はてなキーワード: 脱獄とは
Jailbreakをするということは、せっかくAppleが提供してくれているこの「セキュリティの枠組み」を外すことである。そのため、ウィルスに感染してしまう可能性もあれば、予想もしないセキィリティホールから個人情報を盗まれてしまう危険に自分をさらすことになる。
①中華製アプリをダウンロードしたら、勝手に課金アドオンを大量課金されていた。しかもそれは非脱獄環境だった。
②純正iPhoneアプリの中に勝手に個人情報を盗んでいた有名アプリが存在した。
iPhone3GSのホームボタンの調子がここしばらくすこぶる悪いので、
(音声コントロールとかは使ったこと無いので知らない)
※選んだものだけを終了させるやり方は不明
以上です。
これで自分は今のところ、(以前よりは面倒なものの)、問題なく使えています。
説明不足なところがあったりしたらすいません。
巷でiPhoneアプリの紹介やホーム画面の紹介ブログなんかがあふれかえってますね。
でも、そのどれもが、自称ライフハッカーみたいな人ばかりだな~とか思いませんか?
そこで、平々凡々な僕がよく使っているアプリを自分の備忘も兼ねつつ紹介してみなさんの人柱になれたらなーと思います。
ちなみにJailbreakをしていますので、そちらで使用しているアプリもちらっと紹介します。
【スケジューラー】
・Refils 1200円
いきなりの高額アプリなんですが、毎日見るスケジューラーは見た目のきれいなものを使いたいですよね。
これは使い勝手もよくて、見た目も美しいです。動作は早くもなく、遅くもなく・・・
調子こいて買ってしまったから仕方なく使ってるだけです。今はほかに安くていいやつがあると思います。
【ToDo】
PCとも同期できるらしいのですが、めんどくさいし必要ないのでやってません。
【RSSリーダー】
・Reeder 350円
Google Readerと同期させて主に電車の中での暇つぶしに使ってます。
地下鉄で駅に停車してるときに同期させたりとかするんで、同期が爆速なこいつは便利です。
あとこれ使ってて他のRSSリーダー使うと「見た目ダセー」って思っちゃいます。
【Twitter】
なんだかんだいって公式が一番使いやすいです。サラリーマンなんて長いものに巻かれておけばいいんですよ。
【辞書】
むっちゃ高いんですけど、電子辞書に比べればはるかに安いです。
TOEIC600の僕にはこれで十分です。
【家計簿】
これはいいですよ!これを使い始めてから節約を意識しているので月の出費が30000円くらい減りました!
単に風俗通いをやめたからかもしれませんが、効果絶大ですね!!!
【ブラウザ】
・iCab mobile 230円 + Browser Changer(JBアプリ)
とにかく多機能です。ツールバーをカスタマイズできるのがお気に入りです。
Browser Changer(JBアプリ)と組み合わせて、サファリに飛ぶを選択すれば常にiCabで開くようにしています。
【クラウド】
・Post Ever 230円
時代はクラウドコンピューティングです!
evernoteはPosteverと組み合わせて日記帳にしています。
dropboxには家のPCでダウンロードしたエッチな画像をたくさんいれてます。
【音楽】
SoundHound 無料
鼻歌とか街中で流れている曲の詳細をおしえてくれるアプリです。
【デフォルトでよく使うもの】
脱獄アプリのWeater Iconを使うとデフォルトのお天気アプリのアイコンが現在の天気と気温を表示してくれます。
・連絡先
ランキング1位とかになってる連絡先+とかも使ったんですけど、アイコンがおしゃれだし動作も早いので
デフォルトの連絡先アプリを使ってます。グループ分けとかめんどくさいだけです。
普段連絡する人なんて限られてるからメールや電話の履歴を見たほうが早くないですか?
デフォルトのものが起動も早くて画質もきれいで一番バランス取れてるとおもいます。
Silent Patcher(JBアプリ)を使うとシャッター音が消せるので、仕事中にメモをパシャっとできて便利ですよ。
・時計
目覚ましに使ってます。
iPod touch/iPad/iPhone で脱獄することなく時刻を秒単位で正確に合わせることが出来るようにしてほしい。
WiFi必須でも構わない。ntpサーバを見に行けば楽に出来るはずだろう?
