はてなキーワード: 自慰とは
ぐう…
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…それは、中学3年生の頃の話である。
図書室に並べられたテーブルの席には、同級生の女子達がキャアキャア話し込んでいる。
20分後…まだ勃起は収まらず、パンパンに膨れた股間に痛みが走る。
――!?
図書室のオバチャンに見られた。
バッチリ目が合った。
そもそも俺は何でパンツ脱いだんだ?
神様のいたずら?
早速個室へ呼び出され、オバチャンとのタイマンである。
オ「もーねえー?何であそこでオチン○チン出してたの!?」
僕「いや、あ、あう」
オ「もう、何も言わないから!誰にも言わないし!これからはあんな…あんなことは止めるのよ(///)!」
僕「ん、う、あ…い…」
だめだ、人間らしい声が、出ない。
「人前でパンツ脱いでも全然平気っすけどw」みたいな立ち振る舞いなぞ出来るはずがなかった。
全身から、止め処なく汗が吹き出る。
そして何故か、僕が女子達を眺めながら自慰行為をしていたと思われている。
そう!
でも喋れなくて言い訳できない。
深い悲しみに包まれた俺は、すぐさま家に帰った。
即日、黒歴史として僕の胸に刻まれたのだ。
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行動は、ちゃんと確証を得てから起こすべきなのだ。
今の日本人には、信じる心が必要なのだと思う。
(了)
「結婚ですか?」
「うん」
「したくないってこと?」
「特別、絶対したくない、というわけではないんですが。どちらでもいい、どうでもいいという意見に近いです。」
「なんで?結婚って人生においてもっと重要なことじゃない?どうでもいいことはないでしょ?」
「そうですね。結婚したい人にとっては重要かもしれませんし、いずれ結婚する人にとっては重要でしょうね。」
「じゃあ結婚しないの?」
「おそらく。」
「なんで?」
「なんで、と言われましても。結婚するのに理由はあっても結婚しないのに理由はないでしょう。ただ今のままというだけです。」
「する人は多いかもしれませんね。」
「じゃあなんで結婚しないの?」
「そうですね。強いて言えば、私にとっては結婚は普通のことではありません。少なくとも、今のまま歳を重ねていけば自然に訪れるイベントではありません。」
「なんで?今彼女いないの?」
「いません。」
「過去には?」
「いたこともありました。」
「結婚しようとか思わなかったの?」
「具体的には思ったことはないです。」
「結婚したくなかったの?」
「したいとかしたくないとか、そういうのは漠然としていましたね。あまり真剣に考えたことはないです。」
「なんで?それは若かったから?」
「かも知れません。」
「じゃあこれからは、彼女ができて、結婚するかもしれないじゃん?」
「作ればいいじゃん?欲しくないの?」
「特別欲しいとは思いません。」
「なんで?さびしくないの?」
「さびしいというのがどういう事かいまいちよくわかりません。」
「えー、そんなことないでしょ!ひとりぼっちだと心細いとか、人と触れ合いたいとか、そいうのないの?」
「それがさびしい、ですか。」
「多分」
「そうですね。心細い、ということはないです。人と関わりたいということはあります。何かこう、暇を持て余している時は特にそう思います。ずっと物を相手にしていても変化に欠けますから、やっぱり人と関わらないとつまらないですね。」
「んーーーーそういうのとはちょっと違う気がする」
「違いますか。」
「それは、よくわかりません」
「じゃあさ、性欲はないの?」
「あります。」
「あるの?」
「ありますよ。」
「さびしくて?」
「…えっと、やっぱりいいや、性欲はあるんだよね?」
「はい。」
「性欲があるのに彼女欲しくないの?」
「欲しくない、ですか。難しいですね。」
「難しくないよー彼女欲しいの?欲しくないの?どっち?」
