未だに「2chまとめサイト」ってのは
「個人の趣向で個人が勝手にまとめている」と
思っている人がそれなりにいるらしい。
もう忘れたのかもしれないけど、
Google AdwordsのIDが複数のまとめサイトで一致(連番)してしまってたり
個人でできるレベルじゃないよ、うん。
アニメを本来子供向けに製作すべき所を大人でも理解し辛い製作者の自己満足で構築されたシナリオのおかげで普通はその辺のゴミアニメと変わらん内容なのにな。
ステルスマーケティングがなければ、ここまで注目されはしなかっただろうに・・・
もともと善良な市民である私がどういった経緯で詐欺師になったのか、そのことについて良い機会だから書きとめてみたい。
元来私は人とは距離をおいて接するところがあった。決して私が重度の厨二病だからというわけではないが、自分は周りの人たちとは
何か異質だと感じていて、不用意に自分をさらけだすのは得策ではないと考えていた。また、幼い頃から人間社会の裏側を
目にすることが多く、優しさの裏にあるものを敏感にかぎとってしまい、拒絶的な態度を表してしまうような、ある意味ひねくれた子供だった。
そんな子供だった私が選んだサバイバル戦術が、「自分を偽ること」だった。本当の自分を表に出すと、その異質さが人々の
目を引いてしまい、私の意図とは違ったところで、さまざまな誤解を生んでしまう。ちなみに、私自身は異質である自分に
べつだんコンプレックスがあるわけでもなく、かといってそんな自分が密かに好きというわけでもなく、ただ自分はそういう人間だと思ってるだけである。
ただ、それをオープンにした場合、さまざまな不利益を被る場合があるので、無闇にオープンにしていないだけのことである。
しかしながら、オープンにせず自分を偽るのは精神的に負担が大きいし、オープンにしないと手に入らない利益もある。そのことを青年時代の私は繰り返し学んだ。
もっとうまいやり方はないのか?そこでたどりついたのが、「詐欺師という生き方」だった。
何も最初から詐欺師になろうと思ったわけではない。気付いたらなっていた。最初は自分をうまくさらけだすやり方を偶然見つけた、ただそれだけだった。
ところが、その「うまくさらけだす」やり方に改良を重ねるうちに、狡猾さがエスカレートしていったのだ。ウソの設定を適当に追加し、その設定に信憑性をもたせれば、
もっと容易にさらけだせることに気付いてしまったのだ。さらけだせるだけでなく人々に私にとって有益な反応を起こさせることもできる。
ストレートにさらけだしたのでは得られない反応がたくさん得られる。なぜネカマが多いのかの一つの理由が、そのとき初めて分かった。
それまでは人を騙すメリットの背後には、自分を押し隠す苦しみというデメリットがついて回っていた。
それが、人を騙すメリットに、自分をさらけだせるという項目が加わったことで、完全にデメリットが無くなってしまった。
人を騙してはいけない理由が、もうなくなってしまったのだ。このうま味を覚えた私は、自分に関するウソをつくだけでは歯止めが利かなくなった。
久米が入社した年のアナウンサー最終試験は、試験官の前に1台の赤電話が置かれ「赤電話を題材にして自由にしゃべって下さい」という課題だった。他の志望者は「さぁ、いま私の目の前に赤電話が置かれております」「ここから一体どのような人間ドラマが始まるのでしょうか」という実況型だったが、久米は赤電話を前に暫し黙考。十円玉を取り出し、その場から実家に電話をかけた。電話に出た母親と「もしもし母さん? いまTBSで入社試験を受けているんだけど……」と普通に会話をし、そのまま終了した。
落ちましたのお祈りが返信されるのはまあ仕方ない。
だが、こっちは苦労したのに向こうは見て、ああいらないからポイねと80円切手の小さい封筒で三つ折りにされて返ってくる通知書。
法律系の個人事務所ほど存外というか、中小零細(30人以上)でもピンキリがあるのは就活しててよく分かった。
120~140円切手で郵送したのがペラペラの封筒に紙きれ一枚で80円切手とかマナーがないにも程があるっていうの。
そもそも求人出すって事は仕事したい・できる奴を募るわけなのに、こんな小さい事一つも出来ないようじゃ会社自体(個人でも)の信用を疑うね。
それはともかく、
履歴書位は求人票に「責任者の責任で破棄します」と書いてない限り返してくれよ。
それに求職者には色々マナーがどうのって指図する癖に採用側は求職者に対して礼儀がないというか胡坐を掻いてる状態なんだよ。特に最近は。
昔から賢人を募るにはそれ相応の態度で臨まないといけないという古い格言がある位、
人が人を用いる事の重要さが会社には染み着いてるはずなんだけど、会社っていうのは質よりも量という時代に入った、ということなのかな?