秒単位の時刻が鍵になってるアプリ、特に、ワンタイムパスワード系のアプリを使っているときに致命的なんだ。
iTunesでは時刻まで簡単に同期してはくれなかった。だが、仮に同期出来たとしても大変つまらない使い方だと思う。
追記:もう少しこちらが望む使用感を正確に書くべきだった。少し修正した。
・いちいちiTunesと同期しないといけない方法も望んでいない。
・インターネットへの接続を確保出来れば、アプリ1つ(かそれに準ずる簡単な操作)で秒単位で時刻を合わせることが出来る、という状況を望んでいる。
縛り付きにすることで安売りされている端末がある。縛りというよりSIMロックのようなものだ。
今回、アイ・オー・データのWMX-U02(縛り付き)をWMX-U01(縛りなし)への改造が成功した。
やったのはおれじゃないんだけどね。
改造は分解しなくても出来るそうで、大して難しくもないらしい、香港人さすがだな
この機種、安売りで馬鹿みたいに安く買えるので、縛りロック解除して向こうで売ればと思ったのだが、
PC内蔵以外のWiMAX端末は、すべて日本専用で海外では使えないそうだ。
まあ、これですべてのプロバイダが使えるようになったのでよし。
この機種、出始めはひどかったけど、ファームウェアのアップデート毎に性能良くなっていった。
最新ファームで使えば、そう悪くないです。少なくともNECのUSBタイプよりは全然感度がいい。
これシールはがしてヤフオクでWMX-U01として売ったら問題あるのかな?小遣い程度にしかならないけどさ、めんどうだからいいか。
「何人いる? もうはじめる?」
「森口、まだ来てないじゃん」
「なんだあいつ、男のくせにピアノなんてならってんの?」
少ないときでも十人は面子が集まる。
今にして思えば、習い事でぽつりぽつりと面子が抜けていく直前だったから、小学校の低学年、しかも3年生ぐらいの年頃だったような気がする。
おれの住んでいた団地は新築で共働き世帯ばかりがどっと入った団地だったから、小学校のクラスでも団地の子供が占める割合が多く、揃いも揃って鍵っ子ばかり。それでランドセル姿のままでしょっちゅう一緒になって、あれこれ新しい遊びを始めるのが常だった。
そのとき流行っていた「どろけい」は、泥棒チームと警察チームの2チームに分かれて、泥棒はひたすらに逃げ、警察はひたすらに泥棒をつかまえるというシンプルなゲーム。泥棒はつかまれば開けたところにある刑務所に入れられ、仲間の泥棒にタッチして貰えれば見事脱獄ということになる。そうなってはたまったものではないので、警察チームは刑務所を陣地にして、あれこれと泥棒をつかまえる作戦を練る。
おれたち小学生にとっては、五号棟まであった団地は格好の遊び場で、当然ながら「どろけい」も団地を舞台に繰り広げられる。団地は、最上階が8階、左右に二棟のエレベーターホールがあり、両端はどちらも非常階段になっている。高島平のような左右に長い団地を想像すると分かりやすく、そこを小学生のおれたちは駆け抜けた。
よく迷惑だと苦情が来なかったものだと思うのだが、共働き世帯ばかりだったこと、そして、今よりも寛容な時代だったのだと、振り返って思う。
この「どろけい」という遊びは、逃げるにも追いかけるにも工夫とチームプレイが必要な遊びだ。
舞台となっていた団地には袋小路のようなものがなかったので、泥棒をつかまえるために警察チームは、複数人での挟み撃ちをする以外にない。泥棒が潜むことができるのは二棟のエレベータホールのみで、非常階段も廊下も警察の陣地から丸見えなので、捕物帖が始まれば、警察の陣地から指示が飛ぶようになる。
「錦原が、五階の西! 誰か西の非常階段を抑えろ!」
「非常階段、誰かいる! 降りてる!」
三人四人で泥棒の逃げ道を封鎖していくのだ。
「なあ、野々村どこにいると思う? エレベータの9階(作業室があった)みたよな?」
「みたみた。そういえばこの前は非常階段の裏に隠れてたな」
けっこう丸見えな割にはちょこっとずつ死角になるところがあり、そういった所に泥棒は好んで潜む。それを警察は必死になって探すのだ。
泥棒の方でも無策ではなく、エレベータホールなどでばったり出くわすと、情報交換になる。
