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2009-11-30

海外の人たちが日本バラエティ番組を見た感想

2009-11-09

気持ち重た気な雰囲気掌編

陰鬱な空から雨が降り注いでいた。街が灰色に蝕まれていく。くすんで、濡れそぼっていく。

宵口の窓辺から覗く世界は、ほんのりと濃紺に染まっていた。行き交う車のヘッドライトが煌々と筋を刻んでいる。等間隔に立ち並ぶ街灯は、どこか所在がなさそうだった。漏れ出す家々の明かりがやけに白々しく見える。

閉め切ったガラス窓に、水滴がぽたぽた、打ち付けてはゆっくりと流れ落ちている。やがてひとつになって、窪地に溜まり、淀み、溢れて排水溝に流れ、支流は河へ、本流となって海原へ……。白光のもと、再び上空へ駆け昇っては、いつもみたいにどこかに降り注ぐ。

滑り落ち始めた一滴をなぞりながら、この雫はかつていつこの街に降っていたのだろうと考えた。数日前かもしれないし、数週間前かもしれない。数ヶ月、数年などという期間も候補に考えられなくはないような気がした。そもそも、混ざり合い、どこの、いつの雨なのかが分からなくなってしまっているのだ。数十年、数百年、数千、数億年――あるいはもっと、それ以上にも及ぶ悠久の時を深海の底で眠り過ごしてきた初めての一滴である可能性も捨てきれなかった。

可能性が選択となって、頭の中で遮るものなど何もない広大無比な高原の如く展開していく。そのあまりにも壮大なスケールに、思わずくらくらしてきてしまった。軽い眩暈瞳を閉じて、冷たい硝子に額を押し付ける。

透明な境界は、視覚的に透明であるために捉え難いだけで、確かにいまここに存在している。なるほど、姉にとってはこの敷居を跨ぐことがなによりも大変で、困難で、恐ろしいことだったのだろうなとぼんやりと考えた。

顔を上げる。後頭部を窓に、背中からもたれかかるようにして立ってみる。何年もの間、碌に光が差し込まなかった、内からさえも照らし出されなかった小部屋の中には、染み付くかのように重たい、へばりついてくる、濃厚で濃密な掬い取れるかのような闇が沈んでいた。

そんな部屋の中央に、天井から輪が釣り下がっている。簡素な机と、スチール製のベッド以外に、例えばポスターだとか、本棚だとか、CDラックだとかが病的なまでに何もない部屋の真ん中に、タオルで作られた即席の絞首台が設けられている。

込み上げるようにして息を吐き出した。そこに浮かんでいた表情が、安息そのものだったことを思い出す。彼女はやっと苦しみから解き放たれたのだ。姉は絶望的な辛苦から逃れることに、その手段を用いることに成功してしまっていた。

視界の右端、壁に面した机の上に、一冊のノートが置かれている。先ほどざらりと読み終えたばかりのノートだ。全ての紙面を埋め尽くそうとしていた心象は、あるときは言語であり、あるときは稚拙な絵であり、スケッチとなり、あるいは音階となって私の目に代わる代わる飛び込んできた。そしてその内容は、私が思っていた以上に、家族が知っていた以上に壮絶なもので、どうして姉が今日までの日々をこの小さな部屋の中で完結させなければならなかったのか、あるいはどうしてその部屋の中からさえも逃れなければならなかったのかを如実に示してきていた。

『やさしさノート』と題されたその一冊は、これまで姉が関わってきた人たちに対して、こんな自分をまだ見捨ててくれないでいる家族に対して、そしてこの世に存在しているありとあらゆる人たちに対しての謝罪を冒頭に据えて、つらりつらりと始まっていた。

ごめんなさい。

その一言を、姉は一体何度このノートの中で繰り返したのだろう。対象となった人の人数は? おそらく、私がこれからの人生で頭を下げることになる人数を優に一万倍以上超えているはずだった。姉は自らがここに存在していることを呪い、悲しみ、恨み、溜まりに溜まった申し訳ない想いを吐き出すために何度も、何度も何度も何度も何度も、ごめんなさいと謝り続けるしかなかったのだ。

完全に他者を排し、愚直に紙面とだけ対峙しながら、強大な感情に取り憑かれてペンを走らせ続けていた姉の姿を想像する。漆黒に染まった部屋の片隅で抱いていた苦しみを、廻りまわり続けていた激憎を、決して消えることのなかったその業を思い、私は再び絞首台に目を投じた。

「大変だったんだね」

彼女に向けることのできる言葉は限られている。姉の苦しみは、絶対的に姉にしか分からないものだし、他の誰かが、とりわけ私になんぞは共有できるものではなかったのだから。

姉は、小さい頃から聡明で、何でもできて、いろいろなことを知っていて、たった三つしか歳が離れていなかったはずなのに、幼い私にはまるで全知全能の神様のように映っていた。同時に、幼稚園いじめられていないかと心配をしてくれて、守ってあげるからと毎日一緒に通学してくれていた。姉の掌はどんな時も私の小さな右手を包んでくれていて、そのぬくもりを、感触を抱いていられれば、私はどんなことにも立ち向かっていけるはずだったのだ。

歯車が狂いだしたのはいつのことだったのだろう。気がついたときにはもう修復など効かなくなってしまっていた。歯はぼろぼろに欠け落ち、空回りをするばかりでうまくいかなくなってしまっていた。

姉が賢すぎたのかもしれない。本を読みすぎたのかもしれないし、私に気を回しすぎたのかもしれなかった。あるいはそれは私の問題で、そして姉を取り巻いていた周囲の問題でもあって、徐々に変化し拘泥していった姉の人格を見抜けなかったからなのかもしれなかった。様々な事柄をたったひとりで考え処理するのにはまだ小学生にすぎなかった姉は幼すぎたし、置かれている状況も恵まれすぎていた。

多眠が始まったのがちょうど中学生になった年で、以降姉は塞ぎがちになり、与えられた問題を集中的に考えることができなくなった。部屋から出られなくなったのはその翌年だ。どうすることもできないまま姉は自らの精神によって自室に追いやられ、そこから抜け出すことができなくなってしまった。

姿を、心無い人は蔑み、揶揄し、大袈裟に嘯いた。面白おかしく吹聴する者もいた。何を隠そう、私自身がそうだった。

情けない姉、駄目な姉、わがままだから絶対的に社会に求められない。荒んでも、落ちぶれても、ああはなりたくないよ、などと知ったような口をはいていた。友達と家族の悪口を言い合う行為は、思春期を迎えた嗜虐的な子供心にはとても気持ちのいいことだったのだ。纏わり付いている繫がりというものを、私は心底疎ましく思っていた。

だから、姉が私に謝る必要などないのだ。どちらかといえば私のほうこそ彼女に謝らなければならなかった。苦しみに喘いでいた姉に細心を払うわけでもなく、あろうことか邪魔者扱いをしていたのは私だったのだから。

姉は、どんな時も私のことを穏やかな視線で想い続けてくれていた。この小部屋の中にいなければならなくなりながらも、想像を絶するような苦しみの中にありながらも、真摯に私のことを心配し続けてくれていた。

それを、それを私は――

……後悔など、するだけ無駄だ。淀みの中から掬い上げて振り返り続けることなどは無意味だった。高校に進学し、幼い恋を、出会いと別れを重ねて、大学に入学する前にはちゃんと理解していた。

いまここにいる私には、彼女に言わなければならない言葉がある。

「ごめんなさい」

姉に対して、何もできなかったことを、何もしなかったことを、それどころか邪険に思い扱っていたことを。実家を離れるようになってから、ずっとずっと謝りたいと思い続けていた。

床に降ろした腰に冷たい感触が伝わってくる。膝を抱えて小さく、誰もぶら下がっていない絞首台を見上げた。その小さな輪が作り出した痣を思い出してぐっと震える唇を噛み締めた。

階下では、両親が恐慌をきたしながら救急隊の到着を待っている。通報からもう二分ほどたっただろうか。意識を失った姉に付きっ切りで、私がいなくなっていることには気が付いていないようだった。

お姉ちゃん……」

こんなの駄目だよ。ずるいよ。私が永遠に謝れなくなってしまうじゃないか。

勝手な考え方だとは理解していた。もしくはそれこそが姉の願いであり、最初で最後の、多大なる復讐なのかもしれなかった。でも、それでも私には、姉にまだ言いたいことがたくさんあったのだ。

大学生活がどんな風か。好きな音楽小説のこと、テレビ番組のこと、おいしい喫茶店のこと、教えたいことがたくさんあった。姉には私を知ってもらわなければ駄目だった。かつて守ってもらっていた、ずっと心配してもらっていた姉には、伝えなければならないことがたくさんあったのだ。

