いい機会なので解約を忘れていた「Wホワイト」を解約しようと思ったが
「Wホワイトは必須なんですよー」というおねーさんの困った顔をみて、そのまま継続した。(帰ってから解約したけど)
ネットのいくつかの事例を見ると、ごねれば解約できるような気はしたが
正直、めんどいことになりそうだったのと、「研修中」という名札をつけたおねーさんが不誠実に対応しているようには見えなかったので
スルーして「必須なんですよー」というオプションに一通り加入して購入した。
店舗で働いているおにーさん・おねーさんが不誠実な対応をしているようには、全然思えない。
前買ったときも解約の仕方を懇切丁寧に教えてくれたし(「これ解約したほうがいいかもしれないですよー」とかいってくれたし)
きっと彼・彼女らの立場として、できるだけの誠意を尽くしてくれたんだと思う。
なんとなく、アップルとか某社とか取るものはしっかりとってるけど、消費者とか開発者にこの手の「騙された感」を与えることが少ない気がする、、、たぶんだけど。
、、、
オプション諸々はおかげさまで解約できました。
大変でしょうけどがんばってください。
ブログは、執筆した人の所有物ではありません。そもそも、ホスティング業者とか文字コードとかJavaScriptを使ってできたブログを、ユーザー登録したらいで「所有」しているという考え方がおこがましい。
当たり前ですが、ブログでも何でも、一個人の完全な所有物となるものなんて、この世にはありません。「物」は、言うならばこの世界そのものの「所有物」であり、人間にとってはむしろ「借り物」という方が近いです。今認められているいわゆる「所有権」とは、その「借り物」の処遇について、他の者よりも比較的多く決められる権利――くらいの意味しかないのです。
ですから、当たり前ですが、それでバカなことを書いたり罵倒したりしたら、作家のみならず、誰でも、この世界そのものの一員として(一部として)、それを炎上させることができます。と言うより、炎上させるべきです。
それは、権利と言うよりは、この世界そのものの一員としての責任です。ぼくは、誰が書いているブログであっても、その持ち方や使い方を誤っている人がいれば、行って「おいバカ死ね」と勇気を持って罵倒してきたいと考えています。
その人の心象が分かりますな^^
おハロー。
聖おにいさんはオサレというのよりサブカル臭。それも悪いタイプの。
http://anond.hatelabo.jp/20081210172325
とても根が深いサブカルミーハー問題。『このマンガがすごい2010』を読んで。
http://anond.hatelabo.jp/20091216230059
「このマンガがすごい!」は罪深い延命装置。もう犠牲者を増やすな!!
http://anond.hatelabo.jp/20111224192828
を書いたぼくだよ。みなさん自意識丸出しでごちゃごちゃ言ってくるんで、胸焼けするぐらい非常に切ない気持ちになりました。なんというかもう……。
「かわいそうだね?」
って言葉しかでてきません(おっと、つい芥川賞受賞作家ネタが飛び出しちゃったよ。やべー、まさかここで芸術に携われる人間だったら絶対にチェックしておくべき、芸術を理解できないやつは興味ないふりして精神防衛していることでお馴染みの芥川賞のネタが飛び出すとは、俺のセンスパねえ)。
はてなブックマーク、およびツイッターの皆様がたは心のホメオスタシス機能をフル稼働させて自分の殻に閉じこもっちゃっていますね。みなさん図星を突かれたことを必死に隠そうとしていますけど、何で等身大の自分を直視できないのかねえ。
「格好をつけないことで、格好をつけている」
「「ホメればセンスいいと思われる記号」を批判すればセンスいいと見られると思ってる人の典型的批判」
やれやれ。春の熊に全員屠殺してもらいたいよ(センスある村上春樹ネタ)。
ぼくはきみたちの断末魔の叫びで心が汚れちゃったんで、ストラヴィンスキーを聞いて洗い流していました。グッドなアートはエバーグリーンな輝きでディ・モールト・ベネだね。
ということで、本題。反応を見ていると、ぼくが批判したい対象がイマイチ伝わっていないようなんで、ここでまとめて表明してみようと思う。
これ以上、この惨状を放置しているとホント取り返しのつかないことになるからね。砂漠に水を与えるようなものだけど、何もやらないよりはマシ、かな……。
