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2015-02-17

クソコード

聞いてくれ

最近クソみたいなコードを見なくちゃいけない機会がある

それは簡単なロジックもあえて難解に書いてあるかのようなクソコード

(クソコードに対してクソコードと言っちゃいけないのは分かってる)

そういう人は設計もクソだ

動いちゃいるがクソはクソだ

そのクソは生まれた時点で死に体だ、拡張性がゼロから

そして何かにつけて足枷にもなる、もう最悪だ

しょうがないよね、だってクソなんだもの


おれはそういうクソ仕様を覚えられない

(クソ認定しているもの意識から除外したいせいかもしれない)

しかしそういうクソ人はなぜか記憶力がいい

感心してしまうほどだ

クソをまきちらしておいても、あれはこういうクソ、これはこういうクソと説明してくれる

普段からデフォルトクソ仕様でクソまみれだから、クソ演算能力進化してしまったせいだと思いたい


仕事のできる人はもれなく記憶力がいい

それはクソだった頃の名残なのだろうか

2014-11-02

女叩きはするが、女差別はしない。

 黒人白人叩きをするとき白人差別をしてるというだろうか?

 「女だからと、男女差別をするな!」と女叩きアンチしてくる奴がいるが、女の方が「ブサメンから」と差別してきたのに反抗してるだけだ(女の方から男女差別スタートしていることに注目)。

  

 白人叩きの内容は白人特有の、宗教経済観、法規選民意識に対する、本質的本能部分を叩いている。

 女叩きの内容も、ブサメン冷遇イケメンに媚びる、女特有の『自然な』考え方を叩いている。

  

 女だから自然に』イケメンにこびるわけで、それ自体は女の本能にすぎない。『女の本能であるからこそ女叩きになる。女らしさがブサメンいじめから女らしさの原因になっている歪んだ考え方を叩く。

 この場合、当然女差別なんてしてない。

  

 さて、なぜだか分からないが、最近フェミニストは、「男女を分けて論じるのがおかしい」「男同士でのホモソーシャルミソジニーを産んでいる」という論法を使いたがる。つまり、男の側が男女の差別をするから女叩きしてるんだろ?ということらしい。

確かに、高学歴イケメン集団は女を自由にできるので、女を冷遇するだろう。金持ち集団が男同士が優秀だから性差で(高学歴の)女を冷遇するだろう。

 しかし、そこらの派遣ルールを作って女差別するか?違うだろ、女に「年収低くて恋愛対象にならない負け組冷遇されてきたから女叩きしてるだけだろ。

 いわゆるフェミニストどもが最近主張したい男女差別からの女叩き理論っていうのは、「高学歴の女が得するために、『(高学歴の)女は』と主語から高学歴を抜いてを女一般にしている」という矛盾がある。

 だって、女の社会進出を高学歴女が推進したせいで、普通の女が共働きじゃないと暮らせないようになってしまった。

 普通の女は見合いである程度満足できていたのに、高学歴女がモラトリアムがほしく、仕事した欲求を満たしたいせい恋愛至上主義になった。

 フェミニストって高学歴女が大多数の低学歴女を搾取するための方便になってるわけだ。

  

 ようするに、高学歴フェミニストが叩きたい、「女差別するな!」っていうのは、資本主義トップが儲かれば経済が回るんだからって言って底辺の大多数の人間を切って行ってるのと同じ論法なんだよな。TPPとか、年功序列叩いて雇用を奪ったりする能力主義者達と同じ。

  

 さて、話は戻るが、「女はブサメン冷遇し、イケメン優遇している」のだけど、なぜこういう事が起こるのか?実は、男の側も女差別しているからだ。

 男は女を9割見た目でしか好き嫌い判断しないため、女の方は(高学歴イケメンの)男に気に入られるようにとりいる。取り入らないとイケメンセックスして子供を残せないから。だからこそ、「イケメンに都合のいい世界ブサメン奴隷にして女に奉仕させて、奉仕された利益を使ってイケメンに媚びる」ということを女は選んでいる。いわゆるアッシーメッシー時代が古いかもしれないが、今の時代ならノート代、ブサメン風俗代、ブサメン結婚してイケメンと託卵、そういう部分からブサメンを使って搾取してるわけだ(ブサメンにもウインウインな形になっているが)。

 女の方がブサメン差別するのは、男が先に「女は見た目」と女差別たかなのだイケメンに媚びるためにブサメン差別している。

 これを分かっているからこそ、ブサメンイケメンを叩く。「イケメンはいいよな」「俺たちブサメン冷遇されてる(イケメンが得してる)」「人生は顔」「ただしイケメンに限る」「リア充士ね」こういう風に叩く。女差別で得しているのはイケメンだけで、フツメン以下はデメリットしかない。