ギブ・アンド・テイクの関係性。貰っていた寛大な想いに、私はまだひとつも返事を返せていない。だから――

「駄目だよ。まだ死んだりしちゃ」

握り、額に押し当てた両の手に祈りを込めた。幸い、発見が早かった。不穏な物音に只ならぬ予感を抱いた私が、姉の部屋の扉を蹴破ったのだ。きっとまだ助かる。絶対に助かる。助からなければならないはずだった。彼女はまだ生きなければならない。他の誰でもなく、彼女自身のためだけに。

救急車サイレンが近くなる。家の前で停車。救助隊が声を上げながら駆け込んでくる。

気を失っていた姉はすぐさま運び出されて、両親と共に病院へと運ばれていった。離れていく救急車を、留守を預かると決めた私は、姉の部屋からじっと見送る。

伝え足りない想いがあるのだ。

霖雨の中を点滅する赤色灯を、角を曲がって見えなくなっても、私は凝視し続けていた。

2009-11-05

追悼「服従するが果たさない」

ブログ100日目にして「閉鎖しろ、さもなくば死ね」とコメントついて涙目

普段は日記ぽいのは書かないのですが、事情があって今日は雑感のようなものを。

前のエントリーを書いてから気付いたのですが、ひとつ前のエントリーブログを書いた日数として記念すべき(?)100日目ののエントリーだったようです。

100日目なのでお祝いのコメントがいただけると思うほどには図々しくないのですが、まさか「閉鎖しろ、さもなくば死ね」というようなコメントを頂戴するとは思っていなかっただけに涙がちょちょぎれそうです。

頂いたコメントは次のようなものでした:

THIS DIARY SUCKS.

EVERY SINGLE ENTRY HAS NO VALUE TO READ.

STOP READING THESE USELESS SCRAPS AND DO WHAT YOU REALLY NEED TO DO.

ここまではまあいいんです。「つまんないから読まない方が良い」と言っているだけなので。そして「読む価値があるか」と問われれば、まあ「価値」なんてないんだろうなとしか言いようがないので、次のようなコメントをお返ししました。

I absolutely agree with you.

すると、また次のようなコメントがきました:

THEN STOP UPLOADING SHITS. STOP FEEDING SHITS FOR THOSE BITCHES AROUND YOUR ASSHOLE. STOP POLLUTING THE PUBLIC.

YOU HAVE YOUR FREEDOM TO MAKE YOUR FUCKING KIDS MAD BUT DO NOT SPRINKLE YOUR SHITS AROUND ANY MORE.

I WARN YOU. SHUT DOWN YOUR WEBSITE OR KILL YOURSELF, BUSTARD.

ブログをやってるとこんなの当たり前なのでしょうか。「I warn you.」とか言われると正直怖いです。単なる悪ふざけならいいんですが、それを確認するすべもなく、どう対処すべきか迷っています。取り敢えずコメント承認制にしました。今後の更新は様子を見ながらということになるのかな。困ったな。

どんよりしたエントリーですんません。

最後のご挨拶です

大変残念ですが、このブログを閉鎖することに致しました。ひとつ前のエントリーで書いた件で、私のブログに強い不快感を持っておられるという方とやりとりをしておりました。私としては、なんとか先方も納得いくかたちでブログ継続できないかと模索して参ったわけですが、昨日、先方から再度私のブログコメントがつき、ご自身ははてなを退会すること、そしてやはり私のブログを閉鎖することを希望する旨が書かれておりました。その文面から私の目からは常軌を逸した怒りが感じられ、このままわたしがブログ継続することで、もし万が一に何かが生じる可能性も否定できないと判断しましたい。脅しに屈するのはなんとも情けないですが、家族や周囲の方々に迷惑をかけるるわけにもいかず、そういう決断に至りました。

私は、特に何かに長けた人間ではありませんが、人を笑わせるのが好きで、実生活での井戸端会議の延長でどうでもいいような下らない話題で、なんとなく緊張から解放され、またそれを読んで下さる方がそういう気持ちになって下さればいいと思ってブログを綴っておりました。ちょっと今出典を調べることができないのですが、私の好きな話で、あるアメリカ著名人名前を失念しました)が、病に冒され、もう助かる見込みのない状況に至った際に、インタビューを受け、ファンの方へのメッセージを求められ、「もし手編みのセーターをおくってくれるなら、ワンサイズ小さいのを頼む」と言ったという話があります(細かい点は違っているかもしれません)。これは病によってやせ細ってしまった自分ネタにしているわけですが、私はこの話が非常に好きです。苦しい状況においても、笑いに触れることで、暴力の愚かさに気づき、緊張から介抱され、失敗に寛容になり、人々が助け合い、涙を流す人に寄り添い、愛し合い、歌い、踊り、抱きしめ合う。大袈裟ですがそういう理想を描くことがあります。

また、猿の中までも「笑顔」を見せることはあるが、ハチャメチャなことを言ったりやったりして生じる「笑い」というのは人間に固有の活動であるという説を聞いたことがあります。この広い宇宙で笑い声が響くのは、この地球だけなのかもしれない。また宇宙の長い歴史において笑い声kが聞けるようになったのはごく最近のことなのかもしれない。わたしはそういう途方もない想像をし、その奇跡的な状況を慈しみたい思っています。

しかし皮肉なことに、私の活動によって強い怒りが引き起こされ、このような事態に至ったことは本当に情けなく残念な気持ちで一杯です。今回の方以外にもそのような方がいらしたとしたら、それについてはお詫びしたいと思っております。

しかし、一方で、私自身はこのブログを綴った短い期間に、多くの方のユーモア、寛容、誠実、才能に触れることができ、それは一生の宝物になると思っております。個別に御例することができないのは非常に残念ですが、この場をかりて御礼申しあげます。今回の件で励まして下さった方々どうもありがとうございました。皆様から頂いた愛情は、勝手ながら私の実生活の中で周囲の方々に振り分けられたらと思っております。

「笑いに満ちた世界」など夢想に過ぎないのかもしれませんが、比較的最近聞いた言葉で感銘を受けたものを紹介したいと思います。チェ・ゲバラ言葉だそうです(これはJMMというメーリングリスト村上龍さんが紹介されていたと思います)。

もし我々が空想主義だと言われるならば、救いがたい理想主義者だと言われるならば、できもしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう。その通りだと

臆病風にふかれて撤退する私にはふさわしくないことは承知しておりますが、私としてはブログ以外の場で「笑いに満ちた世界」の実現に向けて努力していきたいと思っています。今回の件で、私に怒りを向けられた方も、現在苦しい状況に置かれているという印象を受けました。あなたがいち早くその状況から脱し、周囲の人々の信頼を得て人々に笑顔をもたらすような存在になられることを祈っております。またコメントでは伝えられませんでしたが、ご両親が病から回復されることを祈っております。

それでは近日中に、このブログを閉鎖致します(プライベートモードに致します)。皆様本当にありがとうございました。また今回の件でご迷惑をおかけした方々には本当にお詫びの使用もございません。どうか不愉快な事態が生じないことを願っております。

理科離れ少子化ニュースに触れて、科学の面白さをなんとか伝えれないものか、育児の面白さを何とかお伝えできないかとも思っておりませんでしたが、これについても目標を果たせませんでした。どうぞ同じ気持ちを持つ方々にがんばっていただきたいと思っております。

それでは脈絡のない話になってしまいました。大の大人が情けないですが泣きながら、取り乱した状態でこれを書いておりますのでどうかご容赦下さい。本当に感謝を込めて、愛を込めて最後のエントリーとしたいと思います。さようなら。いつかまた。

2009-10-22

http://anond.hatelabo.jp/20091022141906

この先、嫁とうまくやっていきたいなら嫁の言い分を聞いた方がいいよ。

増田の言い分を通したら、嫁はこの件で確実に妹を「図々しい女」と嫌うようになるから妹とは仲良くやれないし

嫁は「シスコン夫のせいで結婚式が思い通りにいかなかった」とずっと心に抱え込む事になる。嫌な思い出、汚点として。

大袈裟な、と思うかもしれないが、嫉妬深い女の中ではそうなるんだ。

嫁は、自分の言い分を全面的に増田に認めてもらえる妹に対して嫉妬しているんだ。

妹と今まで仲良くできていたのは、増田の優先度が嫁>>>>妹だと嫁が思っていたからなんだよ。

だけど、人生の重大なイベントである結婚式で、嫁である自分より妹のいう事や立ち場を優先されてしまうと…

実は妹>>>>嫁だったんだ、裏切られた!だまされてた!と嫁は感じるようになるだろう。

増田には全くそのつもりはなくてもね。

こんな女願い下げだ!と思うなら妹のいう事をなんでも聞いてやればいいけど、(あ、それだったら結婚式も必要なくなって妹のいう事も聞く必要なくなるか)

別れるのはちょっと…と思ってるなら、絶対に嫁の味方になった方がいい。

たとえ親族であっても、嫁にとっては夫と仲良くする女は敵なんだ。

夫に意見が通る女は嫁である自分一人じゃないと気が済まないんだ。

理屈じゃないんだから、理屈で攻めても駄目だ。

2009-10-05

民放アルコール依存症問題はNGだから

アルコールを飲まない日を、自分の意志で週に二日間連続してつくることが出来ますか?