「どちらとは言えないですね。真ん中です。」
「まんなか?なにそれ」
「どちらでもいい、です。」
「ええーーーそんなのあり?」
「ありでしょう。」
「だって性欲あるんでしょ?」
「はい。」
「彼女いたほうがよくない?」
「なぜですか?」
「そうですね。」
「あの、今はとりあえず性欲に限っての話ということでいいんですよね?」
「え?うん」
「わかりました。私の性欲についてですが、彼女がいなくてもどうとでもなります。まず第一に、放っておけば治まります。第二に、治まらなければ自ら処理します。第三に、それでも治まらなければ彼女ではない人でも処理は頼めます。以上の三点から、私に性欲があることが理由で彼女がいたほうが良いことにはまりません。」
「変な喋り方するね…んーでもそれってオナニーとか風俗とかってことだよね?それだとさびしくない?」
「…じゃあ、性欲の話はわかったから、セックスについて、一人でしたり知らない人としたり、お金払ってしたりはさびしくない?」
「それは、何故ですか?よくわかりませんが。」
「よくわからないって?」
「何がって、ほら、そういう事は彼女とかお嫁さんとか相手にしたくない?」
「私には相手がいませんから。」
「それは知ってるけど、そういうのってさびしいと思う」
「そうですか。なぜですか?」
「それは、またなぜ?」
「なぜって、だって愛が無いじゃん?」
「愛?」
「愛って、何を愛とおっしゃるのですか?」
「何をって、相手が好きかどうか」
「すごく難しいことを言われますね。」
「難しくないでしょ!好きな人いないの?」
「それも、よくわかりません。」
「わからない?」
「はい。」
「いえ、好きというのがどういうことか、どの程度か、何を指し示すのか」
「相手を好きって思うことじゃん」
「えっとじゃあさ、今までどうやって付き合ったの?きっかけとかは?」
「きっかけ、ですか。そうですね。例えば、元々知り合いだったのが、付き合うことになったとかでいいんでしょうか?」
「その、元々の知り合いから付き合うにあたって、変化とかなかったの?」
「より親しくはなりましたけど。」
「え、ちょっとまってじゃあ、元々好きだったってこと?」
「それがよくわかりません。」
「でも告白したんでしょ?」
「告白はしてません。」
「相手がしたの?」
「相手もしてません。」
「じゃあどうやって付き合ったの?」
「どうやって、…いつの間にか。」
「はあ?そんなことある?」
「あると思いますけど。」
「信じられない…まあいいや、何の話をしてたっけ」
「じゃあ、順番にまとめていいですか?」
「お、おねがいします」
「1.結婚願望はない
2.さびしくはない
4.愛とか好きとかよくわかっていない」
「どうぞ。」
「ええと、…とてもプライベートなことだけどいい?」
「かまいません。」
「はい。」
「けっこうするの?」
「はい?」
「どれぐらいするの?」
「それは、具体的な回数とかペースのことですか?」
「そんな具体的じゃなくてもいいよ!なんとなく、どれぐらいかなーって」
「どっちが?」
「どっち?ああ、自分でするのは気が向いたら、です。あまりしません。人とすることは滅多にありません。年に1度も無いと思います。」
「そんなに少ないの?」
「少ないかどうかわかりませんけど、だいたいは何もしなくても治まりますから。」
「そうなんだ…」
「はい。」
「性欲薄いんだね」
「薄いんですかね。確かに、そんなに強い衝動に駆られるようなことはありません。」
「へええ…」
「あと、あまり好きではありません。」
「何が?女の人?」
「そうではありません。自慰行為とか性交渉があまり好きではありません。」
「性欲あるのに?」
「そう、性欲はあるのに、です。これはもう動物でありながら理性を持つ人間の不条理でしょうね。」
「なぜか、気分が悪いからです。」
「気分が悪い?気持ち悪いってこと?」
「気持ち悪くはないですけど、すごく無駄な気がするじゃないですか。しませんか?」
「しない」
