あなたにも改めて聞きたいんですけど、実際に「1000年に一度」の大地震が起きちゃって、なおかつ同規模の余震も考えられる現下の状況で、「1000年に一度の地震だからなあ」という説明って、よくできるねえと思うんだけど、どうなんでしょう。
「千年に一度の規模の地震に耐えられる設備じゃないとダメというのであれば、日本国民全員の財産を一円残らず没収しても足りないくらいの天文学的予算が必要になります。」
「じゃあ原発を廃止するというのであれば、大都市圏も計画停電をこれからずっと続けなければなりません。工場なんかはまともに稼働出来なくなって当然経済は成り立たなくなります。」
元気そうな振りをしている場合もあるが
豪邸があって、メイドや執事がいて、料理人がいて、家事はすべてお手伝いがやるような、
そんな生活が裕福であってそれ以外は質素
会社の知り合いとか、大学のときの友達とか、適当に友達になりつつ、さて、近況でも呟くか。
と、思った矢先に、結構深刻なバグを見つけちゃって、今日は休日出勤。
いいネタなんで、近況に書こうかと思ったけど。
よく考えたら、それって、モロに俺の会社でバグを作り込んでますって、告白してるわけですな。
つまり、これは会社関係とか、実生活上のネガティブなことは書けないんだ。
なるほどー。他の人の見てても、そりゃ、毒にも薬にもならないような近況ばっかりになるわけだ。
おうさまの耳はロバの耳。っていうときは、名前をかくしてこっそり日記。
はてな匿名ダイアリーの提供でお送りました。
年寄りの年金を削るのも、まだ生まれてない子どもにかける金削るのも、どちらも生存に対する危機という点では同じ。
不平等は是正されるべき。
以上。
「想定していなかった」という発言は、正確に言えば「想定した設計にはしてなかった」という意味であって「想定すらしていなかった」という意味ではないと思うんだけど?
私が聞きたかったのは、「想定外」という説明は、「これからは想定(した設計に)する)」という意味なのか、「これからも想定(した設計には)できない」ということなのか、という点。それとも、まさか、「これから」のことをいっこも考えずに発言してるのかねえ、という皮肉も含めた質問だったんだけど、後者だとしたら(というか多分後者なんでしょう?)、みんなよく平然と言えるし聞いていられるんだなあと、あきれるほど感心する。
あなたにも改めて聞きたいんですけど、実際に「1000年に一度」の大地震が起きちゃって、なおかつ同規模の余震も考えられる現下の状況で、「1000年に一度の地震だからなあ」という説明って、よくできるねえと思うんだけど、どうなんでしょう。余震がきたら、今度も「1000年に一度の余震ですから、想定外です」で日本終了、ということ? それとも、「地震対策を真面目にしたら、原発はコストと引き合わないんだから、当然脱原発しかないだろう」という趣旨の発言なのかなあ? そうではないだろう、って思ったんですけど。
多分、やるべき事は分かってて、どうすればいいかも何となく分かってるんだけど、
一歩踏み出せない自分への甘えのまとめ。
書くだけ書いてみます。
高校時代に、1年の夏位にいぢめっぽいのにあって、
その時に、人としばらく話してなくて、
人と話したり人と関係を気づくのに恐怖を感じるようになった。
■ 現在の状態。
人とコミュニケーションを取る方法は、
色んな本を読んだので、
だけど、関係が深くなっていくにつれて、
どうすればいいか分からなくなって、自分からのコミュニケーションを閉ざしてしまうので、
ただ、そういった関係を閉ざしていく人に対しても、
1対1になると頑張って話せるようになる。
■ 問題点。
人から拒絶されるのが苦手なのに、
人に拒絶されるような振る舞いをしてしまう。
恐らくコミュニケーションに手を抜いているって事なのだろう。
ただ、関係が深くなるにつれて、
拒絶される恐怖心が生まれてくるので、
それなのに、
そういった人達は、自分からコミュニケーションを取るようにして
頑張っていると理解した上で。
酷い時は妬むほどなので、タチが悪い。
あと、人からよく思われたいがために、
けど、結局そういう時に限って、微妙なコミュニケーションになる。
鬱になる。
適当にやってる時は大体上手く行く。
じゃあ、適当にやれよって話だけど。
■ 解決方法。
コミュニケーションを頑張る?
人から拒絶する事を恐れない、というのが大事なんだろうけど、
それは中々難しそう。
素になれる人といる時は頑張らなくてもできるんだけど。
http://type99.net/2005/09/hello_27.html
嘘。
もともと
友達を家に連れていった時にあの仏壇と毎朝お題目を読み上げる母の姿を見たらどう思うだろう。
将来、愛する人と連れ添った時に、母があの宗教を勧めたらどうすればいいのだろう。
そもそも、母の信じるものに不快感を覚えたらどうすればいいのだろう。
うちは手かざし系何だけど、これすごくよくわかる。
家で遊んでいるときに、友達に手かざし始めたときはほんと・・・。
いくら関係ないといっても、向こうはどう見ているかわからないし。
親が死ぬまで続くかと思うとめまいがする。
ニコマスブロガーがボカロや東方ブロガーより多いのは俺も感じる。
でも既存映像の切り貼りやら紙芝居やらでニコマスは作れるわけで、自作で絵を書いたり漫画を描いたりするより創作のハードルはむしろ低いように思うんだけどな?
あいつら痛すぎてひくんだが。
と本気で言っている信者もいる。
そしてこうしたエントリを書くとTwitterからの総攻撃を受けることもある。
どこかで見た事あるような光景だが、これは2ちゃんねると同じだ。
今まではインターネットの世界に限定されていたものが、今度は社会全体へと広がっていくことになる。
ネット=匿名として一括りにされていたものが、今後は確実に個人として社会認知されていくことになる。
若者の台頭といえば聞こえは悪くないが、問題となるのはその若者たちが馬鹿であるか否かである。
報道もされているように、Twitter信者は情報の真偽を確かめることなく、いわゆるデマを拡散する傾向にある。
「私がフォローしている人の言っていることだ、間違いない」
そうした間違った信頼関係が取り返しの付かない過ちを創りだしている現状がある。
しかし、人伝えとインターネットによる情報拡散が異なるのは既に周知のとおり。
コミュニケーションツールの代表として扱われるTwitterではあるが、その崩れきったシステムを世に示した。
Twitterだけではない。ニコニコ動画などのコミュニティでもほぼ同様なことが起こっている。
そして、そうしたツールによって成長していった若者にも未来はない。
ソーシャル・ネットワーク世界は危険因子を生み出しているのだ。