はてなキーワード: しろくまとは
しろくまちゃんのほっとけーきとぐりぐらのほっとけーきと、ほっとけーきの絵本にははずれがないよな
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2015/10/03/152346
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20151004/p1
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2015/10/05/131646
私の印象として、いわゆる「古参」の方々は徒党を組んでるわけではないとは思う。徒党を組んでるのはむしろ新参の方々であろう、と。ただ「古参」の方々は「サバイバー」としてある種の意識は共有してると思う。で、その意識ってはやや穿った見方をすると「俺達のローカルルールを飲めない奴は出て行け」ってなところが出てるかもしれない。実際は、空気がよめない奴を見下したりやゆする程度のプレッシャーだと思うけどね。それでも新参の人からしたら嫌だろうし、弱い人は耐え切れなくなっちゃうんじゃないですかね。
この「ローカルルール」意識の押し付けが極端なものになると↓のようにサバイバーの自己正当化になって、かなり醜いものになります。
『初狩り』とか本当に笑わせんなよって話だよな。その初心者さんは、なんで対戦台に金入れて座ってんの?ニコニコ気持ちよく遊びたいだけなら家でドラクエか縄跳びでもしてろよ。ゲーム業界の発展がががとか頭狂ったように口にするけど、対戦台に金入れて文句言う奴が何人居ても発展せんわ。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
そもそも対戦ゲーム業界・ゲームセンターの発展ってなんなんだ。社会から溢れたクズが怒りを不満を哀しさを、犯罪に至る前に持ち寄る場所じゃないのか。品行方正が重んじられる清らかな社交場として新規さん(笑)で栄える事があれば、それはゲームセンターの役割としては『衰退』してないか。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
礼儀正しく優しくみんなで楽しみたい奴らはまずゲーセン来んなよマジで。Eじゃない普通のスポーツやればいい。10;どうしても対戦したいなら、初狩り?されたら相手に直接掴みかかれるバイタリティを携えて行くか、現実を受け止めて黙って練習するしかないだけの話じゃないのか。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
@inoVSVSVSVSVSVS これ負けた本人が言ってるんじゃなくて曲がりなりにも金入れてる当事者の正当なプレイ権利を見てただけの他人がネットに広めようとしてるのがヤバイな— シロいたち (@Siroitachi) 2015, 10月 5
本当にケースバイケースなんだろうな。連コインにしても、俺が店長やってたゲーセンでは、アツくなってる奴の真後ろに並んで小銭の音鳴らす時点でマナー違反みたいな空気すらあったよ。『どうしても自分も今こいつと戦いたいから代わってくれ。すまん。』って頭下げて代わってもらうのが普通だった。— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
@inoVSVSVSVSVSVS トゲトゲした『敵だらけの空間』の中で認められてく認めてく素晴らしさ。ムッチャおっかない外見のヤンキーの兄ちゃんとかが好意的に誉めてくれて嬉しかったなあ。いまはそういうの無いだろうな。だからかコミュ能力低い癖にコミュ求める奴もおおいよな。— ピノAB7 (@pinoAB7) 2015, 10月 5
@pinoAB7 相手の現金を潰しあう空間だもんね。初狩り、カツアゲ、恫喝されましたあたしかわいそううううううううって書き込む場所が無かったからこそ、それに自分のリアルの体で向き合うしかなかった。だから何かが育まれたんだろね。『てめえ入ってくんなよ』から始める出会いが消えてる— 井上_INO (@inoVSVSVSVSVSVS) 2015, 10月 5
なんであそこまで傷つけられなきゃいけないんだ?
やつに落ち度があるか?
