はてなキーワード: 外来語とは
小学校の頃、拗音の「ぁぃぅぇぉ」がうまく発言できない校長がいた。
具体的には「ティッシュ」が「テッシュ」になり、子供だった自分たちは校長先生の話でそういう単語が出るたびにクスクス笑ってた。
時は流れ現在、自分はコンピュータの設計関係の仕事をしているんだが、
「ディー」だと「ビー」と聞き間違いが多いためだ。
その癖で日常生活でもときどき、「D」を「デー」と発音するんだが、
「おじさん変なのーwww。『デー』じゃなくて『ディー』だよーwww」
と笑われてしまった。
「いやいや実はな・・・」と背景や理由、自分はちゃんと「ディー」という発音を知っていることなどを話そうとも思ったが、子供相手に大人げないと思い、
「えへへ、そうだねー」と笑ってごまかした。
そして思った。
ああ、校長先生もこんな気持ちだったのかなあ、訳あって「ティッシュ」を「テッシュ」と発音してたのかなあ、と。
例えば、戦中の外来語排斥の影響で、そういった音に触れずに育ったために、うまく発音できなくなったとか。
http://anond.hatelabo.jp/20110815225307
ということで先日はじめて台湾に行ってきた。
なんやかんや言って香港などよりも、下手すれば中国本土よりもずっと中国的なところだと思った。
中正紀念堂に書かれた儒教思想および日本で翻訳され中国にも輸出された近代西洋思想に基づく孫文の訓示。
美しい繁体字を皆達者に書く。
南京路とか重慶路とか中国の都市を基にした地名が非常に多くニューヨークなどと同じく植民地の地名そのものだった。
中国ではすべて横書きに統一しているが、台湾は日本と同じく新聞など模範的な文章は縦書きで書かれる。
香港では北京語は通じない。少なくとも、香港人は北京語を聞き取りはできても話せず英語のほうがよほど通じる。
名前も英名が公式に使われる。
台湾や中国でも最近は英名を名乗る人が増えたけど香港ほど公式ではない。
日本人ならダニエルとかマイケルとかメアリーとかキャサリンとかとても名乗れないだろう。
英国植民地の面影が色濃く残る香港やポルトガルのそれであるマカオはアジアの国とは思えなかった。
英語を母語としもはや漢字を読むことすらできない中国人とムスリムとインド系の街であるシンガポールは、
すでにアジアなのかどこなのかわからない無国籍国家という印象だった。
ベトナムも中国とフランスとが混交していてカオスな雰囲気を醸し出していたし。
日本語が通じる人もこれまで行ったどこの国よりも多かった。
片言の中国語で、英語と筆談の助けを借りながら住民と会話した。
我喜歓台湾と書いたら嬉しそうに笑った。
少なくとも西洋言語のみが全人類に受け入れられる世界共通言語になり得る。
何かを否定するにもそれを手段として使わなければいけないという時点で、それを否定できないことが証明されてしまう。
何が入用で何がそうでないかの判断はこのように割合容易につく。
言語はアイデンティティ(帰属意識、同胞意識)の確立の手段、という重要な機能を持つが
それがコミュニケーションの手段という機能を上回ることはない。
文化は発祥した地よりもむしろ影響を受けた衛星で保管されることも多いのではないかと思った。
どこの文化圏でも土着の文化よりも舶来の文物を珍重し上位に置く一定の傾向がある。
土着の文化は卑近で生々しいのに比べ舶来のものは「よく理解できない」ために神秘的だからだ。
日本語では大層難しく聞こえる漢語や外来語が、中国や西洋では子供でも使う日常語であることは多い。
儒教思想や陰陽五行思想はむしろ朝鮮で本家中国よりも忠実に継承されている。
お箸単独で食事をするのもやたらお辞儀をするのも深々と頭を下げるのも日本人特有の風習であるし、元号も今や東アジアで日本しか使っていない。
唐服に影響を受けあるいは呉服に起源を持つ?和服も今や日本の象徴である。
国家元首の名前と元号の名前を漢籍から採るということも中国ですらしてない。
最近は誤用とも言わなくなったとwikipediaにも載ってたような
誤用と言われなくなり使われるようになったって載ってたと思う
話は違うけど
はてなは書き方がめんどくさい
コピペしてトラックバックしなきゃならないの、何とかならないのかな
wikipediaは、好ましくないとか誤用の指摘とか書かれながら、倫理の欠如として用いられてる報告も書いてあります。
ここのキーワードのページにwikipediaへのリンクもありましたね。上でできたリンクはキーワードのページ直接じゃないのでそれも貼っておいた方がいいかな。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%a5%e2%a5%e9%a5%eb%a5%cf%a5%b6%a1%bc%a5%c9
あなたがそもそも嫌っている「拡散」という行為だって、本来「一人ひとりの情報精査が前提」なんだよ。
それが機能しないほどにライトユーザーは知恵が無いというだけで、言葉を「シェア」に置き換えた所で結局は同じことが起きる。
あなたが批判したいのは、何も考えずに「RT」と書いてつぶやきのコピーを量産するライトユーザー、
それを期待してしまい「拡散希望」なんて驕った言葉を書いてしまう輩だろ?