 女はこの現状をなぜか見て見ぬ振りをしている、自分に都合の悪い行動は気づかないふりだろうか。で、これに乗れなかったブスが男叩きをはじめる、そう、ブスもブサメンと同じく冷遇された底辺女だからだ。さらに悪いことに、努力美女努力系脱ブスの女(ほとんどの女だが)は、せっかく努力したのだからブサメンから搾取して当然と思っているらしい、ブサメン人間と思わず自分たち奉仕する奴隷と思っている(白人黒人差別同様)。

 これが特にひどいのが高学歴フェミ。男に差別された、男に差別された、性差差別するなと言い出す。いやいや、超絶貴族家庭で育って低学歴女を搾取して、どっちが差別主義者なんだよっていう。女差別してるのはフェミニストの方じゃん。

 フェミニスト高学歴イケメンの女排他理屈にたいして「高学歴イケメンに見初められたいのに、高学歴イケメン差別社会の中じゃ私は輝けない!高学歴イケメンは女差別やめて!私と結婚して!セックスして!」って言いたいのを、男一般、女一般を苦しめてまで主張してるわがまま搾取をする差別主義者にしか思えない。

  

 結論なんだけど、「フェミニスト強硬に主張したい『女叩きは女差別からきている』論は超絶勝ち組イケメン高学歴にのみ通用する理屈であって、普通の男は『女に差別されたから女叩きをしている正当な主張』をしてうるのだから別に女叩きは黒人白人批判と同じで認められるべきじゃないの?」

 あ。ついでに、個人的には、「男に容姿差別をされて傷ついた女が男叩きする」っていうのはいいと思う。けど、ブスの男叩きが全部ブサメン直行なのは勘弁なw流石に論理的おかしからそれは。叩くならイケメン叩いてくれ、男の恋愛感を叩いてくれ。でも、イケメンには相手されないから、『女を陵辱するエロ漫画AVを消費して女に対する性欲のはけ口を汚く見せてくる男恋愛観、そしてそれを消費するブサメン』を叩きたくなるのかな、女は。

2013-09-29

保存用メモ

生野区連続通り魔事件』の削除について

該記事は特筆性無しとの主張により数度の削除を経て、現在削除(白紙保護)という状態に陥っています。

経緯

    ①(初版作成)
    ②Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130526(削除5、存続4)、管理者Muyo(ノート/履歴/ログ)氏により削除
    ③Wikipedia:削除の復帰依頼/生野区連続通り魔事件(復帰26、削除15)、管理者Freetrashbox(ノート/履歴/ログ)氏により復帰
    ④Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件 20130618(削除31、存続26)、管理Triglavノート/履歴/ログ)氏により削除
    ⑤(復帰強行)
    ⑥Wikipedia:削除依頼/生野区連続通り魔事件20130629(削除8、存続1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時削除、白紙保護Wikipedia:削除の復帰依頼#生野区連続通り魔事件 - ノート(復帰1、反対1)、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下

②③④ の段階では削除、存続意見が拮抗している状況が伺えます。つまり特筆性無しでコミュニティコンセンサスが得られている状況ではありません。しかし、④ の段階で削除が実施され、⑤にて手続きによらず復帰強行、⑥にて即時削除(白紙保護)がなされています。そこで、⑦にてわたしのほうから手続きに則り復帰 依頼をかけましたが、管理者Bellcricket(ノート/履歴/ログ)氏により即時却下されてしまいました。事由としては<同じことを繰り返すな>ということですが、そもそもわたしの理解ではコンセンサスなき削除状態をただす依頼であったため、<同じこと>という認識は誤りだと考えています。

本件につきまして皆様のご意見果たして特筆性無しというコンセンサスが得られているのかどうか、をお聞かせください。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月29日 (土) 14:54 (UTC)

コメント ④の削除は、②の削除で合意不十分として③で復帰した経緯を全く無視したものに見える。よって⑦が提案されたものと考える。しかし、この経緯が理解されなかったらしく、⑦が即時却下されたため、まずここで認識の違いを埋める作業が必要だと考える。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月29日 (土) 16:23 (UTC)

コメント この中で一番問題なのは⑤ですね。なので⑥は当然の処置、⑦は却下されて当然です。一方、②から④の判断が適切だったかどうかは削除依頼を隅から隅まで熟読していないので、判断は控えます。--JapaneseA(会話) 2013年6月30日 (日) 01:11 (UTC)

