はてなキーワード: パッチワークとは
http://anond.hatelabo.jp/20140221132243
元増田は釣りのつもりで書いたのだろうが、俺はかつての自分のことを言われたようで痛々かった。
ただ、最近は元増田のように「自分に自惚れて、周りが許せなくなる」とは思わなくなった。
いくら知識が身についても、プレゼン力が身についても、俺が他人に披露しているのは本からの借り物にすぎない。
それも本を読むことだけに必死になって本の中にある論理的関係を把握しないまま中途半端に用語や言い回しを覚えてしまうので、
気づけば自分の考えのなにもかもが論理関係がまったくない、エビデンスの剥がれ落ちた上澄みのパッチワークにしか思えなくなる。
それでもある程度、会話とプレゼンの練習をすると他人は俺のことを頭のいいやつだと扱ってくれる。
勿論お世辞もあるのでそういうところは差し引いても、俺は自分の頭のなかがパッチワークだとわかっているので過大評価だとどうしても感じる。
そうしているうちに気づくのは、他人は俺のことを評価しているんじゃなくて、俺の背後におぼろげながら見える本の内容を評価しているんだということ。
結局俺が読書して身につけたのは活字を右から左へ流すパイプ管になるスキルなんだなと思うようになる。
それよりかは自分の生活の中で得た知識でなんとか考えようとする他人のいかに偉大なことか。
俺はかつて読んだ本を引用せずには考えを進めることはもうできないんだ。
今、俺はこんなパイプ管になるのを止めるにはどうすればいいかを考えている。
おそらく、本を読むのをやめたって悩みは解決しない。
なぜなら、俺がかつて本から受け取った様々な衝撃は、もう俺の自我に埋め込まれてしまっているから、回復するものではないからだ。
本を書いてまで必死に自分の考えを赤の他人に伝えようとした偉大な人々――作家たちと何らかの繋がりを持ちたいと思うからだ。
時間、空間、人種、身分を超えて偉大な人々に出会えることが読書の最大の意義ではなかろうか。
俺はその偉大さに出会いながら、どうやって俺もそんな人間になれるのだろうかと思う。
そう、ここまで書いてみてはじめて気がついたよ。
読書の本当の弊害ってのは、
独学でレトロゲームを学び処女のアイドルと謳われたゲームソムリエール氏のほぼ全言動が、実際には所属事務所の元ゲーム業界人のオッサン氏の手になるものだった、という衝撃的な事件が世間を賑わせている。これに関連して、少し自分の思うところを書いておきたい。
メディアや芸能業界のあり方、またはポリティカル・コレクトネスについての議論はほかに譲るとして、ゲームソムリエールそのものについての話になる。今回の事件はかなり根源的な問題まで浮き彫りにした、というのがもっぱらの認識のようだ。人はゲームソムリエールに何を求め、何を根拠に評価しているのかということ。また純粋にゲームを勧めるというのはいかに難しいかということ。そんな問題についてだ。ここで私は、純粋にゲームを選んでプレイすることなど不可能であるのは当然として、そんなことを目指す必要さえない、という主張を述べたいと思う。
私が初めてゲームソムリエール氏の名前を知ったのは昨年、おそらく例のロムカートリッジを破壊する動画がUPされた直後のことだ。人づてに話を聞いて興味を持ち、ネットで検索してプロフィールやら言及する文章やらを読み、ゲームソムリエール氏のレトロゲームコレクションをネット上で目撃したと記憶している。そのとき強烈に残ったのは、まず違和感であった。
違和感というのは、そのレトロゲームコレクションのたたずまいとプロフィールや売り出し方とのあまりの乖離に対してである。端的に言ってそのコレクションは、80年代に幼少期を過ごした男性のコレクションのように思われた。真っ当にビデオゲームの洗礼を受け、ゲームを中心にサブカルチャーの波を揉まれてきた知性に優れる人間が、都度つど何らかの金銭の制約を自らに課しながらコレクションされたものだと「わかった」。今このようなことを書いても後出しだと言われるのはわかりきっているが、そう思ったのは事実で、おそらく80年代よりゲームに親しんできた心ある人間の多くが直感できたはずだ(実際、私の知るゲームマニアの幾人かは今回の発覚に対して「やっぱり」といった感想を漏らしていた)。アイドルを目指し上京した後に真実のゲームに目覚め、それまでの経歴を全て破棄した元弱小グループアイドルの一員が、常に轟音の鳴り響く中で霊感の降臨を待って収集した物とは、到底考えられない。プロフィールのそれらの言葉には薄ら寒さすら覚えた。オエッ。売り出すためのストーリーを誰かが描いている。事務所のオッサンははそれに乗じて悪びれずにいるらしい。そんな構図を漠然と思い描いた。