アルコール依存症をチェックするための簡単なテストです。出来ない人は、アルコールの摂取を自分コントロール出来ていないわけですから、アルコール依存症の領域に足を踏み入れてしまっているわけです。

ちなみに、特に暴れたりしないというのは、アルコール依存症であるかどうかの判定にはまったく関係ありません。むしろ、最近は暴れないアルコール依存症患者の方が多数派です。ネクタイアル中なんて呼ばれています。

中川昭一財務相の死因がアルコール依存症なのは間違いありません。直接の死因では無かったとしても、そもそものあの酩酊会見に至った原因はアルコール依存症だとしか考えられないですし。

でも、アルコール依存症の恐ろしさにスポットを当てる報道がされることはありません。一国の大臣経験者を死に至らしめる病、一国の大臣をしても大切な場面でアルコールを摂取させてしまう恐怖の病であるにも関わらずです。

理由はふたつあります。

まず、放送局新聞出版メディアにとって、飲料メーカーはこれ以上ないお得意様だからです。アルコール依存症問題を声高に論じることは、高額な広告費を払ってくれる飲料メーカーを怒らせてしまうのではないかと、テレビ局出版社中の人は腰が引けてしまいます。

つぎに、日本人アルコール依存症をなめてかかる傾向があるからです。アルコール依存症なんて、心の弱い人がついついお酒を飲み過ぎるだけのことに大袈裟に病名をつけているだけだ、という認識の人がなんと多いことか!

このふたつがあいまって、アルコール依存症の恐ろしさがメディアで取り上げられることもないですし、そのことに違和感を持つ人もほとんどいないのです。

アルコール依存症問題がもっとスポットを当てられるべき事件が最近もう一つありました。福岡警察官が、三年前に悲惨な飲酒運転が起きた節目の日に飲酒運転したという例の事件です。その後の捜査アルコール依存症が原因だったと明らかになったにも関わらず、アルコール依存症の問題にスポットが当たることはありませんでした。

このような事件が起きるであろうことは予想していました。三年前の事件がきっかけで飲酒運転厳罰化されたにも関わらず、いまだに飲酒運転をしてしまうなんて、少なからずアルコール依存症が関係していることは間違いないのです。飲酒運転アルコール依存症はセットで考えるべき問題なのです。飲酒運転で捕まった人にアルコール依存症治療を受けさせるべきなのは当然なのに。

アメリカでは当然のようにアルコール依存症回復プログラムを受けさせられます。パリス・ヒルトン飲酒運転したときにアルコール依存症リハビリテーション施設に入れられていました。

ちなみに、中川さんは選挙の時に断酒するなんて話がありましたが、重度のアルコール依存症治療方法は、そもそも断酒しかありません。節度をもってお酒を飲むなんていう選択肢は無いのです。その節度の回路が回復不能にぶっ壊れてしまうのがアルコール依存症という病気なのですから。一生一滴も飲まないか、飲みまくって死ぬかの二択なのです。

お酒が好きな方は、一生お酒といい付き合いをしていくためにも、週に二日の連続した休肝日を自分の意志で作れなくなってきたら、引き返せなくなる前に意識して酒のコントロールを取り戻した方がいいと思います。

あと、内科医はアルコール依存症を理解していない人も多いので、重度のアルコール依存症肝臓がぶっ壊れた患者に対して、「お酒はほどほどに」なんて言う人がほとんどなのでご注意を。「ほどほどに」が出来たら、そもそも肝硬変にならないっつーの!

どうせ、これだけ言っても分かってもらえないんですけどね…。イスラム教飲酒禁忌であったり、アメリカ禁酒法という時代があったという事実意味を、もうちょっと考えて欲しいのですが…。

2009-10-04

http://anond.hatelabo.jp/20091003213924

トラバから大袈裟だと思って飛んで見たら想像斜め上を行くクソ女で笑ったw

悪いこと言わないからやめとけwwそいつは大してめげずに同じこと繰り返すだけだから気にすんなw

2009-09-26

http://anond.hatelabo.jp/20090925224654

>ちなみに、「他に見た方がいい文章や本」もそりゃいっぱいあると思うけど、たとえばどんなの?

直接自分の行動に関係あるような本や文章かな。

今の自分に即効性のある物を覚えて、どんどんアウトプットした方が良いと思っただけ。

 

>ちょっと大袈裟な言い方だけど、「数学なんて勉強して何の役に立つの?」っていう子供の質問と同じだと思う。

この文章って何に役に立つの?って思った理由は、例えば

>>中東SWF(Sovereign Wealth Fund)が資金ショートしたかもしれないという噂。

…とか見ても、直接関われるような立場に居ないので、知ってても「知ってる」だけで何のアウトプットにもならないと思うから。

 

まぁ、馬鹿な人(自分)の考えなんてこんなもんだよ。

2009-09-25

http://anond.hatelabo.jp/20090925223149

マジで

これだけのハイペースでこのクオリティの文章を書いてくれる人はそういないと思うが…。

・そもそも、この文章って何に役に立つの?

ちょっと大袈裟な言い方だけど、「数学なんて勉強して何の役に立つの?」っていう子供の質問と同じだと思う。

ちなみに、「他に見た方がいい文章や本」もそりゃいっぱいあると思うけど、たとえばどんなの?

2009-09-23

生きずらい

今まで生きてきて生きずらいと思うことはなんどもあった。その理由を統合失調症と診断されたこともある。こんな大袈裟な書き出しだが、何のことはない。今日私の住む寮に来たセールスを追い返すのに大声で叫んでしまったのである。どうにか入れた会社、もちろん統合失調症であることは告げていない。その寮で、こんなことがあれば、すぐに噂は広がり、私の部屋に精神薬が置いてあるのが知れれば、この会社にいることもできないだろう。

私は、自分とのシンクロ率が低いことに常に悩んでいた。何かをしている時ふとその姿が鏡に映るとそこに映る私と、それが本当にこの私なのかと疑いがよぎることがある。統合失調症の人のことを普通の人より傷つきやすいというのを聞いたことがある。それを聞いたときは病気でない人にも傷つきやすい人はいるのにと思った。その本質的な違いは、傷ついた時の対処法が極めて限られているということだろう。自分自分をどうしようもなくなってしまうことがある。シンクロ率の低い自分に、責任を持てない感じがある。

今日自分の取った行動は、セールスを追い返すのにどうしたらよいかわからず、狂人を演じようとしてしまったといえる。今ちょうど町田康の「告白」を読んでいたのも影響しただろう。主人公は自分の思いを言葉で表すことが苦手でつい自分の思っていることと違う言動をしてしまう。そして、窮地に追い込まれると、わかっていながら狂人を演じてしまう。まだ途中までしか読んでいないが、この話は史実をもとにしているので、この主人公が人殺しをしてしまうというラストは決まっている。今置かれている自分の立場を考えると、最後まで読み進めてよいのかという恐れもある。

それ以上にこれから私はどのような人生を送っていけばよいのかという大きな問題がのしかかってきた。そんな今日を迎えてしまうことは、今までも考えてこなかったわけではない。大学4年の就職活動で何社も面接で落とされるたびに、この私には普通の人のような人生を送ることはできないのではないかと悩むことは多かった。それでも少しの希望を持って4月から仕事をしている。それもこのことがきっかけとなって失われてしまったら、今後の私はどうなってしまうのだろうか。

冷静に障害者手帳を貰って生活保護で生きていくしかないという考えを持ったこともあるが、それが現実になるというのはまた違ったものだろう。

2009-09-16

http://anond.hatelabo.jp/20090916190018

「頑張った自分へのご褒美」っていうコピー揶揄する人って、ほとんどの女性男性に比べて収入が低いのに必要経費は多いし、将来給与が上がる見込みもないから、男性に比べて何か買いたいものがあってもすごく慎重にならなきゃいけないっていう事情を承知してないんじゃないかな。

きっとそういう男性女性がいっつも「お買い物」してるイメージがあるのかもしれないけど、実際はよっぽどのきっかけとか理由付けがないとお買い物できないんだよ。

だから少しでも安く手に入る「バーゲン」は血眼になるしそういう「決まった」時にしか出費できないのが普通

多くのOLは普段はお弁当持参とかして細かく節約して、ようやく欲しいものを買うっていうサイクルなんだよ。

そんだけ思い切って買うからには事前の充分なリサーチは必須だから雑誌にもそういう情報がこと細かく載っている。

男でも車みたいな大きな買い物はそうかもしれないけど、女の場合数万単位でもそうなっちゃうわけ。

多くの男は女のそういう経済事情に疎いからたかだか数万程度のものを買い物するのに「頑張った自分へのご褒美」とか大袈裟なって思うのかもしれないけれどね。

2009-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20090909164506

多分、安全圏から攻撃できるからじゃないか?