ちょっとメンヘラ気味だから躁期に馬鹿なこと言っちゃうってだけじゃん。
そんなやつ、ネットにはいて捨てるほどいる。いいやつとは言わんが、ふつーのやつじゃん。
しろくまの罪は重い。
http://anond.hatelabo.jp/20140526231242
http://d.hatena.ne.jp/otsune/20050923
id:kiya2014が堕ちた今、注目先はid:ekkenブックマークにするしかないな
そしてid:ekkenも堕ちた。
http://anond.hatelabo.jp/20130530202219
そしてkiya2014はkiya2015として転生したとすれば、その所業の限りを尽くす様を見てかつての彼を知るものは、涙を禁じ得ないだろう。
kiya2014といえば、かつてはしろくま先生もネットストーキングを告白するほどに一部界隈ではトレンディな青年だったのである。
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20060726/p1
私はid:kiya2014さんという好青年の言動に以前から興味を抱いており、ネットストーキングを続けている。ところが最近、彼の様子がちょっとおかしい。良い意味でおかしい。
あのzaikabouもkiya2014に心酔していたのだ。
http://d.hatena.ne.jp/zaikabou/20050823/1124786364
blogや2chで名前を出せば高い確率で反応してくれる有名人といえば、小谷野敦か大石英司かkiya2014*1かという今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。なおこれは印象論なので、実証しろと言われても困りますが‥
なお、kiya2014と我らがムラオサであるkanoseは以前から、面識があることは、村に長くいるものからすれば常識である。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20051104
以上のことから、kiya2015とkiya2014のつながりを証明すること、詮索することは、村のタブーに触れることと同義である。
http://anond.hatelabo.jp/20140527121719よ、コレ以上踏み込んではならぬのだ。
なお、kiya2015のスターを迷惑ぶる奴は「kanoseリスト」に名前が載っていること、ゆめゆめ忘れてはならぬ。
これは村の根幹に関わることであり、理由の一切を訊ねてはならぬ。
しろくまセンセが、そのジレンマを解消するために「愛好家たるもの」って語ってたなw
http://d.hatena.ne.jp/p_shirokuma/20130410/p1
好きなら良い、だが愛好家を名乗るなら、とw
これも微妙でさ、「愛好家」ってなによ?って思わんのかね、あの界隈の人間は。(しろくまセンセの当該記事を「わが意を得たり」と賛同してる層)
ファンのことも、愛好家って言うんだけどな。
結局のところ、「○○も知らないのか?」とか、「最低限××は語れ」とか、「△△も持ってないなんて」とかの優越感ゲームをしたいんだけど、それやると自分が攻撃対象になるの知ってるから、「愛好家だというなら」とするわけ。
「愛好家」であるなら、物の良し悪しを絶対的に評価すべし、と。
・一度振り返ってみるのも悪くないよね
NHKのマスメディア討論と同時刻に放送する企画はネットを嫌煙している人達でさえも何らかの形で小耳に挟んだことだろう。それだけこの企画はインパクトがあった。
公共放送と呼ばれるNHKが本格的にネットをどう利用していくのか討論するのだからネットを毛嫌いしている頑固者でも一度は興味を持つものだ。多くのメディア関係者もNHKと同時にUSTの放送を視聴していた。一般人であってもNHKの番組欄をみてネットはよくわからないが興味はあるという人が視聴していたことも事実だろう。
その中に私の家族も含まれていた。
NHKで既存メディアに関する放送があると聞いてお茶の間で見ていた。私はUSTの放送にも興味があったのでテレビの横に家族全員が見られるようパソコンを設置した。ネット界隈の著名人がツイッターの意見を取り入れてNHKで行われる淡い討論をどう料理するのか興味があったし、またネットを利用しない家族もネットを作ってきた人がどういう考えを持つのか興味があったそうだ。本来は一人で見るつもりだったが、機械音痴ながら少なからずネットに興味を持っている家族にも見せた。
途中から「○○○」という発言で母は唖然とし「○○」の連発で親父が切れて「パソコンを切れ!」と顔が真っ赤になり、ぶつくさ言いながら居間から出て行ってしまった。家族騒然。ネットを何も知らない者にとって煮え湯を飲まされる形になってしまった。
その言動こそが持ち味だといって笑う者もいたが、それこそネットの暗い面だろう。多面的であるネット放送、そもそも「ダダ漏れ」というコンセプトのもとで放送され、このメンツならば予想されるであろうことだから見せるなだとか、家族に見せること自体が根本的に間違いだという意見もあるだろうし、こういった予測不可能な事故が今後出る恐れもある。私自身反省することは多々あった。以後見せることは金輪際ないだろう。