「そうですか。私はすごく無意味というか、無駄というか、なんというのでしょうね。虚無感とでも言いましょうか。その感覚がいい気分ではないので、好きではありません。」
「だからしないの?」
「そこまで進んではしません。」
「ていうか、してくれる相手いるの?いないから風俗行くんじゃん?」
「そうですね。そのときはそうです。」
「女性に相手にされないってことでしょ?」
「そうですね。相手にはされません。」
「ただモテないだけじゃん?」
「そうかもしれませんね。」
「彼女いらないとか結婚したくないとか、モテないことの言い訳じゃん?」
「言い訳?」
「そーそー、モテないで独りだから強がって彼女いらない!とか結婚したくない!とか言ってるんじゃん?」
「え、何故ですか?」
「努力が怖い?がんばってもモテなかったらどうしよう!とか思っちゃう?だったら俺はがんばらないからモテないだけなんだ!って言い訳を残しておきたい?」
「…ちょっと、待ってください。」
「なに?怒った?」
「怒ってないですけど、」
「バカにされたと思った?」
「それも、別に思ってないです。」
「思ってないの?じゃあなんなの?」
「あなたはですね、何か、男性というものをひどく誤解されているような気がして。」
「誤解?」
「そうです。」
「どんな誤解?」
「この誤解を解くには非常に難しいと思います。事実、あなたが認識されているような男性もいなくはないので、あなたの認識が嘘かといえば、嘘ではありません。しかしながら、あなたの認識が全てに当てはまるかといえばそういうわけでもありません。私もその認識の外の対象になります。そしてその誤解の対象は少なくとも私だけではないと思われます。大多数とは言いませんが。」
「だから、どんな誤解?」
「その、ですね、まず」
「うん」
「まず、これはとても単純ですが、認識を誤ると根本的に話の流れがおかしくなるので大事なことなんですが。」
「なに?」
「はい、我々男性ですが、皆が皆、いろいろな女性から好かれたいなどとは思っていません。」
「そうです。」
「それも強がりでしょ?俺は別にモテなくてもいいんだ!モテたくないんだ!っていうモテない男の言い訳じゃん」
「ええと、ですね。」
「でしょ?」
「ですから、そこの認識を誤ると、全ての話が通じなくなります。」
「なに?どういこと?」
「その根本的な部分を誤解したままだと、何の話も出来ないということです。」
「だって嘘じゃん?モテたくないとか嘘に決まってんじゃん?そんなの信じられないし」
「そこも若干違います。」
「何が?」
「でしょ?自分で認めてんじゃん」
「そうではありません。私の意を正確に表すならば、“色々な人に好かれるのは構わない、しかし、好かれないからといってどうということはない”ということになりましょうか。」
「嫌われたい訳ではないけど、好かれたくもないってこと?」
「そうですね。似たようなものですが、あの、最初の結婚の時にも思ったんですけど、」
「何?何が?」
「はい。あのですね、私に関して言えば、ですが、まずその、気持ち自体がそんなに強くないんです。」
「え?どういうこと?」
「はい。ですから、好かれたい、とか、好かれたくない、とか、付き合いたい、とか、独りでいたい、とか、さびしい、とか、セックスがしたい、とか、そういう全般的なことです。」
「え?え?」
「どういえばいいんでしょうね。簡単に言えば、無関心なのです。私の場合は、何事においてもほとんどが“どちらでもいい”或いは、“どちらかといえば”になります。」
「興味ないってこと?」
「興味無いはちょっと言い過ぎかもしれませんが、どちらにせよその結果を求めるために努力しようなんてバイアスは全くもって働かないんです。」
「??」
「こうなればいいかもしれない、でも、ならなくてもいい、という状況であなたは努力しますか?」
「そうでしょ?そういことです。」
「なんで?それはなに、振られるのが怖いとか?努力して駄目だったら怖いから?彼女いてもめんどくさいとか?束縛されるからとか?結婚のメリットがないからとか?人生の墓場っていうから?」