私はそのとき、彼女のコレクションを嫌った。いや、嫌おうとしたのだ。彼女が自らに課した書法の制約とは、売れるアイドルにするための――言い換えればマス・マーケットに届けるための――打算であったに違いないと想像した。売る気満々で集められた、嘘にまみれた、いやらしいパッチワークなのだろうと想像した。そうして想像してみて結局、最初の印象に戻るのだった。怖気の走るようなまがい物にしては「マニアごころをわかっている」コレクションに見える。真摯にレトロゲーム収集に向かわずしてこれが生み出せるのなら、随分な才能の持ち主なのだろう。その点だけは悔しいが認めざるを得ず、周りに評価を聞かれても曖昧なことを言うほかなかった。著書なんてもちろん買う気もしなかった。胡散臭い人間が胡散臭い売り出し方をしている、大量の嘘が混ぜ込まれた(はずの)コレクションが、見てみたら本当に見事な出来だった、なんてことになれば余計に悔しいし。そうそう、見なくたってわかる。きっと、見てて腹が立つようなコレクションに違いない。あーあ、ゲームソムリエールなんて、嫌いだ。
――見たまえ、ここに「物語」によってレトロゲームへの好悪を左右される情けない人間の姿がある。しかも漠然と思い描いただけの、自分の脳内で生み出した勝手な物語によって認識を歪められているのだから世話がない。私だけがこんな情けないのか? ……いや、そうでもない……ですよね?
【元ネタ】 これ読んでいたらふとゲームソムリエールさんのことが頭をよぎったんだ。
「価値観は人それぞれだ」とはよく言ったものだが、これをミーム概念を知った今考えてみると「善悪の価値観を築けない」っていう状態になる事がある。
価値観、正義などはミームの集合体、情報のパッチワークとして、要は「個人がどのような情報を取得するかで善悪は決まる」という事だ。
俺たちは「人殺しは悪い」という情報を与えられているから殺人を原則として「いけない事」と認識する。その情報が与えられていないなら殺人は悪とはみなされなかった筈だ。まあ、人がミームを重視するようになった理由、進化からしてあり得ない事だが。
これに気づいたら、思想を「正しいか否か」ではなく「どのような構造をしているか」で見るようになってくると思う。今の俺がそうだ。
この状態で思想を正しいか否か判断する事は、例えば「どんな構造の建造物が正しいか、正義たり得るか」と論じているに等しい行為だと思うからだ。思想はその個人が取得した情報の寄せ集めにすぎん、して多角的に見たらその思想は間違っていることにも、正しい事にもなる。
ならば「何が正しいか判断する」というプログラムは意味を成さない事になる。それこそ自己というミームの集合に「善」として適応するか否かの問題になってくるわけで、それはそのミームが己の中でどのように繁殖するかにすぎない。
「善悪の領域が初めからあり、それを元に判断する」のではなく「既存のミームの集合体にどう適応するか」で善悪が決まるというのならば、個々のミーム自体は本質的に同じだ。この思想状態で「何が正しいか判断しろ」という指示自体が意味を成さないのだ。
そもそも日の丸が加工されることについてなぜここまで神経質になるのだろうか?
国旗だからという回答では不十分だ。
十分ですよ。
国旗を燃やされたら嫌な思いするでしょう。それと同じ。
嫌な思いしませんか?
余談。
英国国旗のユニオンジャックなどはイングランド、スコットランド、アイルランドの旗印を切り貼りしてつくられたものだ。切り貼りというと語感が悪いがパッチワークというとあら不思議!
本当に余談。
マークの成り立ちは関係無い。
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1293536.html
日の丸を切って貼ってした民主党旗で激昂している人たちがいる。
「やってもうた」という話しではなく一部にせよ意図があった行動であるのだとは思う。
それに案の定釣られたのは恐らくは靖国問題がどうの南京がどうのと騒いでいる人たちと同じ層だとおもわれるので、民主党の大多数の支持層とは最も離れたところにいるのではないかと思われる。
彼らが騒げば騒ぐほど、おそらくは逆効果だ。
日の丸どうこうでそこまで拒否反応を示すその固執っぷりは傍からみれば奇妙にも感じる。旗だけにな。
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そもそも日の丸が加工されることについてなぜここまで神経質になるのだろうか?