コメント ②および④では、「特筆性あり。存続すべき」ということの妥当性を保証できるような情報がついに提示されなかった、ということでしょう。ですから、少なくとも④については、それぞれの経緯を踏まえた上での、問題のない判断だったと言えます。(個人的には、③では「復帰すべき」とするコンセンサスが得られていない状況だったので、復帰が適切だったのか、少々疑問に感じています結果論ですが、あのまま「復帰せず」でも良かったのではないかと・・・)⑤は行為として最悪なので論外、⑥は当然の処置、⑦は却下されても仕方がないでしょう。⑦は、削除状態を「正す」のではなく「質す・糾す」依頼であったというふうに私の目には映っています。--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 02:26 (UTC)

コメント 各依頼について、

        ②の時点では存続意見より削除意見のほうが妥当(この時点から資料にニュースでは不十分、以後の経過次第では復帰可能と示唆されています)。
        ③については削除依頼で不参加の利用者が多く参加した(何故最初削除依頼意見を言わなかった方々がこれほど参加したか原因は予想できますが)ため、意見合意が出来てないという理由。
        ④については意見が十分に出尽くしWP:DP#CLOSEで言うところの『審議がまとまった』(自分は削除意見と存続意見の大勢が出揃ったと解釈しております意見がまとまったという意味ですと『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあります』と相反するものになるので)ところで、削除意見のほうが理にかなうという判断。
        ⑥はGFDL違反が絡む案件。
        ⑦は新たな材料が無いため③,④の焼き直しとなることは自明。

    現状ではこういう解釈をしており、どの管理者の行為についても問題は無いものと考えます。そもそも特筆性を問題にされている案件なのに二次資料の提示がされないことが現状での特筆性の無さを示していると考えます。よそでも言ったのですが『現状では確認できる資料が新聞レベルでありその域を越える資料が提示されていないため、特筆性(WP:GNG)を担保する二次資料(WP:PSTS)がないためウィキニュース最近の出来事止まりということです』。
    ④において無効撤回も含め賛否コメントの内容を大分すると
    削除意見「現状特筆性が無い、特筆性を裏付ける資料が無い、特筆性を担保する資料が出てきてからでも遅くは無い」27「ウィキニュースの範疇,報道量の不足」4「雑報である、単なる嫌韓感情」1 
    存続意見「犯行理由等が特異,人種にまつわる事件」10「特筆性の理由は不適」1「特筆性はある、資料は十分」11「ネットニュース,削除依頼などで多く関心を持たれている事が特筆性の証紙」3「発展性がある」3「削除に足る要件を満たさない」2「議論不十分」1「事件の大小は問題無く十分百科事典的」1--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC)
    分量が多いので若干見落としがある可能性などは否めませんが、だいたいこんなところです。加えて一度コメント入れて議論しない方もいますので編集者間の審議の合意は無理です、審議の内容であるコメントや議論に基づき管理者・削除者が削除の提案に合意をすることはあるでしょうが。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 03:35 (UTC)

コメント 大勢という文言を使ってらっしゃる方がいますが、基本的にWikipedia多数決ではないと思っています。ですので、④の時点で「削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています。この間違いを糺そうとしたのが⑦の当方依頼および今次の議論提起です。削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です。多数決ではないんです、コンセンサスが取れているかどうかなんです。何回も書いているんですが、ここの観点でのご意見を伺っているのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:21 (UTC)

    コメント ヒートアップしすぎです。お茶でも飲みましょう。いま、生野の件の参加者平等に招集したところでありますから、皆さんの意見を聞きましょう。
    もう一点。返信を乱発するのはよくないので、私のコメントの一部を撤回しました。--Shigeru-a24(会話) 2013年6月30日 (日) 05:30 (UTC)

        仰ることはわからないでもないのですが、本議論を提起したことによりこちらWikipedia:投稿ブロック依頼/BlueSkyWhiteSunでわたしにブロック依頼がかけられています。わたしがブロックと決したならば、本議論も自動的にクローズとされてしまうでしょう。あまり時間は残っていません。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 05:37 (UTC)