きみらの軽い脳みそでも理解できるように4つに大別してあげているから熟読してほしい。2010年代はこういう奴らをいかにカルチャーシーンから排除するかにかかっているので、宇野常寛さん、荻上チキさん辺りは参考にしてほしいね。東浩紀さんは河原で石でも積んでてください。
では、いきますよー。
「ボンクラ」なんていう安っぽい価値観で連帯して、「中学生マインド」なんていう恥ずかしい心性を至上価値にしちゃっている一派。やっていることはひよこのオスメスの仕分けみたいなもん。ライムスターの宇多丸や町山智浩辺りが「いい」といったものを「味方」と見なして手放しで褒め称えて、けなしたものを一緒になって叩けば、「センスあるポジション」にいられると思っている。
「売れてる邦画はテキトーに叩いておけばおk」みたいな頭からっぽな行動も平気でしちゃう。そんで周りも見てもいないのに賛同しだすから目も当てられない。
中身をまともに分析しないで「大沢たかおが出演しているから、これはクソ映画だ」みたいな論理で動いていて、そんで「バカな大衆」と「審美眼のあるセンス抜群の俺」という謎の対比をしだすんだよね。「なぜこういう内容の邦画がいま売れるのか」なんていう深遠なトピックに触れることは一切ないし、考える頭もない。
自分の物の見方だとか価値観だとかが一切抜け落ちた、ゾンビみたいな奴ら。サブカル年長者の金魚のフンをやることに、羞恥心の欠片もない。「独自な物の見方をする人間」についていけば、「独自な物の見方をする個性的なわたし」が出来上がると思っている。
彼らの反応は非常にわかりやすい。ちょっと宇多丸のラジオを聞いただけで、習性がまるわかりで、「ああ、この映画はこいつら叩くだろうな」ってことがすぐに判別可能になる。その分かりやすさが蔓延の原因だといえよう。映画リテラシーがないのに、センスいいと思われたいやつらの格好の逃げ場になっている。
そんで、こういう奴って美意識がないから恥ずかしげもなく部屋に映画のポスターをべたべた貼って、ダサいバンドTシャツを着ていたりするんだよね。それでいて、オシャレに過剰なコンプレックスを抱いているから、「無理してオシャレしているやつは上辺だけの中身のない単なるカッコつけで、ちょっとダサいくらいの自分が本当は一番センスいいんだ病」にかかっていて非常に厄介。自分のダサさまで理論武装しなきゃ生きていけないなんて、ほんとに可哀想だ。
この病気を完治させるには映画について語りだすたびに「それ、ウィークエンドシャッフルで宇多丸が言っていたことだね」って言い続けるしかないと思う。「あ、その映画、町山智浩がキラキラで紹介してたやつか」、「昔、みうらじゅんがその映画をネタにしているのを見たことあるよ」でも可。
「人生で大切なことは、すべて伊集院光のラジオから教わった」とか真顔で言っちゃう恥ずかしいやつら。
映画秘宝系との違いは、映画を見たりする気力も何もなくて、横になってラジオを聞くぐらいの体力しか残されていないのに、自分が第一線にいることを疑わずに最新のカルチャーを必死に否定してくる。「最近のアニメって萌えばっかりで中身がないよね」って見もしないくせにしたり顔で口を挟んでくるのがこいつら。
自分が中年化し、ついていけないことを認めることができなくて、漫画やアニメは伊集院が褒めるものだけが絶対だと思っている。『わたしは真悟』だとか『アストロ球団』だとかね。
映画秘宝系はまだ自分の足で作品を鑑賞しようっていう根性があるけど、こういう奴らにはそれすらない。平気でCMカットのMP3音源を違法ダウンロードして、「やっぱり伊集院さんって聡明だよなあ」なんてアホ面下げてる。その続きはもちろん「本当に頭が良い人って伊集院さんのことを言うんだよな。やっぱり人は学歴や職業じゃなくて、物の見方で頭の良さが決まるんだよな~」なんて考えいて、「ダメな自分は本当は感性が鋭くて、周りのくだらない奴らよりもずっとずっと頭がいいんだ!」って泣きながら自己肯定をしている。
もうなんでもあり。
こういう奴らのためにはっきり言ってあげるけど、「感性」っていうのは行動で示さなきゃ形にならない。布団のなかで自分を慰めるための感性だなんて、ありゃしないよ。ゴミクズよ、もうよせ、こんな不毛な自己肯定は。
