はてなキーワード: ドラえもんとは
そして双方が車の両輪の如く、ほぼ一致していることが理想的なロールモデルと言われるようだ。
大雑把に言って、肉体年齢の2/3くらい。
その幼さ故、正直かなり行き詰まりを感じている。
振り返れば、小学校高学年の時点で戦隊物やドラえもんを卒業していなかったし、中学生になってもコロコロコミックがプッシュするビックリマンシールに興味があったし、高校はファンタジー系ラノベとアニラジとモータースポーツにハマり、大学はテレ東のアニメと声優とプレステのゲームに耽った。
20代はその延長で真面目系クズの社畜としてヘタレに仕事しつつ深夜アニメを毎週チェックし、一方で今更服や髪型に凝り出す。30になったくらいからアニメそのものをほとんど見なくなりニコ動にシフトした。
そして30代半ばの今。
肉体的には美容院でアンチエイジングのスカルプを施し、徹夜ができなくなり、下腹部の膨らみを恐れる状態なのに、見た目的には大変幼いのか、現役の大学生とかから高確率で院生に間違われる。仕事では年下から「ずいぶん若いのが来たなあ・・・」と思われたこともあった。
流石にアニメにはどっぷり浸かってないけど、それでもけいおん!やまどマギやISやあの花は面白いと思ってしまった。
そんな調子なのでもちろん未婚だけど、いい加減落ち着きたい。「一人は寂しい」と思ったときは手遅れだろうし。
要するに自分は、小学校低学年でドラえもんや戦隊物を卒業し、高学年をコロコロとファミコンで過ごし、中学高校でジャンプとサッカーとプロ野球を楽しみ、大学でトレンディドラマ()とミリオンセラーのJ-POP()をハシゴしつつコンパとバイトに明け暮れ、20代後半で結婚して、今は子供が2人いて仕事では役職持ちみたいな、自分の世代にとってごく一般的な道からは、全く外れた人生を歩んできたわけだ。
お陰で、若い人とはそれなりに気が合うものの、周囲の数少ない同年代とはいつまで経ってもスムーズにコミュニケーションを取れないどころか、年を追うごとに相手は大人・自分は子供という精神的成熟度の差を実感するようになるばかり。
ましてや年上の人からは完全に舐められ、軽く見られている。そりゃ年齢の割には不器用だし甘ったれだし色々迂闊だし「こいつは本当にいつまでもガキなんだよなあ。もう少し大人になれよ・・・」と思われるのも無理は無い。
多分、肉体年齢と精神年齢の乖離はこれからどんどん酷くなる一方だろう。精神の成長速度が肉体のそれより著しく遅いのは、これまでの自分の歴史で明らかだからだ。
つまり、このまま行けば30歳の心を持つ45歳、40歳の心を持つ60歳、50歳の心を持つ75歳という具合に年を取り・・・もはやホラーだが、ほぼ確定の路線と思われる。
正直言って怖い。
こんなはずじゃなかったのに・・・。
そうは言っても、これまでもこれからも、他の人と交流しながら年を重ねていくしかないのだが、問題は交流する相手だ。
一体、どういう人達と付き合っていけばいいのか、皆目見当もつかない。
子供じみている自分と、付き合う相手の人生が、お互い少しでも良い方向に変わる可能性のある交流ってなんだろう。
・しょーねんは外に出れば必ず死にたがる生き物となってしまっているのですよ
・ここにいる患者は、つらいことから楽になりたいと願った時、満足に飛び降り自殺することもできないじゃん。追い詰められた時に、精神の矛先が塞がれちゃってるんだよ。だからフェンスを取り除けば、やる、やらないは別にして閉鎖感は和らげられるかと思ってねー
・内臓は激痛を訴えてたけど。自分を削って他の人を詰め込むのが人間関係だから、納得してた。無理にだって限界はあるものだと実感した日がくるまで、そう長くなかったけど。
・だれもこたえないでほしい。だって、かみさまは、いないほうが納得できるから。
・死にたがりながら生きてるのと、生き生きと死にたがるのと、どっちがましか、アタシには判断出来なかった。人は生きてるだけで意味があるんだって、そんなことは学んで来なかったから。