            『大勢』は『たいせい』であり大体の状況という意味です。すなわち削除意見、存続意見が大方出揃いコメントの傾向が定まったということです。
            元々の英語版の『Wikipedia:Deletion policy』にある『Deletion discussion』によると「削除依頼に参加する編集者は削除するか否か見解を出せる」「可否は多数決により決まるわけではない」「参加者は各々が自分の見解について説明し方針を参照する」といった内容であり、利用者の間で合意形成をするのではなく、利用者各自が見解を述べ管理者・削除者に対し合意を得るというのが本義であると考えます。そういった意味ではWikipedia:削除の方針の削除依頼のところは主語が省略されており誤解を招きやすい表現です。
            自分削除依頼は利用者の間で合意形成をするものでは無く、個々人の意見が集まったところで管理者・削除者が判断し閉じるものである解釈しております。今回の件に関しては存続方の見解が削除方の見解に比べ具体的な証左に欠けていたのではないかと考えます特に資料が新聞ニュースまり特筆性を押し出すには力不足であったと見ております)。--210.141.54.34 2013年6月30日 (日) 08:03 (UTC)

                すべての合意は利用者間でなされるものと理解しています管理者等は利用者間の合意に背くことはできないと存じます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 09:47 (UTC)

特筆性という『弱い』制約にしたがって削除するには合意レベルが低い。合意が取れているのか自体も明瞭でない。--60.34.102.131 2013年6月30日 (日) 07:46 (UTC)

コメント 「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当」という解釈は間違っています」とおっしゃられている方がいらっしゃるのでコメントします。そもそも、④の時点で「削除票が存続票より5票多いから削除しました」などという低レベルな判断・処置が行なわれたのではなく、削除票、存続票の中身をよく吟味し、検討して、総合的な判断の結果として、④で対処なさった管理者の方は「それぞれの投票時のコメント内容を見る限り、削除が妥当」と判断なさった、ということです。ですから、「④の時点で『削除票が多い→削除が妥当』という解釈」があったかどうかということは問題になりませんし、④の時点での管理者の方の判断には「糾す・糺す」必要のあるような間違いもありません。「削除されるのであれば、削除票が相当な大勢を占めねばなりません。相当な大勢であれば、それはコミュニティコンセンサスが得られていると考えてもいいでしょう。しかしながら、そうではない。であれば、削除ということでコミュニティコンセンサスが取れていない状況であると考えるのが妥当です」とのご意見については、結局のところ、Wikipedia:ウィキペディアは何でないか#ウィキペディア多数決主義ではありませんから見た場合に、意地悪な言い方をすれば「全有効投票数における削除票の占める割合がある一定量以上でないと『削除』という判断を下せない」ということになってしまます。そもそも、「削除票が相当な大勢を占めねばならない」とする根拠が不明です。ウィキペディアでは票の数でコミュニティコンセンサスが得られたかどうかが決まるわけではありません。投票の際に、どのような理由を述べるか、が重要なのです。ぶっちゃけた話、仮定の話として「方針文書・ガイドライン文書と照合した上で、具体的に理由を述べた削除票5票」と「個人的・主観的な理由を述べているだけの、適当な理由付けの存続票5票」があったとした場合、表面的には「票が同数」ですが、これは「存続」以外では判断できないということなのでしょうか。そういう事ではないと思うのですが・・・。「多数決ではないんです、コミュニティコンセンサスが得られているかどうかなんです」との仰せですが、一連のコメントを拝見する限り、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めねばならない。大勢を占めていなければ「削除が妥当」とするコンセンサスが得られたことにならない」という意見は、削除票を不当に軽く扱うものであると思います。その理屈ですと、「票の中身を検討する必要性」が度外視されているように感じますし、何よりもまず、「削除票と存続票の扱いや重さに極端な差をつけている」ように感じますが、ウィキペディアにおける「票」の重みは、「投票時のコメントの中身」によって決まるのであって、「削除票だから軽い」「存続票だから重い」というわけではありません。削除票が相当な大勢を占めていたわけではないことをもってコミュニティコンセンサスが得られていないとするのはかなり無理があるのではないでしょうか。投票時のコメントの中身や説得力次第では、表面上の票数とは関係なしに、票数が少ない側(④のケースだと、「削除」側)の主張が通るケースもあるでしょう。しかし、④のケースでは残念ながらそうではなかった、ということでしょう。長文失礼いたしました。(結局のところ、「④の判断は誰が何と言おうと間違っていた。④の削除処置を糺し、正すために、記事を復帰すべきだ」ということなのでしょうか)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 08:18 (UTC)

    コメント そういうあなた自身が存続票の存在を不当に軽くみているとしか思えません。中身中身と仰いますが、一体どこで削除票には中身があり、存続票には中身がないということがあきらかになったのでしょうか。存続票に中身がないといっているのはあなた個人であってコミュニティはそのような判断はくだしていません。くだしていない以上、双方の見解票は同等の重みをもって扱われるべきでしょう。なお、「正す」「糺す」論については本論とは無関係なため割愛させていただきます。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09

(UTC)