鬱の人みたいにそもそも相手が反論する元気がないときってさ

ちょっと強気に暴言はいても、こっちは安全なんだよね。

仕事でくたくたの奴が愚痴はいて、それに対して「それじゃ甘いよ」「甘えるな」とか言うのも、同じ構図でさ。

相手はカンタンには反論できない。→ということはこっちは安全。

そんなアマい状況があると、人ってついつい、良心がユルくなっちゃって、暴言はいちゃうってことあるんじゃないかな

勿論、「馬鹿!」「氏ねよ!」なんていう、あからさまな暴言は吐けないよ?非難が来るし、それは普通に酷い言葉だから、自分自身も誤魔化せないし、相手から容易に反論くらっちゃうから、全然安全じゃないからね。

でも、鬱の人に「甘えてるんじゃないの?」なんていうのは、(まあ最近でこそ認知され始めてきたとはいえ)一見、なんとなく、「キツめの正論をはいてるだけ」に見えるからね。暴言はくこっちは安全になる。向こうは無防備で、こっちはパンチし放題。そういう「アマい」状況になると、人間良心ブレーキって甘くなる。ように思う。

俺も鬱になったことあるし、鬱の人に甘えてるとがんばれとかアホか氏ね、と思うし、仕事残業愚痴言ってる人に「甘えるな」とか言ってる奴みると「社畜氏ね!」って思うけど、

それでも「そういう状況」になると、ちょっとだけぐらつく。良心が。ちょっとつついてやっても、相手は何も言えない、という甘美さに、惑わされそうになる。

つまり、かごの中にはいってちょろちょろしてるハムスターを、ちょっと小突いてしまいたくなる感じっつーのかな。

ハムスターには何もできないじゃん。エサを食べようと、餌場にむかったハムスターの前で、エサ箱を上に持ち上げちゃう、みたいな。

大袈裟に言えば、神みたいな感じになるわけよ。「こいつがこれから傷つくも傷つかないも、俺次第」という状況だから。

俺がちゃんと良心を働かせて黙っていれば目の前の鬱病患者は何も傷つかない。勿論そっちのほうがいいに決まっているが、ちょいと口を滑らせるだけで、目の前のこいつは落ち込む。

大袈裟に言えば(二度目だな)相手の心臓を握ってる気分。しかもどうしようが、俺には非難が来ない。安全圏。

心が枯れた、可哀想な奴ほど、その甘美なシチュエーションに誘われてしまう。

サンドバッグが目の前にある、あなたはイライラしています、さてどうしますか、みたいな状況だから。

で、今の日本人ってのは皆多かれ少なかれ病んでて、いわゆる「理性的な人」ってのは思った以上に少ない。

イライラしてるところに、サンドバッグ発見。オッシャー!オラオラ!「甘えるな」パンチ!!!「皆苦労してるんだ」キック!!!「心の風邪なんて、言い訳だよ」後ろ回し蹴り!!!!フー、スッキリ

っていうね。

人間って基本的にダメな方に流れるから、やっぱそういうことを「構造的に言えない」社会にしていくしかないと思うよ。

「甘えてる」「心の風邪(笑)」って言葉が、「馬鹿」「氏ね」みたいなものだと社会に浸透するしか。

2009-09-06

http://anond.hatelabo.jp/20090906170508

「男」の話にしないでほしい.

それはあくまで「童貞」や「モテない男」の話であって、「男」が別に女体をそんな風に思っているわけではない.

単に童貞モテない男というのは、女性に触れる経験がほぼない、ほぼ知る機会がないため、そういったある種「大袈裟な」反応を示すだけだ.(女神に例えたとおもえば、現実女性を見てその夢が破れ、今度は肉便器だと見下すがごとく、彼らはいちいち大袈裟なのだ)

そういう人種が男の一部にいるだけで、男がそういうわけではない.

そこは一緒くたにしないでほしい.

2009-08-23

ネットって狭くね?

今更かもしれないけどもしかしてネットって狭いんじゃね?

久々に色んな人と今日触れ合ったらそう思った

久々にリアルに触れた感触っつーのか

いや、今までもリアルに一応いたんだけど、かなり存在が希薄だったというか

凄く麻痺してた気がする。

特アは最低最悪の国で国民も全員ダメで、民主与党になったら日本が終わって、女は馬鹿で、俺はいつも被害者って、

なんか、「いや、大袈裟なのは分かってるけどね」とかいうクッションを置きながら、

その実、こんな馬鹿げたことを、信じ込んでいた気がする。

ものすごく狭いじゃん。ネットって。ていうかネットを使ってる俺って。

何、この極端な世界?ありえねぇ。

新聞テレビマスゴミとかいって信じないくせに

そういえばネット情報はなんとなく信じてた。

民主ダメなんだというコピペがあったら、ソースも確かめてない癖に「絶対正しい」とは言わなくとも、「なんとなく正しいんだろうな」とか思ってたけど

よく考えてみたらどこの誰が書いたか分からん、ソースもなにもない情報なわけで、マスゴミとか読んでるけどそれらの情報よりよほど下じゃね?考えてみると。

狭過ぎる……「そういう場」しか見てなかったからだ。だから狭いんだ。

リアルだと、良くも悪くも、自分がいたいと思ったところじゃないところとかものも見えるけど

ネットって……狭くね?

人間とろくに触れ合ってもいないくせに、傷つくのが怖いから、勝手人間不信になってた気がする。

自分に都合の悪いもの」という、ある意味自分に都合のいい具材だけを信じてた気がする。

リアルと違って、ネットって、自分に都合が悪い、ネガティブ情報が多いじゃん。特に2chなんてさ。

ネガティブ情報のほうが、なんか、ポジティブ情報より、真実っぽい気がして、だからこそ余計にはまってた。

雑誌では「〇〇という職業が今人気」なんて書いてあってもネットじゃ「〇〇という職業は糞!」って言葉しか聞こえない。

本当は明るい話題の方を信じたいけど、信じてダメだったら怖いし、結局そうそう自分に都合いい事なんておきるわけがないんだ、という世界に対する諦めめいたものもあって、悪い情報ばかりを真実だと思い込んできた。でもそれって結局逃げてるだけなんじゃね?もしかして。絶望に安穏してるっていうか。ネットなんてほとんどの事が否定されてるから、あれもだめこれもだめで、全部信じてたら人間嫌いの引きこもりになるしかない。実際そうなりかけてた。でも外へ出たら違ってた。思ったよりそうじゃなかった。

未来は明るいって言いたいわけじゃないけど、絶望へ逃げていたのかと思う。

いや、わかんない。やっぱわからん。でもなんかわからんけど…

ネガティブ情報ばかり真実だと思い込んで、「もうだめだだめだ」っていい続けて腐っていくのってある意味逃げだったのかもしれないっつーか

こんなこといっても、またネガティブ言葉で否定されそうで、怖いけど

っていうかそもそも多分希望をとるのが怖いのは、あとで誰かに否定されるのが怖いからだったのかもしれない。

だからあらかじめ自分絶望していたのかもしれない。

こんだけ2chとかやっておいてなんだけど、多分俺はネットの使い方がうまくない

相性が悪い(というかある意味いいというか)んだと思う。性格と。

もうやめて現実を見たほうがいい気がしてきた。怖いけど。

結局「良いも悪いも」どっちも混在してるリアルに向かうのが怖くて、最初から「全部悪いんだ」ってことにして絶望に逃げてたんだ。

2009-07-28

普通選挙制の失敗

とでも、言わざるを得ない事態に着ているのではないか?