それを「拡散」の語感が悪いからといって「シェア」にすれば全てが良くなるとか言ってしまうのは、
新潟県中越地震の時に「あい続く天災をストップさせるには昔なら元号でも変えるところだが、今必要なのは政権交代ではないか」とか
「シェア」に変わっても結局は事態は変わらず、
今度は、「シェアという言葉は外来語なので意味を履き違えてしまっている、日本語である“共有”にするべきだ」とか言ってしまうのがオチ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1550289.html
こことか見てるとそんなこと抜かしてる奴が多いが、どれだけ英語メディアに幻想持ってるんだって思う。賭けてもいいが、こいつらは継続的に英語メディアから情報を得ようとしたことなんてないだろう。そうでなければ、欧米のやることは何でも正しいと思う白人崇拝主義者、英語マンセー主義者であるかのどちらかだ。
英語メディアの報道、なかんずく日本関連報道がどれだけ客観的かは、この辺知ってからにしてもらいたいね。
これらはどれも、夕刊フジや日刊ゲンダイみたいなタブロイドの記事ではなくNew York TimesやBBCあたりの高級メディアに見られるものだ。要するに、根も葉もないとまでは言わないが、日本に関する「不都合な真実」には尾ひれ胸びれ背びれあたりがつきまくっているのである(念のためカタカナ云々に関して言っておくと、漢語が外来語であることが完全に忘れられているのと、分かち書きのない日本語では文節・単語区切りを文字種の変化によって示す必要があることが見落とされている)。米英豪あたりの人間が「俺たち西洋人はススンドル」ということを自己確認するためのものとしか言いようがないのだ。日本の中国報道なんかにもかなり眉をひそめたくなるものがあるが、それが可愛く見えてくるほどの惨状だ。
というか、「リテラシー」がどうこうとか抜かしているお前らは「また大西か」という言葉を聞いたことがあると思うのだが、こういうときになると忘れてしまうというのが本当に不思議だ。所詮、英語圏だろうと日本語だろうとマスゴミはマスゴミだぜ?だったらまだ、明らかなトンデモは書けない国内報道の方がずっとまともだと思うのだが。例のWaiWai騒動のことをもう忘れてしまったのかね?あれこそ氷山の一角にすぎなくて、英語圏では本当に日本に関してはトンデモ情報がまともな情報を圧しているのだよ。一部の日本マニア(Japanphiles)たちの地道な草の根努力(たとえばJapanProbeをぐぐれ)があってどうにか日本は評判を保っているなんていう悲観的な見方もできるぐらいだということはもっと知られてもよい。
それも、発音や文法だけじゃなくて「内容」がだ。Lang-8みたいな語学サイトとか、ブログやtwitterの英語記事なんか、読んでいるこっちが赤面したくなるぐらい白痴じみたことを書いていて「頼むからやめてくれ」と言いたくなることがある。
例えば今日見た例だと(さらし者にするのが本意ではないので出典は伏せるが)、ある日本人がtwitterで"*** is a very good software"とか何度も何度も書いていた。ところが状況的に、それを読んでいるのは***というソフトの関係者ばかりだったのだ(ハッシュタグまで使っていた)。これがどれだけ奇妙なことかわからなければ、例えばラブプラスの日本語コミュに現れた外人が5分おきに「ラブプラス、スバラシイネ」と発言している状況を考えてみればよい。日本人はどう反応していいか困るのではないか(別にラブプラスでなくてもなんでもいい。俺はアニメとかエロゲとかよくわからんので知ってる名前を出しただけ)。
