例えば以下の反応。はあちゅうの件では「表現の自由」とはあんまり言われないよなぁと思ったのです(LINEの取締の人が言ってたけど余計なことを付け足すし、誰にも相手にされない人だから……)。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20171122003439
そこまで厳密ではないんですけどね。だから言ってどういう反応が来るのかとここに書いたわけです。
デスノートで例えると、キラを追ってたL(擁護派)とライト(はあちゅう)が偽キラ(岸)を突き詰めたと思ったらやっぱりライトがキラでしたってこと?
Lはやっぱりライトに殺されるんだろ?よくわかんねーよもう。
前提として貴女は自分が差別主義者だと自覚しなくてはならない。
なぜなら男女に関係なく能力だけで勝負すべき、と主張することは、能力だけの優劣によって勝負することは正しい、つまり、能力の優劣で社会的経済的な差別が生じても良い、と主張することとパラレルであり、つまりは能力による差別を肯定しているということだからだ。
「現代は競争社会だから、能力や努力の優劣だけで評価がくだるべきなのは当たり前でしょ、それが現実でしょ」と貴女は言うかもしれない。それに対しては「現実はそうじゃないよね、それは貴女にとっての理想を述べているに過ぎないよね」とまず言い返そう。さらに「でも本当の理想は、男女の差も能力の差も関係なく、誰もが幸せに暮らせる社会ではないのか?」とさらに問おう。
そして、貴女は能力による差別を肯定する差別主義者なのだから「女性性を利用するのは男性による女性の性支配の肯定だ、差別的だ」などと主張する権利はない、なぜなら差別主義者が自分が感じる差別だけを被害者として訴えるのは、単なる独りよがりでしかないからだ。
巷では「努力すれば皆童貞を捨てられる」というマッチョな言説があるらしい。
本当だろうか。ごく単純なモデルで考えてみたい。
仮に、1回試行すれば50%の確率で成功する女性へのアプローチ方法があったとしよう。
これを10人の女性に対して挑戦することを考えてみる。もちろん1人に対して1回だ。
どれくらいの確率で最低1人にアプローチが成功し、無事童貞を卒業できるだろうか?
成功確率は1回なら50%。2回ならば75%。つまり、1から2の累乗分の1を引いた確率になるのだ。
10回ならば?
勘のいい読者ならばもうお分かりだろう。1024分の1023になるのだ。
おお、これは良い確率だ。失敗する確率は、たった0.0977%しかない。ほぼ0だ。
なるほど、確かにこのようなモデルであれば、すべての男性が童貞を卒業できそうだ。
本当に?
そんなわけがあるはずがない。
0.0977%ということは、100万人が挑戦すれば、そのうち977人もの男性がこの試行に失敗するのだ。
http://www.stat.go.jp/data/jinsui/2016np/index.htm
統計によれば、平成28年における日本の20歳から29歳の男性は、643万人いるようだ。
この977人の男性に対して、件のマッチョな言説をのたまう人はなんと言うだろうか。
大体想像はつく。
であることだろう。
まるで、ソシャゲのガチャが全く当たらずにツイッターで嘆いてる人に対して「俺は無償分だけで当たったけど?」とクソリプを飛ばすイキリオタクのようだ。
これだけ甘い見積もりをしても、たかが「運が悪い」というそれだけの理由で、少数の男性は救われないのだ。
ストレートな性的指向を持ち、相手を夢見て、努力をし、正しいアプローチを行い。
それでも、ただ運だけが悪く相手に恵まれなかった、少数の男性。
【追記】
言いたいことが伝わっていないかもしれないので補足する。
正直な話、例に挙げているモデルの妥当性などはどうでもいい話だ。
50%がどうとか、10回がどうとか、どうでもいい。全部適当な数字だ。
大事なのは、全男性の数の多さを考えれば、中には運悪く童貞が卒業できない者が必ず出てくる、ということだ。
この反例があるというだけで、題意である「努力すれば皆童貞を捨てられる」は成立しないと言える。
これが話の肝だ。
じゃあ、この話の肝をもとに何が言えるか。
最近、一連の童貞disへの反論としてよく、セクシャルマイノリティのことを考えていないだとか、セックスに興味がない男性だっている、みたいなものを見る。
正しいが、足りないんだ。
別にセクシャルマイノリティでなくとも、セックスに興味があっても。その興味をもとに努力を重ねたとしても。
めぐり合わせが悪く、努力が結ばれない男性だって、わずかにかもしれないが、いるはずなんだ。
ひょっとしたら、セクシャルマイノリティよりもさらにマイノリティかもしれない。
でも、決して忘れないであげて欲しいんだ。
例の電通のあれこれを見て思ったのは、おまえら長谷川豊が今更いいこと言ってもおいそれと支持なんかしないだろ。なのに何故はあちゅうやめいろまがたまに言ったまともな事ならいともあっさり支持するのだ、という事。
最近amazonのレビューで日本人のフルネームのレビューが多いのだけど、ほぼスパム。
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フルネームで、同時期に膝サポ買って、小型カメラ買って、ご丁寧にレビューまでするのが3人もいるか?馬鹿か?
あとちゃんとレビュー読むと日本語が変だったり簡体字なケースも多いので中国人の小銭稼ぎになってる可能性もある。
こちとら膝が痛くて本気で膝サポーターが欲しいってのに検索して上位に出てくるのはこんなのばかり。
おいおい、返事してくれよ。
やー。いたいた。
いや、同じ表現の自由と公共の福祉の兼ね合いの話なのに「はあちゅうの童貞いじり」と「コンビニのエロ本」に対するコメントの温度差がすごくてな。
それってなんなんだろうなという興味がでかいな。ちゃんと返信していったら、その答えが見つかるのかなぁと思って。
思い出した。
小さい頃、チンチンが痛いと母親に相談したら内科に連れて行かれた。
病院でお医者さんが僕のチンチンの皮を剥いた気がした瞬間に痛みが消え、何かがお医者さんの顔に飛んだ。
膿が溜まっていたと言われ理由に納得した僕だったが、母が「先生は顔にかかったのは初めてだって~」と笑って父に話していたのが不思議だった。
以上の事実より、それが僕の精通だったと思われるのだが、僕はこと「精通」に関してはかなり「勝ち組」なんじゃないだろうか。