国旗だからという回答では不十分だ。
断面が葵の御紋に似てるからという理由でキュウリを食べなかったり、包丁を入れるのを嫌がった武士にも似たなにかがある。
時が経ってしまうとバカらしいその行為も当時の当事者にしてみればいたって真剣な行為である。
そこには葵の御紋を通した象徴への崇拝がある。
それと同様に日の丸を国家の具象として忠誠を誓っているのだとしたらすばらしい事だ。
だがそれは他人にまで強いるのはいかがなものか。
キュウリまでも尊ぶような武士の前で葵の御紋を凌辱するのは明らかな挑発行為ではある。
だが、キュウリを食ったからといって町民を切り捨てて回る武士を善しとするならば国とは一体なんであろうかと疑問に思わざるを得ない。
あくまでバランスの問題だ。
葵の御紋の凌辱の裏に造反の意図をみたのであれば斬り捨てたほうがよいこともあるだろう。
だがご法度でキュウリを食すことを禁ずと規定されだしたりしたらいよいよもって末期である。
日の丸に忠誠を誓えと強いてまわる様は魂までも国家に支配されすぎだ。
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最近つかわれている「売国奴」という言葉も、むしろこういう事を連呼する連中こそが成長を阻害し、国益を損ねているのではないかと評価せざるを得ない。
保守的にやってうまくいかなくなった理由を内部に原因を探り粛清してまわるのは取り巻く環境が激変している現在においてはあまり意味がない。
忠誠や尊敬を法律でいくら規定したところですべての人が同じ価値観になるわけもあるまい。
日の丸を切ったり貼ったりした行動に挑発された人たちは価値観の多様性に対する拒絶、拒否反応をしめした。
自分と異端にいる人たちの考え方や行動を許容できなくなっている。
先に進もうとするひと、その場に居座ろうとする人。
どちらが良い結果になるかわからない。
それぞれが正しいと思ってぶつかるのだろう。
ただ情勢をみるに保守派は不利なようだ。
主張や考えが通らなかったといって極端な行動などに出てくる人たちがでてこなければいいがと若干心配ではある。
まるで終戦間際だな。
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余談。
英国国旗のユニオンジャックなどはイングランド、スコットランド、アイルランドの旗印を切り貼りしてつくられたものだ。切り貼りというと語感が悪いがパッチワークというとあら不思議!
日本でも家紋などは合成紋などあわせてつくられたものも少なくない・・・。
今回も切ったり貼ったりした行為がすなわち問題というわけでなく、それが恣意的にまったく違う意味合いのものに加工されたのが問題なのだろう。
公の場でそれが掲示されたのはやはり少なからぬ意図があるといわれてもしかたがないことだろう。
生臭いね。
コーディネートに詳しそうだから元増田に聞くけど、柄物って具体的に何?
千鳥格子とかパッチワークとかドットとか花柄とかいろいろある訳なんだけど。
脱ヲタしたばかりの人が思いつくのって、ボーダーとか迷彩とかネルシャツのチェックでしょ。
それって、かえって地雷なんじゃない?
マッチョ気味の人がボーダー着たら囚人服に見えかねないし。迷彩は言わずもがな。
ネルシャツは派手だとおバカ丸出し、地味すぎるとオタ臭丸出しで匙加減が結構難しい。
それに「1点くらいは柄を入れるほうがいい」って具体的にどのアイテムなの?
オフのカジュアル着を想定しているようだからタイではないようだけど
アウターなのかシャツなのかカットソーなのかそのへんをはっきりと書かないとかなり不親切だよ。
よかったら追記して欲しい。無理ならいいけど
ちょっと聞いてくれよ。
夕飯食べたらすぐに寝ちゃってさっき起きたんだけど、妙にリアルな夢を見たんだ。
夢の中で僕はシューティングゲームをやっててさ、隣にかわいい女の子がいてくれてた。
そんで、ゲームを進めると一面ごとに隣の女の子といちゃいちゃできることになってて、
15秒くらいギューギュー抱き合ったりできるラブラブタイム(仮称)が毎回クリアごとに楽しめたんだよね。
女の子はとてもリアルだった。設定がリアルじゃない?でも夢だから。
そんで、ゲームには点数の他に特別ポイントがあって、クリアのたびに5ポイントくらいもらえるんだけど、
割り振るったってどこにという話なんだけど、ぶっちゃけると体の部分ごとに。
ポイント割り振ると隣の子の胸が大きくなったり、腰がくびれるようになったり。
毎回クリアするたびにきれいになっていってびっくりしながら夢中でラブラブタイム(仮称)。