「小田捕まった?」
「たぶん、みてないけど、走る音が聞こえないから」
「じゃあ、あと3人か。泉川はどこだろ?」
「あいつ、隠れてるの好きだからさ」
「じゃあ、こうしよう。おれは三階で仕掛けるから、木村は二階な。泉川は東の方にいる気がするから、おれは西の非常階段から脱獄かける。お前は東のエレベータホールな。泉川も気付いて、いっせいに脱獄かけれるかも」
「ちょ、ちょっと休ませてよ」
「たく、だらしねえな、60秒な」
そして、作戦開始。
それはたぶん子供の頃の大切な思い出だった。
「どろけい」は毎日のように号棟を換えて遊ばれる。
おれの住んでいた団地は、おそらく建設された時期が違っていたからだと思うが、それぞれの号棟に微妙な差異があった。たとえばエレベータホールが一棟しかなかったり、廊下の柵に隠れやすい板がついていたり、階が6階までしかなかったり、屋上と称する場所があったりする。
そうすると、号棟が変わる毎に作戦やセオリーが代わり、泥棒も警察も新しい手を考えなければならなくなるのだ。
なので、一号棟前にランドセル姿で集まって、今日の面子をながめながら、みんなでわいわいと相談する。
「なあ、今日どうする?」
「少ないから五号棟じゃん?」(五号棟は一番ちいさい号棟だった)
「五号棟好きじゃないんだよな」(エレベータホールが一棟しかないとつまらない)
「じゃあ、こうしよう3号棟で6階まで、これならどう?」
「作業室なしかぁ。あ、お前ずるとかするなよ」
「しないって。分かった。したら3回警察でいい」(警察は不人気だった)
「あ、あのさ、三号棟にするなら、刑務所近くしない?」(エレベータホールにの意)
「どの辺にするの?」
「え? 近すぎない?」
「いいよ! いいよ! ピロティーからなら警察見えないじゃん。そっちの方が絶対面白いよ!」
他のみんなはどうだったのかは分からないのだが、おれは分かってしまった。
こうやって、どうすれば「どろけい」が面白くなるかという事を相談しているときが一番楽しいって。「どろけい」をしているときももちろん楽しいのだけど、それよりもルールを決めながら、どんなルールにすれば、遊び方が広がるかを考えることは、小学生のおれにとっては、とてつもなく楽しいことだったのだ。
そうやって、少しずつ楽しさの源泉となるルールが積み上がっていき、「どろけい」はますます洗練されたゲームになっていく。おれたちは気付かないうちにゲームデザインをしていて、それは小学生のませた心に、楽しいってどういうことかって事を植え付けてしまった。
おれは「どろけい」をしている間にも、こんなルールにすれば「どろけい」はもっと面白くなるのに、ということをしきりに考えるようになった。それで、もっとみんなが面白くなれば、それはとても嬉しいし、楽しくなる。
この「どろけい」遊びがやがて終息していったのは、人数が増えすぎたというのが原因だった。
この面白い遊びが徐々に広まり、仲間が増えてくると、少人数の精鋭でやっていた頃とは格好が違ってくる。日曜日などには女子まで入って数十人で「どろけい」を行ってしまう。
そうなると、一号棟だけでは足りなくなって、一号棟から三号棟まで、といったように無秩序に規模が拡大していく。それはそれで楽しかったではあるが、やはり散漫で緊張感のない遊びになってしまった感は否めない。
さらに、休日に数十人の小学生たちが団地中を駆け巡り、大きな声で泥棒を追い詰めたりするとなると、さすがに周囲も迷惑を感じ始める。それで、どこだったか何号棟かで禁止令が出て、それから徐々に終息していたような気がする。折良く習い事で仲間もどんどんと抜けるようになり、外で大規模に遊ぶという事はこれが最後になってしまったと思う。
ただ、あの楽しさを味わってしまうと、今この歳になっても胸がうずく。
ああ「どろけい」がやりたい。
楽しかったって。
そして、あの初期にルールを作り上げていったときが一番楽しかったと。
おれは趣味でゲームを作っていると、しばしば言われて、誤解されて困ることがある。
おれは、そのたびに思う。
おれは、物語が作りたいんじゃない!
おれは、ゲームが作りたいんだ!