・まいのりてぃなぼくらは効率を求めてはいけないのだ。それは、趣味だけじゃなく、生き方とか、そういったこと全部に当てはまる。もはんてき人間であれないのなら、どれだけこの美しい世界がふべんに感じられても、がまんして生きるしか無い。そのがまんができない人を、「犯罪者」と世間は呼ぶ。
・やられる側としての想像や耐性があったぼくと違って、攻めるだけしか経験のなさそうな「おいかけてくるの」あらため「えらそうなの」は未体験の激痛に反撃を忘れる。
・人が動くために必要なもの。惰性、欲、他人。全くないわけじゃない。ぼくにだって、その3つは少しずつ残っている。この倍、どんな形をしているか何も分からないけど。
・こんなもんなんだ、ぼくは。このていどなんだよ!ぼくは子供で力が足りなくて頭も回らなくて笑ったり泣いたり怒ったりできなくて、自分勝手で人の力を借りたくないのに借りないと生きて行けないのに借りれなくて生きていられるかすごく怪しくて!誰も助けてくれる人がいないし何も助けて返せるものがないし。マユちゃんを助けても感謝されないしぼくを助けても感謝することしかできないし。
何も無いけど、
何もないけど助けて。
助けて、「○○○○○」
・ある人に刷り込まれた幸福のための条件は2つ。その1は自分以外の誰かに期待されたり求められたり、必要とされたりすること。そのニは省略。こっちはアタリマエのことすぎるから、反芻するほど味があるわけじゃない。
(22ページ後)
幸福の条件、その2。自分以外の誰かが、不幸だったり悲惨だったり同しようもない状態であること。こんなの、幸福を感じる為の比較として、当然のこと。・・・でも、おかしい。僕はついさっきまで、どっちも傍で与えられていたはずなのに。ちっとも幸せな気はしなかったんだけど。
・でも・・・でも、ぼくといたときはぜんぜん、幸せそうに見えなかった。
・御園はね、幸せなんだよ。君の目がどれだけあの子の背景に不幸を捉えたって、背負う本人は幸せだけを凝視し続けてるの。それを他人がとやかくいう権利は、無いんだよ。あっていいはずがない。正しい不幸と間違った幸福を天秤にかけたら、どっちが重いって話よ。
・ぼくがマユちゃんを見て不幸だと思ったのなら、どうすればいいんだろう。惰性と他人と欲望の、何に従えば僕は正しく生きられますか。
・先生は、それをクチにしない。意地が喉としたを麻痺させて、容易には送り出させない。対策を練る時間を稼いで、何とかしのいでいく。諦めるのを、どんどん後回しにできる。僕には一生、真似できそうもない人間らしさだ。
・なるほど、大人は、視野が狭いのに、奥が深い。ぼくのうそなんて、まだまだ子供だ。
・起きなさい、××
・金子はドラえもんばりに便利な男ではない。かと言ってのび太でもスネオでもない。僕も同様だ。一体僕らは、何に属せば、収まることが出来るのだろう。
・望む望まざるにかかわらず、僕の一日はここにあった。これがぼくの世界なんだから、甘んじて受け入れよう。日常の価値は非凡なのだ。それを忘れないから、ぼくは普通である自分をどこまでも好きでいられるのだ。
・父の投げかけた言葉を噛み締めてみると・・・中身スカスカで、歯が咬み合ってしまうあー、つまり・・・・僕はとても幸せってことだ。今のご高説は、「ぼく」には不要なわけであり。
見たというか、知らされたのは、死んでからでした。いきなり知らない人が、虐待の事を書いたら、mixiで人が死んだ話をメッセージで送りつけてきました。
その人のマイミクの一人が亡くなった日の日記には、ドラえもんについて書かれていて、全くそんな話は出てませんでした。
それまで何のやり取りもしてないので、いたずらかなと思いました。言い方が、いきなりですみません、驚かれるかもしれませんが、聞いて下さい、というふうに始まるのでもなく、いきなり書いてありました。
京都の人で、殺人事件で有名な勝田清孝さんと同じ高校出身なのかその高校のコミュに参加されてました。 それを知ったのは検索したからでしたが。
