はてなキーワード: 同族嫌悪とは
子供嫌いで「子持ち様」という言葉を使うのが好きな人、だいたい子供っぽいよね!同族嫌悪かな?自分と比べて幸せそうな子供が憎いのかな?幸せそうな家族が憎いのかな?親になっている人間に対して劣等感があるのかな?よしよし!汚い言葉使わないでせいぜい黙ってろよな!躾してもらえなかったのかな?かわいそうだね!
人の親になって人間的に成長した!とか言ってる人が同じ口でこういうこと言ってるのを見ると何も成長とかしてなくね?とは思う。増田が人の親かどうかは知らんけど。
わたしオタクだったはずだけど、大量に買い占めるのが愛みたいな価値観は一生分からない
子供嫌いで「子持ち様」という言葉を使うのが好きな人、だいたい子供っぽいよね!同族嫌悪かな?自分と比べて幸せそうな子供が憎いのかな?幸せそうな家族が憎いのかな?親になっている人間に対して劣等感があるのかな?よしよし!汚い言葉使わないでせいぜい黙ってろよな!躾してもらえなかったのかな?かわいそうだね!
同族嫌悪でつらかったねヨシヨシ
『Twitterのチー達、なんでそんなに整形してる女が嫌いなのかわからん。
「自分が付き合ったり結婚したりするときに騙されたら嫌じゃないですか😡」
って喚いてきそうだけど、
金かけて痛い思いしてまで美人になった子がお前を選ぶわけないやん😅』
整形女がチー牛を嫌うのって同族嫌悪だよな、とふと思った
元々美人がさらに美人になるためにor美意識が高すぎるゆえに整形するのはまた違うけど
チー牛女が整形して見れる見た目になったところで中身はチー牛女のままだから
チー牛女とチー牛が付き合うと気持ち悪いと本能的に思ってしまうし
もし子供産むとしたらチー牛×チー牛女だと悲惨だからチー牛の遺伝子をせめて避けようとするんだね
社会的な人生の経緯だけを辿れば山月記とか車輪の下に共感する余地は大きくあると思う。このまま死にさえすれば。読んだ時は自意識を突っつかれたような気分になった。
境遇とはまた別に、プライドがめっちゃ高くて中途半端に頭が良い人間の大きすぎる理想とそれに対する強すぎるこだわり、というより手放し難い憧れ。それを人生の芯に据えてしまったがための苦しみみたいな内的な部分でも大いに共感は覚える。そこも作品のかなり本質的な部分ではあるのだろうけど、努力の限界や世界の広さに打ちのめされたという所が自分の人生と決定的に違う話なんだろうなって思う。
人の生の有限性と無意味を自覚した上で、何かしなくてはという焦燥感だけがある。でもそこで抗っていくための何かがない。他人の輝きにあやかって憧れるばかりで、実際に手を動かすのが心底面倒臭い。面倒臭さに抗って続けてみても、喜びは少なく面倒臭さだけは変わらない。辿り着きたい所まで行くために、これから感じなければならないであろう面倒臭さを思うと気が滅入る。
よしんば最後まで手に入らなかったとて、ここまで面倒臭くなかったのなら人生の希望を持ち続ける対価としてちょっとくらいは耐えられたかもしれない。
憧れではない、心の底から湧き出るような喜びや情熱のような原動力が無いために人生に対するやる気も失せていく。どうしようもない面倒臭さ、怠惰さだけが募っていく。
大きな理想なんて諦めてささやかな喜びを拾い集める人生なんて、光も差さない真っ暗な絶望だとしか思えない。そして実際そういう生き方をしてみれば案外悪くないもんだなと思ってしまいそうな事が異様に恐ろしい。
それこそワナビとか真面目系クズみたいな言葉で揶揄されるような人間そのものだと思う。
あの手の言葉のニュアンスって理解と言うより実感の問題だし、罵倒の言葉として成立すると思っている、実際に使う人間ってやっぱそういう方面で同族嫌悪じみたものがあるんだろうなって思う。自己紹介に近い。邪推が過ぎるか。
いまのごく普通の日本人はそれほど学会嫌いじゃないと思う。学会員の活動家に聞くと、反学会のやつは正体を隠したのが多いそうだ。
「貧乏人と病人の集まり」と揶揄された創価学会と日本共産党は、ともに社会の最下層に支持者を広げ、その構成員を奪い合う犬猿の仲。
それと、顕正会員、日蓮正宗法檀家、日蓮宗檀家は、創価学会を目の敵にしている。これは日蓮系で同族嫌悪。
また、創価学会の折伏大行進に恐れた敵対勢力、または信者を奪い合った他の宗派で、
一昔前なら、幸福の科学信者、立正佼成会信者、真如苑信者、天理教信者など新興宗教で敵対した団体。
そして、念仏宗檀家、浄土宗檀家など各宗派。創価学会の広がり方が半端なくて、存在そのものを脅かされたから、そうとう憎んだみたいだね。