「どろけい」みたいにルールを考えるのが、好きなんだよ。
って。
よく言われることだけれど、学校という箱は牢獄に似ている。コンクリートの壁が、リノリウムの廊下が足枷となっていて、仕切られたひとつひとつの教室が、割り振られた各々の机が鉄球と繋がった鎖となっている。閉じ込められた囚人達はなかなかガラスとアルミからなる窓から飛び出していくことができない。
確かに、中には無理やり牢を脱獄していく者もいる。けれどそれらの人物は一様に例外中の例外であって、そもそもが学校という箱の中に納まりきらない、もしくは納まることができなかった異端者ばかりなのだ。大概の生徒はなにが起きているのかも分からないままに鎖に繋がれてしまっている。繋がれていることにも、投獄されていることにも気が付かない幸せ者もたくさんいるけれど、私のように気づいてしまう愚か者もそれ相応に溢れている。
集団は、そこに集団が形成された瞬間から社会性を有すものだ、と私に教えてくれたのは、中学校に通っていた頃の変わり者だった。社会性が存在するということは、すなわちそこにはカーストが生じ、相互の、もしくは一方的な関係が誕生するのだ、と。
なくなって久しいと思っていた牛乳瓶の底みたいな眼鏡をかけていた。彼の名前はなんといったのだろう。表情と、滔々と述べられた数多の発言は強く記憶に残っているというのに、肝心の名前が思い出せなかった。クラスメイトどころか、学校中から、ひいては教師達からも距離を置かれていた彼は、中学二年の秋から学校に来なくなった。
誰もいない教室で、窓際の自らの席に座って頬杖を突く。遠く、どこか他の教室の中で話しているらしい女子生徒の声を微かに耳にしながら、私はぼんやりと、見るともなしにグラウンドに散らばった各部活動の活動を眺め降ろしていた。少し黄色がかった空に、長細い雲が浮かんでいる。先ほどから少しも動いていないようにも見えたし、とても長い距離を流れ滑ってきたようにも見えた。鳥が羽ばたきながら勢いよく姿を消していく。
夕暮れというのは面白い時間だと思う。明確に日付が代わる真夜中のその瞬間よりも、鮮やかに一日の終焉を伝えてくるからだ。
郷愁のような物悲しさ。
厳密に言うのならば、まだ夕暮れと呼ぶには早かったものの、色付きかけた青色の空はひしひしと望郷の念を思い起こさせていた。
それにしても、どうして私は夕暮れ時に切なくなるのだろう。離れてしまった故郷があるわけでもないのだ。私はこの街で生まれ、この街で育ってきた。だから、郷愁を抱くわけも道理もないというのに。
あるいは、幼い頃になにか強烈な出来事を経験したのだろうか。それとも、外部から与えられた『夕暮れは物悲しいものだ』という概念に毒されてしまったのだろうか。もしくは、生物本能として、二重らせん構造の中に、ひとつひとつの塩基の中に太古の昔に経験した物悲しさが記憶されているのかもしれない。
人を含め、万物の生命体は元を辿れば海へと行き着き、稚拙な細胞群へと集約されるのだという。それから現在に至るまでにそれぞれの生物が見た景色を、私は深層心理よりも奥深くに大切に補完しているのかもしれなかった。
何の役にも立たない妄想から意識を引き上げてほっと息を吐くと、少しだけ肩から重石が外されたような気がした。こういったことを考えてしまうのは、間違いなく中学生の頃の彼の影響だった。名前も思い出せない瓶底眼鏡君は、今でも確かに私の影に潜んでいて知らず知らずの内に意思決定を巡る過程の中で暗躍している。
「あなたは私と同じにおいがするよね」
そう、先日陸上部の深海さんに言わせてしまったのも、もしかしたら暗躍する瓶底眼鏡君のせいなのかもしれない。私の意識は数日前の放課後に、鮮やかな朱に染まっていた昇降口へ遡っていく。
「雨は好き?」
いつものように時間を潰して帰ろうとして折りに、靴箱の前で唐突にそう話しかけられた。振り返った私は、綺麗な微笑を湛えた深海さんに見つめられたまま返事をすることができなかった。
「私はね、結構好きなんだよ。雨そのものというよりかは、雨が振っている雰囲気というのが」
眼差しは、あなたはどう、と訊ねてきていた。私は首を傾げ、いまは降っていない雨のことを考え、陰鬱な湿り気を帯びた気配を想像してから、それほどでもないと答えた。
