あの記事には男児版しかなかったので女児版を勝手に追記しておく
小学生低学年から組曲キッズやメゾピアノなどのブランド物を着せろ
綺麗な服を着せるのは見栄えをよくするのももちろんだが、「自分は綺麗な服を着る価値のある存在だ」と自己認識させる目的がある
そして高学年になったら充分な小遣いを与えて自分で服を買わせろ
乳児のときから欠かさず日焼け止めを塗れ 中学から化粧を教えろ 美容グッズに金を惜しむな
親に縮毛矯正やスカートなどのフェミニンな服装をさせてもらえない女子と生きる力に差をつけよう
座った時は脚を閉じる、食事マナー、鉛筆の握り方、全て親が入念に叩き込め
不細工は圧倒的に不利なステータスなので元凶となる親が金銭的支援をすべき
なぜ高校からかというと、カーストにおいて中学までは成績や内申やスポーツの割合がまだ多少を占めるものの、高校からは容姿が圧倒的に一番優先されるからだ
逆に容姿が良ければ軽度の知的障害や発達障害があっても充分取り戻せる
空気を読み、会話では適切なタイミングで相槌をうち、綺麗に口角の上がった笑顔が出来れば合格点だ
女子同士のコミュニケーションにLINEは呼吸と等しく必須なので、小学生のときからスマホを持たせろ
バレエ、ピアノなどフェミニンでかつ文化的な習い事をさせるべき
サブカル好きは腐女子が多いのでサブカル文化に触れさせてはいけない
サブカルは成人してからでも楽しめるし、女子には漫画アニメゲームより楽しいものがたくさんある
掃除ができない、締め切りが守れない、協調性や落ち着きがない、喋り方や身のこなしが気持ち悪い、空気が読めない、etc..
発達障害は女子のアドバンテージをことごとくマイナスにするものしかない
私にはいじめた自覚はなく、たまたま欠席をする連絡帳を学校に渡すときに、虐められたくないから学校に行きたくないといっているという文章を見てしまったことで気づくことができた。
ただなにも言い返してこなかったし、一緒に登下校してたし気づかなかった
主に母の行動がしんどかった
・姉と比べてなぜお前は勉強が出来ないんだと責め立てる
・勝手に人の持ち物ノートを漁り盗み見る。辞めたと言ってもやめない
・注意禁止の会話しかしない。トランプなどの遊びに誘っても面倒がってやらない
・片付けを手伝ってやると言われて渋々承諾するがいざ私が捨てようとするものに文句をつけ、勿体無いから置いておきなさいと言い片づかない
・母親自身はきちんと料理洗濯掃除をこなして立派な母親だと思っている。
・車酔いするから車に乗って出掛けたくないと言うと、脅し騙され泣くまで怒られて車にならざるを得ない状況に追い込まれる。結局いつも車の中で嘔吐
辛かった苦しかった
今子どもができて当時のことを恐ろしく思う。
なんてことをしてしまったのか。
性格が歪んでいく
ごめんなさいごめんなさい
今はわからないけど、自分が若手だった15年ほど前の一般職は顔採用なのか、かわいい女の子ばっかりだった。
そして、入社後その子たちはいつも同じ流れをふんで退職していく。
中年になった今それを思い出して、幸福な人生を歩むひとは違う世界にいる人なんだろうなって思いながら、好きだったはずの専門職の仕事と子育てに追われる不機嫌な妻、その妻の顔色をいつも伺い、公平な負担を目指さなければならないことに耐えきれなくなってきている自分の人生を考えている。
人生は脳汁をいかに出すかということが大事なんだよな。人間が作ったものというのは全て脳汁どばぁの産物なのだ。素晴らしいものを見ると背後にいる脳汁どばぁ状態の作者が見える。俺も脳汁どばぁしたい。どうすれば脳汁どばぁできるかな。分からない。そういうの子供の頃に見つけらていたら勝ち組だよな。
甘い野菜が苦手だ。
正確に言うと甘くない状態もありえる野菜を甘くなるよう調理されたものが苦手。カボチャやサツマイモは普通に食べる。
例えばキャベツ。
千切りとか、浅漬け系は大好きだ。
でも、ロールキャベツになると食べられない。
あとは玉ねぎ。
ピクルスや生のサラダなんかは大好きなんだけど、トロトロに煮込まれたスープに入ってるとゲンナリしてしまう。
ニンジンもそう。
ただ、困るのは大概の野菜が生だと量を食べられないこと。
お得で快適なほうに乗り換えたんじゃないの?
とあるテレビゲームにただ時間を食うだけの面倒な単調作業を要求される箇所があってなんか楽に済ます方法がないか調べてたんだけど
調べる過程でツイッターだと「めんどくさいだけの無意味な作業」という意見が多かったのに
5chでは「こんなことに文句言うやつはゆとり」「このくらいもできないのか甘えるな」みたいな論調で揃ってて完璧なおっさんコミュニティだ!と感動してしまった
別にツイッターを若者の場所とも思ってないしサンプル数1で語るなというのもそうなんだけど、自分的には結構象徴的な出来事だった
ひまそうで何より。
こういうときは叩き台の出来が結果を左右する。出し渋ればろくな回答は来ない。
「負の性欲」という言葉が生まれた唯一の目的は「男性被害の可視化」である。
無害な人が異性からキモいと暴言を吐かれることはしばしばある。これは男女でどっちにも存在するセクハラ、いじめだと思うかもしれない。だが「女性は常に弱者であり、男性は常に強者である」というかなり強力な刷り込みのせいで、被害者が男性の場合、キモい男性のせいで女性が不快な思いをした(=いじめられる方に原因がある)構図になりやすかった。
また、負の性欲に関して議論が脱線する要因として次のようなシチュエーションの混同がある。
②男性が女性に礼儀正しくアプローチして女性が礼儀正しくお断りする
③男性が女性に礼儀正しくアプローチして女性が暴力的に拒絶する
ここで①は男性側に一方的に問題があることや、②の男女両者に問題がないことは現状でも議論の余地がなく、負の性欲という新しい言葉でクローズアップしようとしたのは③である。(③が社会的に許されがちであるということ)
そしてまた冒頭で述べたような、無害な男性が女性から罪悪感なく一方的にキモいと暴言を吐かれることである。
女性が痴漢やセクハラの被害に遭うことは多いが、それらは解決すべき社会問題として(正常なモラル感を持つ)男女両方から認識されている。一方で男性の被害については、「もっと強くなれ」「もっとかっこよくスマートになれ」「あなたが最初に何かしたのでは?」と被害者が責められる傾向にある。
ハゲやデブのおっさんだって存在そのものを非難される謂れはない
これは、いままで可視化されてこなかった、訴えても無視されてきた、男性被害の #MeToo なのだ。
こういう、女性は常に被害者であるという先入観が減りますように。
私何回も言いました。先に被害にあったのは誰なのか忘れないでほしい。
あなたたちと私は同じ被害ではない、と。 https://t.co/dRKsCXbq0u— 石川優実@#KuToo署名中👞👠 (@ishikawa_yumi) November 19, 2019
masuda = anonymous diary
まぁ今に判る
真面目ゆえに混じらなくて浮く人もいる
そんなところは、たいがいひまで
楽出来ていいじゃんと思ってたような人は
そこにいてともに沈み
混じらなかった人は新天地で
多数決は正しい訳じゃない
澱んだ水は
ずっとそのままだよ。
いやそれは偽りの姿だ