        返信 (BlueSkyWhiteSunさん宛) 票の「中身」は管理者の方が判断材料としてよく読むわけです。そして、その結果として、記事は削除になったり存続になったりする、ということです。私は「存続票に中身がない」とは一言も申し上げておりません。強いて言うならば、存続票が削除審議に与えた影響力の結果は、管理者の方々のご判断(処置)に現れているのではないでしょうか。なお、「(存続票の中身についての判断をコミュニティが下していない以上)双方の見解は同等の重みを持って扱われるべき」とおっしゃられていますが、そうであれば「(削除票の中身についてもコミュニティが判断を下していない以上)存続票と削除票は同等の重みをもって扱われるべき」ということです。ということは、「削除されるのであれば、削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という意見説得力を失います。なぜなら、票の重みについていかなる予断もないはずの状況で、最初から「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」(語釈に忠実に言うならば「削除票は議論において相当な力を持つ中心勢力・メインストリームとならねばならない」となるでしょうか)とすることは妥当性がないからです。「相当な大勢を占めない限り、『削除票』を投じても記事は削除にならない」ということであれば、存続票に比して、削除票がクリアすべきハードルが高い(「相当な大勢」を占めねば考慮されない)という状況を招きますしかしながら、「双方の見解は同等の重みをもって扱われるべき」であるおっしゃれたということは、「削除票は相当な大勢を占めていなければならない」という見解は撤回又は否定されたものと考えられます。なぜなら、「削除票の側だけ、クリアすべきハードルが高い」ということはなくなるからです。(翻って、存続票について考えた場合、存続票も「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」とお考えなのであれば、まだ話はわかりますが、一連のコメントを拝見する限りはそのようなお考えは読み取れませんでした)--Rienzi(会話) 2013年6月30日 (日) 11:06 (UTC)

            あー、ごめんなさい。同等に扱われなければいけないのは「双方の見解」ではなく、「双方の票」ですね。これはわたしの2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)のコメントを読んでもらえればわかると思います。それと作成された記事はWikipediaでは存続が基本です(誰でも勝手に記事作成はできますが、誰でも勝手に記事削除はできませんよね)。記事に対して削除すべきというのであればそれ相応の根拠がなければいけない。その根拠をまとめたのが削除の方針です。削除の方針を適用するためには根拠を述べて審議を通さなければいけないのです。なかでも削除方針ケースE(特筆性)は立証が難しい、というかほぼ不可能。であるならば、コミュニティの大勢を以って判断するしかないわけです。それが最前から繰り返しているコミュニティコンセンサスです。もし、コミュニティの大勢が一致していない場合、つまりコンセンサスがない場合、ケースEについては削除主張者は根拠立証不可であり、作成された記事は基本存続の原則に立ち戻るわけです。つまり、「存続の為には、存続票は相当な大勢を占めねばならない」ということはないのです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 11:36 (UTC)

コメント 私はもう、この事件に関連する議論はもう疲れたのであまり参加したくないのですが、会話ページにお知らせがありましたので、お知らせがあったら必ずコメントする義務はないのですが、一応コメント残しておきます。あと機種依存文字である丸囲み数字は代替できる時には使用を控えるべきかと思いますが・・・。 まず私からすれば、②の削除措置は私個人としては問題のない事だと思っていましたが、まぁ仮に合意が取れていなかったとしましょう。そのための③があり、現に復帰しました。私からすれば、復帰する合意も取れていないので、削除の合意が得られていないとする意見に対して復帰の合意が得られていない意見が出なかったの不思議なのですが、復帰依頼で十分な人数と期間を持って議論をすべきという意味合いがあったのかもしれません。では、その間で特筆性を有する資料をどなたか提示したでしょうか?私は無かったと考えています特筆性が「ない」の証明は複数の状況から総合的に判断するしかないですが、特筆性が「ある」と証明するのは、たった1つの資料を提示すれば済むことです。それを悪魔の証明というかヘンペルのカラスというかは分かりませんが、そういうことです。 なお、⑤に関しては論外です。仮に前の復帰依頼で削除の合意が得られていなかったとしても、それは復帰の合意が得られている事と同義ではありません。議論を無視した復帰は方針に反します。したがって⑥の削除は全く問題ありません。 そして⑦についても問題ありません。というか、この議論もほぼ同義かと思います。④の削除でも言われていますが、記事の復帰にはこれまでに挙げられたもの以外の、全員とは言わずとも10人中8人くらいが「この事件には特筆性がある」と言える資料を提示すべきです。私はこの議論に対して最初から削除派を貫いていますが、そのような資料が提示されれば考えを変えますし、提示されても尚考えを変える気がないと判断するのでしたらいつまでも納得しない人としてコメント依頼を提出するなどの事は構いません。ですが現状では、はっきり言ってしまえばそういう現状を変えるような客観的な根拠を提示せずに復帰に固執する方が納得しない人に該当するのではないでしょうか?そして、各議論で「削除票と存続票は拮抗している」という意見散見されますが、多数決主義ではないという方針は何度も述べられていますが、仮に票数を数えるとして、存続票のどの程度が中身の濃い、具体的な意見を述べていたでしょうか?依然出た意見かぶるものもありますが、存続票が多いのに削除を断ずるのは不当だという意見は、中身の濃さを見ずに存続票と削除票のそれぞれの重さをないがしろにする意見かと思います。 --Kiruria281(会話) 2013年6月30日 (日) 08:33 (UTC)

