http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1304903496
3.11から僅か2ヶ月後に指摘されている事だが、責任のある立場の人は平常時には要求されないような決断が要求される。
http://www.scj.go.jp/ja/member/iinkai/shinsai/pdf/110922h.pdf
このまま行くと最も過激なシナリオAに、誰も決断しないままなってしまう。
「開戦に賛成の人は居なかったが、(自分の責任以上に)反対しなかったので開戦してしまった。」
「9.11以降、核テロ等の可能性を警告されていたのに、安全神話に(自分の責任以上に)異を唱えなかったので3.11を防げなかった。」
と同じパターン。
そりゃそうだ。地位だか、家庭だか何だか知らないが、守る物がある人にソレを要求するのは酷だ。
「ねぇ、逃げようよ。だって、仕方ないよ。誰も鹿目さんを恨んだりしないよ。」
「それでも、私は魔法少女だから………みんなのこと護らなきゃいけないから」
みたいな娘を、さ。
「何がだ?」
「オレが何をすればいいのか。オレは学位が取れたとして、どんな研究者になればいいんだ?」
「何かやりたい研究はないのか?」
「指導教官みたいな自己満足の研究、とかか?ボスみたいに学生を育てるか?企業と組んで金でも儲けるか?ぴんと来ないんだよ、どんなことも」
「助教さんはどうなんだよ。自分はいい仕事している、とか思えない?」
「そーか。」
勿論救済なんかの目的じゃなく、ニートを対象とした商売を成功させる為の調査なんだけどね
そしたら驚くべき事実でさ
我慢や辛抱が苦手
金や出世に対する執着が無い
楽な事しかしたくない
無意味と思える行動を極端に嫌う
運動が苦手
勉強も苦手
と、まあこんな感じのイメージ
で、実態調査を始めたら全く違う側面が見えてきてね
まず大きく二極できる
知りません、分かりませんという言葉を極端に嫌い、向上心が高い反面プレッシャーに弱く
自分で自分の首を絞めて、プレッシャーから夜寝れないから朝起きれない
他人の言葉を聞き入れてしまい過ぎて、バランス感覚を持てなくなってしまう人
何かを切り捨てて前に進む事に非常な罪悪感を持ってしまう人
同時に2つの行動をするのが苦手な人
バカ正直過ぎて商売に向かない人
などなど
つまり根は真面目で優し過ぎるから過酷な現実で生きていくのが難しい人が多いんだ
まあこういう人が多いから家庭内でニート対親や親戚といった修羅場が繰り返される訳だけど
そこを理解してやらずに仕事しろ!働け!怠けるな!
それも何の解決にも導かない負の連鎖みたいなもんだ
例えばオンラインゲームなんかではニートとおぼしき人が異常な高スコアを叩き出す事が多いんだけど
それだけ同じ行動を繰り返すのを嫌がってない訳だし、勉強みたいに繰り返しやる事が大事な行為自体を
そんなに苦にしてないんだな
で、自分に折り合いを付けて勉強なり仕事を始めた人がたくさん社会復帰している
もともと努力する事を放棄してた訳じゃないんで自分が居場所を作る努力さえすれば問題なかった訳だな
でもそういう折り合いを付けられない人もたくさんいる訳で、折り合いを付けても働く場所が無いといった新たな問題もある
ニートを救済しようとする企業もあるにはあるんだが、それだったら真面目に働いてきて仕事を失った人に職をまず与えてやれといった批判もある
難しいもんだな
真面目すぎる、空気読め過ぎる、優し過ぎる
こういう人は過ぎたるは及ばざるが如しみたいなもんで毒にしかなってないんだな
普通の人間に出来る、真面目にやるけど息を抜いたり適当に誤魔化したり
といった心のバランスが取れないんだそうだ
これ読んだ人でニート絡みの修羅場を経験してる人は、そこを理解して解決方法を模索すれば
何か答えが得られるかも知れんね
とあるブログの読者だった。OLが自虐的に日々を綴っている、エッセイ系のブログだった。
20代後半から30代前半という女性が揺れに揺れる時期を、精一杯の第三者視点で描いていた。何度も何度も泣かされた。
ある日、彼女のブログが書籍化を果たす。ブログに掲載されていなかったエピソードもあると聞き、超微力ながら売上に貢献した。3冊買った。1冊は借りパクされたままだ。
しかし、それで終わりだった。
彼女の名前がハンドルネームからペンネームに変わった後に時々検索をするも、書籍化されたブログ本の特設サイトが最上位に表示、という結果しか反映されない。
久しぶりに特設サイトへと飛んだ。トップページのバナーがところどころリンク切れを起こしている。直リンクされていた画像が表示されていない。