それほどでもない。私は雨にあまり良い思い出がないのだ。
微笑む新海さんは、その微笑を消し去るどころか一層壮艶なものに変化させてからやっぱりと言った。
「やっぱり、あなたと私は同じにおいがするよね」
言葉の意味を尋ねなかったことを、私は後悔するべきなのかもしれない。こうして誰もいない教室でひとり机に腰かけている今に至るまでその真意がまったく分からなかった。たぶん、これからも一片でさえ分からないのだろう。
その後、深海さんはじゃあと手を振って、するりと昇降口から外へ向かっていった。取り残されたのは私だけ。あるいは、私と昇降口に差し込んでいた夕陽だけだった。立ち昇った埃が煌めいていたのが、やけにノスタルジーな気配を含んでいた。昇降口には忘れ去られた物品が纏う物悲しい忘却に溢れていたような気がする。
彼はどこへ行ってしまったのだろう。グラウンドを眺める私に、再び瓶底眼鏡君の顔が浮かんできた。我々は決起しなければならないのだ。拳を高く握り締めていた後姿と一緒に。
視線の先で、陸上部が活動を続けている。ひとりひとりの容姿の違いはここからでは判別できない。みんな似たようなジャージに身を包んでさっきから走り込みを続けている。走っては、隣の人と話しながら歩き帰って来て、再び位置につく。反復練習を続ける集団の中に、きっと深海さんも混ざっている。
ふと集団の中の誰かが立ち止まった。顔は校舎の方を向いている。立ち尽くして、何かを探すように視線が動いているようだった。
そして、私は認識する。その人物が深海なつみであり、彼女が私を見つけて微笑んだことを。
どうして人物が彼女と判明したのか、表情まで見えてしまったのか分からないが、その刹那に私はたくさんのことを理解した。なぜ彼女が私に同じにおいを嗅いだのか、どうして彼の名前が思い出せないのか、彼女がいつも微笑んでいる理由と、夕暮れ時に人が物悲しくなってしまう原因を。理解させられてしまった。
堪らなくなって、私は思いがけず席を立つ。全身が、他の意識に乗り移られたように火照っていた。羞恥、憤怒、悲愴、愛憎――そのどれとも呼ぶことのできない感情が昂ぶって、一度大きく爆ぜてしまっていた。
廊下を、口許を掌で覆いながら早足で過ぎていく。
思えば、昔これと似たような感覚を得たことがあったような気がする。母が柚子を買ってきたときだった。剥くこともせずにかぶりついた柑橘のぶ厚い表皮はとても苦くて、渋くて、痛くて、痺れを伴っていて、とてつもない刺激となって私の口の中を駆け巡ったのだった。
そう、あの刺激だ。いまも私の口の中にはあの時の味が、感覚が広がっている。
視界を滲ませながら、私は一目散に帰らなければならないと考えていた。
ここではないどこかへ、逃げるようにして向かわなければならないと思わないわけにはいかなかった。
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ワンピースにはたくさん可愛い女の子が出てきます。でもワンピースを読んでいる男の子はみんな女の子が好きなわけではありません。それで私はいつも「この人の中ではノーマルな恋愛観しか存在しないんだ。」と思い込んでいました。それがどうでしょう。この本の中ではニューカマーと呼ばれる性的なマイノリティの人たちがすごい活躍をしていました。ボンちゃんとルフィの間に友情が成立するように、同性愛者と異性愛者だって偏見なしに友達になれます。私たちが、偏見という監獄の中に彼等を閉じ込め、日の当たらない処に追いやっていた。そんな作者の叫びが聞こえてきます。彼等がルフィと脱獄しているということはそういうことです。今やっと、声なき者の声に耳を傾ける漫画家が現れました。 - http://okena0.blog45.fc2.com/
読んだ。何か書きたくなったがとりとめがなくなったのでここに書き散らす。