    コメント 票の中身論については上にコメントしましたので割愛します。特筆性においての削除(削除ケースE)やその他の削除ケースは、削除要件によって削除を行うものです。そして、そのケースに該当しない場合、多くの記事同様、存続が適用されるわけです。削除を訴える側は自らの主張にともない、削除要件を立証する必要があると理解します。立証が不可能であれば削除を申請することは不可能です。ケースEについてはもっとも立証が難しいものしょうがコミュニティとして記事の特筆性がないという判断がくだれば、立証に代えることも可能でしょう。コミュニティとしての特筆性がないという判断、すなわち、コミュニティコンセンサスが得られるかどうかが、ケースEの適用是非を決定するということになると考えますしかるに本件の数次にわたる投票がなされている現況を顧みれば、コミュニティコンセンサスが得られていないのはあきらかです。それを問うているのが本議論です。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC)
    コメント 私は②には参加してませんが、読み返すと④の時以上に、②の存続票が酷過ぎるなと感じました。5対4と言ってもスピード違反論理意見が二つにそれと同調する意見だけでは、他の削除票と同価値と呼べるものではないでしょう。②の時点で削除で決着ついたと言わざる得ないでしょう。その後状況の変化があったわけでも、加筆されたわけでもない④の削除が正当か不当かなんて論じるまでも有りません。⑤⑦に至っては問題外でしょう。加筆さえされて充分量の内容になったのであれば、復帰に協力でもしますが、現時点ではあり得ない話です。--あな34(須魔寺横行)(会話) 2013年6月30日 (日) 09:25 (UTC)

        コメント 票の中身論については上に述べましたので割愛します。充分量の内容というのはどの程度の量か、具体的にご提示いただけますか。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:09 (UTC)

コメント 論点を整理します。ケースE(特筆性)による削除は立証は難しい(これは削除側にとっても存続側にとっても同様)、したがってコミュニティコンセンサスを以ってその有無を判断せざるを得ない。本件については長期にわたってその特筆性の有無が審議されており、直近の正常審議の行われた④の投票においてもコミュニティとしてのコンセンサスが得られている状況ではない。票の中身云々については立場によってお互いが相手の票の中身を判断して良いものではなく、基本的にその票の重さはいずれのものであっても同等に扱うべきである。なお、わたし自身の特筆性を有りとする論拠は日本では稀有(初?)なヘイトクライムであること、外部のニュース媒体からWikipedia編集に関して報道があった、こちらも稀有(初?)なケースであることです。--BlueSkyWhiteSun(会話) 2013年6月30日 (日) 10:54 (UTC)

    コメント 二度同じことを言うのもなんですが、削除の方針について日本語版のベースとなっている英語版では利用者各自が方針に則り削除すべきか存続すべきか意見しその審議内容から削除者・管理者が判断するようです。日本語版でもWP:DP#CLOSEに『意見が拮抗している、その他技術的な理由等により、終了判定と削除実施が遅れることがあり


  

2009-09-27

年下の彼氏

私の彼氏は四つ下。

地位も財力も私より上。

頼られたいせいかなんでも買いたがる。

何でも知りたがる、いちいち聞いてくる。

私に対して上目線で会話してくる。

でも、そんな自分に気がついていない。

その言い方が頭にくるって怒っても

上とか下とかなんなの 馬鹿なの? みたいな。

2007-08-15

終戦の詔勅

朕[ちん]深ク世界ノ大勢[たいせい]ト帝國[ていこく]ノ現状トニ鑑[かんが]ミ非常ノ措置[そち]ヲ以[もっ]テ時局[じきょく]ヲ収拾[しゅうしゅう]セムト欲[ほっ]シ茲[ここ]ニ忠良[ちゅうりょう]ナル爾[なんじ]臣民[しんみん]ニ告[つ]ク

