今日も便女は男叩き
アドバイスが欲しい。
遠距離恋愛をしているため、(大阪と東京)よく自分は東京に帰るのだが、友達と会いたい!ってなる時どうしてる?
友達に会いたい
→東京に帰る
→せっかく帰るなら彼女に会おうよと言われる
→結果、彼女がメインとなる
こんなに東京に帰ってるのに、、
かといってこっそり帰るのもばれたら面倒だし、
両方会おうとして友達優先すると面倒なことになるし、、
男ならこの気持ちわかる人多いと思うんだけど、
アドバイスほしい。。
オナホがしゃべった!って言われるよ?
バレていたのか!くそっ!
言行一致させることのほうを優先して何も言わないべきだと思うよ
プゲラッチョw
基本的に自分は「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」には質的に差異があるという立場を取っている。
ラノベやBLなどのポルノは対象の人格をリスペクトするだけのものがなく、都合のいい世界の中でお人形遊びしている(そこに暴力性、差別性などがある)。芸術表現として許容される性描写は深い人間理解と同時に理解不十分というせめぎ合いの中で生まれる(個々人の人格のアンビヴァレンツ、曖昧さ、捉えきれない無限性。もちろん古典では雑な性描写もあるが、今回は女性の人権が拡大した現代の話)。
ラノベやBLによくある都合のいい男性描写女性描写自体が他者の尊厳に対する暴力であり(テンプレキャラクター化とでもいうか)、それを象徴するかのような下手で誇張された表紙は刺激の強いグロテスクな表現だ。ただし、これはポルノ商品に限らず通俗的な「物語」全般に常に含まれる問題でもある。今回ラノベやBLが取り上げられているのは、ポルノ商品はこういった暴力がより際立ちやすいという性質を持っているため。行き過ぎたポルノ商品は芸術表現としては到底擁護不可能であり、全年齢向けで平積みするのは不適切だと考え、適切なゾーニングを求める。
ポルノ商品も社会には需要があるので表現や出版自体を規制することは権力の暴走でもあり絶対に許されるものではない。しかし行き過ぎた暴力を自由として認めることは同時に他の誰かの自由を侵害することにもなり、そこに闘争状態が生じる。だから適切なゾーニングをして被害を受ける人の数を減らすよう努力し、穏やかに棲み分けられるようにしようという話をしている。ゾーニングされてもポルノ商品を求める人は問題なく購入できるし、同時にポルノ商品を求めない人たちはポルノ商品によって無差別な暴力を受けることをゾーニングによって回避することができる。デメリットは購入者にほんの一手間余計な手続き(のれんをくぐるなど)を要求するということがある。想像力の豊かな人はゾーニングが表現規制の引き金になってしまうと危惧するが、それは権力を監視することによって回避するしかないだろう(そういった監視が面倒だという議論はあってもいいが、個人的にはまったく感心しない)。
また、「ポルノとしての性的消費」と「芸術表現としての性描写」を明確に区別することが困難であるという議論はあるだろう。まず間違いなくパラドックスが生じる。完全な境界線を引くことはできない。グレーゾーンは常にある。しかし完全な区別ができないからといって、不完全な区別まで不可能というわけではない。その辺りは政治の問題になってくる。全か無かの話ではなく、程度問題になる。だから冷静で建設的な議論が必要だ。
オタクが「こいつ話にならないな」と思うのは勝手だが、こういう考えの人間もいるということだし、社会の一員として生きて行くということは、こういう考えの人間とも折りあっていかなければならないということだ。フェミニストの言い分が100%通ることもないだろうし、オタクの言い分が100%通ることもないだろう。完全に論破して終わりではなく、妥協点をどこに見つけるかという議論が必要だと思われる。
ハゲを馬鹿にしない恥ずかしくないなんていう風潮を作ろうというのはとてもかっこよくて褒められることだと思うよ。
その分を補填してくれ。
表紙の絵柄がほのぼのとして好みだったから読んだが自分には合わなかった。、
1話の後半、真昼間に子供がすぐ近くにいる状況で、成り行きとはいえ、
相手に抱きつきながらシコる展開が出てきて、ついていけずに脱落。
いや、そういうジャンルの作品だから、物語が進んでいけばいずれそういう展開が来るとは予想はしてたけど、
こんなに早くこうなるとは思わなかった。
それが社会を動かす最大の力だけどな