「いらすとや」による素材が世間に広まった理由は、それがフリー素材であるからではない。それは後付の理由だ。
すべての素材が同じ絵柄で統一されているというのも近いが本質ではない。
からだ。
いらすとやには、老若男女様々な制服を着たキャラクター、パソコンやスマートフォンなどの小物、車両、建物など
利用者が使いたいと考えている素材の大抵のものが揃っているが、そういう一般的な素材が揃っている素材集はごまんとある。
ただ揃っているだけであれば、いろいろなソフトに付属している素材集や、極論を言えば「絵文字」とかでもよいのだがそうはならない。
なぜなら、人は「揃っているとはいえ探した結果見つからなかった」ことを恐れる。
見つからなかったら結局別の素材を探したり、自分で作成(発注)したりする追加の手間がかかるためだ。
ちょっとした社内向け説明資料や、簡単な貼り紙を作りたい場合にこの追加の工数は致命的だ。
いらすとやは、「クソリプのイラスト」や「やりがい搾取のイラスト」や「AIに支配される人類のイラスト」などSNSでバズりやすい社会風刺的なイラストがよく注目される。
「そういう変わったテーマのイラストがあるなら自分が使いたいような普通のイラストがないわけがないだろう」
そうするともう、なにか作るにも「とりあえずいらすとや」になってしまう。
これは、コンビニエンスストア業界があの手この手を使って「大抵の食品や消耗品は、コンビニに行けば多分あるだろう」という心理を消費者に植え付けることに成功したことに似ていると思っている。
いらすとやに対抗したいと思っているイラストレータや素材メーカーはもう「いらすとや」と同じようなマーケティングをしなければならないのではなかろうか。
はあ?誰もそんなこと言ってないけど?
好きに読んでいいってことでは?
タクシー乗った事ないんだろ
kyo_juは以前自分の気に入らないブコメにはてなスター付けたやつを晒し上げしてたし、
長い時間待たせた事も、数が無いことも心苦しくて申し訳なくて、その気持ちだけで動いた。
結果としてまとめも作られ、最終日が歴史的な一日になってしまった。
翌2015年。数は充分だと思っていた。けど、それでも少なく感じる日が発生してしまい、申し訳ない思いがまた残ってしまった。
ちょっとしたプレゼントに一言添える事で待ち時間の厳しさが和らげば、と思いあのサービスを始めた。
折角集まるなら・・・と横の繋がりを意識したのもこの年から。Twitterでフォロワー増えた人も多かったんじゃないかな。
そして2016年。数は充分。やっぱりこれ位は数がないとね。
足を運んで写真に撮りたい場所も出来て、それを含めたイベントになったかな。
有名ブログで紹介されたのにはびっくりした。その反応を見て、この時間が特別なものだというのを改めて知る事が出来たかな。
2017年はまさかの2回。でも、もう数に関しては困る事はなかった。
3年前の険しい表情は無くなり、イベント参加を楽しむ素敵な笑顔で溢れていた。
今までの話題を聞きつけて飛行機で来た方も多くびっくりしたし、嬉しかった。
でも、もうあの通路で自分が皆をお迎えする事はないんだ。ごめんね。
今はあの場所を離れ、目標に向かって真っ直ぐ進んでいる最中だよ。
今まで、本当にありがとう。
肢体欠損のタクシー運転手いるでしょふつーに
ようすけ