政治・経済について、一定以上の知識のある者にしか、選挙権を与えるべきではないのではないか?(学ぶ権利は誰もが平等だ。特に、憲法読むくらいはどんな貧乏人にもできるし、それだけでも十分に効果はある)

公約や演説などを元に、政党候補者を選ぶことには、危険が伴う。

公約に実現が不能あるいは非常に困難な事柄が書かれていた場合、そして、なおかつ有権者の多くが、その公約が実現できないことに気づいていない場合、どうなるのか。

一般に、嘘を混ぜた方が、大風呂敷を広げて大きくアピールすることができる。

それなら、実現できる堅実な公約よりも、実現不能な派手な公約の方が目に止まることになり、派手な公約を選んだ方が、世間に「嘘・大袈裟・紛らわしい」誇大宣伝でアピールできることとなる。

結果、公約を元に候補者を選んでいたはずが、ろくに実現できない誇大広告を元に候補者を選んでいたことになる。

そういう事態を防ぐためには、有権者が、実現不能なバカバカしい公約を切り捨てる必要がある。

それには、最低限の知識と、それを適用して考える力が必要なわけだ。

そのために、小中学校卒業レベルの思考力・論理力と、日本国憲法など政治に関する知識、これらを問う試験の実施を求めたい。

……某政党が、金を配ります、タダにします、財源は無駄遣いを減らして捻出します、と夢物語を語ったマニフェストを作ったと聞いて、こんなのに釣られるバカがいないだろうかと心配になって、思った。

2009-07-27

http://anond.hatelabo.jp/20090725224355

違うんじゃないか?

その男側に何かあったような感じ。

例えばそいつがヒットマンでこれから某組長を射殺しに行くんで、最後に女抱いとくか、みたいに頼んではみたものの、やっぱそんな気分になれなかった、とか。

フラれたんで風俗呼んでみたけど、呼んだ後で冷静になってやめたとか。

彼女がナイショで風俗嬢をやってるのを知ってしまい、自分風俗体験してやると自棄になって呼び出してみたものの、呼び出した後でさめてしまったとか。

大袈裟な例を挙げたけど、多分そいつに原因があった事であり、貴方がどんなに「やりたい女性」であっても無駄だったんじゃないかなと思う。

まぁ抱かれないと気がすまないというなら、抱いてやる。俺が。

2009-07-16

有吉じゃなくて、有吉を好きな奴がなんか嫌い

有吉に限らず、一般的に毒舌だとか、悪役を担っているような人を、好きだと言う人って

そういう人を「好きだと言うことで消化しようとしている」んじゃないか。

たとえばこの前けっこうはてブがついた、グラビアアイドル有吉が打ち負かしたみたいな話があったじゃん。

有吉が好きだなんていってる人たちも、実際あれを自分にやられたら大抵の人が耐えられないわけでしょ(まあ、見栄張ってそんなことないとか言う人もいるだろうし、実際全然大丈夫な人も少数ながらいるだろうが)。

なんかそういう事から結局、目をそらしたがってるっつーか、そういうのをひっくるめて「ああ有吉いいよね、好きだよ」なんていうことで、自分なりに消化してしまおうっていう魂胆なんじゃないのか、という感じ。

「これが有吉だよねww」とかいう事で自分はそういう対象になることは決してない、と自分を言い聞かせている感。しかも好きだよwwとか言っちゃうことで「自分はこれに対して余裕を感じている」と自分自身に錯覚させようとしている感。

そういうのを感じる。

あえての高みの見物つーか。

「好きだ」ということで、その対象を軽く手懐けた気になってるんじゃないのか。

そうすることで、安心しようとしてるんじゃないか?

一般的に「怖い」感じのものが好きって人はさ、結局、「そんなものがすきな俺・私」キャラ意識しているか、「好きだということで恐怖感(というと大袈裟だが)を克服する、安心しようとする、消化しようとしている」んじゃないのか。

あるいは完全なる盲目的ファンになることで、それはそれで安心しようとするって奴もいる。完全に服従しちゃう感じな。これはよほど臆病な奴だけど。

そういうものがすきって言ってる奴に限って実は意外と怖がりなんじゃないか。

結局嫌なものから目を背けたがってるんじゃないか。逃げているだけつーか。

そういう感じがどうも拭えないんだよね。

2009-06-28

うまく怒れない

怒るとか不快感を表明するってことが未だにうまくできない

ムカっときたらすぐそのまま言いたい事を言える人が羨ましい

どうも素直にそういうことができず、というか反発力がないというのだろうか、そのまま飲み込んでしまうことが多い。

しかしその飲み込んだ怒りをうまく自分の中で消化できるわけでもないので、怒りが腹の中におさまったまま、なんとも居心地の悪い気分になる。

大抵はそのままいつしか忘れるが、

時に相当怒りを感じたときなどは、「なのに言えない」ことや、「一度飲み込んでしまったため、タイミングを逸し、今更言うわけもいかない」ことなどでさらにフラストレーションたまり、悔し涙が出てきたり、壁を殴りつけたい気分になってくる。

そうした時はとりあえず自分を殴ったりするが、それでもイマイチ収まらない。

結局ぶつける事が一度も出来ていないから、いくらその場を「忘れたり」「殴ったり」で誤魔化しても、ふっと思い出したりしてしまえば元の木阿弥。

出してみようと思ったが、うまいこと出せず、小出しになってしまい、しかも相手にイマイチ伝わらず、寧ろ余計フラストレーションが募った。

子供の時から、嫌なテレビ番組がついていても「嫌だ」と、いえなかった。

「いやだ!見たくない!」といったら親は必ず「なんで」と言うからである。

嫌なものを何故か説明するのは色んな意味で難しい。気恥ずかしいこともあるし単純に言葉で表現し辛いこともある(たとえばバラエティ番組で、無理矢理笑っている感じなどが非常に嫌いだったが、それを言葉で説明しろと言われても困る)。だから「なんで」と聞かれる事自体嫌だったが、それでもとりあえず説明すれば、親は決まって「なんでそんなこと思うの。そんな事思うなんて変」とピシャリとやり、「そんな理由で嫌だと感じるお前は変だ」で終わりだった。ちょっと頑張って「いや、だから……」と更に説明を試みても、かえって火に油。なぜか親はどんどん怒り、「なんでそんな変なこと思うのか。おかしい。考えすぎだ」とカンカンになる。そして怒られて泣きそうになる。

毎度それだったから、そのうち、説明することを諦めるようになった。どうせ説明しても「なんでそんな変なこと思うんだ」で終わりなのである。

説明することを放棄したらしたで、「何故言わないの」とくるので、そのうち「いやだ」といえなくなった。

でもたとえばテレビであれば、見たくないのに、夕飯中についているからどうしても聞こえてしまう。聞きたくないと思えば思うほど聞こえてしまう。といって、「いやだ」と言うことは上記の理由によりできなくなっていたので、ひたすら早くご飯を食べることを考えていた。せっかくの好きなメニューだというのに味わうどころでなく、自分が「いやだ」と上手く言えないせいで、味わえないことが(今になってみれば些細ではあるが子供の時は非常に悲しかった)悔しく、それで更にご飯をおいしく感じられないという悪循環に陥り、ご飯も半ばに自分の部屋に引きこもり悔しさに泣くということが結構あったのである。

何分「なんでそんなこというの!」と怒られる事に何故だか弱く、そういわれると怯えてしまって反射的に涙が出そうになるのだ(実は今でもそうである。泣きたくないのだが、反射的に出てしまうのである。情けないので治したい)。そうして泣いていると更に親は怒る。「なんでそんなことで泣くの!?」自分でも分からない。泣きたくないのに出てくるのでそれが悔しく、更にプラスアルファで悔し涙まで出てくる始末だ。手に負えない。

もしかしたら滅多に泣かない人にはわからないかもしれないが、泣きたくてないているのではなく、これはもう体質としかいいようがないレベルで、ただ反射的に出てくるのである。

しかしそんなことは相手、親には通じないため、泣かない為に、怒られた途端に心の中で歌を歌ったり、他の事を考えることで中和し、なんとか反射的に涙を流さぬよう、落ち着けるように深呼吸をしたりなどし、なんとか泣かないようにしたりしてきた。しかし出てきてしまうものを収めるのはそれでも難しかった。

泣いていると親は「なぜそんなことでなくのか」と怒る為、といって泣いているため説明もできずまた泣き終わった後説明しようとしてもさらに「なんでそんな変なこと思うのか」と怒るため、そのうち親に怒られると自分自分を守る為、ひたすら謝るようになった。「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」ととにかく言うようになった。

それはそれで「ただ謝ればいいってもんじゃない」「怒ってるんじゃなくて、説明しろといってる!」(といいながら、怒っているように少なくともこちらからは見えた)と言われる。自分は一層被害者ぶることに拍車をかけ、「申し訳ありませんでしたゴメンナサイもうしませんもう一生泣きません」と、大袈裟に謝るようになった。親は更に怒った。

どうすればいいのか分からず「あああああああああああああああ!!!!!!」と爆発しそうになることが何度もあった

そういうときは自室に閉じこもりひたすら壁を殴った。

親に反発はできなかった。

親がそう怒りっぽくなったのも自分がいろいろ迷惑をかけたせいだから

我慢しなきゃいけないと思った

親を憎めば事は早いがそれはしてはいけないんだろうと、それをしたら逃げになると思った。


今でもうまく怒れない。不快感を表明できない。「なんで」と聞かれるのが怖い。

2009-06-26

http://blog.livedoor.jp/ohieshun/archives/303196.html#

●頼むから耳を傾けてほしい。絶望したものよ。

心の内に閉じ込めた力を、人にぶつけるな。

自分にもぶつけるな。

好きなことはなんだった。

夢中になれることはなんだった。

ないのなら探すんだ。

ないのなら創るんだ。

決して奪ってはいけない。

なくしてはいけない。

学校は、学校のなかで通用する人間しか作ってくれない。

拡い社会にでれば、自分より強いやつはいて、自分より頭のいいやつは、いくらでもいるんだ。

絶望勘違いしてはいけない。

絶望とはチャンスである。

どうにもならないことも、必ずどうにかなるんだ。

人にたよればいい。正直に人と話せ。

人に裏切られ傷つけられたって、それでも人を信じて。

人を探せ。

自分を探せ。

自分をさらに高めて。

倖せを見つけろ。

君がこの世に産まれたように。

命を産み出せ。

自分を殺すな。

人を殺すな。

●追記。よく、加害者ゲームアニメを好んでいたとニュース大袈裟に伝えられるが。

コミュニケーションに傷つき自分の殻に閉じこもってしまったものが、他になにをして遊ぶ?