起きてから気づいたけど、ポイントアップした部分は昔の彼女の良い部分だとかアイドルのグラビアの記憶を流用してたみたいだ。
それで、ゲームをやってるうちにふと気づいた、ポイントって再配分できるのかな、と。
結論から言うとできた。
身長だか年齢のポイントをいじると小学校高学年くらいの美少女になったり、仲間由紀恵みたいになったり。
ちなみに仲間由紀恵を憶えている理由は身長ポイントを上げるために胸ポイントを流用したら仲間由紀恵になったから。
うわっすげえ、これはシューティングやってる場合じゃないなとか思って夢中でポイント配分試してた。
そしたらいろんな女が理想の形になって現れてきた、
かわいいけど胸がAだった元彼女とか、昔好きだった子とか、体はすごいけど顔は残念だった元同僚がより完璧な女になってた。
これも記憶のパッチワークだけど、ついには全部いいとこ取りのような理想的な女性が現れて、興奮が頂点に達したとき、夢から覚めた。
これだけだとただの夢日記なんだけど、今回はちょっと違う点があった。
意識がこっちの世界にまでガーッと戻ってくるとき夢からの置き土産みたいに妙な確信をもらった。
なぜか「コレハ現実化スル」「必ズ起キル」という、たっぷりの自信があった。
目が覚めてつけっぱなしの電気を消してまわっているうちに思い出したんだけど、
こういう自信がある夢はたいてい正夢で、今までも必ず現実化してた。
僕は預言者かもしれない。この夢は今から3-5年以内に現実化する。
曖昧だけど、一番可能性がある現実は今のポリゴンから革命的に進化して現実に限りなく近いリアルな女の子が出るゲームが買えることだ。
僕はたぶん預言者かもしれない。だけど、たかがゲーム市販を預言するなんてかなり低レベルの預言者だよな、ごめんな。
だけど、義務としてとりあえずこれを皆に伝えておく。役に立つ人や期待して待っててくれる人がいるかもしれないから。
神様もすごいよな、「ああ、あいつに今度出るエロゲの発売日を預言させとくか」
いくらなんでも、チョイ役すぎるだろ。エロゲやったことないし。
でも、もう一つの可能性としては、僕が理想的な女の子とつきあうようになるという夢かもしれない。
そのときは許して。でも個人的には楽しみ。
(2008/10/20 21:30-25:30に見た夢 寝起きなので誤字脱字はご容赦 預言者の名と責任のもとに自分のブログに移すかも)
美味しい店紹介とか新しくできた美容室のピックアップなんかがあって
身近な情報が得られるのはなかなか面白いので、毎月割合楽しみにしていた
その月もいつもと同じように投函された情報誌
なんとなくぱらぱらとめくっていると、巻末の「催し物」ページに目が行った
地元の市民会館やらホールやらで絵画の展示やバザーが行われる、その案内のようなものだ
児童劇団第3回公演、パッチワーク講習、親子マラソン大会、はじめてのパソコン講座…
この狭い地域でも思ったより多くの催し物があるということに驚きつつページをめくる
そこでふと見慣れた名前を見つけた
そんな小見出しをつけられて仰々しく紹介された名前
何より小さく載った顔写真は昔のままだったから確信した
公演の日付は、3日後
その日入っていた予定をすべてキャンセルして、私は気づくと会場にいた
せいぜい300人程度しか収容できないホールには驚くほど人が少ない
その事に何故か私は納得しつつ、ホールの一番後ろの席に腰をかけて開演を待った
指先が少し震えていた
すーっとホールの照明が落ちる、と同時に私の震えはすとんと停止してしまった
そして、ぱらぱらとまばらな拍手を受けて、彼が舞台の裾からゆっくりと歩いてピアノに向かい合うように静かに座った
やっぱり彼だった、間違いない
長い月日が経ったけれど、あの頃とまったく変わっていない姿
もしかして彼の時計はとまってしまっているんじゃないかと不安になるほどに
クラシックに疎い私は曲名も作曲者もほとんど知らないのだけれど、それでも彼が奏でる音は不思議と心地よく
私の中の時計すら止めてしまったようだった
何曲かを弾き終わって、初めて彼が言葉を発した。
「これで最後になります、僕の大好きな曲です」
最初の1音で分かった
私はこの音が聞きたかったんだ
遠い記憶の中、時間の流れの中でもうすっかり霞んでしまった記憶の中で、あの瞬間だけは鮮やかに彩られていた
『私、この曲がいちばん好きだよ』
あの時の私は間違い無くそう言っていた、彼に、思いを伝える代わりに。
さらさらと窓から入る風と、飾られた数々の作曲者達の肖像画、五線が描かれた緑の黒板
それから漆黒のグランドピアノ
何もできず、それでも精一杯だった子供の私
溢れるように蘇る遠い記憶の中で溺れてしまって
すっかりからっぽになってしまったホールの中で、私はずっと涙を流し続けていた