一言で本作を述べるなら性の呪縛ということになる。これまで清水がMF文庫で発表してきた作品にはあまり濃厚に描かれなかった,肉体と精神の性が主題として扱われる。いやもちろんわかっている,これまでも【少女】がテーマだったじゃないかと言うのだろう。ここは微妙な点なので慎重にいきたい。清水が扱ってきた【少女】とは,性を免除された特権階級だ。性がもたらす束縛から自由。そして,もちろん大人=生産者になることも要求されない永遠の消費者。これは,たとえば「セックスする女」「労働する女」「産み育てる女」といった像と照応させれば明らかだろう。モラトリアムを言うなら別に【少年】でもよさそうなものだが,あまりうまくない。少年はセックスに怯える必要がなく,労働が自己承認に直結する。これらを免除されることに肯定的な含意はない。他方,少女には【少女】にこだわるだけの理由がある。……話がそれた。今回述べられているのは,そうした無性者としての【少女】じゃない。年少の女は出てくるが,性を与えられている。清水の作品において,物語の水先案内人をつとめるのはいつも存在の希薄な【少女】で,ときには幻影だったり妄想上の存在だったり,つまり肉体をもっていないことも多い。本作の少女もじゅうぶんに希薄だが,しかし彼女の肉体は触れられるものであり,かつそれが性的なものであることが強調される。主人公を含めた「男」たちは彼女の肉体に性的な視線を送り,彼女も「さわっていいよ」と繰り返し挑発する。読者はいやおうなくキャラクターの,そして自身の性を意識させられる。
以下,この「性」を切り口に述べてみる。ネタバレ回避はしていない。
13歳の少年Aは「きれいなもの」に対する強い憧れをもっていた。これには風景や工芸・装飾品から,「女の子向けの」人形まで含んでおり,その年齢層の少年のジェンダー規範からはやや逸脱していた。A自身もその逸脱を恥じていた①。しかしそこに,Aに幼い好意をよせる10歳の女子Bがあらわれる。Aは少しずつBに「きれいなもの」を見せて反応をたしかめ,Bが自分を受け入れてくれること,拒絶されるおそれがないことを確認していく。最終的にAはもっとも大切な宝物である人形を見せるのだが,ここでBはAに「お人形遊びなんて好きなの? 信じられない! 男の子で,中学生なのに!」と無邪気な一言を放ってしまう②。Aは逆上し,Bを強姦しようとする③。Bが抵抗することで未遂に終わるが,「だったらいい」の一言とともにAはBを川に放り込む④。溺死しそうになるB。恐怖にかられたAはBを慌てて助けるが,真相を知らない周囲からは「溺れた子供を助けた勇敢な少年」として賞賛される。Aは自己嫌悪と罪悪感を抱えて鬱屈する。Bはこの周囲の勘違いについて何も言わないことを選択する。いつ事実を暴露されるかわからないという不安の中にAを閉じ込めることが,最上の復讐になると考えたからだ。Aは少しずつ人格を歪めていき,他方Bはやがてその記憶を誰にも言わないまま抑圧して忘れ去ってしまう。6年後,19歳になったAは電車の線路に転落した女性を救助しようとして,代わりに意識不明の重傷を負う。
本作はこうした「事実」の上に,Aの弟を視点とした物語をつづっていく。全体を俯瞰してまず気づくのが,Aの自己抑圧①だろう。Aのかかえた性違和が全ての起点になっている。Aが心底欲していたのは,この違和を肯定してくれる誰かだった。「きれいなもの」を愛する権利を正統に有する,正しく少女であるBに救いを求めるが,Bは逸脱を許さなかった②。内なる女性性の隠蔽を要求されたAは,男性性をむき出しにして,略奪的に「女」を手に入れようとする③。しかし果たせず,結果として「女」の全否定という選択に行き着いてしまう④。Aが男性的でない自分を許容できていれば,Bが男性的でないAを受け入れられれば,その後の事態にはつながらなかった。10代前半の子供であっても,というか子供であるからこそ,ジェンダーの命ずる規範からは逃れられなかった。