読者プレゼントも絶賛募集中のままだ。絶賛応募できてしまう。しかし応募先のメールアドレスすら、今はもう稼働していないのだろう。
どのように辿ったかは忘れたが、彼女が今ブログを書いていることを知った。
喜び勇んで私は内容も確認しないままRSSを登録する。また彼女の読者になれるんだ。こんなに嬉しいことはない。
しかしそこには彼女自身の話題が書かれていない。芸能人の離婚の話ばかりが丁寧な筆致で書かれている。
彼女なりの視点ではあったが、某巨体のオネエタレントがテレビの中で怒りながら喋っていたような、そんな気もする内容だった。
ブログ本の後日談でもなく、さらに波乱万丈な出来事の実況でもなく、何事もない毎日を読んでみたかった。
ハッピーエンドの後に訪れるはずの、起伏のない日々を追いかけてみたかった。
芸能人の離婚を語ることが、今の彼女に取ってなにかしらの必然があるのだろう。
読み続けているうちに若干話題に詳しくなってしまった。別れ話は誰のものであれ寂しいものだ。
それでもいつか、見知らぬあなたの今を知りたいと願う。
http://news.livedoor.com/article/detail/6431441/
段々と実態が見えてきているようですが、やっぱりDQNネームをつける親はDQN親が多いようです。
子供が低学歴というのも、名前自体の問題というより家庭環境が悪いというのが要因でしょう。
まわりの大人は、DQNネームの子供を見かけたら虐待を受けていないか心配した方がいいかもしれません。
DQNネームのDQNが実は、DQNな名前というより、DQNな親がつけた名前と言われるとよりなっとくできるように思います。
原発の話がつらい
まわりの人や尊敬していた人
良いなと思っていた有名人
みな原発をやめようと言い出している
原発の話がつらい
私だけみなと違う意見を持っている
外に出すなんて許されない
許されない
原発の話がつらい
さっさとどんどん作って更新するのが正しいと
遠くなっているのがたいそうつらい
身近な人が死んでしまった場合の立ち直り方について知りたいと思うので
増田に書いてみる。
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昨夜、ミッシェル・ガン・エレファントの「世界の終わり」を聴いてたら
部屋でたった一人で遺体で見つかった、近しい人のことを思い出して
申し訳ない気分が溢れ、涙がでた。
(飼っていたうさぎとか、可愛いものや好きだったものだといいな。)
うつ病を病んでしまった彼女と、どうかかわれば良かったんだろう。
何をすれば そして何をしなければ、良かったんだろう。
もっとちゃんと時間をかけて親身にかかわれば、彼女は死ななかっただろうか。
生きてることと死んでしまうこと、どちらが彼女にとって幸せだったのだろう。
天国はあるのかな。
自殺とかで死んでしまうと、死後も辛いことになってたり、しないよね。
何か強い痛みや、後悔を感じながら
そして今は本当に安らかに眠っているのだと。何も感じずに。
ものすごく嫌われたり、自分が相手にとって本当に不要なんだと知ることは
つらいけど、それはそれでしょうがないと思える。時間がかかったとしても。
死んでしまうのは、いやだ。
「死んでも思い出は自分の中に生き続ける」
そう言葉で言うことは簡単だけど、そんなのは出鱈目のような気がする。
残された人がそう思いたいだけ、というような。
それともそう思わないとやっていけないから、そう思うのだろうか。
(私はまだその境地には、行けていない。)
私は、とにかく、生きていてほしい。相手には。
色々うまくいかなくて、
思い通りの人生じゃなくて、
時には、
すこしの幸せを感じることもできなかったり、
疲れて果ててしまったり、
変わってしまって以前と同じように感じ合えない、
それどころじゃなく激しく嫌い嫌われてしまうような、
そんな感じの関係だったとしても。
同じ過去を共有した人には、生きていてほしい。
時折、人づてには噂を聴くことができるような、
自分本位な願いだけど、
私がかかわった人お世話になって人すべて
どこかで、勝手に元気でよろしくやっててほしい。
そして、もし良ければ、どうか私を許してほしい。
しらんぷりした訳じゃないんだと。
変わっていく貴方が、こわかった。
忙しいふりをして見てみぬ振りを時にしながら
いつの間にかできた二人の距離が、こわかった。
何より
1年近く経って、やっと書けた。
書かないと薄まらない気がしたけど、薄まったから書けたのかな。
ほんとうに、ごめん。
ネカマの記事は食いつかれなかったなあw