友達もなく、外にでることも出来ない傷ついた孤独人間に、サッカーをやれとでも言うのか?

一人で遊べることをしていて、当たり前じゃないか。

●一人でできることならば、個人的な願いになるが、願わくば、たくさんの本を読み、音楽を聴き、そして自分の内に秘めた力を表現、創作に注ぎ、暗い海の底から浮上してほしい。

素晴らしい考えを持った人達、たくさんいるんだよ。

信じてほしい。

2009-06-23

どう向き合えば……

のっちショックからは回復したけど

いまだに、「有名人フィルター越しに見る」癖が抜けない。抜けないというか……それ以外実際どうすればいいのか、分からん。

のっちに対しても、「トークになるとちょっと冴えなくなるけどカッコよくてあ~ちゃん好きなのっち」なんていう一部のファンの幻想みたいなものを、まあ、自分も持っていて、で、うすうす「でも違うんだろうなぁ、実際のとこはさ」なんて思っていて実際違ったわけだけど……

勿論そういう「勝手イメージ」からはずれたからといって当人に怒るのは筋違い筋違いだとは思う。

でもそれでショックを受けるのも許されないのだろか。というか許さない!といわれても、受けるときは受けてしまうので、どうしようもないのではあるが。

そもそもそういう「勝手イメージ」を持つなって話なのだろうが、

でもそれも突き詰めていくと可能なのか。と思うのである。

イメージをもたずに、有名人を「見る」というのは、一体どういうことなのか。というかまぁ弁解がましいけど、正直芸能人の場合は、相手がわざわざそういうイメージを作って売ってるところも、あるわけで……本人というより、その周辺の人たち、ってパターンが多いんだろうけど。

それでも「確かにキャラ設定はありました。でもあんたら一部のファンが勝手に思ってるような設定は少なくとも出していませんよ」ってこともあるし、キャラと生身のあいだがそもそも、はっきり分離不可能なこともあるだろうし(いや、というより、多分、全ての場合において完全には分離不可能なんだと思うけど。濃さの違いがあるだけで)そのへんの細かい事も色々あるだろうけどそこはとりあえずおいておいて

芸能人はまだ自分からそう売り出しているからまだしも、スポーツ選手などの、素人芸能人の間にいるようなタイプ有名人てのは、別に「そういうふうに」売り出しているわけじゃないのに、勝手マスコミによって「美人〇〇」「イケメン〇〇」なんて呼ばれて文脈作られちゃったりするわけで。ハニカミ王子なんかも、完全に「好青年」的イメージがついちゃっている。たとえば普通少年喫煙には「フーン」でもハニカミ王子喫煙、とか言われたら多くの人が「え、あの子が?!」みたいな感じで驚くんではなかろうか。そしてそれは、マスコミ(でもなんでもいいけどとりあえず)によって「好青年イメージが、好青年キャラが、彼を見るときの前提としてはいってしまっているからじゃなかろうか。そしてそれはあんまり好ましくない事態に思える。まさに「勝手キャラ化して驚いてる」んだから。よくないなと思うが自分でもそういう反応をしそうだと言う自覚がある……。

しかしだったらばどうすればいいのか。

別に喫煙がなくとも、新聞ハニカミ王子の特集がやってて、好きになったので、応援しはじめた、色々調べた……そしたら、なんかインタビューとかみたら、どうも最初のイメージと違う。ガーン。てな、こともありうるわけで。

怒りを対象に向けるのはアウトだが、そこでショックすらも「勝手キャラを想定して、勝手に外れたなんておもっている。生身の人間を無視している」ということで、アウトだとすると、一体どう好きになればいいのか、分からない。

というのは、言葉で、表し辛いのだけど、例えば新聞なりテレビなりでその対象を知り、対象を好きになる時点で……キャラ化はしてしまっているのではないかと思うのだ。「彼・彼女のこんなところが好き」と思っている、漠然とでも、「彼彼女空気が好き」であってもなんであれ好きの対象が決まったそのとき、既にキャラ化は多かれ少なかれ完了してしまっているのでは?今現在気になる、芸能人以外の、スポーツ選手なり、音楽家なりの芸能人素人の中間の有名人が多々いるのだが、「好きになった。彼・彼女らの情報を追いかけよう」という気になれないのは、「多分、今自分は彼・彼女らを、勝手キャラ化して好きになっている部分が大きいのだろう。ということは情報を追いかけていけばいずれ、「なんか違った」という壁にぶつかるだろな」→だからやめとこ……というチキンさゆえである。

そもそもキャラ化せずに好きになれというと、どういうことか、彼彼女ありのままをうけとめることか。でも「ありのまま」ってのはなんなのか、そもそも、どうすれば受け止められる。そもそもどうすれば彼彼女の他の事を知れるのか。perfumeでいえば、のっちキャラ化して見たのがよくないといわれても、のっちの他の部分などどう知ればいいのか。のっち本質的な部分などどう知ればいいのか。のっちありのままなどそもそも誰が知っているのか。のっち自身も知らない可能性もある。

芸能人意識的にキャラを売っている部分があり、そこまでいかずとも有名な人、という人の場合は周辺の人がキャラ化して売り出している部分がある。しからばいわゆるフツーの人はどうかといえば、結局、この場合もかわりないのではないか。

フツーの人だって常に「ありのまま」を出しているわけじゃないし、ある程度相手によって自分を作っているし、それを見るほうも、大体「あいつはこうで、こういうやつ」と、キャラ化とはいわずともおおざっぱにそのようなことはしているのではないか。話がちょっとズレそうだけど、普段大人しく真面目だという生徒が何か犯罪を行い、それで近くの住民が「そんな子じゃなかったので意外」みたいなことをいったりするが、これも結局はキャラ化してるってことじゃないんだろうか。

インドア派で、外に出るのは嫌だと言ってる友達が、実はサーフィン大好きなんていわれたら「お前が?」と思うわけで……

そういうとき「ソレもありうると思ってたよ。お前は生身の人間だからね」となにがきても動じないのが正しい態度なのか。

あるいは、驚くまでは許すとしても、「驚いたけど、でも分かった。それもお前だよね」と順次認めていくのが正しい態度なのか。

それでも、いったいそれはどこまで続ければいいのか。「まさかあいつが」な事を、相手がどれだけやっても、相手を一度好きだといったならば、認めていかなくてはならないのか。というよりその覚悟がないなら、相手を好きだなんていってはいけない、ファンになっても、友達になってもいけないのだ、ということなのか。ソレは結局極限までいけば、「あいつの肉体」がしていれば、何をしようと自分は認める。ということにならないだろうか……「生身の人間だもん、いろいろあるよ」を認めていくと、結局肉体という殻の中身がどんな色になろうと、認めざるを得なくなる、それは結局、皮肉にも相手の人格を認めてないのではないか…?

またまた大袈裟な。どこかで適当に線引きをすればいいんだ。……というかもしれない。でも「適当に」ってどこにさ?その人にとっては適当な線引きでも結局ソレが他者にとって適当でないと感じれば「勝手キャラ化し、理想を見、相手が生身の人間だということを忘れた愚行」ってことにならないか。でも「相手がどんなんでも、認めるよ」というのは極限までいけば、「お前がお前の肉体であれば認める」ということになる。実際、家族レベル(特に母と子)だと、そこまでいくような場合もあるだろうけど(なにせ、もともと肉体、血でつながれているから)、逆に言えば、家族以外にそんなマネをいちいちできやしない。

そもそもそれに加えて肉体まで微妙に変化してしまった場合、どうする。体の一部分がなくなってしまったら?そして尚且つ精神も違ってしまったら?そもそも常に爪だ髪だなんだとなくなったりはえたりしている、それどころか体の細胞は日々更新されているわけで、どれを「相手だ」と認識するのか?一部分なくなっただけならいいよ、なんていってもじゃあどこで線引きする?

