別にコンビニ店員の吃りに限らず、電車が事故で遅れたときの駅員とか、接客業の逆らえない人に対して怒鳴りつけたりクレームを言ってストレスを発散する人種が存在するので、うまい返し方を研究するしかないと思う。
よくtwitterとかで「理不尽なクレームに対する上手な返し方」みたいなのがRTされまくっているので、そういうのを参考にすると良いのではないかと思う。
それにしてもそういうおじさんって何なんだろうね。たぶん職場でも家庭でも居心地の良い場所がない可哀想な人たちだろうと思うが、そんな連中のストレス解消に良いように使われる必要はない。
餃子は何て言ってんの?
珉珉の餃子にしようぜ
うちの父はひとでなしではない。
ただ、怒りで我を忘れたとき、自制がきかなくなるだけだ。
その不安定さと、不安定である自分を黙認できてしまう狡さはどこから来るのか。
わたしはずっと疑問だった。
実際、なんでもない思い出話として、虐待としか言いようのないエピソードを聞いたこともある。
殴ることへの罪悪感の薄さは、きっとごく普通に殴られながら育てられたことによって生まれた。
当然のこととしてきた常識を、父は疑っていないだけなんだろう。
でも感情は納得しない。
わたしは再び、なぜと繰り返した。
なんでうちの父は殴られて育ったの。
そして、ある推察を得るに到った。
父を殴って育てた、祖父の推察だ。
若者というだけで召集令状が来るような頃、祖父は同年代より早く正真正銘の家長となっていた。
階級的にはたかが知れているだろうけど、ともかく内地で新兵の訓練に当たった。
祖父はどんなふうに訓練をつけたのだろう。
当時の軍隊では体罰が横行していたと聞くけれど、祖父も殴っていたのか。
そうして、お国のために玉砕しろと言って、新兵を戦地へ送り出したのか。
そもそも、友人たちが次々に出征していくのを、祖父はどんな思いで送り出していたんだろう。
今となっては分からない。
祖父は内地で終戦を迎えて家に帰ったけれど、祖父と同年代の友人たちはほとんど誰も帰らなかったそうだ。
その状態で、待たせていた妻と幸せな家族を築けと求められことは、どんな気持ちになるのか。
祖父はひとでなしではない。
孫にはやさしい祖父だったし、昔のひとには珍しく体調不良の祖母に代わって父の弁当を作ることもあったそうだ。
自分だけ生き残って、未来を生きていくことを、祖父はどう感じたのだろう。
耐えがたく、許されないことに感じられたとしてもおかしくはない。
そのくせ、出世話で自尊心を満たし、死を免れた我が身の幸運をひけらかす道を祖父は選ばなかった。
祖父の目にはどう映ったのか。
殴って、殴った自分を許容させて、ほら俺は悪いことなんかしていないと自己正当化したくてたまらなくなった夜。
そういう夜があったとしても、理解はできる。
酒に溺れ、妻子に手を上げた理由を察することができる。
今ならば祖父に何が起こっていたのか説明してくれる言葉がある。
当時はなかった。
第二次大戦が終わったばかりの日本で、戦争の精神的な後遺症は見逃された。
少なくとも、祖父は見逃された。
誰も祖父を、父を、救わなかった。
誰もそんなことは追求せず、もはや戦後ではないと言われ、時が流れた。
わたしは殴られて育った。
もはや戦後ではないんだろうか。
本当に、戦後ではないんだろうか。
それなら、なんでわたしは殴られたの。
この身を苛む恐怖はなんなの。
誰のことも責められないで、わたしが悪かったのかと疑いながら生きていくの。
コンビニ「イートイン脱税」横行、客の9割が申し出ない店も 国は「制度上の問題ない」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191004-00000846-zeiricom-bus_all
社会にはさまざまな事情から仕事をすることができず、国や他人の援助を受けている人がいる。自分も年をとればいずれそうなる。では、実際にそのような事態におちいったとき自分はどうするか。おそらくは惨めな人生に耐えきれず自殺をすると思う。
私は働くことができない人に対して「お前のような役立たずは社会の迷惑だから早く死ねばいい」などと思うことは決してない。ところが、自分自身に対してそのような批判を行なっている。なぜ私はこれほどまでに自分に厳しいのか。この性格を変える方法がわからない。
聲の形と同じようなもんだろ。だるさを愉しめ。
不正利用されてるんじゃない?