朕ハ帝國政府ヲシテ米[べい]英[えい]支[し]蘇[そ]四國ニ對[たい]シ其ノ共同宣言ヲ受諾[じゅだく]スル旨[むね]通告セシメタ

抑ゝ[そもそも]帝國臣民ノ康寧[こうねい]ヲ圖[はか]リ萬邦[ばんぽう]共榮[きょうえい]ノ樂[たのしみ]ヲ偕[とも]ニスルハ皇祖[こうそ]皇宗[こうそう]ノ遺範[いはん]ニシテ朕ノ拳々[けんけん]措[お]カサル所曩[さき]ニ米英二國ニ宣戰セル所以[ゆえん]モ亦[また]實[じつ]ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾[しょき]スルニ出テ他國ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固[もと]ヨリ朕カ志ニアラス 然[しか]ルニ交戰已[すで]ニ四歳ヲ閲[けみ]シ朕カ陸海將兵[しょうへい]ノ勇戰[ゆうせん]朕カ百僚[ひゃくりょう]有司[ゆうし]ノ勵精[れいせい]朕カ一億衆庶[しゅうしょ]ノ奉公各ゝ[おのおの]最善ヲ盡[つく]セルニ拘[かかわ]ラス戰局[せんきょく]必スシモ好轉[こうてん]セス世界ノ大勢亦[また]我[われ]ニ利アラス  加之 [しかのみならず]敵ハ新[あらた]ニ殘虐[ざんぎゃく]ナル爆彈[ばくだん]ヲ使用シテ頻[しきり]ニ無辜[むこ]ヲ殺傷[さっしょう]シ慘害[さんがい]ノ及フ所眞[しん]ニ測[はか]ルヘカラサルニ至ル 而[しか]モ尚[なお]交戰ヲ繼續[けいぞく]セムカ終[つい]ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來[しょうらい]スルノミナラス延[ひい]テ人類ノ文明ヲモ破却[はきゃく]スヘシ 斯[かく]ノ如クムハ朕何ヲ以[もっ]テカ億兆ノ赤子[せきし]ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈[しんれい]ニ謝[しょ]セムヤ 是[こ]レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應[おう]セシムルニ至レル所以[ゆえん]ナリ

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸[しょ]盟邦[めいほう]ニ對[たい]シ遺憾[いかん]ノ意ヲ表[ひょう]セサルヲ得[え]ス 帝國臣民ニシテ戰陣[せんじん]ニ死シ職域[しょくいき]ニ殉[じゅん]シ非命[ひめい]ニ斃[たお]レタル者及[および]其ノ遺族ニ想[おもい]ヲ致[いた]セハ五内[ごない]爲[ため]ニ裂[さ]ク 且[かつ]戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙[こうむ]リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念[しんねん]スル所ナリ 惟[おも]フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固[もと]ヨリ尋常ニアラス 爾[なんじ]臣民ノ衷情[ちゅうじょう]モ朕善[よ]ク之[これ]ヲ知ル 然[しか]レトモ朕ハ時運ノ趨[おもむ]ク所 堪[た]ヘ難[がた]キヲ堪[た]ヘ忍[しの]ヒ難[がた]キヲ忍[しの]ヒ 以テ萬世[ばんせい]ノ爲[ため]ニ太平ヲ開カムト欲ス

朕ハ茲[ここ]ニ國體[こくたい]ヲ護持[ごじ]シ得[え]テ忠良[ちゅうりょう]ナル爾[なんじ]臣民ノ赤誠[せきせい]ニ信倚[しんい]シ常[つね]ニ爾[なんじ]臣民ト共ニ在リ 若[も]シ夫[そ]レ情ノ激スル所濫[みだり]ニ事端ヲ滋[しげ]クシ或[あるい]ハ同胞排擠[はいせい]互[たがい]ニ時局ヲ亂[みだ]リ爲[ため]ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失[うしな]フカ如[ごと]キハ朕最モ之[これ]ヲ戒[いまし]ム 宜[よろ]シク擧國[きょこく]一家子孫相[あい]傳[つた]ヘ確[かた]ク神州ノ不滅ヲ信シ任[にん]重[おも]クシテ道遠キヲ念[おも]ヒ總力[そうりょく]ヲ將來[しょうらい]ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤[あつ]クシ志操[しそう]ヲ鞏[かた]クシ誓[ちかっ]テ國體[こくたい]ノ精華[せいか]ヲ發揚[はつよう]シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期[き]スヘシ

爾[なんじ]臣民其[そ]レ克[よ]ク朕カ意ヲ體[たい]セヨ

裕仁

2007-06-20

http://anond.hatelabo.jp/20070620032418

うーん…。エホバ増田じゃないけど、一言コメ

この質問者は自分が「ほんとうのこと」をベースに「にんげんとしてのしゅたいせい」を持って生きていると確信しているらしいが、その発想の仕方は狂信的な信者と大差ないということを理解しているだろうか?