はっきり言って、ああいうの見てると日本人が英語マンセー、外国マンセーになったり、debito.orgやJapanToday当たりに集う在日英米人が日本を侮蔑する理由がわかるよ。英語で話したがる日本人の中には、英米人を捕まえては "My name is ***. I can't speak English very well, but I want to be native speaker of English. Where are you from? What Japanese food do you like? Can you use chopsticks?" みたいな愚にもつかんことを言ってる連中が実に多いからね(native speaker云々は揶揄で書いたんじゃなくて、本当にそういう奴が何人もいるからな!Lang-8やsmart.fmあたりで自己紹介検索してみるといい)。文法以前に内容の問題だとわかるはず。関西人の俺は今まで「納豆食える?」とか「マクドナルドのことはみんな『マクド』って言ってるの?」とか百回以上聞かれてうんざりしてるが、それをさらに百倍ぐらい劣化させた質問を会う人ごとにされればそりゃ「日本人は馬鹿だ」と思うようにもなるだろうさ。
いや、勿論「ジャップは劣等民族」なんて言ってるわけじゃない。その反対だ。例えば上のtwitterの人なんて、日本語では非常に的確なことを簡潔に言っていた。それだけに、英文をみてげんなりしてたんだよ。その人の子供がいたずらで書いたんじゃないかと思ったほど。
なんでそんなことになるのか?理由は簡単だ。
なぜ和洋折衷の原稿をはじめに書いたかというと、悲しいことに、英語では
深く考察することができないからです。じっくり思考するためには、日本語で
英語だと、ほんとうに表面をサラッとなぜでる程度の、つまり中学生程度の
ことしか考えられないのです。大部分は、語彙の問題なのでしょうね。
http://bryologist.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-54d6.html
当たり前のことだが、プログラミング言語で言えば、語彙はライブラリだ。ライブラリがトンチンカンでは、どれだけ構文の優れた言語でもまともなものは作れない。そして英語というのは困ったことに昔は未開人の言語であり(日本語もそうだが)、外来語だらけで語彙体系がぐちゃぐちゃなのである。フランス語やドイツ語をやったことがある人ならわかると思うが、英語というのはちょっと日常会話を超えた程度のことを言うためにも覚えなきゃいけない単語数がめちゃくちゃ多い(日本語もそうだが)。日本語と言語学的な類縁関係がないことを置いておいても、決して易しい言語とは言えないのだ。
そのため、英語での情報収集は「脳味噌にハンディキャップつけた状態で戦う」ことになる。しかし、こちらがハンディ付きで戦って歯が立たないと感じた相手が実際に本当の強敵かということは疑問のはず。ところがそのことに無頓着な人が多すぎて、英語圏の情報は全て高級で高尚であるように思っている人が余りにも多いように感じる。そのためか、英語圏は社会全体が色々過大評価されすぎのように思う。マスコミ一つ取っても、高級メディアの定評高いNYTやBBCは朝日やTBSと同程度には「マスゴミ」だし、iPodだのiPhoneだのiPadだのは「技術的には二番煎じなのに商売のうまさだけでコバンザメ的に利益を取っていってる、こんな猿真似野郎が市場を支配するなんて許せない」という、一昔前にSonyや松下あたりが浴びた批判がそのまま当てはまる。勿論向こうに優れた文化や見習うべきところはいろいろあるが、所詮は同じ人間が住んでいるということを忘れていやしないか。向こうにも色々悪いことはあって、一から十まで見習うべきユートピアなどでは決してないのに。
ちょっと習い覚えた英語を使って「グローバルごっこ」して喜んでいるだけならそれこそ猿でもできる。そこでとどまらずに、自分がやっていることがどういうことなのかをもうちょっと考えて、客観的に物事を見ようという姿勢の人が少ないのは本当に情けない限りだ。