嘘か釣りかもという思いと、この人派こういう言い方で嘘だと思われると思わないのだろうか?という思いがしました。
その時点で返信したかどうか忘れましたが、2chのsns板を見てみたら、mixiで自殺!!というスレが立ってたので、気になってみてしまいました。
それによると、亡くなった方は、mixiで元2chでコテもやってて、NHKのしゃべり場を首になった人で、専用のヲチスレまである強烈な人でした。虐待された人のコミュに行って乗っ取って管理人になって、人を叩いてたそうでした。いかにもな叩きもあったかもしれませんが、やってはいけない励ましや責めたりなど、最近偶然違うところでみたら、その強烈な人は何かの政治家の孫らしかったです。
その人に攻撃されたのも原因の一つのようにスレには書かれていて、確認のためmixiを見たら、どうも話は違うようで、叩いてたけどそれが原因というよリ、失恋が直接の原因のようでした。背中を押す効果はあったかもしれません。叩かれていたというより、彼女は良い人で、その管理人が人を叩いたりするのをおかしいと言ったりしてたみたいでした。頭も悪くなさそうで美術系?か文系の4年制大学を出て、その時の専門を活かした仕事にもついているようなのに、新聞記者だった父親と専業主婦だった母親、どちらからも虐虐待を受け、父と別れるように母に言って離婚させたら、父が自殺したとかで、悩んでたみたいでした。兄もいて、mixiにいましたが、その管理人に対しても怒ってましたが、この兄も虐待してた事もあったらしいので、何とも言えない状況だったと思います。
そのコミュニティは、自分とは考え方が違いましたが、その管理人をみんながあんまりマトモに相手にして気の毒だったので、副アカを取り、その人がどういう人かわかるまとめサイトやスレを投稿したら、他の反論や煽り派、別に削除にしないのに、私のだけ削除になってました。
そんな事もありました。
その管理人より普通に仲良くしてたはずのマイミクさんたちの方怖かったです。
そのコミュと関係なく、何かの会か何かの集まり、虐待とは関係ない趣味の会のようなもので、受付をやったりしてたから、顔は割と知られていたらしく、この間あった時には元気そうだったのに、と書いていた人もいました。その会の会長がまた、よくわからない人で、死ぬ前に連絡くれとか言ってたらしく、その約束を守ってメールか電話したのに、見ないか出ないして、中卯にうどんを食いに出かけたら、その間に亡くなったらしいですが、それを延々と後悔したような書き方で書いてました。書いて慰められていました。
mixiだからなのか、死ぬと、追い詰めた方が責められる(マイミクさんの事じゃなくて)
例え勘違いでも
関わってた人は、色々言われる。
ハックルさんは、新しい事なんてしてねぇぞ。
ありふれた手法だけど、ドラッカーなんてニッチでやろうと思った奴がいなかっただけ。
しかも、ドラッカーと萌えを融合する土台に選択したのが、自分が書きたかったが出版社に貶された野球小説。
そりゃ批判爆発だろ、そんなんで試合に勝てれば苦労ねぇよ。
そこをドラえもん的世界と割り切ると、こんどはドラッカーの価値がイミフになる。
で、彼が持ちだした言い訳が、「ドラッカーの読み方を書いた」ときたもんだ。
あの書籍については、「みなみがドラッカーを読み解く描写」こそがすべてで、あとは枝葉末節にすぎない。
読み解いたドラッカーの内容を適用してるはずの野球描写は、枝葉末節で拘るところではないとか、意味が分からないよ。
これらの件について、なにが新しいのかね。
ガンダリウム合金とか太陽炉みたいに、「AGEシステム」がよくわからんがとんでもない代物なんだ、ってSF的な説明をすべきだったとは思う。
こっちも普通の口調にしよう。そして自分がなぜこの辺りの話に疑問を抱いたか議論で説明が付いたからこの辺で終わりにするかも。
自分の考えでは二次創作を含む文化簒奪は、それ自体が悪なわけじゃない。文化簒奪は「オリジナルの価値を損ねる」時に初めて悪になる。
