「何人いる? もうはじめる?」
「森口、まだ来てないじゃん」
「なんだあいつ、男のくせにピアノなんてならってんの?」
少ないときでも十人は面子が集まる。
今にして思えば、習い事でぽつりぽつりと面子が抜けていく直前だったから、小学校の低学年、しかも3年生ぐらいの年頃だったような気がする。
おれの住んでいた団地は新築で共働き世帯ばかりがどっと入った団地だったから、小学校のクラスでも団地の子供が占める割合が多く、揃いも揃って鍵っ子ばかり。それでランドセル姿のままでしょっちゅう一緒になって、あれこれ新しい遊びを始めるのが常だった。
そのとき流行っていた「どろけい」は、泥棒チームと警察チームの2チームに分かれて、泥棒はひたすらに逃げ、警察はひたすらに泥棒をつかまえるというシンプルなゲーム。泥棒はつかまれば開けたところにある刑務所に入れられ、仲間の泥棒にタッチして貰えれば見事脱獄ということになる。そうなってはたまったものではないので、警察チームは刑務所を陣地にして、あれこれと泥棒をつかまえる作戦を練る。
おれたち小学生にとっては、五号棟まであった団地は格好の遊び場で、当然ながら「どろけい」も団地を舞台に繰り広げられる。団地は、最上階が8階、左右に二棟のエレベーターホールがあり、両端はどちらも非常階段になっている。高島平のような左右に長い団地を想像すると分かりやすく、そこを小学生のおれたちは駆け抜けた。
よく迷惑だと苦情が来なかったものだと思うのだが、共働き世帯ばかりだったこと、そして、今よりも寛容な時代だったのだと、振り返って思う。
この「どろけい」という遊びは、逃げるにも追いかけるにも工夫とチームプレイが必要な遊びだ。
舞台となっていた団地には袋小路のようなものがなかったので、泥棒をつかまえるために警察チームは、複数人での挟み撃ちをする以外にない。泥棒が潜むことができるのは二棟のエレベータホールのみで、非常階段も廊下も警察の陣地から丸見えなので、捕物帖が始まれば、警察の陣地から指示が飛ぶようになる。
「錦原が、五階の西! 誰か西の非常階段を抑えろ!」
「非常階段、誰かいる! 降りてる!」
三人四人で泥棒の逃げ道を封鎖していくのだ。
「なあ、野々村どこにいると思う? エレベータの9階(作業室があった)みたよな?」
「みたみた。そういえばこの前は非常階段の裏に隠れてたな」
けっこう丸見えな割にはちょこっとずつ死角になるところがあり、そういった所に泥棒は好んで潜む。それを警察は必死になって探すのだ。
泥棒の方でも無策ではなく、エレベータホールなどでばったり出くわすと、情報交換になる。
「小田捕まった?」
「たぶん、みてないけど、走る音が聞こえないから」
「じゃあ、あと3人か。泉川はどこだろ?」
「あいつ、隠れてるの好きだからさ」
「じゃあ、こうしよう。おれは三階で仕掛けるから、木村は二階な。泉川は東の方にいる気がするから、おれは西の非常階段から脱獄かける。お前は東のエレベータホールな。泉川も気付いて、いっせいに脱獄かけれるかも」
「ちょ、ちょっと休ませてよ」
「たく、だらしねえな、60秒な」
そして、作戦開始。
それはたぶん子供の頃の大切な思い出だった。
「どろけい」は毎日のように号棟を換えて遊ばれる。
おれの住んでいた団地は、おそらく建設された時期が違っていたからだと思うが、それぞれの号棟に微妙な差異があった。たとえばエレベータホールが一棟しかなかったり、廊下の柵に隠れやすい板がついていたり、階が6階までしかなかったり、屋上と称する場所があったりする。
そうすると、号棟が変わる毎に作戦やセオリーが代わり、泥棒も警察も新しい手を考えなければならなくなるのだ。
なので、一号棟前にランドセル姿で集まって、今日の面子をながめながら、みんなでわいわいと相談する。
「なあ、今日どうする?」
「少ないから五号棟じゃん?」(五号棟は一番ちいさい号棟だった)
「五号棟好きじゃないんだよな」(エレベータホールが一棟しかないとつまらない)
「じゃあ、こうしよう3号棟で6階まで、これならどう?」
「作業室なしかぁ。あ、お前ずるとかするなよ」
「しないって。分かった。したら3回警察でいい」(警察は不人気だった)
「あ、あのさ、三号棟にするなら、刑務所近くしない?」(エレベータホールにの意)
「どの辺にするの?」
「え? 近すぎない?」
「いいよ! いいよ! ピロティーからなら警察見えないじゃん。そっちの方が絶対面白いよ!」
他のみんなはどうだったのかは分からないのだが、おれは分かってしまった。
こうやって、どうすれば「どろけい」が面白くなるかという事を相談しているときが一番楽しいって。「どろけい」をしているときももちろん楽しいのだけど、それよりもルールを決めながら、どんなルールにすれば、遊び方が広がるかを考えることは、小学生のおれにとっては、とてつもなく楽しいことだったのだ。
そうやって、少しずつ楽しさの源泉となるルールが積み上がっていき、「どろけい」はますます洗練されたゲームになっていく。おれたちは気付かないうちにゲームデザインをしていて、それは小学生のませた心に、楽しいってどういうことかって事を植え付けてしまった。
おれは「どろけい」をしている間にも、こんなルールにすれば「どろけい」はもっと面白くなるのに、ということをしきりに考えるようになった。それで、もっとみんなが面白くなれば、それはとても嬉しいし、楽しくなる。
この「どろけい」遊びがやがて終息していったのは、人数が増えすぎたというのが原因だった。
この面白い遊びが徐々に広まり、仲間が増えてくると、少人数の精鋭でやっていた頃とは格好が違ってくる。日曜日などには女子まで入って数十人で「どろけい」を行ってしまう。
そうなると、一号棟だけでは足りなくなって、一号棟から三号棟まで、といったように無秩序に規模が拡大していく。それはそれで楽しかったではあるが、やはり散漫で緊張感のない遊びになってしまった感は否めない。
さらに、休日に数十人の小学生たちが団地中を駆け巡り、大きな声で泥棒を追い詰めたりするとなると、さすがに周囲も迷惑を感じ始める。それで、どこだったか何号棟かで禁止令が出て、それから徐々に終息していたような気がする。折良く習い事で仲間もどんどんと抜けるようになり、外で大規模に遊ぶという事はこれが最後になってしまったと思う。
ただ、あの楽しさを味わってしまうと、今この歳になっても胸がうずく。
ああ「どろけい」がやりたい。
楽しかったって。
そして、あの初期にルールを作り上げていったときが一番楽しかったと。
おれは趣味でゲームを作っていると、しばしば言われて、誤解されて困ることがある。
おれは、そのたびに思う。
おれは、物語が作りたいんじゃない!
おれは、ゲームが作りたいんだ!
「どろけい」みたいにルールを考えるのが、好きなんだよ。
って。