はてなキーワード: 鳥山明とは
うわああああああああああああ!
世界最高ナンバーワンの漫画家が死んでしまったあああああああああああ!
うああああああああああああ!
大号泣だあああああああああああああ!!
鳥山明が死んだらだめだろおおおおお!
すぎやまこういちの時もショックだったけどこれはつれえええええ!
ドラクエどうなるんだよおおおおお!
それも悲しみの受け止め方の一つだよね。たとえば「あれだけ明るい作品を描いて世界に楽しさを広めた鳥山明の死をひたすら暗く悲しい雰囲気にする人がイラつく」と言われたら君は自粛するのかな?
鳥山明が亡くなったニュースでドラゴンボールを集めなきゃとか言ったり、高橋和希が亡くなったニュースで死者蘇生を使わなきゃとか言ったりする奴おるけど、ああいうしょうもない冗談は悲しんでるときはマジでイラつくだけだから、止めてほしいわ。
ドラゴンボールって95年に連載終了してたんだな。
自分の作品が自分の手元を離れすぎてどんどん独り歩きしてくのをただ見ているだけ。
誰かが言ってたけどセルゲームあたりでドラゴンボールが終わってたら、今も現役の漫画家として最先端を走り続けていたかもしれない。
戦後日本最大のメディア作品を作り上げた天才のご冥福をお祈りします。
私は根っからの萌え豚で、可愛い絵柄にしか惹かれない為、鳥山明の絵を好きではないんだが、
それはそうとして、最低限の画材のみで絵を描き、人間のみならず、メカからモンスターまで何でも描けて、
望んでもいないのに親によって無理やり生み出され、その後は過酷な運命をたどることになる漫画・アニメのキャラクターは多い。
その中でも私元増田にとって一番印象に残っているのは、ドラゴンボールのピッコロ大魔王編に出てくるピッコロ大魔王(マジュニア)である。
ピッコロ大魔王が誕生したのは、親であるピッコロ大魔王が孫悟空との決戦に敗北した直後のことである。
親から「孫悟空を倒してお前が世界を征服しろ」という願いを込められ、タマゴとなって地球のどこかへ飛ばされた。
産まれたばかりのピッコロは、孫悟空への復讐だけを目標に生きていくことになる。
この時点ですごくきつい。
ドラゴンボールを読んだのは小学生の時だったが、当時は反出生主義の思想は無かったし、ピッコロの過酷な運命という感想も持てなかった。
大人になって読み返してみると、反出生主義の思想を念頭に考えてみると、ピッコロは「産まれてくるべきではなかった」。
作者の鳥山明氏もそのことについて考えてくれたのか、ピッコロにも救済措置としての「生きることの意味」を与えてくれた。
ピッコロ大魔王編の続編であるサイヤ人編で描かれた、ピッコロと孫悟飯の師弟関係、いや師弟関係以上の親子のような絆である。
ナッパの攻撃によって孫悟飯がピンチになったとき、ピッコロは身を挺してかばうシーンがあった。
鳥山明はドラゴンボールでそもそも少年悟空の冒険アドベンチャーを描きたかったのが人気が出なかったので
編集が「悟空と亀仙人以外全員捨てて仕切り直せ」つってアドベンチャー路線を捨てさせてバトル路線に舵を切った。
鳥山がアドベンチャー路線が好きなのはドラゴボ以降の作品群見てりゃ誰でもわかるわな。
ちなみに等身の高い大人キャラクター描くのもそんな好きじゃない。
その後、バトル路線に飽き飽きした鳥山がピッコロ大魔王編でまたちょっとアドベンチャー路線に戻して
ピッコロ倒して終わりにするはずが人気がありすぎて編集から続けろ、次は大人編だと言われ継続。
その後は本人も「エピローグのつもりで書いてた」「アニメ版をZにしたはもう終わりにするため」と語っていたように
本宮ひろしの男一匹ガキ大将なんかも有名な作品で、作者は何度も終わらせてくれと編集に直訴したが許されず
とうとうブチ切れた作者が主人公の腹に竹槍をぶっ刺して死にました!終わり!ってして
いざ本誌が届いてみてみたら編集の煽りコメントで「続く」と書いてあってビックリ仰天。
結局、それからダラダラ連載を続ける羽目になった。
他にもハンターハンターの富樫が幽遊白書で連載辞めさせてくれなくて病んで失踪した話は有名。
つーか集英社にこの手の話多いな。
他にもなんか途中からジャンル自体がガラッと変わって何だこれってなった作品もあったよな。
そこまで行かなくても、マガジンで連載されていた我間乱ではコミックスのキャラ紹介で定期的に
「編集が入れろって言うから入れたけど面白くならなかった」的な文句がちょろちょろ出てくる。
連載作品でこの手の「作家の思いとは関係なく作品の流れやキャラクターを改変させられる」話は事欠かない。
もちろん、出版社としては芸術やってんじゃなくて、商売として最善を尽くしてるだけってのは実際そう。
人気作品は引き延ばせるだけ引き延ばして金稼がなきゃいけない。
そのほうが作家にとってもいいはずだと思ってそれをやることは否定しないけど、
でもそれで出来上がってきたものは果たして「作家が本来描きたかったもの」だろうか。