名乗るほどのもんじゃありません
僕個人としては「儲けすぎなんじゃね」なんて思ってないよー。今回の騒動においても自分のスタンスはない。
ただ言説するなら、倫理的視点でとらえた方がよりしっくりくると思う。
共産主義の意義と役割については、もうえんえんと資料があるのだから、突っ込みすぎないけど、社会的利益が多くの人に享受されることを願いという視線において、共産主義が儲ける行為を倫理的に否定しているとは考えられない。そうでなくてどうして資本主義の後に共産主義が訪れると語る人々が現れるのか。
また、セーフティネット議論を始め、国家としての日本において共産主義はちゃんと仕事をしている。この辺をちょっと踏まえとかないと… 一応まだ共産党もあるし :P
極東アジアの現況と戦後の占領政策を経た私たちが、共産主義を客観的な感覚でとらえずらいのは当然だとおもうけど、共産主義は主流に立ち向かい、理想をかかげ別の立場から議論を呼び込む歴史的役割も十分はたしてきた。ヨーロッパの話とか、まー本当色々あるけど、個人的には、分かりやすいしこの辺を、参照してもらいたい。
私たちの社会が徹頭徹尾資本主義の国家であれば文句はいえないだろうけど、そうでないんだから疑問をなげかけるのは自然なことだと思う。
おいおい、「ボロ儲けし過ぎじゃね?」って疑問をなぜテレビ局に投げかける。
筋が通ってねぇ。
ボロ儲けは、まあそうだけど、生産によって利益を得るという視線において共産主義が「儲けないこと」を標榜しているとは言えないだろうと。
私たちの社会にはいくらでも経済競争の外側に位置する空間があります。
あなたはあなたの母親を、あなたのパートナーを、あなたの子供を、自己の経済的利益を根拠にして愛しますか?
資本主義の空間の外側に志向を傾けられないということは、それだけ資本主義における既存の利益を持った人々が都合のよい教育にまるで飼い馴らされているということです。
私たちの社会が徹頭徹尾資本主義の国家であれば文句はいえないだろうけど、そうでないんだから疑問をなげかけるのは自然なことだと思う。
ボロ儲けは、まあそうだけど、生産によって利益を得るという視線において共産主義が「儲けないこと」を標榜しているとは言えないだろうと。
公の立場に於て商売をするっていうんだから、テレビ局もそのことについて倫理観を要求されるというリスクを鑑みてお仕事するのがフツーだと思うけどね。
なら尚更テレビ局がボロ儲けしても文句は言えん。
他の株式会社はボロ儲けしても許されるんだからテレビ局も同様。
あと共産主義は儲けないことを目指す考え方ではありません。
自由な競争において、彼らの行いは悪くないのだろうけど、自由な競争の外において、彼らの行動に疑問をもつっていうのが、今回の抗議行動の基本的な動機ではないの?
端的にはそうだろうけど、事象として認識しはじめたという点では前進していると考えられると思う。
その人事の人がすすむ方向(direction)が、いい角度になるといいなと思う。
誰でも理解しやすいという点で、やっぱりハリウッド映画から、レインマンとかは一応見てもらいたいよね…
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%B3
人を『人材』ではなく人としてみれるようになって、その人事の方たちは先に進めるだろうと思うけど。
公の立場に於て商売をするっていうんだから、テレビ局もそのことについて倫理観を要求されるというリスクを鑑みてお仕事するのがフツーだと思うけどね。
市井の私たちが「ドウナノヨ?」と疑問に思う感覚を声に出すことはちゃんと社会的に意味があると思うけど。
あと共産主義は儲けないことを目指す考え方ではありません。人々が共に幸せになること、より多くの人が社会的利益を享受できることを願ったものです。
わたくしはCSのチャンネル運営してる会社がいくら儲けてても、ディズニーランドがバイト酷使してボロ儲けしてても
怒ったりしない子なんだけど共産主義なの?国から妙に保護されてる企業に"自由な競争に巻き込まれて死ね"って言ったら左翼なの?w
ついでにネットゲリラの古い記事あさっていたら、米沢氏の話がでてきた。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2007/12/post_1352.html
米沢氏のコミケに対する方針というのは徹底していて、とにかく「中身には干渉しない」という姿勢だった。本人は水木しげるマニアで、自分でも漫画を描いたりするんだが、コミケも当初は「創作同人誌」の売買の場として作られたんだが、蓋をあけてみると、1970年代は少女漫画、80年代はアニメ、それからロリコンと、目論見とはまったく違ったモノで占領されてしまう。それでもイヤな顔しないで黙々と参加サークルのために開催し続けてきた。
もう語り尽くされていることではあるだろうけど、こうした場をつくるということ(そのために多大なリスクを負いチャレンジするということ)、この倫理観、もう大分議論は収束/終息したのだろうけど、Pixivのナントカさんもよく考えた方がいいんじゃないかなー。
町田ひらく、うさくんといった、ロリコン雑誌から出てきた(あるいは育てられた)漫画家がのびてきたこともそうだし、あるいは青林工芸社やコミック・ビームも90年代のアングラ感をまるでかんじさせず2000年代にはいって目覚ましい成果をあげた。人が何かを表現するそのエネルギーに場を与えるということは、札束に書かれた数字より富んだ意味があると僕は思うけどな。
これ読むと妖怪どっちもどっちの血が騒ぐんだけど、書きたい事が上手くまとまらない。
ネトウヨの相手が面倒になった一部サヨクが全部差別って事にし始めて、泥沼の平行線っぽくなってるのが納得行かない。
もっと別方面にも炎上しろと言いたい。
フジが韓流ゴリ押ししてても、ネトウヨが大騒ぎしてても正直どうでもいいけど
貴重な電波の利用権が糞安く放送局に売られて、営業は代理店任せ、番組は制作会社任せか輸入で済ませていても、
マスコミの癖に不動産でも儲けてるし。お台場合衆国宣伝し過ぎだろ
電波利用料増大でネトウヨ大喜び → 制作費大幅減 → 安い韓流ドラマと通販番組がさらに倍 → ネトウヨ涙目で発狂
のコンボも是非見てみたい。
芸能人が、やくざなお商売の人々だってことを、『文化人』という言葉でもって隠しているのはマスメディアそのもの。
真っ正面から彼らの言葉に向かっていくのは、この件において本来の本丸たるメディアに実は躍らされているにすぎない。
こういうところが要点かな。
といいながらどうしてそこまで毎日首を突っ込んでいるんだろうなwww
「いやなら見るな」というビートたけしについて、これは以前ネットゲリラが原発問題に関連してコメントしたとおり、芸能人のヨイショ、単なる野次馬の言葉なのだから、それほど大げさに取り上げることではないのではないかな。
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2011/04/post_8072.html
フジテレビに対するデモがあるというが、まあ先日のお散歩同様、元気にお祭り騒ぎをすることは極めて健全な社会現象じゃないのかな。
民間会社の活動にアレコレいう筋合いがあるのか、という物言いは、ちょっと常識をうたがう。
市民である私たちがいいたいことがあれば、いつだっていいたいことを言う。その権利がちゃんと保障されているのが日本国のはず。
もちろん、いいたいことを、「どうやって」言うのかは、その振る舞いが当然問われてしかるべきだけど。