二次創作が許容されるのも還元ではなくそのポイントで、オリジナルをなぞった作品は拒絶される。ぷよぷよの配信は許諾されて、ノベルゲームの配信で激怒するのもオリジナルの価値を奪うからだ。ドラえもんの最終回が訴えられたのも、あまりにオリジナルに近づきすぎたからだ。ポケモンが訴えられたのは、子供向けの健全なゲームというオリジナルのブランディングイメージを汚したからだ。ときメモビデオはコナミの過剰反応もあるが、仮想の彼女と付き合うというオリジナルのコンセプトとバッティングするものだから、という説明が付く。グロやレイプの同人誌が許されるのもそれがオリジナルを離れたもので、還元することはなくてもオリジナルの利益を奪うものではないから。
翻ってカオスのコラージュ作品はオリジナル文化へのリスペクトこそないものの、オリジナルからは到底かけ離れたもので「オリジナルの利益を損ねる」ものではない。ゆえに許容されても実害はないとしか思わない。(水かけアートは許さん)
ただ憎む気持ちは理解は出来る。
文化圏同士の戦争は、論理ではなく感情のレイヤのもので、結局「俺の文化のものを奪うな」の一言で片付き、理屈を後付けすることにはほとんど意味がないように思う。
タイトルで言いたいことは言い切っているのだけど、以下補足。
「カオス*ラウンジがこうなら二次創作同人*1は〜」という言説は比較として正しくない。「カオス*ラウンジ」は現代アートの活動主体のひとつであり、「二次創作同人」はジャンルを指す言葉だからだ。正しく比較するなら「カオス*ラウンジがこうなら【ここに個々の二次創作同人主体(サークルもしくは作家)】は〜」もしくは「現代アートがこうなら二次創作同人は〜」である。
では「カオス*ラウンジがこうなら個々の二次創作同人主体は〜」という比較を考えてみる。文脈はもちろん著作権である。著作権法をあくまで愚直に適用するならば、原著作者の許諾を得ない限り、前者も後者も違法であることに疑いはない。ここでよく持ち出されるのが「二次創作同人は黒ではなくグレー」「〜版元から黙認されている」という言葉である。これは、二次創作同人でも言わば「一線」を越えてしまった事例が存在する(有名なものでは、ときメモビデオ事件*2、ポケモン同人誌事件*3、ドラえもん最終話事件*4など)ことを考えれば、全ての二次創作主体に対して適用できるものではない。しかし、それでも、多くの二次創作同人サークルや作家は原著作者から訴えられることなく活動している。
なぜか。もちろん、主体の数が多すぎて原著作者が訴えきれない、あるいは主体の経済的な利益が小さすぎて訴え損になるという考えはある。しかし、それに加えて、私は彼/女らがコミュニティにその成果物および/または価値を(結果的)に還元しているからだと考える。ここで言う「コミュニティ」とは、原著作の送り手、受け手、その他一切合切の関係者の集まりという意味である。彼/女らの成果物はそれが二次創作物であるがゆえに、必然的にコミュニティに還元される。二次創作物によって原著作のファンが盛り上がり、その盛り上がりがより深いコミュニティを形成し、さらに新たなファンを呼ぶ事例を、私はこれまでに何度も見て来た。とある作品の同人イベントに原著作者がお忍びでやってきて、参加者に対してこっそり「ありがとう」という言葉を残していった例も知っている。また、価値の還元としては、二次創作同人活動がきっかけで、その原著作者と関係がある商業媒体に登用された二次創作同人作者も知っている。価値とは何も経済的なものに限らない。むしろ長期的に見れば、人的な価値の還元は経済的なそれよりも利得が大きいだろう。