我々は相手を、多かれ少なかれキャラ化しないと、相手そのものすら認識できないのでは?


こういうことを考えてしまって、三次元人間とはついつい関わる距離を置いてしまう。「勝手に、理想化してしまうかもしれない。そして、『なんだ、思ってるのと違った』と、思うかもしれない」という自分への疑念が頭から消えないからだ。といって、理想化からは根本的には、とうてい逃れられないのでは、とも感じていて、結局どうすればいいのかわからず、もとからキャラだけで出来た二次元へ飛んでしまう。どう三次元人間とつきあっていけばいいのか、わからない。

2009-06-13

http://anond.hatelabo.jp/20090613212034

また出た極端な例。無駄努力なのに、頑張って考え出したのは偉いね。

しかもドアホウなタイトルまで考えだして。よくやるよ。

微妙な場合の間接証拠に使われるのに文句あるなら、「今の司法のやり方が間違ってる!」ってことか?

なんかもうそこまで平然と大袈裟なこと言われると、逆に感心するわ。

そんなに自分正義を判断できるほど偉い人間なのですか?

俺が言ったのは全然そんなスケールのデカイことじゃなくて、一般人感覚として、

「感じたから和姦」なんて考える奴いないだろってことなんだけど。

それをよくもまあ今の司法のやり方は間違ってるという話にまで持ち出して。

繰り返す。「感じたから和姦」なんて思う奴なんていないんだから、

そもそも元増田のようなことを主張する必要はない。

2009-06-03

http://anond.hatelabo.jp/20090603124120

福利厚生給与は多少マシ(中小のがずっと良いケースもある)だろうけど、仕事内容はそれに見合わないくらいクソだぞ。

特に都銀。大手メーカー文系職については正直よく知らないが。

クソ下らない口から出まかせ仕事をして客を適当はめ込み、社内政治ロビー活動に精を出す。

意味不明体育会系馬鹿か、学歴が高くてプライドが異様に高いお坊ちゃんか。そんなんがゴロゴロいる。

多少大袈裟かも知れないが、大まかに言ってそんなもんだよ。

学歴の話出すと「低学歴乙ww」とか煽られるのか?俺は低学歴じゃないよ。東大ではないけど。

2009-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20090525163900

まぁ人権侵害は言い過ぎだろうが、それはセンセーショナルタイトルにしたかっただけだと思うよ。

君は気にしないかもしれないが、気にする人種も確実に居るということだ。

別段ブーケ取りたくないのに「ほらほらっ」ってやられるのも結構マジであるし、

その挙句取ってしまった日には「わたしも早く結婚した~い!頑張りま~す!」なんて

心にも無い事を言わなければいけないんですよ。

「いやぁ、自分結婚する気無いんで~」なんて口が滑っても言える空気じゃない。

しかもその後はと言えば「いやぁ、ああいう場所だからああ言っただけで…ねぇ?」なんて言ったって既に手遅れで、

「ええ~いいじゃん、いい人探しなよ~」攻撃で取り合ってもくれないですよwwww

紹介とかホントしてくれなくていいからwww職業独身男性なら職場に溢れてるからwww

私が結婚する気無いだけだからホントwwwっていうハメになるわけですよ。冗談大袈裟じゃなく。

2009-05-12

少なく見てもここ一年半くらい働いていない人がいる。

出勤は一応している。

僕がわからないだけかと思って、いろんな人に聞いてみたけど、

やっぱり働いていない。

仕事を頼むと、

なんか色々言い訳して全くやらない。

大袈裟ではなく、本当に全く仕事をしない。

 

何日かチラ見してみると、

自分ブログ書いたり、

本読んだり、

たまに昼寝したりして帰る。

ずっとそんなサイクル。

 

読書会やらリーラボとかには、積極的に参加しているらしい。。。

(かといって職場に結果のアウトプットもせずに、

仕事もせずにビジネス書を読みあさっているようだ。

カツマーとか言っている。)

 

状況からして確実に給料は僕より高い。

 

そんな状況がみんなわかっているようなのに、

お咎めもなければ、クビにもならない。

ちなみに役員でも管理職でもない。

 

30代中盤にもなって、あそこまで仕事しない人を見たのは初めてです。

 

普段はそんなに気にならないのですが、

大きな会社でもないので、仕事でつらいときに、

近くにそういう人がいると本当に心が折れそうになる。

 

そんな人って世間では意外と多いのかなぁ。

直接言えないので、ここで愚痴らせてください。

 

あーぁ。。。。。。。。。。。。。。。w(x_x)w

2009-05-08

http://anond.hatelabo.jp/20090505184745

非喫煙者はおれらがタバコ吸うのはニコチン依存だと思ってるでしょ?

でもね、ニコチンよりコミュニケーションを求めてってのが結構大きいと思うよ。

って、喫煙者は思ってるんだろうけど、残念ながら単にニコチン中毒者なだけだよ。

ニコチン依存自分を誤魔化すため「いや、でもコミュニケーションに役立ってるし」って思おうとしてるだけだよ。有る意味、こんなこと言ってる時点で相当のニコチン中毒者だよ。まだ「俺ニコチン中毒になってんなー」とか自覚してる人の方がまだ症状は軽いとさえ思う。こうやって言い訳しちゃってる時点で相当のレベルなんだって。

パチンコでもネトゲでも、中毒になってる奴ほど、「いや、そうじゃなくて、これはパチンコに来るオッサンたちとのコミュニケーションが」「ネトゲ人生に役立つことが」とか言い訳するんだよ……。

大体「最近規制厳しいですよね」「うちなんか換気扇の下で吸えって言われて」ってコミュニケーションができる!って、それ、今禁煙する奴増えてるし、規制も「喫煙ルーム」ってレベルじゃなく「家で吸え」レベルに言及されてきてる今じゃコミュニケーションすらままならなくなっていくけど、そうなったら吸わないのか?

(大体、中毒じゃねえか?って言われるとこうやって「いやコミュニケーションが」とか言い出す奴いるけど、透明な喫煙ルーム見ても、一人一人もくもくと機嫌悪そうな顔でひたすら吸ってるだけで、楽しげにコミュニケーションかわしてる奴なんざ今時ほとんど見ないが。正直、ちょっと大袈裟に言っちゃってるだろ?w)

コミュニケーションを求めてって言うけど「喫煙者との」コミュニケーション限定だよね。それをすることによって寧ろ「非喫煙者との」コミュニケーションは少なくなることもあるんだけど。

しかもコミュニケーションなんていうけど現実、せいぜいが「最近規制厳しいっすよねw」とちょっと交わして終りなわけだろ。それすらしない奴が現実には多いと思うけど。

煙草嫌いな人も今は多いだろうし煙草吸ってる時点でその間は近づきたくない人も多いし、そもそも今時喫煙者ってだけでどうよという目で見る人も多い。そういう人たちとのコミュニケーションは根こそぎ奪われ、そして自身、ときには周囲の人の健康、金、体臭に口臭……そのようなものを犠牲にしてまで、「ちょっとした喫煙者という限定された者とのわずかなコミュニケーション」を得られるがために吸っている、と……本当に言えるのか?どう見ても、ニコチン中毒者が認めたくないがために自分をも騙して煙草を吸う大義名分を得ようとしているだけにしか見えないのだが、ちょっと一週間ほど禁煙して冷静な頭になって考えてみて欲しい。


それとそういうコミュニケーションが可能なのは、単に「同じ趣味」を持っているからで、同じ趣味を持ってる奴ならそういうコミュニケーション煙草じゃなくても始まるよ。ただ、煙草に関しては趣味の中で何故か特別に「どんなところでもやっていい」という特権を得ているため、ところどころでそういう会話がおきやすいだけ。喫煙ルームなんて単なる趣味の一つである煙草だけ特別にそんなルームが作られるのがまずおかしいよ。前も言ったけど、だったら俺の好きな趣味でもルームを作れよってんだ。つまり「煙草コミュニケーションの役に立つ」っていうより「煙草好きだけの部屋」をわざわざ世間様社会様が設置してくださってるからそれが成り立ってるだけで、それが「グミ好きの部屋」とかだったら今度はグミが好きな奴同士で「シゲキックスってすっぱすぎません?一度俺食べてみたいとは思ってるんですけど」「いや、案外癖になりますよ。おたくの持ってるピュレグミもなかなかですけど…一つ交換します?」みたいなやり取りが生まれるだけだよ。でも何故グミ部屋が出来ないかといえば、別に別部屋を与えなくても周囲に迷惑がかからないからで、すなわち煙草コミュニケーションが成り立つのは、「煙草が周囲に迷惑な趣味だから(※1)」尚且つ「それでも「そんな趣味の方々が、家だけでなくいろんな所で楽しめるように」と意味の分からぬ優遇振りを受けて部屋が設置されているから」なんだよ。そんな前提でなにがいけしゃあしゃあと「コミュニケーションができる」だよ。