どちらかと言えば、エホバに対してすら「付かず離れず」で、クールメリットデメリットをはかってるエホバ増田の方が、仮に身近にいたとしても安心して友だちづきあいできるな。オレは。

2007-02-28

重箱の隅をつつき隊

君達が語っているのは頭の良さというより適性の話だより

適性云々が何か納得いかんので重箱の隅をつつくよ。

剣士はメラゾーマを簡単に放つことはできないし、魔法使い魔物を剣で一刀両断にはできない。人には適性がある。それは、決して数直線上で簡単に語れるものではなく、無数に、四方八方に広がっているものだ。数学が得意な奴もいれば、走り高跳びが得意な奴もいる。

君達が語っているのは、頭の良さではなく“適性”じゃないのか。

ゲーム脳とは言わないけれど、ゲームゲームであるために適性という仕様があるだけでそれを現実に当てはめるのはどうかと思うよ。例えをつつくのもあんまり良くないと思うけど、現実における適性の定義があやふやすぎるよ。花咲か天使テンテン君みたいにみんなサイダネでも持ってるのかよ。

適性というより能力と志向性の問題の気がするよ。

ただ

頭の良さをこう定義する。

頭の良さ=『自分の適性を見極め、それに向かって正しい努力をできる能力』

こう定義すればA君は頭が悪いと言えるし、確かに人生がうまくいっていない。A君が頭の良い人間だったなら、数学を専攻しているはずだ。

部分における"頭の良さという能力はメタ"という部分はその通りだと思うよ。そもそも、頭が良いって能力じゃなくて評価だと思うんだけど、みんな自分が頭が良いっていいたいせいカオスだよ。

評価だけあって元々が好悪に基づくものだから○○師は馬鹿とか頭が良いとか出てくるんだよ。尊敬できない奴はみんな馬鹿だし、嫉妬する価値もない奴もみんな馬鹿だよ。

最終的に何がいいたいかっていうと、思春期にはみんな「世の中には馬鹿ばかりだ」って思うよねっていいたいだけだよ。セカイ系万歳だよ。

2007-01-27

新聞で最も事実に近いことが書かれているのはテレビ番組表

http://anond.hatelabo.jp/20070127050730

スピリチュアルカウンセラーとか信じる信じない以前に、その残念スピリチュアル世界観と、不思議アイドルの語る不思議惑星とその不思議社会構造とに差異を全く見出せないのは僕のあたまがかたいせいなの?石頭だからなの?と漠然と思っていたけど、結構みんなそう感じているんだな。

アインシュタイン相対性理論を説明するのは僕には無理だけど、時間過去から未来へと一元的に流れているものではないことぐらいは、もはや一般常識+αの範囲内だろうに。だから、たとえば過去からばかり転生されてくるってのは変なのね。前世未来ってこともあっていいわけさ。スーパーナチュラルを身上とすべき世界観が、たかだか高校一年生の物理教科書あたりの物理法則にことごとく縛られてしまっているというのはいかがなものだろう。

ちょっとそれを考えに入れて、前世、現世、来世の魂が転生を、しかもものすごく長かったり、逆に恐ろしく速い速度で時空を超えてありとあらゆる物質・非物質、エネルギー・非エネルギーカオスで繰り広げられていると考えてみてはどうなんだろうか。物理学専攻のテクニカルアドバイザーとかをブレーンに入れて。

でも、難しすぎてわかりにくいと商売にならないから、ロバート・A・ハインラインあたりを読んで少しでも世界観を広げてみてはどうかと。あ、そうだ。確か「ドラえもん」や劇場版クレヨンしんちゃん」にもタイムパラドックスパラレルワールドを扱ったエピソードがあったと思うんだが。制作テレ朝絡みだし。

なんてのはド素人の考え方で、ロジックは極めてゆるく、場当たり的にレトリックで華麗に回避というのがプロの詐欺師の手口なんだそうで。僕のように「一に譜読み二に譜読み三、四がなくて五に暗譜」というクラシック挫折型ロック人間には「楽譜なんかポテチも載せられるちょっと便利なコースターだろ」みたいな人のアドリブとかはどだい無理なんだな。へたするとビルの屋上とかでUFO呼んでる痛い人みたいになっちゃうのね。

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