はてなキーワード: ダサピンクとは
少年院のガキどもにしょーもない字謎噺を聞かせているのをTVで観た。
字謎というのは「人という字は人と人が支え合ってできてる」のたぐいの字源俗解講釈のことだ。
すれっからしの触法少年たちはそんな説教臭い話に興味示さないかというと、否。大いに感動していた。
それが悲しかった。
頭が悪いほど、教養がないほどそういうインスタント感動話が好きなものだ。すぐ感動して、すぐ忘れる。そしてまた何も考えずに誰かを傷つけるだろう。
ネグレクトの犠牲者のガキどもが骨の髄まで大人に利用されている光景。
話変わってバスカフェにダベリにくる「要支援若年女性」ってどういう層なんだろうか。
あの、ひとをバカにしたようなダサピンク空間にいらっしゃいと言われてノコノコやってくる層とは?
むしろそういうのが本当に危うい境界知能発見フィルターになってるのかもな。
でも普通に考えて、「困ってるけどあんな気持ち悪いところに行けるか」という子も多かろう。
アウトリーチっていろいろ手を変え品を変えやってみなければならないもの。
予めこれと決まった形の受け皿を作ってしまって来たいやつだけくればいいというのは無駄に選別性が高い。
男物の時計をそのまま女性用にしたデザインが欲しいのに女性物になると何故かピンクになったりキラキラストーンがついたりするのが嫌だっていうツイートがバズってたけど
そりゃ実際にはそういうデザインの方が売れるからそうしてるんじゃないの?
売る側だってけして何も考えずに女性物に特定のデザインを押し付けてる訳でなくて
これに限らず映画のポスターが日本版ではデザインが大幅に変わったりして「ダサピンク」と連呼されるのも
そっちの方が需要があるんだから仕方がないんじゃないのって思う。
あと、不思議な事にこういう映画のポスターがフェミニストから叩かれてる時には表現の自由戦士が殆ど沸かないよね。奴らは二次元にしか興味ないからかもしれないが。
https://comemo.nikkei.com/n/n54decf0a0380
っていうけどさ、そういう『かっこいい』『ダサい』ていう二分論がまさに危険だと思うんだが。
開会式の内容も主要人員に前科者やレイシストを使う事なく被災地や国内の少数民族を尊重した誠実なものになっていれば、別に古臭くてもダサくても良かったよ。
そもそも公的な団体のやる事なんてダサくて当たり前だと思うし、「ダサい事」が何かとてつもなく問題であるかのように語るのって納得がいかない。
法的に真っ当なプロセスを踏んで、相手の了承を得てって地道な作業には時間がかかるしその分「古く」なる事は当たり前だと思うし、それは別に悪い事じゃないでしょ。
肌の色や髪の色の違いや服装の貧乏臭さや話す言葉のイントネーションやそういったものが「ダサい」とされて嘲笑の元になってきたのに、
日本社会の差別的な在り方を批判するのに「ダサい」という、直球でルッキズムな言葉を使うのって一体どういう了見なんだ。
「ダサさ」を極端に嫌う社会、要はイケてて、クールで、エモくて、表層的な最先端の盛り上がりさえあればいいという社会の在り方が
人権侵害を「悪い」と言わず、何故か「ダサい」と言ってしまうのは。
フェミニストの間で使われている『ダサピンク』という言葉も、同じ理由で嫌い。
「女だからピンクが好きだと決めつけるな」「ピンクの押し付けやめろ」でいいものを、なんで敢えて『ダサピンク』というルッキズムまみれのスラングにしてしまうのか。
それ以上の意味はない
スズムシが、カブトムシのために木にミツ塗るなら、土にキュウリとカツオブシ置いてくれなきゃ差別だろ!って騒ぐのは頭おかしい
女性優遇のサービス、女性だけ安い金額、ってのは男性差別じゃなくて、そうやった方が女性が金払うからや
女は女同士が群れて話題にして、本来は興味もないし来るはずもなかった友達を連れてきてくれるから、話題になりやすいサービス、誘いを断る要素を見つけにくいサービスを展開するんやわ
女の金が欲しいだけや
この店はポリコレ完璧だし平等だからぜひここに行きたい、とか思う人はいないのよ
男相手に儲けたいなら、限定シリアルいり、とか、特別仕様の金加工、とかで金払わすんや
男が気に入りそうな限定品ばっか商品化して、女用はダサピンクばっかなのは女性差別だ!って騒いでも知らんのよ
男女は性質も好みも違うんよ
それを利用して、金払わせようとしてるのは差別でもなんでもない
差別じゃなくて、男女はほんまに違うんや
タイツの件で担当者や絵師が女性とわかると、「まさか女性がこんなことを、、、」と困惑する意見が散見されるようになったけれども、男性だけじゃなく女性もまた女性に対して「女性とはかくあるべし」っていう幻想もってるよな。
だから自分=女性の好みから逸れたダサピンクが目の前に現れると、きっと発案者は男性に違いないと判断する。
いつぞやの「女性だけの街」のときにも感じたんだけど、自分とおなじ性別だったらきっとうまくやれるはず、仲良くなれるはず、おなじ価値観を共有しているはず、って無邪気に思えるのはどういう感性なんだろう。おなじ故郷、おなじ趣味、おなじ学校でもそんなこと思えないのに。
おまえ、そもそも学生時代に女性ホモソーシャルのなかで言うほどうまく立ち回れたのか? と考えると、そんなことないってわかりそうなものだけれど。