Aは後に,意識不明のさなか,奥底に隠蔽された女性性を分離させ,少女の姿をした肉体ある霊を生み出す。これを霊自身は「脱獄」と表現する。牢獄からの脱走。じゃあ牢獄とは何か。解釈はさまざまあるだろうが,私としては「Aが内面化させたジェンダー規範」以外に考えられない。脱獄して自由になった「少女」は,思うまま自らの女性的肉体を誇示し,「甘いときめき」「おいしいもの」への欲望を開けっぴろげにし,「男の子が,自分の名前呼びながら走って追いかけてくれるのって,女の子は,すっごく気持ちいいんだよ」と女の子の気持ちを語る。Aの弟はこの「少女」と共に行動するうちに,秘められた過去の事実に直面し,やがてAの苦しみを知る。弟とBに過去の罪を認識され,受け入れられることで,Aは意識不明から回復する。それと同時に少女,あの人形の姿を借りたAの分霊は消滅する。物語の発端が解消されることで終結を迎える,非常に整った円環構造だ。清水はあとがきで語る。「この本は」「あなたの心にきれいな何か」「を残したいと願って書きました」。視点設定をどこに置くかにもよるし,そもそもラノベにメッセージ性を求めるのはどうよという主張もあるだろう。でも,文庫の主読者層であろう10代の少年たちに,清水が届けたい言葉は極めて明瞭であるように,少なくとも私には思われる。……あなたの心の中の少女を殺すな。脱獄しろ。
脱獄であって叛乱でない点に,清水のバランス感覚を感じる。ことさらに敵意をむき出しにして戦いを挑むのではなく,まして新しいルールを打ち立てようとするのでもない。ただ逃れて自由になる。言うほど簡単ではないが,これが唯一の道であることには同意する。正面から戦ったところで勝ち目はない。桜塚やっくんやレイザーラモンHGに回収されるのがオチだろう。相手を警戒させ牢獄を強固にするだけだ。当事者でもないくせに,戦場が大好きなうざったい連中がすりよってきたりもする。それよりは,牢獄からひとり抜けふたり抜け,革命もないままいつのまにか牢獄が廃墟になっているというシナリオの方がやりやすい。
フィリピンの刑務所で、囚人たちの更正プログラムの一環として全員でマイケル・ジャクソンの「スリラー」を踊る、というのをやってた。
全員でひとつの目標を達成する、という方法で協調性などを身につけるのが目的だそうだ。
中庭のような広場で、ピンクの服を着た数百人の囚人たちが「スリラー」を踊っている映像。
囚人間のいさかいが目に見えて減り、脱獄しようとする囚人も減ったそう。
踊っている囚人の中には、練習の中でダンスの楽しさを知り、出所後プロのダンサーになった人もいるそうだ。
…っておいそれだけかよNHK!
お前はアルゴリズム体操を知らんのか!
勇次郎が闘いに求めているものは、食事や性交と同じく「欲求の充足」なのだそうで、彼にとって闘争は一種の本能です。そして数々の戦闘から彼の好みを推測すれば、多分彼は「必死の思いで鍛え上げた人間が自分を超えようとしてくるのを、嘲るように叩き潰す『手応え』」が好きなのだと思います。彼は闘いを料理によく喩えますが、その場合《相手の強さ》はしっかりとした食感・歯ごたえのようなもの、そして《自分に向けられる敵意や戦闘意欲》はソース・味わいのようなもの、と定義できるのではないでしょうか。彼は相手が鍛えていればいる程それを蹂躙するのが楽しそうですし、相手に必死に向かってこさせるためにいやらしく煽ったりすることもしばしばです。闘いのあとに相手と友情を結んだりする刃牙の行為に「上等の料理にハチミツをぶちまけるが如き思想」だと非難したこともあります。勇次郎にとって闘争とは上等な「格闘士」を餌として食うという行為なのでしょう。『格闘グルメ』ですね。
ですからグルメ・勇次郎が「鍛えていない人間」を相手にすることは稀で、唯一に近い例外は刃牙の母:江珠が刃物を持ち出しかみつきまで敢行して必死に向かってきたときくらいではないでしょうか。これも「そこまでの執念」を上等のソースとして買ったのではないかと思われます。戦闘でボロボロになった柳龍光を容赦なく潰したときも、自分に向かってくるという彼の「意思」を一応確認していましたし。
以上を考慮した際に、勇次郎にとってオリバが「食う」相手として不適なのはひとえにオリバの性格の問題ではないかと思われます。オリバの妙にのんびりした性格は、勇次郎に「餌」という認識を抱かせないのではないでしょうか。これはオリバが「相手に勝つため」に強くなっているのではないことに起因すると思います。勇次郎にとってオリバは「格闘士」ではなく、従って全く食指が動かない、というのが理由なのではないでしょうか。ただ、もし将来的に勇次郎がオリバにとって(たとえば脱獄囚のような)仕事の"ターゲット"として現れたら、そのとき両者が対峙する可能性はゼロではないと思います。オリバがそれを望むかどうかは、まあ微妙ではありますが。