例のトリエンナーレの騒動の時に一番わけわかんなかったのがこのワードでさ
「文脈をきちんと読めばそういう意図がないのはわかるはずだ」っていうやつ
「バカチョンカメラのチョンは韓国人とは無関係だから、韓国人を差別する意図はありませんよ」って言っても、あの手の人らって、絶対擁護に回ってくれないよね?
むしろ韓国人の側に立って、そりゃもうギャアギャア大騒ぎするはずだ
それこそ彼ら言うところの「文脈」も読まずに
トルコ風呂ならまだわかるよ?
それから日本に今あるラーメンにせよカレーにせよ、本来あったオリジナルとはもはやかけ離れた何かになっているわけで、
元々の文化の持ち主から正式に抗議があった日にゃ、我々もまあ申し訳ない顔ぐらいはしなきゃいけないと思う
でもバカチョンカメラっていうのは変な言いがかりつけられたまま、なんとなくヤバい表現ということになり、そのまま葬られてしまった
理屈で言ったら、それこそああいう場で写真燃やしたっていいぐらいの流れだよな?
でもそんなことには絶対ならないわけ
だから「文脈を読め」っていうのが、はっきり言って全然信用ならんのよ
誰のどんな表現なら「文脈なるもの」をいちいち読む義務が生じて、逆に誰ならそれをガン無視して無茶が通るのか、そこちゃんとはっきりしてくれないことにはさ