さて、カオス*ラウンジである。彼らは他のコミュニティから収奪を行っていると言える。彼らのホームグラウンドたる現代アートからでなく、オタク系の諸コミュニティから、だ。彼らはその「アート」の素材をオタクコミュニティに依存しているにも関わらず、その成果物は現代アートコミュニティに向けて公開されており、しかし彼らが得た価値はオタクコミュニティに還元されることはない。控えめに言っても、カオス*ラウンジからオタクコミュニティに向けて、オタクコミュニティが有する価値(=カオス*ラウンジにとっての素材)の利用について対話の申し出がなされた例を、私は知らない。この申し出は価値を利用される側であるオタクコミュニティからでなく、利用するカオス*ラウンジからなされて然るべきであろう。この対話を行わないまま、または不十分なまま事を進めるのならば、カオス*ラウンジはオタクコミュニティからの批判を甘受しなければならない。その上で、アートの力でもってオタクコミュニティを納得させる、素晴らしい作品によってグウの音も言わせないのが筋だろう。このふたつができないのならば、彼らの括弧書きの「アート」はアートではなく、ただの収奪に過ぎない。そして事実、オタクコミュニティからは彼らの「アート」活動に対する批判が上がっている。「水かけアート」に対するデザイナーからの批判*5が最も分かりやすい一例だろう。
そう、カオス*ラウンジの「アート」の諸問題の本質は、著作権法論でもなく、同人論でもなく、実はアート論でもない。コミュニティ論なのだ。対話が不十分なままに収奪する者と、収奪されることに反発するコミュニティの問題なのだ。したがって、この問題は次のいずれかが為されなければ解決したとは言えない。カオス*ラウンジがオタクコミュニティからの収奪行為を謝罪し、今後一切の収奪を行わないという宣言をし、それを履行する。あるいは、カオス*ラウンジが行う「収奪」行為が収奪でないとオタクコミュニティに対して対話または括弧書きでないアート作品の発表による説得を行う。それまでは、収奪されたオタク系の諸コミュニティ側からの「作品を勝手に使うな!」という類の非難は許され続け、カオス*ラウンジが許されることは決して無いだろう。
大学卒業後、就職してから実家を出て、8年ほど一人暮らしをしていた。
一人暮らしはとても快適だった。
食事一つとっても、ある程度好きなタイミングで好きな物を食べられる。
あるいは食べたくなければ食べなくてもいい。
自炊したければしてもいいし、しなくてもいい。
不味い物ができたら「まずっ!」と言って捨てればいい。
しかし最近になって家族の状況変化がいくつかあり、現在は父と二人暮らし。
特段父に対して思う所はないが、一人でなくなった事が辛い。
夕食を家で食べるのか食べないのか、お互いハッキリしないと自分の予定が立たない。
疲れて「もうあり合わせの物だけ食べて済ませたい」と思っても、
父がきちんとした食事を用意していたら、食べずには済ませ難い。
自炊するにも、父の嫌いな食材はやはり選びにくい。失敗もできない。
うんと体に悪そうなファーストフードが食べたくなっても、
そんなものに興味はないであろう父を誘う事も出来ず、かといって無視もできず、
結局諦めて他の物を食べざるを得ない。
食事の話ばかりになったが、他の事も全て同じようなものだ。
同居相手にある程度気を使うのは当然のことであり、
それを面倒と思う自分が悪いのは分かっている。
ドラえもんは言った。
「話するのも面倒臭けりゃ、死んでしまえ」と。(微妙に違うかもしれないが、大意はそんな感じ)
許されるのなら死んでしまいたい。
それにリアルタイムに遭遇しているのは50代以降くらいでは。
http://twitter.com/#!/mitoko_dij/status/67464707749052416
一部の過激な表現(エログロ等)ばかりが目に付き、「そんなもの『も』含まれる同人誌『全体』があやしげな趣味」ということになってしまう。家族や友達からこんな風に誤解されて困ってる人(それこそ中学生の子)もさぞ多いでしょう。
エログロ以前に(つか同人を「全く」知らなければ「同人誌=エログロ」なんて知識すら無いだろ)
まず「海賊版」「パクリ版」認定されて「あやしげな趣味」と思われるのでは。
元ネタがヲタしか知らないような作品ならぱっと見二次創作である事すら分からないだろうけど、