いや、少なくとも情報は焦点にならないだろ。
作成日は一昨年のクリスマス。
ファイル名は「doutei」
どうやら童貞についてまとめたものらしい。
以下
童貞の語源
「童貞」 の本来の意味ですが、「童貞」の「童」は子供のこと、「貞」は、貞節、貞操などというように、
つまり子供の頃の状態を守る、性的に清潔で「生まれたままである」「清らかな体である」 というような意味になります。
日本語の「童貞」という言葉が成立したのが正確にいつなのかは不明なようですが、「野球」「資本主義」などと同様、
外来語由来の新しく作られた日本語であるのははっきりしていて、「Virgin」の日本語化だったようです。
日本での初出としては、1678年、捨て子などを保護し教育に勤めたニコラ・バレ神父による、
パリのサン・モール街の修道女の養成所を出発点とした「幼きイエス会」が源流となるフランスのカトリック教サン・モール修道会が、
外国人の子女のために1874年、日本の横浜に設置したフランス語の学校の名称が「ダーム・ド・サン・モール」 であり、
それの日本語表記が 「仏語童貞学校」 であることから、これを起源とするのが定説となっているようです。
この 「仏語童貞学校」、前身は 1872年 (明治5年) に来日したフランス人宣教修道女メール・セント・マチルダほか4名の修道女(シスター) により設立された、子女の教育と貧困にあえぐ子供たちの救済を行う施設 (孤児院、施療院/ 仁慈堂)が基になっていて、
しかし当初は男性の性行為未経験者を指す言葉ではなく、性別を問わず生まれたままの者、
この場合は清らかな乙女、「主のために操を守り続けるカトリック教の尼僧」のことを指していたようです。
男も女もみんな童貞だった訳ですね。
セカンド童貞について
童貞を捨ててしまった後になることがあるもの
セカンド童貞の影響
今後の展開
「童貞は一度捨ててしまうと再び持つことは出来ない。」との主張や
これまで自らをセカンド童貞だと公言する者も、積極的に研究しようとする者もほとんどいなかった。
しかし21世紀に入り、価値観の多様化が進展したことで童貞であることの利点(というより、童貞非童貞の差異の無さ)が再認識され、
なんかセカンドインパクトみたい
童貞質量保存の法則
読んで字のごとく。「童貞」の「質量」が「保存される」という法則。
近年その存在が証明された。
実例1
B君は童貞を捨てました。でもまだB君は童貞を1つもっています。
実例2
B君は童貞を2つ持っています。
ある所でC君が生まれました。
B君の童貞は1つになりました。
影響
これによって童貞は「童貞である」「童貞でない」という0か1かのデジタルなものではなく、
また、童貞は持てば持つほど捨てにくくなる性質を持っているため、
近年の理論的発展
日本では少子化の進行により新規童貞受け入れ枠が減少し、童貞の一極集中化現象が起きていると言われている。
しかし地球規模で見るとむしろ人口爆発が起こっているため、現実の現象に対して研究者によって考え方が異なる。
以下にその例をいくつか挙げる。
まだあったけど今日はこの辺で勘弁。
一昨年のクリスマスなにやってんだよ、俺。
日曜の朝っぱらからなにやってんだよ、俺。
梅田もっちーとダンコーガイの自己啓発(笑)の両巨頭が紹介した本には無批判に絶賛がつくといういつもの流れ。はてな村民がいかに自分の頭で考えない人間かよくわかるね。ちょっと前には、英語嫌いの益川先生が歴史に名を残す研究をしたという話が流れたばっかりなのに、すぐ忘れてしまってるんだから。