釣り臭いけど、あえて釣られてみると、別に風俗に限らず仕事を一回やめちゃうと大変ってのはまあ普通のことだし、突然辞めなくちゃいけなくなるってことはよくあるし。
あと、
この事件の犯人に代表されるような、「自分は体制にたてつく者は嫌いだから。」という思考回路の人間。
で、こういう人間に限っていざ自分が攻撃されると「自分のカテゴリへの差別は許されるんですかねえ」などと絡んでくるw
あとこういう連中は文系叩きが好きだね、日本を作ってるのは俺たち理系なんだというプライドを持ってる。
ただの土方の癖にね、あ、差別しちゃったw
いや、割とマジで。
予備校がやってるみたいに、オンラインなり衛星放送なりで同じ講義を全員が受講出来ることは技術的に可能でしょ。
教養課程の英語とか数学とかなんて、大学ごとに授業してテストするなんて経費の無駄でしょ。
よい講義は数多くの学生に聴かせることが、学生の基礎能力アップにつながるし、同じ試験受けさせて同じ合格ラインで単位認定することで、質を担保できるっていう具合だ。
企業が募集だしたりするときにさ、どういう人材を探してるかを言えば、
「どこどこ大学の○○研究室がその分野で強いですね。就職希望の学生がいたら連絡しますよ。」
って具合に出来ればお互いWinWinじゃん。
なんか、協力できない理由でもあるの?
ICUみたいに独特なカリキュラムだと、他校と協調しにくいとかあるだろうけどさ、国公立にそんなものないでしょ。
建前上はポリシーとか建学の理念とかあってもさ、実際のところは放任主義か超放任主義か超超放任主義かくらいの違いしかないでしょ。
まず、猫のエサとして生きたイエウサギや飼育愛護目的に繁殖された小鳥は適切ではない。
ペットブームで愛護動物用のフードが数多販売されている中、生きた動物を与えるというのは合理性に欠けるし、そもそも猫はウサギを殺して食べるまでに至っていないので実質エサやりにすらなっていない。
「野生と同じように自ら獲物をしとめて食べることが猫のためになる」と主張したとしても、自発的にウサギを襲おうとしているわけではない猫を敢えてけしかけている時点で説得力を失うし、イエウサギに関して愛護法違反であることに変わりはない。
(動物の所有者又は占有者の責務等)
第七条 動物の所有者又は占有者は、命あるものである動物の所有者又は占有者としての責任を十分に自覚して、その動物をその種類、習性等に応じて適正に飼養し、又は保管することにより、動物の健康及び安全を保持するように努めるとともに、動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない。
その子がウサギを飼っているのならば、動物の種類、習性等に応じて適正に飼養し健康及び安全を保持していると言えない。
イエウサギには猫に傷つけられることで健康を増したりより成長が促進されるといった習性はなく、猫の方でもウサギを攻撃することが飼育管理上適切な運動行為とは言えない。
猫を逆上させてウサギを攻撃させているとしたら、ウサギだけでなく猫をも虐待しているという解釈すら成立する。つまり、猫は食べるためでなく怯えて/嫌がって、ストレス因(=敵)を撃退すべくウサギを攻撃せざるを得ない状況に陥らされているから。
さらに、他人のウサギを持ち出しているとしたら器物損壊にも問われる。
どこぞの国の動物園でもライオンやトラの庭の中に生きたままの牛や羊やウサギを投げ込んで
それを見世物にしているそうだが、これと同じだと思う。
同じではない。
空腹の肉食動物のために生きたままの草食動物を与えるのは草食動物にとっては虐待だが肉食動物の飼育に関しては適切か否か議論が分かれる余地がある。
あなたの見かけた子どもはウサギを食べたがってすらいない猫にウサギを押しつけていじめさせているので、ウサギにとっても猫にとっても明らかな虐待。