司会の津田さんは何とか舵を取ろうとする意識が見えていただけに残念でならない。全員が何らかのトップを走っている人たちだ。手綱を握るのはさぞ難しかっただろう、彼の苦労をねぎらいたい。あの状況下ではグダグダは避けられなかったのかもしれない。ひとくくりにネット放送がグダグダだと言って目くじらを立てるつもりは毛頭ない。しっかりと構成に基づいて放送されている方もいるし、グダグダ感がよい味を出している放送も存在するからだ。
しかし今回の企画自体とてもおもしろくまた同時刻で同じ課題についての放送であることから、既存メディアとネットメディアの考え方の差を一般人に広く見てもらう機会もあっただけにこのグダグダはとても惜しい気がした。マスメディアがネットをどういう風に利用するのかと、一般層にとってもネットを認知する機会であればこそ、ネットでどういうやりとりをしているのかを見てもらう良い機会でもあったのだ。
以前にも東浩紀氏が司会の「ベーシックインカム」についてニコニコ動画で放送していたが、暴言を吐かないまでも、声の大きい者が延々としゃべり続けるような状況だった。もちろん内容はおもしろかったのだが、せっかく多くの専門家や著名人を迎えて行う放送なのだから色々な意見が聞きたかった。似たような状況で続けざまにグダグダになっているのはとても残念でならない。
自室に戻って第二部を視聴したが、とてもおもしろかった。また次回もやってほしい。その気持ちがあればこそ感想を書くに至った。
適度にやるという趣旨だったかもしれない今回のUST討論だが、厳格なNHKの放送枠にあわせるとどうしても全体のカラーをNHKにあわす人間もいたことだろう。同時刻に流していると厳格なNHKのイメージに対し、罵詈雑言、酒を飲みながらヤジを飛ばしているというイメージを視聴者に植え付けてしまった。
ネットが罵詈雑言のグダグダしただけの世界だと思われてしまうのが残念でならない。ネットは勝手にやっていくからレガシーメディアは勝手に滅んでくれていいということで投げるなら何も言えないが、一般大衆により深く浸透してもらうためにはいろいろな意見を聞き、討論させるがことが必要だ。進行がぐらついてしまうような大きな声が勝つ討論ではそもそも既存メディアにすら太刀打ちできない。
ネットは近所の公園でたむろしている不良のたまり場として見られることだろう。最近になってNHKラジオではツイッターの投稿を募集し始めている番組もあるのだが、たまにツイートを読むときにかったるい間延びした読み方をされることがある。ネットスターの投稿でも似たようなことがおきている。感情を込めて読み上げる必要があるのだろうが意外とネットからの投稿は間延びした読み方が目立つ。ネットから遠いと自堕落な人物像を想像してしまうのだろうか。これが既存メディア側から見たネットの人達(住人)に対するイメージといえるのかもしれない。ネットと既存メディアの対立構造として想像している者も少なからずいる。
厳格に枠を作ってしまってはネットの優位性はなくなるという懸念はあるかもしれないが、有意義になるはずの放送をグダグダにしてしまうのは勿体無い気がする。既存メディアの強みは良い意味で時間枠に手綱が握られている。時間や政治的な制約を出演者自身が意識していることも討論の進行を制御しやすい要因になっている。
ネットメディアは言いたいことがある程度自由に発言できる代わりにグダグダを毎度の事と許していないだろうか。今回の放送は対比する場として認識している人間もいた。NHKの議論の質が低い、根本的にズレているという声もあったと思うが、裏マスメディア前半部分の有様を見かねて退席した視聴者はどう見てもNHKに軍配を上げることだろう。
グダグダを前提にするならばこの時間帯は避けるべきだったのかもしれない。既存メディアが理解を示そうと討論をする放送なら今回USTの放送に興味がわくことは想像に難しくない。ハッシュタグを両方付加してツイートする者もいた。そこから興味を持ってUSTにアクセスした視聴者もいただろう。
切込隊長が放送する前にブログでこのことを心配されていた。(参照↓)
・ NHKが昔からtwitterを使っていたわけではなく、今回試験的なもんだろうと思います。
・ twitterは従来の放送のあり方に敵対するものではなく、共存していくための試行錯誤の時間を放送側に与えるべきです。
・ たぶん、USTでの裏番組の放送は、相当グダグダで汚い野次が飛び交う内容も含まれるでしょう… それが、twitterのレベルと思われるのはよろしくないかとも思います。
・ ネットの側からすれば、既存マスコミを敵視したい衝動は理解しますが、相手も人間であり、配慮すべき対象です。
・ twitterが革命的だと信じるのは自由ですが、ネット過激派の巣窟と判断されかねない方法は採るべきではないという考えです。
引用:http://kirik.tea-nifty.com/diary/2010/03/nhk-589c.html]
