2022-10-14

「俺TUEEE」系なろう物語イデオロギー

昨今、「俺TUEEE」系の物語流行っている。

その証拠に今期でも何本かこうした作品アニメ化しており、そして今後もアニメ化されるだろう。

だが個人的にこのような作品は、あまりよろしくないように思われる。

理由としては、そのイデオロギー性にある。

基本的に「俺TUEEE」系の作品とは、言葉通り主人公が強さで他を圧倒し、主人公の思い通りに進む物語のことだ。

こうした作品のどこにイデオロギー性があるかと言えば、それは力の獲得にある。

転生し、そこで特殊スキルを得ることで無双する。つまりまれ持った力の差がものを言うのだ。

この構図に見覚えがないだろうか?

そう、これってつまり現実で言うところの『親ガチャ』を指し示しているのだ。

まれ環境地位があれば、大して努力せずとも大成できるよね。

こうした思念のもとに成り立つ作品からそこ、「俺TUEEE」の主人公努力しない。大した努力をせずとも成功する。

だって、才能があるんだから

まれ持った能力があるんだから

から他とは違う。俺は特別なんだと、つまりまれ環境を要因し、努力を軽視する。

現代ではこのような考えが蔓延っているために努力型の主人公は脚光を浴びにくく、生まれ持っての才能ばかりに目を向ける。

すると自分成功しないのはあくまで生まれが悪いからで、努力をしないからではない。

このような言い訳するために、こうした物語を消費する。

果たしてそれが正しい形だろうか?

しかしこのような言い訳には社会的問題が随分絡んでいるように思われる。

国内での貧富の差の拡大、そして何より政治の腐敗によるものが大きい。

二世議員の氾濫に予定調和選挙戦

国民の声は聴かれず届かず、結局国を牛耳るのは世襲議員であり、我々の意思ではどうにもならない。彼らがどうしてそのような特権的立場に居るのか?それこそ環境と生まれが全てであり、ここに俺TUEEE系の物語現実リンクする。

現代人が「俺TUEEE」系の物語を好むのは、もはや努力では世界が変わらないことを知っているからであり、それは政治に対する絶望である。だからこそ虚構のうちにおいては、自らを特権階級に置く。

逆を言えば、こうした物語の氾濫は現政権絶対性を示すイデオロギー性質を我々に垣間見せ、虚構のなかでのみ国民を満足させる国家へとますます邁進していくだろう。

そのうち日本民主主義ではなくなるかもしれない。

民主主義のうちに「緩やかな共産主義」を掲げ、国民を導いていく。

果たして敵は、誰なのだろうか?

  • もう見た

  • 昨今、俺TUEEEが流行ってるのはもっとシンプルに、そんな作品群が昔はなかったってだけだろ。 後半部分の釣り要素の前に釣りの焦点を絞ろうぜ!

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