「センスがいい」というタグを貼られた商品を必死に買い集めて、なんにもない空っぽな自分を必死にデコレートしようと頑張っている。ビレバンに下駄を履かせてもらわなきゃ、外を歩くことすらできない可哀想な人。自分がビレバンから与えられる餌を食べているだけの家畜だってことに気づけない。
こういう奴がセンスいいと思われたい一心でカルチャーシーンを引っ掻き回して、むちゃくちゃにしていく。「このマンガがすごい!」で上位に入る漫画が悲惨な犠牲者なのは、前の記事に書いた通り。
なんにも作り出せない、作ろうともしないくせに、必死に消費物で「ぼくちゃん、クリエイティブなんだじょ!」とアッピールしたい厚かましい愚鈍なマリオネットたち。
こういう奴には「お前、ひょっとして浅野いにお漫画の登場人物を気取ってない?」って聞いてみよう。ズレてない眼鏡を何度も押し上げながら、「き、きみぃ、いにお漫画はね、単なるセンチメンタルじゃなくて実験的な手法にも取り組んでいて云々」って聞いてもいない作品論を震えながら語りだすぞ。
さらに「そのボブ、もしかしてつぶやきシローをリスペクトしているの?」って言ったら卒倒しちゃうので注意。
もし友人にこの手合いがいたら適度に自意識を潰してあげて、「やっぱビートルズが一番だよな」ぐらいのレベルに留めさせてあげるのが吉。弾けもしないのに部屋に置いてあるギターは、親切心で河原で燃やそう。
そう、お前らだよ。お・ま・え・ら☆
はてブやツイッターなどの安全圏からお手軽に一言批判して、「ふふ~ん、ぼくちゃん、こいつらよりも頭がいいもんね~。見てみて! ぼくこの人否定しているよ!! こいつより頭いいんだよ!! ほら、見ろよ、もっと! 見ろっ、見ろぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!!!!」と汚い欲望を身体中の穴から漏らしている。
文字数制限を盾にして根拠もなにも示さずに、自分の頭で否定できる一文をなんとか見つけ出して、「やれやれ。きみはなんにもわかってないね」とただ否定するだけ。熟議に何の貢献もしない、耳を汚すだけのノイズ。
大抵のバカなネットユーザーは脳の大部分が「最新情報の暴飲暴食」でスカスカになっているため(俗に言う「グルーポンおせち状態」)、比較検証なんていう基本的なこともできない(本人は「できない」とすら気づいていない。そこを突かれると「時間がないから」「忙しいから」と言い訳して、何も届いていないメールボックスをチェックしだす)。だから、「最後に勝利宣言をした人間」に説得力があると思っちゃう。
このような「つぶやき批評家(気取り)」と「情報ジャンキー」はまとめてネット中毒矯正院にぶち込むべきですね! そこで『アルプスの少女ハイジ』でも見せて、少ない情報をいかに咀嚼するかを学ばせたほうがいい。こいつら、醜く太っていることが勲章だと思っているからさ。
以上、今すぐカルチャーシーンから撤退すべき害毒な消費者4タイプでした。こういう奴らが蔓延っちゃったのは「個性が大事」という間違った教育と、「作品の解釈は受け手が決める」なんていう甘やかしの成果だと思う。
確かにある程度の解釈は読者に任されるだろうけど、それを理由に笑っても怒っても何しても構わないなんてことはない。それだとスタンリー・キューブリックの『博士の異常な愛情』を見て、原子力礼賛だと思っちゃうようなことを許してしまう。
ぼくのような高い視座に立てているクリエイターって本当に少ない。名前を挙げるとしたら、映画監督の紀里谷和明か、小説家の岩崎夏海くらいか。
特に岩崎夏海の『「小説の読み方」の教科書』は上記であげた連帯のためだけや、センスいいと思われたいだけに消費する行為の解毒剤として最適なので、みんな読みなさい。早く読まないと、時代に取り残されちゃうよ。2010年代のクリエイターズ・バイブルだね、この本は。
みんなもうさ、中身のない自分を無理やり肯定するためにアートを利用するのはやめようよ。空っぽな自分を直視して、中身ある人間になるために努力するべきじゃない? ソクラテスもプラトンも、みんなそうやって大きくなっていったんだよ。
mixiやfacebookとかのSNSはあまりにもリアルとのつながりが大きくて、人間関係が煩わしい。
かといって、2chや増田だとネット寄り過ぎで人とのつながりが希薄すぎる。
何かちょうどいい感じのゆるいつながりが持てるサイトって無い?
