えっ、うちのつまようじは使わずに放っておくと増殖するんだけど
3年くらい前にストロー100本入りくらいのやつを買ったのだが、いくらも使わないうちに消えた
初めからだまして落とし込むやつ相手にはほとんどの人間は能力は低い。
やったうえで、数か月で売り上げが上がる程度商品と客が完成している起業か、儲からなくても大した損もせず、交流楽しすみたいなもの以外はするなと痛感してるな。
後、起業のデメリットというのは、生きながらゾンビにされて苦痛を味合わされるというのもあるわ。契約や借金、同調圧力次第でな。
まあ、同調圧力なんか面倒な奴全部切るって判断すればどうでもいいといえばいいといえばいい。ただ、何のためにやってるんだろうなーって虚無感にはさいなまれるな。
高校って、公立なら都道府県庁が書類作成をすると思うんだけど、私立なら学校法人が作るのかな。
嘘乙。30年前クソゲーを買ったことだったり15年前実写版デビルマン映画を劇場で見たりしたことは今では人生の思い出としてプライスレスだぞ。決して無駄だったなんてことは無く寧ろ当時失ったものより高い価値を得ているはずだぞう? ぱおーん?
そして話を現代に戻そう。
ある日、弟が帰ってくるや否や手紙を見せてきた。
「あの学童所が引っ越すんだって。名前も『ハテナ学童』から、なんかよく分かんないのに変えるとか」
むしろ、あのボロい住処でつい最近まではやっていたことに驚きだ。
それにしても、引っ越すだけではなく名前も変えるのか。
「で、引っ越す時に手伝って欲しいって。ボランティアで」
「ボランティアねえ……」
恐らく、タダ働きってことだろう。
「で、兄貴は行くの?」
「まさか。俺たちはあの施設に金を払って、不本意にも預けられていただけだぞ。引越しの手伝いなんてする義理はない。経済回すためにも業者に頼めってんだ」
「大した理屈だけど……兄貴にだって、義理はなくても人情はあるでしょ。形がどうあれ、それでも世話になったと言えなくもないんだし」
署名活動の時やたらと泣き喚いていた弟が、随分と健気なことを言ってくる。
俺よりもロクな思い出がなかった場所だろうに。
「他の子もくるだろうし、皆で久しぶりに何かやるのもいいんじゃない。少しでも思い入れがあるならさ」
「にゃー」
膝に乗っていたキトゥンが、弟と呼応するように鳴き声をあげた。
そういえば、キトゥンと出会ったのも学童時代の出来事が遠因か。
いや、キトゥンだけじゃない。
ウサク、タイナイ、カン先輩、今でもよろしくやっている友人もいる。
その点では無下にもしにくい、思い出の場所といえた。
まあ、それでも俺の意志は揺らがないが。
「いずれにしろ、その日の俺はバイトだ。ボランティアと比ぶべくもないな」
実際のところ、都合悪くバイトの予定はない。
建前上、そう断っただけだ。
「はあ、分かったよ。じゃあ俺は、父さんと母さんにも聞いてくるよ」
弟がそう言って部屋から出ようとした時、俺は慌てて扉を遮った。
「待て弟よ。分かった、俺も行く」
「え、急にどうしたんだよ」
もし両親が手伝いにいけば、他の保護者や学童の子とも話すに違いない。
ティーンエイジャーにとって、そんな状況は想像するだけでキツかった。
親というフィルターにかけられた子供の話ほど聞くに堪えないものはない。
「俺が行く以上、人手は足りている。だからこの件は他言無用だ。もし聞かれたら『学童の子だけでやることだから』と答えろ」
「思い出の場所に別れを告げるんだ。バイトとは比ぶべくもない」
まあ、なんだかんだで“思うところ”もある。
建物は当時からボロかったが、久々に見たら更に酷くなっている。
「おう、マスダ。来てくれたのか」
久々に会ったハリセンも“ザ・中年”みたいな見た目になっていた。
「きてくれて悪いが、もうほぼ片付いているんだ」
確かに俺たちがやることは残ってなさそうだ。
それ以外はほとんどダンボールに入れられ、ほとんど車に押し込まれていた。
面倒な仕事は避けたくて遅めに来たものの、意外にも多くの人が手伝いに来ていたらしい。
「せっかく来たんだし、中でみんなと話したらどうだ」
手持ち無沙汰な俺たちに、ハリセンは気を利かしてそう言った。
促されて家の中を覗くと、元学童らしき人たちが談笑しているのが見える。
しかし、その中に俺たちの知っている人は少ない。
俺たちは踵を返して外に出る。
「……俺と弟は外で待つよ。まだやることがあったら呼んでくれ」
知り合いもいるにはいたが、今では疎遠になってしまっている相手。
話せることも話したいことも特になく、同窓会ってムードじゃない。
俺たちには、あの空間は居心地が悪い。
やれと言っているわけじゃなく、止めるな、興味を持った人なら勧めてみろと言ってるんだよ。
起業もソシャゲもやってみたらいい。俺はべつにリスクが高いとは思わんし、そもそもリスクと呼ぶほど大層で致命的な危険があるとは思わん。どうしても止めたいって人は、その人のことをものすごく能力が低い(=必ず罠に引っかかる)人だと侮っている部分があると思う。
でもさ、人間ってのは体験してみないと学べないし、賢くなれないんだよ。失敗することがあってもいいじゃないか。そして失敗の責任なんて勧めた自分にも、相手にも、誰にもないんだよ。そういう所にシビアにならなくていいし、そういう所にシビアにならない世の中であるべきだ。失敗しても取り返しがつく世の中にするには、まず挑戦する人が増えなきゃいけない。
他人を止めようとする人がたくさんいればいるほど、世の中は息苦しく取り返しのつかない構造のままであり続けるんだよ。そして案外、小さな失敗で済んで大きな学びを得られることってのが多いんだ。ゲームにおいてもそうだし、それはきっとゲーム以外の人生のあらゆる事においてもそうだ。
まあドラッグみたいに、挑戦したら物理的に廃人になっちゃう類のものだけは俺でも止めるけど。それ以外はなんでも「止めない」のが賢いあり方だと思っている。アメリカをはじめ西洋の人が賢いのもそういう部分にあると思うし。
悪い部分ばかりに注目して止めたがる人は、自分の情報感度が高いことをアピールしたいだけで、一見その人の為のように見せて、その人の可能性を信じていないし、人類の可能性も信じていない。結局自意識のレベルに思考が留まっているから、俺には愚かに映るんだよ。