ま、そんなことはともかくとして、言語学を新書レベルに読みかじった経験があれば、この両氏の書評と著者のインタビューを読んだだけで、モチヲや弾のお勧めを期待してこの本を読めば期待はずれに終わることがよくわかる。誤解なきよう、私は「日本語が亡びるとき」が面白くない本だとは思わない。何しろ相手は小説家、本当のことであろうが嘘のことであろうが面白く書いて読み手に深い印象を与えるプロなのだから、それは期待してもよい。ただし、著者に言語学のバックグラウンドがない時点で、論としての面白さを期待するのは諦めるべきだ。SFとして面白いものが科学理論としてよくできているわけではないのと同様、純文学作家の言語論に学術的レベルを期待するのは酷というものだ。もともとそういうものなのだから、モチヲや弾のようにあの本を絶賛する人というのは、アジテーターとしての自分を売り込みたいだけか、アフィリエイトで稼ぎたいだけか、あるいはまともな議論とトンデモの区別が付かない程度の知的素養しかないか、そのどれかだろうと思ってしまうのは私だけか(そういえば一部のはてな界隈で人気な「温暖化懐疑論」の論者に気象学者が一人もいないのはどういうことなんだろうね?)。
そもそも、著者が言うような意味で日本語が亡びるというのが先走りにすぎるのは英語の歴史自体が証明している。英語がどうして、同じゲルマン語のドイツ語よりも、ロマンス語のフランス語に見た目が似ているかと気になったことはないだろうか。あれはノルマン・コンクエストの帰結である。英語は文化的外圧に曝されるどころか外敵に征服され、日本語と同じかそれ以上に外来語に「汚染」された言語なのだ。しかしその伝統からシェイクスピアをはじめとする華麗な英文学の伝統が花開いた。
日本語も、実際に「地域語」であり、現代と比べものにならない外圧に曝された時代があった。飛鳥・奈良時代や、明治維新期などはそれぞれ強大な帝国の圧倒的な文化力・軍事力の前に日本は存亡の危機に瀕していた。しかしそれらの時代に外の文化を大きく導入したことで、逆に日本語の文化は大きく栄えた。
単なる「国力」だけで、言語が「地域語」に堕し、その結果衰退するなどというのが俗論にすぎないことがよくわかるだろう。
そもそも、「日本語が亡びる」という問題意識自体、日本列島の言語を「日本語」という名で無自覚にひとくくりにしてしまうことの問題が現れている。アイヌ語や琉球語を考えてみるがよい。これらを「方言」と呼ぶのは無理があるだろう。しかしながら「日本語」の隆盛のもと、これらの言語文化は危機に瀕している。
いや、言い直す。そもそも何を「方言」とよび何を「国語」「標準語」と呼ぶかは政治的な産物でしかない。ポルトガル語やオランダ語は、かつてはスペイン語やドイツ語の一方言でしかなかった。デンマークでは読み書きができる知識人はドイツ語やフランス語を使っていて、アンデルセンやキルケゴールが現れる前の「デンマーク語」は「汚い方言」でしかなかった。
その意味で、日本の文化を見直してみるとよい。「遠野物語」のような地域の民話を語れるのは一部の語り部に過ぎないのではないか?いや、かつて日本の「中央」を荷った「上方文化」でさえ、衰退が甚だしい。関西弁はラジオ・テレビの成立以降、急速に流入した「標準語」の影響によって激しく変質し、江戸時代後期から明治時代にかけて成立した上方落語でさえ、若者や子供のかなり多くはまともに聴き取りができない。上方落語が日本の言語文化の貴重な財産であることは誰も否定しまいが、これを日本人は自ら衰退に追い込んでいるのである。人間国宝の米朝師匠が事実上現役を退いた今、その前途ははなはだ暗い。
あるいは地域的な変化でなく時間的な変化を見てみるとよい。能は勿論、狂言や歌舞伎でさえまともに聴き取れない日本人がどれほどいるか。源氏物語はおろか、明治期の擬古文でさえ現代語訳なしで読めない日本人がどれほどいるか。いやそればかりか、旧字体・旧仮名遣いの文章ですらろくに読めない人間とて決して珍しくあるまい。
このようなことになったのも、一つには近代化の推進のため我々が明治期と戦後に「国語」の成立と普及を強引に推進したせいだというと言い過ぎだろうか。世界に誇る日本文学などと言うが、我々が現代「日本語」を通じて享受できる文化遺産など、たかだか百年分ぐらいしかないのである。