ネットで通勤電車内でのイライラや駅員への怒りが書き込まれると
「ラッシュ自体を解決する方向に考えるべき」というレスポンスがつくことがある。
いつもこれには全く同意している。
全面賛成はできないなあ。
「ラッシュ自体の解決」のためには、車両、運転手などの増設が必要不可欠。
そのために会社はコストを追加しなければならないが、そのコストはどこから捻出する?
企業努力もしてはくれるだろうが、最終的に巡り巡って消費者である我々に跳ね返ってくると思うんだが。
後、
単に妊婦が立っていればいいか、「すみませんが、席を譲ってもらえませんか?」と頼めばいいだけでは?
今話題の写真を晒した妊婦も、一言声かければ大抵譲ってくれるだろうに。
自分の体験だが、2年ほど前、就職活動で電車で移動中に具合が悪くなって、でも快速電車で後10分くらい駅には到着しなくて、立っているのがつらかったとき、優先席に座ってる人に「すみません、体調がすぐれないので代わってもらえませんか?」と頼んだら代わってくれた。
時間は午後5時頃、帰宅ラッシュの始まりかけで、車内は立っている乗客で割と詰まっているような状態で、自分は妊婦でも何でもない、スーツを着た24歳の男だったにもかかわらず。
と、ここまで書いて確認作業と言うことで2chのまとめサイト見たら、おおよそ自分の意見と同じこと書いてあった。
23 名前:名無しさん@涙目です。(橘神社)投稿日:2011/12/23(金) 16:51:05.17 ID:AsPSgarq0
席譲ってほしけりゃ声くらいかけろよ
73 名前:名無しさん@涙目です。(寒川神社)投稿日:2011/12/23(金) 16:53:51.22 ID:nsnwL4GXP
男が座っている→譲ってくれと頼む→悪態をつかれて譲ってくれない→盗撮して晒す
なら10000歩譲ってまだわかる
でも
同感。座りたいなら余計に払え
「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きている価値がない」と言ったのは誰だか知らないけど、そもそも優しくするのにはある程度の強さがないといけないのではないだろうか。
優しくというのはもちろん人一般についてなのだろうけど、男女に限って考えるとすれば、相手に優しくするには勇気がいるし、相手が自分の優しさを受け入れてくれるだけの、相手と俺との関係が前提として必要なわけで。そもそも相手から見て俺がずっと下の存在だったら(←こういう言い方はあまり良くないけど)俺が優しいつもりでも、相手に服従しているか、あるいは便利な存在にすぎない。
今現在のところ、東海地震は、今年2011年3月11日の東日本大震災ほどの大災害には、成らないそうですが。
予言は、人の不幸を祈った悪魔の信者には、伝えたくありません。
キリストの復活も、仏教の来世も、信じ無いで、永遠に生きましょう。
マグマ溶岩の拡大が地球温暖化と信じ、温暖化で地球に人間が誰も住め無く成った後の、宇宙移民の時代も宇宙船のエンジンの原料である水素の元の水を大事に過ごし、地球が太陽の様な灼熱のガスの惑星と成った後も、安全に過ごしましょう。
仕事で忙しい。やっていることは客観的に見れば大して重要なことでもない。会社の中の世界に限って重要なこと。そのことに頭を悩ませ、せっかくの休みの時間を子供と過ごさずに部屋にこもって対策案を考えていたりする。
そもそもなぜこんなにがんばっているんだろう?生活のため、妻のため、子供のため??
「メリークリスマス♪もしかして一人で過ごしてる?」「寂しいね・・・」ってメールが来た。
数年に一度「久しぶり!元気?クリスマス何してる?会わない??」ってメールも来る。
なんか・・・なんなんだろう・・・。
上手にとれて公平感があればそんなのどうでもいい