はてなキーワード: 上陸とは
人の命の重さにウェイトかけているよね
今回の台風19号で75名が亡くなられた一方で
台風上陸期間の二日間推定で約120人が自殺しているわけだけど
伊勢湾級の超大型台風が関東に上陸している時に南海トラフ巨大地震が起きたら、大雨による洪水と津波が合わさって大惨事だったし、土砂災害も大雨で地盤がゆるくなったところを地震で揺らされるナイスな合わせ技でとんでもないことになっていたし、地震で倒壊した建物の瓦礫などが暴風によって宙に舞っていた。
家を壊されて埋まるか溺れるか切り刻まれるか選べって話だ。選べないが。
台風と地震が示し合わせて片方ずつやってきてくれるなんてことはないから、可能性としては同時に起きることはあり得る。同時に来なかったのは我々が幸運だっただけに過ぎない。
武蔵小杉は被災地だ。他の地域と比べてうちの方が被害があったとか、被災地なのだから優しくしろとか、そういうことを主張したいのではなく、ただ、ここにも爪痕は残っているのだと知ってほしい。
まだかさぶたになる気配のない、真新しい傷は街のそこかしこに残っている。
成長するにつれ武蔵小杉に対する世間の評価が変わっていくのは分かったが、私はこの街自体が変わってしまったと思ったことはなかった。たまに「この街は変わったね」と言われても「ああ、そうなんだ」と思う程度で、正直あまりぴんときていなかった。
タワーマンションや商業施設が増えて駅前の景色が変わっても、通っていた小学校が建て直しにより当時の面影がない姿になっても、さみしさはあっても違和感なく受け入れることができた。
それらは失われたと思うより前に新しい便利さをもたらしてくれたし、何より昔からの街並みを無理やりに消し去ってしまうような乱暴なものではなかったからだ。
だけど今回の台風19号は違った。暴力そのものだった。街を歩くと、変わってしまったとはっきりと思う。
幸いにも私の居住区で死者が出たという話は聞いていないけれど、だからといって笑い話にできる状況ではまったくない。
白いほこりと泥にまみれた道の上に、まだ新しい家具がゴミとして家の前に出されている。あれだけ慣れ親しんだ多摩川は見たことのない色に塗り替えられていた。どう見たって自力で解決できる範囲を超えている。
台風が上陸した当日のことも記憶に新しい。次々に深刻な状況が送られてくる緊急速報の音に怯えた。救急車のサイレンは明け方まで鳴り響き、少し外を見れば救急隊員の方がボートで街を見て回っていた。
あの夜、あと1m多摩川の水位が上がっていたら私は二階の窓から助けを求めていたかもしれない。
その恐怖心が昨日のことのように思い出せるからこそ、あの夜から今現在も住人の救出、安否の確認、各設備の復旧作業にあたってくれている方々に感謝を示したい。
そして、その恐怖心を笑うあなたにお願いがある。
武蔵小杉を馬鹿にするあなたがこの街の住人になることはないだろう。
応援してほしいわけじゃない。見守ってほしいとも思わない。
ただ何も言わないでほしい。早く忘れてほしい。
台風の強さ=最大風速
台風の大きさ=風速15m/s以上の半径
を気象庁が観測して、強い・非常に強い・猛烈な とか、大きい・非常に大きい と表現してます。
台風は赤道付近で温められた海水が蒸発するときに強い上昇気流が生じて、上昇した蒸気が再び水に戻って雨雲となると同時に渦を巻くことで発生するのね。
なので、どれだけ海水が蒸発できたか?で強い、弱いが決まると思ったらいい。
10月12日 15:00に令和元年台風第19号に係る関係省庁災害警戒会議を開催
10月12日 17:00に令和元年台風第19号に係る関係省庁災害対策会議を開催
上陸の前日(11日)15時に内閣府情報連絡室を設置。また、安倍晋三内閣総理大臣は総理大臣官邸で開かれた非常災害対策本部で、「被害の拡大を極力防ぐため、引き続き全力を尽くしてほしい」と述べた。
12日11時10分に臨時の記者会見を行い、厳重な警戒を呼びかけた。各地の気象台でも、台風の影響に応じて、順次台風説明会を実施。また同日から15日に、接近に伴い地方公共団体の防災対応を支援するため、気象庁は地元の気象台からJETT(気象庁防災対応支援チーム)をのべ63人を派遣した。