はてなキーワード: 世襲議員とは
統一地方選が近くなったので、同業者の会に議員候補が挨拶にきた。そろそろ引退しそうなベテラン議員の息子でアラフォーの若さ。まずは親父の地盤で県議会議員を目指す。学校で法律と政治を学んだ後即親の議員秘書やって数年して立候補。スポーツで進学してるので声は大きくハキハキしてて、理想的な「先輩に可愛がられる後輩」ムーブしてた。
とにかく若さをアピールして、当選したらこの若さで馬車馬のように働きますフットワーク軽く皆さんに使って頂きます、この何年かの秘書生活で親父への悪口も聞きました、耳が痛かったですがご期待に添えるよう努力します、今日お伺いしてる皆さんの業界ではこういう問題があると聞いています、これからこういう方向へ向かうよう頑張ります、とにかく身を粉にして働きます、応援よろしくお願いします。こんな感じ。小さなお祭りや式典にも顔を出してアピールして回ってて。まあ頑張ってるしいいんじゃない、お父さん見習って頑張りなさいよ、そういう空気。
県議会議員の椅子に対して立候補者はほぼ同数なので、まあ多分この子は当選するんだろうな、というのが今からわかった。親父さんが引退するまでに数回このまま県議会議員やって、それから衆議院議員を目指すんだろうな。そんな感じ。
本人の能力とか、多分どうでもいいんだろう。彼に期待されてる能力は、素直で地元の声をそのまま聞いて、有力者の力関係の順番に意見に軽重をつけて、県議会最大会派の力関係をうまくバランスとって予算を切り取ってくること。
女が政治家に少ないのは女に能力がないからだって散々聞かされていることを、演説の間も、演説終わって一夜明けても、何度も何度も思い返している。
この子が女の子だったら、いい婿をもらって政治家にしようって言われてるんだろうな。大学もそんなにのんびり学ばせてもらえなかったんだろうな。そんなことまで考える。
団塊の世代が全員後期高齢者まで後数年。(この話政治家はみんなするよね) こんな感じの2世議員、全国にいっぱいいるんだろうな。
有能な政治家ってなんなんだろうね。
優生学だー、自民党への忖度だーといつもの面々が騒ぎ立ててるTwitter。
もういいってお前ら。いい加減うざったい。
この間も「世襲議員を絶滅させろ」とか言ってただろ。それ血縁による職業排除じゃねぇか。
結局、あいつらは自分のやることは区別、相手がやることは差別と言う自分勝手なクズと言うのがよく分かる。
まぁそれはいいや、今更だし。
それよりみんな勘違いしてるが、高齢者を社会から排除しても問題は解決しない。高齢者は金を持ってるし経済を回してる重要なポジション。
その証拠に今期でも何本かこうした作品がアニメ化しており、そして今後もアニメ化されるだろう。
だが個人的にこのような作品は、あまりよろしくないように思われる。
基本的に「俺TUEEE」系の作品とは、言葉通り主人公が強さで他を圧倒し、主人公の思い通りに進む物語のことだ。
こうした作品のどこにイデオロギー性があるかと言えば、それは力の獲得にある。
転生し、そこで特殊なスキルを得ることで無双する。つまり生まれ持った力の差がものを言うのだ。
この構図に見覚えがないだろうか?
そう、これってつまり現実で言うところの『親ガチャ』を指し示しているのだ。
生まれた環境や地位があれば、大して努力せずとも大成できるよね。
こうした思念のもとに成り立つ作品だからそこ、「俺TUEEE」の主人公は努力しない。大した努力をせずとも成功する。
だから他とは違う。俺は特別なんだと、つまり生まれた環境を要因し、努力を軽視する。
現代ではこのような考えが蔓延っているために努力型の主人公は脚光を浴びにくく、生まれ持っての才能ばかりに目を向ける。
すると自分が成功しないのはあくまで生まれが悪いからで、努力をしないからではない。
果たしてそれが正しい形だろうか?
