いつからか街の本屋さんが思想を売るようになった。店頭には店長が支持している政治家やよく分からない専門家や正義ぶった誰かの本が山積みになり、少しでも店長が気に入らない本はどこにだって置かれない様な
そして、積み上げた本のてっぺんにおもちゃの檸檬をちょこんと置いてみる
逃げろ、ここから逃げろという声に従ってそのまま私は店を逃げる
「あの気詰まりな本屋が木っ端微塵になればいいや」とでも思って
なんて素敵なアイデアだろう
実行できたら素晴らしいなぁ
菓子折りを受け取ったら収賄罪成立。意味分からん。この規定のせいで副業できないわで色々法律に縛られるわけ。
役所や警察みたいに権限がある訳じゃないんだから、別にいいだろう。窮屈で自由がなくなるだけのみなし公務員制度は不要。民間人のメリットを奪ってる不当な制度だと思う。
知ってるやつが舞台に立ってるのを観るのは楽しい。学芸会と同じで。
ただし脚本が面白くない(好みでない)ともうこれは時間の無駄。出演者が面白い人であっても面白くない。
そして、だいたいの演劇は面白くない。(「だいたい」とか言うと如何にも観劇経験が豊富そうに聞こえるが全然そんなことはないので怒られるかもしれない。しかし。そこそこたくさん鑑賞している映画もだいたいは面白くないので、確率から言ってやはりだいたいは面白くないと思って差し支えないだろう)
役者が上手かろうが、完成度が高かろうが、人気があろうが、チケットがすぐ売り切れようが、全然面白くない。
多感で若ければもう少し色んなものを楽しめたのだろう。しかし演劇以外のメディアにはどっぷり浸かってきたので、演劇特有でない要素、例えばストーリーやらキャラクターやらに関しては目が肥えてしまっている。そもそも多くの人と趣味も合わない。
演劇ならではの面白さはあるが、創作物としてのボーダーラインをクリアしていない限り全体としてプラス評価に転じることはない。
周りの人と鑑賞後に楽しくおしゃべりできないのは辛いところだ。
多くの人は観劇を楽しんでいるので、私はその余韻を損ねないように、しかし嘘をつくのももやもやするので、当たり障りなく会話に合わせつつ、絶妙に肯定を避けて重箱の隅をつつくように褒める。非常に気を遣う。
友人が出演していたとしても、面白くなかったら「観たよ」以上のことは言えない。
まあ、今後もそんな感じでやっていく。
観るのは勉強にはなるので。
ネイルとか美容院で担当してくれる人、その職につきたくて学校行ったり勉強して夢叶えてる人ばかりで、夢をもってそれに向かって努力してきて凄いなって思う
将来の夢なんて幼稚園の頃のセーラームーンぐらいが最後だし、あとはやらなきゃ怒られる、やらなきゃ人生ダメになるって強迫観念と成り行きで進学して今の仕事就いてるから、すごく眩しく感じる
妻の事なんだが。
リビングでテレビ見てて、生徒に猥褻なことを行ってしまったニュースを見たら、3回死刑! 子供を不適切に保育していた事件をみたら、1回死刑
(ネットミーム化しつつある校長になら、何回死刑が下ることか……)
その度に嫌々「や、人権あるから」と、ぼそり突っ込んでいるが、とてもすまりが悪い。ツッコミが鋭どうない!!
実際に、死刑が宣告されてるやつにも人権あるやん。なら、上記ケースの死刑請求されてる人達に、人権は所与のものやー!いうてもツッコミの体をなしてない。
となると、このツッコミを成り立たせるには、犯罪者には人権がない、と妻へ思い込ませ必要がある。
仕事サボってるくせに「オイお前!サボってんじゃねーよ!」とか平然と他人に言える人が居るんだけどどういう神経してるんだろう。ブーメラン刺さってますけど。
そうやって自分の事はすぐ棚に上げて都合よく生きてきたんだろうな。自分が言ったこと、してきた事すぐ忘れるだろうけど俺は覚えてるし許さないから。
クソみたいな漫画を読みたがる読者が悪い