というか、元々これはそういうものなのである。「国語」という概念は「近代国家」が政治的に成立させるものだ。「江戸の歴史は大正時代にねじ曲げられた」という本があるが、これによると実際、江戸時代では各地の方言を通訳する商売が成立していたという。あるいはフランスでは近代化以前、知識人はもっぱらラテン語で読み書きをしており、フランス語は単なる「俗ラテン語」のなれの果てでしかなかった。日本ではもっとひどく、仮名文字さえ実は統一されていなかった。変体仮名というのを聞いたことがあるだろうか。うなぎ屋の看板などで今もその名残を見ることができる。これらがきちんとした正書法と文法を揃えたのは疑いもなく時の権力の政治的な措置なのだ。
それを思えば、「今の」日本語がどういう形であれ変容するのは当然であり、むしろ「近代国家」という枠組みが溶解しかかっている(EUを見ればそれは明らかだろう)現在、無理に「国語」を防衛しようとする思想はまさに時代遅れのナショナリズム、保守反動でしかないとさえ言えるのだ。
からかい半分で書き始めた文章につい力がこもってしまったが、いずれにせよ、「守るべき国語」というのはかくのごとく、大いなる虚構だ。関西人である私がこのように完璧な「標準語」で読み書きができるように、北欧あたりではテレビを通じて完璧な英語を多くの人が身につけている。だがそれがいったいなんであろうか。言語の遣い手としては、一つの言語しか使えないよりも複数の言語が使えた方が楽しいに決まっている。考えてみれば、何の問題もないのではないか。
仮にそうした時代になろうとも、日本語でしか書けないような優れた文学作品があるのならば、日本語が読める人は必ずや読むであろう。日本語でなくても書けるものは、日本語で読む必要はない。そうなって困るのはいったい誰なのだろうか。「普遍語」を寡占してグローバリズムの伝道を行うことで糧を得ていた人、昔日の栄光に浸る老人、それぐらいしか私には思いつかないのだが。
b:id:Nean えっと、だいたいの論旨に異議はないんだけれど、水村は「国語」が「虚構」ということを知った上で書いてるってのがいつの間にか飛んでるんでない? 「国力」の論点も変ですぜぃ。
水村は「国語」の虚構性を半分ぐらいしか理解していなかったと私は思います。たとえばここで挙げたような方言の視点はほとんどなかったのではないでしょうか。水村は東京生まれということなのでおそらく気づかなかったのでしょう。私のような方言話者にしてみれば「母語が『現地語』でしかない状況」なんて「なにをいまさら」でしかない、というのがこの記事を書いた大きな動機の一つでもあります。
「国力」についてはその辺の地方人バイアスが入っているかもしれませんが、正直あまり自覚はできていません。
音楽系ブログとかで、オッサンのくせに、アイドルとか新しめの音楽についてしたり顔で書いてるヤツをよくみかける。
彼らは自分が若いつもりらしい。俺はこんな新しいモノ聴いてんだぜ。それが自慢のようだ。
でもヤツらは、以下のように馬脚をあらわす。だからすぐわかるぜ。あんたがオッサンだってこと。
オッサンはオッサンらしくつつましくしてろよ。
外来語は単語の間にナカグロ(・)を入れないと気がすまない。
「ギターソロ」は「ギター・ソロ」、「レアトラック」は「レア・トラック」、「タイアップ」は「タイ・アップ」、「サブカル」は「サブ・カル」と書かずにはいられない。
ついでに「ハロプロ」は「ハロ・プロ」と書いてしまったりする。
「Perfume」をわざわざ「パフューム」と書いたり、ひどいのになると「パヒューム」とか書いてしまう。ファンならきちんとしろや。
「ワタシ」という一人称を使いたがる。
なにを思ったか「拙」と書くオッサンもいる。落語家にでもなったつもりかよ。
(笑)とか(苦笑)とか(爆)とかをやたらと使う。それないと文章書けねえの?