しかしこのような言い訳には社会的な問題が随分絡んでいるように思われる。
国内での貧富の差の拡大、そして何より政治の腐敗によるものが大きい。
国民の声は聴かれず届かず、結局国を牛耳るのは世襲議員であり、我々の意思ではどうにもならない。彼らがどうしてそのような特権的立場に居るのか?それこそ環境と生まれが全てであり、ここに俺TUEEE系の物語と現実がリンクする。
現代人が「俺TUEEE」系の物語を好むのは、もはや努力では世界が変わらないことを知っているからであり、それは政治に対する絶望である。だからこそ虚構のうちにおいては、自らを特権階級に置く。
逆を言えば、こうした物語の氾濫は現政権の絶対性を示すイデオロギー的性質を我々に垣間見せ、虚構のなかでのみ国民を満足させる国家へとますます邁進していくだろう。
少しでも政治家が緊張感を持つようになればいいと思った
政治家という重責に報酬が見合ってるとは思えないしそれでいい政治を
して地元のお友達と仲良しこよしだけしてるのって政治でもなんでもないだろ
そんな国民を馬鹿にしたようなことやって遊んでたからこういうことが
起きる国になったってことなんじゃないのか?
それでも今回の件でかわいそうとか言って馬鹿みたいに与党に入れる
連中がいっぱい出てくるんだろうね
でもああいう無敵の人が出てくる政治をしてたのが今の与党で世襲議員たちだろ
通り魔ならかわいそうだけど長期政治家だった上に世襲議員がこうなったって
ただかわいそうとか犯人がどうこうじゃない話なんじゃないのか
おおよそ、受給者側に立って、「この金はいらない」という声は聞こえない。
むしろ、もらえてラッキー、と思っている人が多いのが、地方の支店労働者、工場労働者、パート主婦層、契約社員層の声だろう。
けしからんと思っているのは、大卒でも大手企業勤務、マスコミくらいではないか。(財務省職員も含まれるかも知れない。)
まわりの空気とマスコミの空気の違和感を最近感じているのだが、この原因は、マスコミ界隈の記者が、庶民から遠くかけ離れた存在になっているのではないか、ということだ。
これは立憲支持層にも言えることで、自民支持層にも言えることかも知れない。
国民の大半は大学にも行っていない人ばかりだ。関東以外の大学進学率を見れば一目瞭然である。(関東の大学進学率も実際は大学と呼べないところも含まれているのかも知れないが。)
今のマスコミ界隈の記者は、当然大卒であって、下手をすると地方の公立小学校、中学校を通っていない層が多数になっているのではないか。
これは霞が関にも言えることだし、世襲政治家にも言えることである。
どうにもマスコミの論調が、お行儀のいい、学級委員長の指摘にしか聞こえないのは私だけではないだろう。
これは自民党の世襲議員で、地元は地方と言いながら、東京の私学小中高で生活し、似たような人々としか付き合ってないグループと似ている。
つまり、世の中が分断されているのではないか、と思わざるを得ない。
マスコミが衆院選の議席数の見込みを誤ったのも、自らが見ている世界、周辺世界が、日本国内の広い世界と分断されているからではないのか。
私はこの点、公明、共産には、根強い、幅広い支持層がいることでバランスが取れているのではないかと期待はしている。
ただ、公明は、根っからの学会員(進行を通じて幅広い人々と付き合ってきた人であるはず)からのたたき上げ国会議員が少なくなってきているときく。共産も、組合員たたき上げ、あるいは民青同盟からのたたき上げ(有名大学ではないところからのたたき上げという意味。(運動を主導すれば、幅広い人々と付き合ってきた人であるはず))という候補が少なくなってきている。
やはり、味のある人物というのは、あらゆる層とも話ができる人物で、そういった人物に政治を託したいものである。
これは、マスコミにも言えることだ。
特に、中央の政治部の記者は、今まで関わったことのない人々との交流を、取材を通して深めて欲しいと切に願うばかりである。(地方勤務時代に原点を築くだけでも全然違うのではないかと思う。)