「違いますね。」
「違うの?ありがちじゃん?今結婚のデメリットとか流行ってるし」
「どこが違うの?」
「はい。まず、結婚のデメリット云々という議論ですが、これは『デメリットばかりで男にとって結婚は損だ』という議論ですね?」
「違います。」
「じゃあなに?」
「はい、このデメリット議論ですが、それはそれで大いに議論してくださって構いません。いろいろな意見があるでしょう。でも、これらの議論は『デメリットが無ければ結婚したい、メリットばかりなら結婚したい、けれどデメリットばかりだから結婚は嫌だ』という原点から、そのデメリットを説明する議論になっています。」
「うーん、そうだね。男にとって結婚は損だから結婚しないなら、得だったら結婚したいの?っていう話だよね。」
「はい。」
「じゃあ得だったら結婚したいの?」
「そう、そこです。そこが違います。」
「違う?」
「はい。違う点はそこです。私は結婚が得であろうが損であろうが関係ありません。そもそもどちらでもいいのです。メリットデメリットは、初めに結婚ありき、の話です。結婚とはどうなんだろう、得するのか、損するのか、損をするなら、やっぱり結婚はしたくない、という議論です。私の中には初めから結婚を考えることがありません。ですから、デメリットなどを考える土台にすら立っていないのです。」
(おまけ追記)
以前に書いたエントリー
両方のエントリーともに思いの外たくさんの方に見てもらえて、ついつい蛇足をつけずにはいらせんでした。御精読頂いた方、長々とありがとうございました。しかし以前のエントリーに比べたら半分以下の長さだと思われます。お目汚しがてら言い訳したいのですが、前回のは4時間ぐらいかけて試行錯誤しながらタイプしてましたが、今回のは1時間もかけずに走り書きです。前回と比べたらめちゃくちゃ荒いです。同じ内容であと3倍ぐらいは書きたかった。ですから、本当は後から加筆修正するつもりだったのですが、思いのほか人に見てもらえたのでめんどくさくなりました。私個人的には、10人しかわからないことを一行で書くよりも、30ページ書いて1000人に理解してもらう、というスタンスですので、どうしても説明文が長くなります。そこまで言わなくてもわかっている、という人もたくさんいらっしゃるでしょう。逆に、コメントを見ていれば、あれだけ回りくどく説明しても文面さえまともに読めない方もいくらかいらっしゃると思います。それは諦めます。現実社会では、そこまで説明することもありません。
これはおまけなので、返って本文を台無しにするかもしれませんが、そんな大層な本文でもありませんので、言わせて頂きます。まず、たくさんいらっしゃった、この“回答者”に共感頂けた人へ。あなたは間違っていないし、おかしくもなければ、独りでもない。多数の共感者がいる。だから、自分について、理解されないからといって、腐らないで欲しい。悲観的にならないで欲しい。誰が何と言おうと、あなたはあなたです。あなたの思うように生きればいい。自信が持てなければ持たなくてもいい。そして、今後僕らの考え方がどのように変わっていくかもわからない。しかし、あなたがあなたであることは忘れないで欲しい。自らを受け止めて、受け入れればいい。自分らしく。
次、共感できなかった人へ。今回のエントリーは、現実では起こりえない対話文となっております。なぜ起こりえないかというと、当然ながら誰もそこまで追求しないし、説明もしないから。ですから、我々が思っていることの一部も、あなたがたは知らないし、今回のように多少知り得たところで共感できないでしょう。しかしながら、我々は基本的に、わからない人たちに対して理解を求めません。いわれの無い非難や誤解に対しても、関心を示しません。なぜなら、それらは幼少期、とうの昔に試みて、対抗して、失敗しているからです。我々は理解を諦めております。ただ、あなた方も我々のような存在があるということを知るのは損にはならないと思います。あなた方の中で、こういう人もいるという視野が少し広がるかもしれません。なぜならそれは、少なくともあなた方が考えていたような人種ではなかったのですから。