次回、新たに放送の企画を考えるのであれば、たまにはネットのイメージを多少でも向上するようなセッティングをすることも必要ではないか。勿論たまには、だ。それが出演者が「窮屈だ」と感じ、無視するようであればネットはいつまでも独特の世界に埋没してしまうのではないかと危惧の念を抱く。ネットを嫌悪している老害が時間とともに完全に死滅することを望んでいるのならば、やがて現在ネットに親しんでいる者達もいつか時代が変わったとき、逆の立場になる可能性があることも頭の隅に置いてほしい。年齢の事ではなく、考え方の世代間の齟齬を無闇に切り離して考えるのは乱暴といえる。
既存メディアがなかなかネットの見解を喋らせてくれないのは暴走や炎上といったリスクを恐れていることも一つの要因だろう。既存メディアはネットを蔑視から脅威の対象に変わりおそるおそる歩み寄りを見せようとしている。この時期をうまく利用し、ナイフに怯える少年達に安全な使い方を示唆するように、ネット上の楽しさや奥の深さを理解させることができれば、多少なり既存メディアの著名人達がネットに流れてくることもあるだろうし、ネットに関するテレビ放送の姿勢が変わってくる。新しい技術もスムーズに受け入れられることだろう。
視聴者の意見がダイレクトに流れてくることを認識してもらえれば、著名人も迂闊なことがいえないと判断し、勉強するようになる。法案の抗議文書をいくらEメールで送付したところで国民の声として認識されないのもネットが生活に根ざし始めていることを理解していない者が多いことを示している。ネットは生きた人間が使っていると理解させる。その流れが「開かれたメディア」の一歩と思う。
そういう状況になって初めて「開かれたメディアではごまかせない」と捨て台詞を吐き、既存メディアに逃げ帰っていく者達を安心して見送ることが出来るのではないだろうか。いま誰にでも門戸を開かれているようで、まだまだ人を選んでいるのが現状だ。空論だと言い切ってしまう前に一度やってみる価値はあると思うし、ネットのコミュニケーションが多様化してきたのだから既存メディアが理解できる様式が一つぐらいあってもいいだろう。まずネットが2ちゃんねるだけの文化という誤解を解くことが必要だ。
ネットは多様性があり、しかも誰でも放送を選ぶことが出来るのだから放っておけば見えざる手のごとく、いずれ淘汰・最適化されるだろうなど安易に他人任せにするのはよくない。アルファブロガーという言葉が流布されているとおり、匿名だけがネットではなく率先して引っ張っていく人間がいる以上、発言の影響力は大きい。こういったネットを先導してきた者たちが一度はネクタイを締めてキメ顔でやってみるのも別のアプローチとしておもしろい宣伝になる。たとえテレビでは多くを語れない制約があったとしても、ネット側から歩み寄りを示す方法はいくらでもあるのだ。
前を向き続ける姿勢は評価できるが、ネットに興味があるがなかなか理解出来ない人を放置するのはいかがなものか。せっかく相手は理解しようと動き始めている。敵視したままなし崩しに放っておけば、誤解の差は開き、また何かしらの思い込みによる報道を繰り返し、結果的に発展の阻害になってしまうことは想像に難しくない。理解を示し、説明することは大事なのだ。
ネット先駆者たちと大衆の思考が大きく乖離してしまっている。先駆者たちがわざわざ理解できるように道を示してくれるとは思えない。また既存メディアが既得権益で塗り固められたままネットを利用し理不尽な制約・規制を新たに生み出すかもしれない。これから重要になってくるのはネットと非ネット利用者の橋渡役ではないだろうか。
大衆を呼び込むためにも背広を着て営業する大切さも一度は考えてみるべきだろう。ドワンゴの川上氏がテレビCMを流すなど、NHKに出演することは世間に出るリスクがあるとはいえ、新しいメディアを理解してもらおうと努力している観点から見れば大いに評価できることだ。
iPadなど直感で触ることが出来るようになりこれまでネットを利用しなかった人たちも使う機会が増えてくることだろう。前へならえで既得権利に浸かって沈没していくレガシーメディアに理解できるような試みも必要なのだ。より社会に根ざしたネットインフラを構築するためにも、今後ネットを知らない者への理解が重要になってくる。
既存メディアがネットを考え始めたと同時に、ネットを利用している者も既存メディアに対してもう一度深く考える時期にさしかかっているのかもしれない。
参考1:“革命的Ustream放送”「激笑 裏マスメディア〜テレビ・新聞の過去〜」の裏側 (1/2) - ITmedia News
参考2:Togetter - まとめ「NHK激震マスメディア 向谷実氏(カシオペア)のTLで裏ustに非難轟々だった件」
力太郎
ノミのピコ
おおきなおいも
しずくのぼうけん
14ひきのねずみ(引っ越しの話)
11ぴきのねことあほうどり
ある幼稚園の話(「もぐらの基地」だったかの遊び場を他の組と取り合った話があったような)
ズッコケ3人組
ある大家族の男3人が紙飛行機や紙の船に乗って旅をする話(ハッカ入りのおかゆって何だろうと思った記憶)
三びきのやぎのがらがらどん
だるまちゃんとてんぐちゃん
おだんごぱん
しろくまちゃんのほっとけーき
おおきなかぶ
わたしのワンピース
おしいれのぼうけん
どろんここぶた
あーんあん
ノッポとチビの犬の話(ノッポもチビもどっちもいいところあるという内容)
おばけのバーバパパ
さるかに合戦(臼、牛の糞、ハチ、栗)
記憶にあるのはこれくらい