たぶんネットではそう書くもんだと思ってるんだろうな。
「○○だと思うのはワタシだけでしょうか」って言い回しもよく見る。
「星野ジャパンの戦いぶりに、怒りを覚えてしまうのはワタシだけでしょうか」とか。
独自の意見を言っているように見えて、実は思いっきり同意を求める目線。いじましい。
ひどい文章書くオッサンも多い。たとえばこんなの。
×××(アーティスト名)の今回取り上げるアルバムは、△△年の傑作アルバム「■■■」をご紹介。
このアルバムもかなり人気も評価も高いアルバムで、これで××を知り、さかのぼって過去のアルバムも聴いてファンになったという人も多いようだ。
たった2行の間に何回「アルバム」って言葉が出てくるんだよ。小学生の文章かよ。1行目もなんか座りが悪いぜ。
こんなのも。
□□□(著者名)の○○○(作品名)の映画のDVDを、安く入手しました。昔××年にアメリカ映画で同題のものが、ありますが、これはイギリスの映画のようです。△△△の名が、ありますが、▲▲▲の頃のようです。
必要以上に読点が多いのもなかなかだが、「○○がありますが、○○のようです。」というフレーズが繰り返されるのもあじわいぶかい。「□□□の○○○の映画のDVD」という連続「の」つなぎもたまらんね。
まあ最後のはオッサンに限らんか。推敲しろよ文章。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%88:%E6%96%8E%E8%97%A4%E6%B0%8F
斎藤氏が沼津という土地に移り住んだことには、ローマが東へと貿易を求めてきたことにルーツがあるので、学術的にみても、天皇家側との婚姻関係もあり、沼津の商家が本家であるので掲載の必要があり、関連がないと間違われることのないようにお願い致します。とくに、大衆に知らせる必要性があり、「ビートルズ」や他アーティストとの関連性があるためです。 --斎藤ローマよしあ 2008年6月19日 (木) 01:59 (UTC)
えーと・・・斎藤ローマよしあさんに色々と聞きたい点があるのですが・・・。
- 「ローマから貿易と日本国の建設のために渡来した」とする論拠の史料は何ですか?
- 「斎藤」の姓を使用するのに何(あるいは誰)の許可が要るのでしょうか? 斎藤氏の始まりは、藤原利仁の子・叙用が斎宮頭に任じられたことがきっかけで、「斎宮頭の藤原」、すなわち「斎藤」になったとされているようですが([1]、[2])・・・。
- 斎藤家とスキピオ家を関連付ける論拠となる史料は何ですか?
- 「天皇家側との婚姻関係」とありますが、具体的に誰が、天皇家の誰と婚姻したのですか?
- 「ビートルズや他アーティスト」とどういう関連性があるのですか?
- Wikipediaの方針文書はお読みされたのでしょうか? 「大衆に知らせる必要性があり」とありますが、ウィキペディアは宣伝をする場所ではありませんし、信頼できる情報源により検証可能であることが求められますし、世間に未発表の「独自研究」を載せてはならないという方針がありますが・・・。
以上の点、お答え下さい。--松茸 2008年6月19日 (木) 04:44 (UTC)
第一の重要な発言の証拠としては、私は、沼津の本家の斎藤の娘です。 1.現在の史料文献は今だにございませんが、斎藤家は、イタリア語で「SAIO」「ITO」という言葉がありますように、イタリアが当時使用していた言葉が名前です。とくに、世界史のローマに関する史料をみていただければ、すぐに発見できます。現在、イタリアにもSAITOという言葉を名前に取り入れられている方々が数多くみられるようです。 これは、藤原氏の言語が「WA」という言葉にみられますように、イタリアでは、外来語である「W」が使用されているだけではなく、「FU」という日本語がラテン語にないことでも簡単に判別できます。それは、フランス語やドイツ語、ロシア語、中国語、韓国語、英語における人名などにおける解釈において、単純にラテン語で完全に構成されている違いからも明らかです。それは、日本語の「あいうえお」の母音式教育にみることができます。 2.なぜ、藤原氏が「斎宮」に任じられたのでしょうか?「宮」という言葉は、中国語で「宮殿」の意味で、藤原氏は中国系ではないはずなので、どちらかといえば、漢字教育を広めた天皇家、つまり藤原氏の敵軍にあたるわけで、藤原氏の「まつりごと」ではありえないはずです。 3.単純に当時のイタリアで権力や海外への影響力が大きかった家で、文化的に判断しても、他の家では考えられないということで判別できます。 4.婚姻に関する資料につきましては詳しくはわかりません。 5.答える必要はありません。 --斎藤ローマよしあ 2008年7月1日 (火) 05:34 (UTC)
