師なかにも、きっと救われなかったひとはいる。

かつてカミナリ親父と呼ばれた年配男性日本中にいただろう。

その情緒不安定さのどれだけが戦争の招いたものだったのか。

誰もそんなことは追求せず、もはや戦後ではないと言われ、時が流れた。

わたしは殴られて育った。

もはや戦後ではないんだろうか。

本当に、戦後ではないんだろうか。

それなら、なんでわたしは殴られたの。

この身を苛む恐怖はなんなの。

ねえ、わたし、誰のことなら責めてもいいの。

誰のことも責められないで、わたしが悪かったのかと疑いながら生きていくの。

責任を負う立場に誰もいない。

わたしはせめて戦争暴力を憎む。

戦後まれの、戦争を知らない平和ボケした日本若者であるらしいわたしは、せめて戦争暴力を憎む。

コンビニ「イートイン脱税」横行、客の9割が申し出ない店も 国は「制度上の問題ない」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191004-00000846-zeiricom-bus_all

イートイン脱税警察の人たち、ご苦労様でした

物乞い人生

社会にはさまざまな事情から仕事をすることができず、国や他人の援助を受けている人がいる。自分も年をとればいずれそうなる。では、実際にそのような事態におちいったとき自分はどうするか。おそらくは惨めな人生に耐えきれず自殺をすると思う。

私は働くことができない人に対して「お前のような役立たずは社会迷惑から早く死ねばいい」などと思うことは決してない。ところが、自分自身に対してそのような批判を行なっている。なぜ私はこれほどまでに自分に厳しいのか。この性格を変える方法がわからない。

anond:20191004175020

聲の形と同じようなもんだろ。だるさを愉しめ。

anond:20191004174755

すべてを黒く塗りつぶすのは簡単だが、黒く塗りつぶしたものをそれぞれの正しい色に戻してやるのは難しい・・・違うかね・・・

anond:20191004174527

そんな気にしないってか、俺がそんなコンビニで袋いるようなもの買わないだけか(あったとしてもコンビニ弁当とお茶って感じ)

anond:20191004172953

それがな、よく見たら電気代と携帯通信費だけやったわ

家賃と固定回線費とガス水道は口座引き落としみたいやね

改行

なんでbrタグで改行せず、1行をpタグで出してるんだろ?

anond:20191004174642

さぁ、君の「正しい」認知開陳して

間違った認知をただすチャンスだ

さぁ

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