はてなキーワード: 高校野球とは
人気作なんだからそのまま動きと音をつければ原作ファンが盛り上げてくれるでしょ、というアニメと原作を舐めきった感じが凄い
(しかも、「そのまま動きと音をつける」ことすら全くできてない)
明日甲子園開幕だが、かつて1990年代に、高校野球における「野球留学」への批判が高まったことがある。例えば「青森県代表」にもかかわらず、選手全員の出身中学が「大阪」であることへの批判である。「地元代表」という甲子園の建前を裏切っているだけではなく、学校の宣伝になるからと、地元で甲子園で出場することが困難な生徒を集めて、レベルの低い県で甲子園出場を実現させるという、「大人の思惑」が透けて見えることも批判の的だった。
当時の自分は、そんなに悪いことだとは思わなかった。初戦で大敗する地元の高校が出場するよりはマシだと思っていたことと、雑誌などでヒール扱いになっていることへの同情票と、野球留学校が全国でも数えるほどだったことなどが理由である。よくある批判も「きれいごと」だと思っていた。
しかし今の自分は大人になったこともあり、野球留学校にかなり批判的な意見になった。批判的になった理由は主に以下の2点である。
第1に、野球留学校には今でも100人を超える部員数を抱えている高校が多い。かつても強豪校の部員数は多かったが、子供が多く、野球部の人気は他を圧倒していたから、特に問題にはならなかった。現在は、少子化に加えて野球だけが人気スポーツの時代ではなくなり、出場校数は激減している。野球留学校は、そうした時代に、他校の出場の機会を奪ってまで、3年間試合に出場することもない「補欠」を膨大に抱え続けている。野球留学校は、地元の高校に進学してレギュラーとして試合に出るよりも、甲子園のスタンドで応援することのほうに価値があるという、少なくともスポーツや部活動としては明らかに歪んだ考え方を促進してしまっている。
第2に、野球留学校は地元を離れて全寮制で生活させるため、指導が合わなかったり、先輩や選手間のしごきやいじめがひどくても、辞める選択肢がない。野球留学校で野球部を辞めるということは、学校も退学せざるを得ないということであり、学歴が中卒のまま進学や就職で大きな苦労を強いられることになる。退部率はかつての強豪校ほうが確かに高かったが、多くが地元の公立校だったので、退部しても居場所はどこにでもあったし、普通に進学・就職に進路を切り替えればよかった。退部した後の人生の困難については、現在の野球留学校のほうが100倍深刻である。
現在はかつてとは異なり、全ての県に野球留学校が存在している状態になっている。県代表校の出身中学の大半が県外、というのは今や当たり前の風景で、かつてのように批判もされなくなっている。そういう現在だからこそ、野球留学への批判がもう少し盛り上がるべきだと考える。