その質問にお答えします。 斎藤家の人間ではないものが、文献にあるからと、偽った史料により出自を強制的に変更させることはできません。斎藤家の本家の娘が発言しているのに、それが、史料ではないと話すような人はこの世の中で生きていけるのでしょうか?マスコミの出版物などにおいても、斎藤家本人の発言は証拠であり、誰かのインタビューが文献になかったからといって、ウィキペディアでの「藤原氏」などと偽り、当の藤原氏に迷惑をかけるような行為は許されないものです。斎藤の姓を名乗ることに許可がいるかというのは、ラテン語であり、それは、斎宮が仕事の名前で、神宮の仕事の職の名前を姓にするという行為は歴史上考えられないためです。しかも、斎藤実盛は軍人ですし、軍人が輩出されているということは、歴史上、斎宮職の人間ではないと、常識的に判断できます。もし、その斎藤家の娘の言葉に理屈を述べたいという方がいらっしゃるなら、かなり、精神的におかしい状況になっているので、精神科医にみてもらってください。
何度も申しましたように、末裔でございます。事実、私の家には、曾おじい様は、沼津市三園町自治会館にもかざってある写真がありますように、貴族院時代には、市長のような仕事をしておりました。静岡県の斎藤家の項目にも載ってある資料がありますが、そちらの寺院等には少し訂正すべき点がありましたが、この祖祖父が何よりの証拠となるでしょう。ちなみに、沼津市で有名な人物に、水野家、桜井組などがあります。銀行関連や、音楽関連やテレビなどで目にしたりされたのではないかと思われます。かつての御用邸もそばにあります。おそらく、日本と一切関係ないお方が、勝手に記述を変えてしまっているというような印象ですね。この国の教育制度で、そのことが理解できないとなりますと、大変に問題ですね。 漢字の「斎」の文字の使用に関してですが、この文字は、中国の文献資料にもでておりますように、ローマ・システム関連の文字であることが何よりの証拠でしょう。 斎宮歴史博物館には、きちんと事前にメールして記述が間違っていると伝えてあります。根拠は、以前の記録を参照してください。東京大学にも連絡いたしました。イタリア大使館にはすでに連絡済です。出版を考えていましたが、学術雑誌などには、今後、検討いたします。そのもの出身の言葉による歴史は、学術員の研究より優れているものです。それは、どこの国でもおなじです。それにまだ、異論ああるというのは、インディアンや果てアフリカ人、アボリジニ、ローマ人の歴史を否定するようなものです。逆に、あなたは、どちらの何様なのでしょうか?警察にも連絡してありますよ。
私は、主語と述語はいつも一致しなければならないという事は大切です。
ふさわしい日本語があるケースでは外来語を使わないようにしましょう。
古風なる表現を避ける事此れ筆者の義務なり。
誇張法を使ってはなりません。あなたには百万年早いのです。
横っ腹で笑ってしまう陳腐な表現は避けましょう。
比喩がいくつも使ってあると、はらわたが煮えくり返り、頭から湯気が出ます。
慣用句の誤用を避ければ、文章表現においてあなたの右に立つものはいなくなります
文章に使用する用語を使用する際に冗長な表現を使用しないようにしましょう。
同じ内容を繰り返したり、前述した内容を再度述べたりしないようにしましょう。
受動態は使用されるべきではありません。
二重否定でない表現を避けないようにしましょう。
ほかに言い方があるかどうか、注意深く文章を再設計しましょう。
短い言葉がある時は決して長い言い回しとなるような言い方を使ってはなりません。
省略形文章避けよ。
「とか」の誤用とかは避けましょう。
文章がどこで終わるのかはっきりさせ
は共通する語彙が多いから互いに学習するのは楽だよね??
そこにドイツ語を入れるか、あんた。ドイツ語とフランス語の語彙って悲しいほど重ならないぞ。ドイツ語もフランス語も言語に対して純潔思想が強く、外来語はできるかぎり祖語の語彙から作る(日本語で言えば、漢語やカタカナ語を全部やまとことばで置き換えるということ)。だから、ドイツ語はゲルマン系の言葉だらけだしフランス語はラテン系の言葉だらけ。英語や日本語みたいに外来語を無節操に取り込んだりはしないんだよ。
あのさあ、ノルウェー語とかデンマーク語とか眺めたことある?ドイツ語や英語を知ってれば気合いで読めなくもないような言葉だよ、こいつら。
で、フィンランド語やトルコ語は印欧語系じゃないから、ラテン・ゲルマン・スラブ系の諸語とは似ても似つかないんだがそのことは理解してるか?