この対話文はありとあらゆる予想される問いかけを想定して書いたつもりですが、なにぶん不十分で、思いがけないコメントを頂いて「そういう意見もあるのか」と参考になります。当然、「それに対してはこうです」と返答したい。いろいろなコメントやトラックバックに対してもこの回答者のように一つ一つ返答してはみたいけれど、めんどくさい。けれど、いくらでも返答は出来る気がします。「理解して欲しいわけでは無いなら、なんでこんなことを書いてるの?」とか「何がしたいの?」とか、あるかもしれません。一つ忘れていたのは「経験してみればわかる、君は知らないだけだ」という意見にたいする返答。これぐらいは予想できたはずなのに、何故か抜けてしまいました。
ついに今日を迎えてしまった。それまでは心のどこかに「19だから、未成年だから」という意識が少なからずあった。いや、かなりあった。別に悪いことはしてないけど良いこともしなかった。何もしなかった。そのことを「まだ子供なんだから……」と慰めのような言葉で紛らわしていた。誰かに言ってもらうわけでもなく脳内で何度も繰り返した。気持ちの悪い自慰行為である。しかしカレンダーをめくるように今日で僕は社会的に成人となった。もうあのフレーズは使えない。僕みたいな人間が成人とみなされていいのかと自分のダメっぷりにはいつも嫌気がさしている。小学生の頃夢想していた大人に僕はなれなかった。あの頃の自分に申し訳ない気持ちさえする。ごめんねマジごめん。ぬるま湯に浸かりすぎた僕はいきなり熱湯に浸かることも冷水を浴びることもできない。かといって風呂場を出る気もない。日本にも通過儀礼的な行いがあればいいなと思う。同窓会となんら変わりのない成人式のようなものではなくてある程度心身に苦痛を伴うような行事が。ま持論だけど人が変わるというのは一日程度で変化するような劇的なものではなく火にかけた水が沸騰するような漸進的なものだしそういう外部的な機会に頼ろうとしている時点でやっぱり僕はまだまだガキだ。通過儀礼も国全体として緊張感のない日本で行ったところでただのイベントに成り下がる気がする。やっぱり通過儀礼なんかなくていいや。ふふっあーあどうしよう。なんだかなあ子供のころはプレゼントもらえたりでウキウキしていた誕生日が今は全然嬉しくないや。自分は大人だと納得できる日は何年後になるのだろうか。叱責されて「君はまだ子供だね」と言われる方がまだよっぽど心地が良い。
液晶屋になってしまったという事であろう。小さな液晶しか作れなかった時代においてはパソコン用の液晶ディスプレイは高価なままで売れる商品という基準を満たしていたが、大きな液晶が作れるようになってくると、持ち運べるサイズの液晶画面で十分というパソコンは液晶の販売ルートとして、見劣りがするようになっていったのである。
大画面の液晶を安く作り、大量に売り捌くには、テレビの方が良かったということである。HDDやメモリー、CPUにマザーボードと、パソコンの構成要素は専業化が進んでいて、それほど大きくないサイズの画面が求められる液晶も、時代遅れとなった製造ラインを買い取った中進国の企業の専業へとなりつつある。
パソコン事業を打ち切るのは理解できても、タブレットPCにという展開は理解できない。
画像ファイルの閲覧だけであれば、極端な話、デジタルフォトフレームで十分となる。書籍を画像データとして取り込んだモノを、一枚ずつ捲れれば良いのであれば、数千円で買える画面サイズ7インチぐらいのデジタルフォトフレーム以上の機能は、必要無いとなる。zipで圧縮したままで閲覧できるとか、jpgだけでなく、pngやbmpといった画像形式に対応していてくれると、解凍したり画像変換したりしなくて済むし、flvやmp4やaviといった動画フォーマットにも対応していると、youtubeやニコニコの動画を保存して閲覧するという形でテレビの代用にもなりえる。充電池で動かせるとなれば、通勤にも持ち運べるし、寝床でもつかえるとなる。