ジャンプなどの有名作品ならキャラクターを知っている人も多いわけで
「商業作品のキャラを他人が無許可でパクって作った漫画」と思ったらそりゃ怪しまれるだろ。
「まともな親」なら、子供がそんな「あやしい海賊版漫画」持っていたらどうかと思うだろ。
自分の子供が「商業作品のキャラを勝手にパクった漫画作って売って儲けてる」なんて知ったら止めさせるだろ。
(書店で販売されているのに「販売じゃない、頒布だ。儲け目的じゃない」は無理過ぎる。
実際に儲かっているかどうかはまた別の話。商業出版物だって儲かってないものは山ほどある訳だし)
「皆やっている」「一つのヲタ文化として確立している」「殆どの著作権者側は黙認してる」という事が分かるのは同類の同人ヲタだけ。
逆に同人について全く知らないのに、そういう感覚を一切持たない人は
著作権意識が薄い(違法転載動画もマジコンも何が悪いのか分からない)人なわけで
それはそれで別の問題では。
以下ネタバレあり
一番大きかった変更点はジュドの外見が改造されたこと
ミクロスの出番をジュドが奪ったこと
原作を改めて考えれば、ジュドが言うこと聞かないからって改造して味方にしてしまうというのは
藤子F先生は、良くも悪くも、ドラえもん以外のロボットは物として描いていた
藤子F先生は作中で人が死なないことを気をつけていたとどこかで聞いたことがあるが、
海底鬼岩城のバギーしかり、リルルしかり、作中で人並みの扱いを受けていてもロボットは壊れる(リルルは消滅)ことがある
ただ、改造後一言もしゃべらなくなったあたりはちょっと怖い
リメイクではジュドの頭脳だけは物から人並みの扱いに格上げされた
当然ミクロスは必要なくなったので鏡の世界以降出番がなくなった
ロボットに反応するチョークがなくなったのは、ひよこになったジュドに反応させるわけにいかないからだろう
ただ、外見を勝手に変化させるのもやはりどうかと思うわけで
どうせならボールのまま・・・無理か
一番改変して欲しかったのは、タイムマシンで創始者に会いに行くところ
根本を変えれば今の未来はないはずって、ある意味正しいけれど、魔界大冒険でそれは否定されていた
ただのパラレルワールドとして枝分かれするだけで、なんの解決にもなってない
どうせなら埋め込まれていたロボット三原則を思い出させるコードを聞くとか、そんなんでなんとか
あと、ペンダントぶっこむのはないわ・・・ただのかざりじゃねぇーか
関係ないけど、ザンダクロスを操作するときドラえもんがサイコントローラーで操作していたの疑問に思ったんだけど、
リルルが使っても動かせるための伏線だったんだな、地味だ、気づかなかった
日本には日本国憲法が平和憲法と呼ばれる所以となった憲法9条がある。「平和は素晴らしい」「戦争はいけないことだ」と人々は言うけれど世界で日本以外に平和憲法を持っている国はほとんど無い。
ドラえもんに『A国にB国が攻めてきました。A国の王様が「戦争はやめよう!」と叫んでいるところに雲が流れてきて、王様と国民は雲の上に移り住んで雲の王国を作りました。』というお話があるがドラえもんの世界だからそんな甘っちょろいことを言っても雲の世界に行けるが、現実だったら皆殺しにされていると思う。そんな空想のお話レベルの憲法が現実の国、日本にあるというのはなかなかすごいことではないか。
憲法は国の形を規定する。おとぎの国の憲法を持つ国はおとぎの国に。おとぎの国の民はおとぎ話の世界に近づいていくのではないだろうか。
たとえば日本が誇るアニメ。アニメに登場する女の子を嫁にするのが一般的なのは日本くらいではないだろうか。実在しない女の子が歌を歌い、それがランキングに登場するのも。
今の日本は歴史的に見ても特殊な状態ではないだろうか。戦争を放棄し軍隊を持たず、国民は神に頼らずとも豊かに幸せに暮らしている。この状態がいつまで保つか、あるいは終わりなんて来ないのか分からないが、おとぎの国の住人として行く末を見届けたいと思う。