極端な例だが、「食べなよ」とゴキブリを押しつけられたらあなたでも悲鳴を上げないだろうか? 「それは食べ物ではないし仲良くしたい相手でもない」と。
ただ、賭けてもいいが、学校は事なかれ主義なのでこの件に関してはもみ消しを図るだろうし、先述したように機能不全家庭化している可能性もあり親は子どもの指導に関して宛てにならない。
というか、学校教育や家庭内での教育の場というレベルでそういった虐待行為を行う人間への矯正・指導のノウハウがたまっているということがそもそも期待できない。
つまりその子の行為への抑止力となるような機構はほぼ全く存在せず、またその子は見つかったことで次は見つからないようより巧妙に、かつ叱責を受けた・非難或いは疑惑の目で見られたことのストレスを晴らすためにより過激な虐待を行うようになる可能性がある。
個人的には児童相談所への通報をおすすめしたい。すぐに何らかの介入行為に至ることがなかったとしても、通報実績だけは重なるから。
結果を見ると、鬼の木村がKO負けした事になってるけど、意味が分からない。
当時のプロレスブームの火付け役またはプロレスの父と称された力道山。
そもそもプロレスショーは今ですら暴力団が仕切っている事が白日の下に晒されてるけど
当時は台本があったことでさえ知らない人が圧倒的だったから、暴力団によって仕切られていた(興行)のは知らないのでは?
そんな連中が力道山という商品を簡単に潰すとは考えにくいし、力道山自身が金に汚い事は有名だから木村潰しにタッグを組んでたのではと思う。
それにあんまり言いたくはないけど、力道山って韓国人であることを隠してたんでしょ。
韓国人の国技でもある先手必勝(卑怯)は日本の武士道(木村政彦)とは相反する関係にある(これはスポーツ、ワールドカップや国際野球大会で証明されてる)。
という事は正道を守って試合に臨んだ木村とあくまで邪道・外道路線で試合に臨んだ非日本人の力道山のどちらに正当性があるか
反則しても勝てば許されるっていうのは今ですらも、よく見る光景だけど、卑怯な事をして勝つのがそんなに素晴らしい事なのか、
よく分からない。
極論を吐きたくなる気持ちは分からんでもかいが、警察業務を民間委託なんかしたら、儲からない案件はますます杜撰になっていくし、儲かるために事件をでっち上げるリスクも出てくるぞ。
こいつらが会社名出して謝罪したということは、広告会社の方も「あの人気まとめサイト○○は弊社のプロデュースなんです」みたいな営業してたってことなんだろうな。
ゴミですね。
以前にも似たような事で立件見送った上で犯人に有利になるように処理した馬鹿警察がいませんでしたっけ。
事件が事件と公言できるまでにならないと動かないなんてそりゃ初動捜査が年々疎かになってるのも頷けるわけだ。
警察という組織は、もう公務員の権限全て取り上げて民間委託して解体すべきじゃない?
給料泥棒も殺人を未然に防がず見殺しにするところまで行ったら殺人幇助と同じだし、その癖処分軽いわ隠蔽するわでどこの霞が関だよ、と。
うわぁ。自分も仕事できないおっさんなので、なんか申し訳ない。
仕事ができないのは同僚も分かってるだろうし、何よりおっさん自身も分かってる。
でも、年を取ると勉強とか努力するエネルギーが小さくなる(いやこれは仕事ができない人限定か。少なくとも自分にはそういう実感がある)。
若い人に対して謙虚に教えを乞うのも恥ずかしい。だから余計に虚勢を張るんだと思う。
適当にあしらわれてるのが分からないほど馬鹿なおっさんだったらそれで問題ないし、気づいていて態度を変えないのだったら、きっとおっさんなりの大人の顔なんだろう。こちらも態度を変える必要はない。
同僚の接し方を観察してみるのもいいかも。