フォントがどうとか、著作権保護(DRM)がどうのと、余計なコストをかけて使い勝手を悪くしているメーカーと利権屋の自慰行為に消費者が付き合わなければならない理由はどこにも無い。
とんがった製品を作れないメーカーに存在意義は無い。本人達は、最先端をつっぱしっているつもりでも、まるっきり見当外れの方向に、しかも大幅に遅れて走っているという状態であったりする。しかも、筋が悪い事を多くの人が気付いているので、その方向に走っているのは本人達だけとなる。回りに人が居ないので独走しているように見えているのかもしれない。
パソコンを持たず、携帯電話だけという人にならば売れるかもしれないが、そういう人の購買力をあてにする商売は先が無いとは思わないのであろうか。
メーカーの大きな図体を食べさせていけるだけの売り上げは、見込めないと判断せざるを得ない。
自称隠れオタク。実際の容姿がどうだろうと、隠れに見えなくても自称「隠れオタク」
属性的には漫画ヲタ及び同人ヲタで都合が合えば本を買いにコミケ参加する。(仕事休んでまでは絶対行かない)
リアルでは親及び友、当然周囲の先輩や同級生、職場では一切ヲタクに係わる話は一切しない。
当然ヲタカミングアウトは一切してないし、所謂萌キャラグッズに興味ないから
漫画や原画集設定集だけが家に積まれてるだけでアニメキャラ物は鞄キーホルダーの日常用品から一切排除。
サイト持ちであることも、そもそもサイトを作れる技能があることも周りは知らない。
ヲタから(ヲタでなくてもそういう匂いがする人)話を振られたとしても絶対に乗る気はない。
そもそも運よくされたこともないけど。
というわけで基本三次元では一切に次元の話はしないし、したくない。
とにかくリアルにおいては「ヲタ」というレッテルを貼られたくないという一身。
ヲタというレッテルはまだまだ世間じゃ悪い。生理的に気もがられる。
それが耐え切れない。
だからネット上でのみ考察や妄想を好きなだけ2chやサイトで垂れ流し、リアルでは一切封じる。
(それでもコミケと秋葉原に行くのは、現実世界をヲタ世界が凌駕して逆転している空間である為、と脳内言い聞かせ)
たとえネット上で語り合える人が居たとしても、それを三次元に持ち出してオフ会するのはアウト。
ファミレスかなんかで二次元の萌話してる集団とか異様に見えてしまうから。
こういうヲタが同類を叩くというのは否定しない。実際叩く人もいるだろうし。
私の場合は叩かない代わりに無視する。
萌話考察及びヲタク論にわか論争etcあらゆるヲタにまつわる話は三次元には持ち込まないというルールが自分にある以上、
叩くも何もリアルで話された所で無視し知らぬ存ぜぬを通すだけ。
ヲタ人格はネット上でのみ満喫する。・・・逆に言うとネット上では三次元の話はしない。
萌や燃えを共有したくないのか?と問われれば確かに共感したいという部分はあるけれど、考えてみればネット上でもサイトヒキで
自慰の如くチラシの裏に独り言垂れ流すだけで満足しているアホだったことを思い出した。
多分自分が死んだら、ネットの海にある自分のサイトは誰からも手を入れられないままサービス終了と共に消滅すると思う。
三次元からはヲタ趣味を一切知られずに、逆にネット上では放置サイトとして、やがて消えていくに違いない。
それだけがちょっと寂しいことだけれど。
ヘット・ドルプの何人かの住人と,性について本音で語り合った彼は,セックスの時には「健常な体をしている自分」を無意識に想像しているという自己欺瞞に気づく.その晩,彼は,自室に戻り,上体ばかりが発達し下肢が未発達の「サルのような自分」の裸身を鏡に写し,その姿を見つめながら自慰をする.その時彼ははじめて本当の性の喜びを感じ,それこそが,本当の自分だと実感するのである.
私の幼なじみの間ではそれほど特別なことではありませんでしたが,ゾラ家にとっては,ハーバードの大学院まで進んだ私は大したものでした.私の父は10人兄弟の末っ子でしたが,親戚の中で大学に進学した者は私のほかに2人しかいませんでした.ウェストエンドの調査に私が参加したことは,そんなゾラ家にちょっとした波風をたてることになりました.母は,長年そこから抜け出したいと切望していた下流階級の暮らしに息子が「潜伏」するという研究には困惑していたようです.一方,父は大喜びでした.父は,私が大人になってからは,初めて私と一緒に行動する機会を得た上,父の得意な技能を私に伝えることができたからです.父はたいそう自慢気に,私をビリヤード屋に連れて行き,「ハーバード大学教授」の息子にエイトボールやローテーションの技を教えてやるんだと吹聴していました.加えて父は,私にバーでの俗語やふるまい方を教えて,ギャンブルの手ほどきをしました.これには母はすっかり狼狽してしまい,私の研究については一切聞きたくないと言って,子どもの頃以来私に言いつづけていた「勉強はどうなの?」というセリフを初めて言わなくなりました.(中略)こうして私は,見たり感じたり聞いたりといった五感を用いるだけでなく,伝統的な参与観察では言及されることのない調査者の出自という「私自身」の一部を調査に役立てることができました.ドチェスター地区やマタパン地区の労働者階級のユダヤ人家庭に育ち,数年間工場で肉体労働をしたことがあるポリオの少年という私の出自は,たんにウェストエンドの仲間内の会話の種になっただけでなく,私の研究に直接影響を与えました.(中略)そして,ウェストエンドに始まり,ヘット・ドルプではっきりした事実とは,愛情あふれるユダヤ人の両親によって社会化されたこと,私が受けた教育,および,ポリオとその後の交通事故による障害を「克服」するためのすべての努力は,実のところ「私自身」の一部を切り離し,遠ざけることだったのです.私は大学に行くまで自分が労働者階級であると考えたこともありませんでした.大学に行ってはじめて,ブルーカラーの父をもつのは自分だけだと気づいたのです。(Zola, Irving Kenneth "Missing Pieces: A Chronicle of Living With a Disability" 1982)
好きなアイドルに過去にお付き合い経験があったくらいで何をガタガタと。
俺が若ぇ頃はなぁ。
「らって自慢するだもん」
とかいって、焼きそば食べられないくらいで泣いてた子に萌え萌えしてたってぇのに、
しれっと、出来ちゃった結婚されちゃって、
目が気持ち悪いくらいおっきくなっちゃって、
「のの、天使!」とか言ってたのが信じられないくらい汚らわしいギャルになっちゃって、
あまつさえ2人目を妊娠中とか。
あんなにみんなに愛されてたのに、今では世間から総スカン状態。
もう悲しいとか悔しいとか死ねとか殺すとか、いちいちそんな感情をひねり出すこともできないくらい、うちのめされたもんさ。
正統?のアイドルでさえそんなもんだからよ。
自ら「アイドル」であろうした奴でさえそんなんもんだからよ。
アイドル声優とかいう「アイドル」と「声優」のどっちの亜種なんだかわからない、
本人でさえ望んでいるのかそうでないのかも分からないような、中途半端な存在に。
いちいち君達のピュアな気持ちを傷つけさせられてるんじゃないよ。
3次元の女でさえ星の数だけいるんだから、妄想に使える女なんてそれこそ無限にいるわけだ。
使えなくなったエロ本なんかさっさと捨てて、新しいダッチワイフを探しにいけ。
捨てられたなら、こっちも捨て返せ。
だからそんなに苦しいんだろうけどな。
妄想上でくらい、鬼畜になって、どんどん犯して捨ててやればいいさ。
いい年してあの似非ピュアっぷりは、だまされてやってもいいかな?と思っちゃうぞ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1501899.html
まあしょうがないと思う。男の人はそんなもんだと思う。
でも実は、しょうがないんだろうなと思いながら、自慰行為の話をおおっぴらにして欲しくないと思ってる。
はてブの人気記事にAV女優の記事が出たり、TENGAの記事が出たりするのも正直なところいやだ。
だってリアルでは、女がいるところで猥談なんてしないでしょう?
男だけが集まってる場でのみ、AV女優やTENGAの話をするわけでしょう?
「肉便器をヤリ捨ててやったwww」みたいな話が、女性ユーザーの面前でくり広げられたりもする。
自重して欲しいんだ。
結婚してもうるさく言ってたら問題かもしれないけど、高校生くらいの女の子だったら、
「イケメンエースの○○君は自慰なんて絶対してない!」みたいに夢持つ権利だってあるよ。
そういうのを片っ端からたたき壊さないで欲しい。
男の人だって、女に「今すっげぇでっかいウンコ出たわ~!マジどっさり!しかも超~臭かった!!」
なんて報告されたらゲンナリすると思うし、
すっげぇでっかいウンコ出すのは勝手だけどいちいち報告しないでくれよ、って思うでしょう?
元彼とのエピソードなんて、事実でも聞きたくないでしょう?