(米1:通常はこの時点で、公共性のあるところでは禁止になる。俺もラジコンヘリ飛ばすの好きだけど危険だから駅じゃやれない。そういうことでしょ?「喫煙ルームで吸うならいいじゃん」なんて言ってるけど、そもそも単なる趣味の一つである煙草だけ別部屋まで設けられる時点で煙草と言う単なる趣味だけ妙に優遇されてる事に喫煙者は気付くべき。それこそ別にニコチン中毒じゃないんなら、そんじょそこらにわざわざ吸う部屋なんか設けなくても家で吸えばいいことだろ?普通趣味はそうやってます。我慢できないからって電車の中でラジコンヘリ飛ばしませんぜ)


結局、

コミュニケーションは、百歩譲ってあるとしても、それはあくまで「副次的な」ものに過ぎず、それが目的喫煙者は吸っているわけではない。

まず君たちはニコチンありきなわけで、その結果、たまに「喫煙者同士のちょっとしたコミュニケーション」がついてくることがあり、それがたまたま楽しいと感じることがあるだけのはなしで、決して「そのために」君たちは吸っているのではない。それはあくまで「副次的な」ものにすぎず、それは「目的」ではないよ。大事な事だから二度言いました。

大体、これ言ったら終りなんだが、コミュニケーション目的ならば「煙草」じゃなくたって色々あるだろう。なぜ健康と、非喫煙者とのコミュ犠牲にして煙草という道具をわざわざコミュニケーションという目的のために選んだのか?

もう無理だろ。ニコチン中毒なんだろ?認めちまえよ。禁煙はまずそこからスタートだ。

ニコチン中毒じゃないのなら今すぐ禁煙してみろよ。その間、俺がコミュニケーションとり続けてやるから。

大体、吸ってたらニコチン依存に「なっちまう」んであって、依存してるかしていないかに、増田の意思とか目的意識とかは全然関係ない。五万歩譲ってお前がコミュニケーションのために吸っているつもりであろうが、お前はやっぱりニコチン中毒者であることには違いないんだよ。


あとおばあさんのくだりについては意味が分からんのだが。それって煙草関係ないだろ。

あと「煙草吸うのやめて健康で長生きするより吸って早死にする」なんていってる奴のほとんどは、リアルに死を考えてないだけ(というか、大体「早死にしたっていい」とか言ってる奴のほとんどがそう。若い頃「40くらいで死にたい」なんてうそぶいてる奴も)。実際に死の危険に直面するとほとんどの奴が考えを改めるよ。

喫煙者マナー守ってるとかなんとか言ってるけど

「家でだけ吸い、且つ、非喫煙者家族には一切煙を吸わせないようにしている」レベルじゃないとマナー守ってる優良喫煙者とは到底言えないよ。

なぜかっちゅーと、さんざん言ったけど、「喫煙ルーム」とか特別に置かれてる時点でおかしいんだから。どうして国レベル喫煙者様のためだけにわざわざ部屋なんぞ設置しなきゃいけないんだ?「喫煙ルームで吸ってますから!」じゃないっつーの。そんな部屋がそもそもあることに疑問を抱かなきゃアカンて。なぜ一介の趣味に過ぎない煙草のため部屋なんぞ設置しますかね?おっとそれとも煙草は一介の趣味でなく、麻薬だから仕方ない?麻薬ならそれこそ家でやるか、それとも全面取締りが正しいと思いますが。それよりお年寄りとかの為の「いつでもお薬飲めるルーム」でも設置した方がはるかによろしいんでないでしょうかね。

2009-04-27

思う事。

あのー痴漢でない、一般男性がですね、「痴漢被害にあったのはかわいそうだけどオレは痴漢じゃないし」「痴漢とそうでない男は分けて考えるべき」っていうのは分かるんだけどさ。というか別に「男=痴漢」と思ってる女性なんて、よほど男性不信に陥った人でもないとまずないと思うし、そんなことはそもそも思ってないわけですよ。別に誰も一緒くたにしてないわけですよ。

男性に話すのはさ、なんていうんだろ、当事者性を感じて欲しいとか、そういのがあるんじゃないかと思う。

あのーこういう言い方は何なんだけどね、要は痴漢でない(また、あわない)一般男性は、いともカンタンに「痴漢にあったのはかわいそうだけどオレ違うし」ってことで、「痴漢問題」そのものから全くノータッチ、逃げてしまえることが出来るんだよね。逃げるっていうと、また語弊があるかもしれないけど、女性は逃げることすらできないのね。痴漢でない男性も、痴漢被害者女性も、要はどちらも何の非もないのに、でも逃げられるのは男性だけなのね。

だからなんていうんだろう。別に「あんたは男なんだから痴漢!」とか言う気はさらさらないけど、社会全体の問題としてもうちょっとそういう普通男性にも問題意識を持っていてほしいんだよね。関係ないから、でどっかいっちゃわないでほしい。こっちは、そうやって逃げられないんだから。「だってオレは痴漢じゃないし」って、私らだって痴漢じゃないのに。非なんてないのに。「女と痴漢の問題じゃん」っていってどっかいっちゃわないでほしいわけ。社会の一員として問題意識持ってて欲しいだけなんよ。強盗とか、殺人と同じように。性犯罪だけ、なぜか、「痴漢と女の問題」ってことで終わっちゃいがち。それ以外の人たち、男に限らず、都心に住んでいない女性とかは「関係ないし」で済ませちゃうけど、犯罪を「当事者の問題、オレワタシ関係ないし、チャンチャン」で終わらせんといてよ、って思う。まだ、女性なら「あなたもあうかもなんだよ」(ってこの言い方で言いくるめるのって脅しっぽくて個人的には嫌だけど)って言えばまだ自覚するけど、男性の場合関わろうとしないでいれば、目を瞑っていようと思えばそうできちゃうわけじゃない。だからこそこっち側からしてみると、勘弁してよって思ってしまう。被害者加害者に丸投げせんといて、ただでさえキツいのに。またただでさえ男社会なのに「女の被害者加害者の問題」とかポイ投げされちゃうとホントどうしようもない。そもそも性犯罪の時点で被害者は声をあげ辛いのに、被害者以外は「関係ないし」で目を瞑る。必死に声をあげても、やっぱりなんだかんだで日本は男社会警察だって男社会なわけで、女被害者だけの声じゃ「ホントにぃ?」「大袈裟にいってんじゃないの」な視線・声がくるわけで。

その上最近では冤罪問題が出てきて、一般男性も無関心ではいられなくなったけど、その怒りの矛先は女性に向けられちゃってるわけで…ますます「お前の勘違いじゃないの?」「痴漢とかマジであったわけ?」「ほとんど冤罪なんじゃないの」って、今まで「俺関係ないし」で逃げていった男性陣が、自分たちも被害にあうかもとわかったらノコノコ戻ってきて、ようやく一緒に真剣に考えてくれるのかと思えば攻撃される。もうどうすればいいのか、分からない。それでも全ての男性がそうじゃないって、寧ろそこにすがるかのように考えてるけど…本当キッツイよ。女性専用車両も優遇だ、女ズルい、と非難されるばかり。乗ろうとすれば「女ズルイ」とか、「乗ろうとしてるのはこんなブスだけ。美人は乗らないっていってる」的な画像ネットじゃ貼られて嘲笑されているし、といってそれに怯えて乗らなければ「なんだよ、いらねーんじゃん!痴漢なんてほんとうはなかったんだ」の無邪気且つ残酷な一言。もうさ、どうすればいいの?女であることが悪いことなの?ってマジで思えてくる。今まで「俺には関係ないから」っていってどっかいっちゃってたくせに今頃自分らに被害がかかってくるからって戻ってきて、戻ってきたかとおもえば突然女性痴漢被害にあってるのをすっとばして「女によって無差別に男の人生が終わらされる!!どうすれば!!」なんて言ってる。なんだかさぁ、これまで痴漢問題に対して全然ノータッチだったくせに、それはないんじゃないの?(ノータッチじゃなかったよ、関わってきたよ、って男性は勿論別だし、感謝したい)はぁぁ。ホント、どうすればいいんだよ。私たちはただ、被害にあいたくないだけなのに、なんで「お前たちはいいよな、俺らの人生ぶっこわせるんだから」とか言われなきゃいけないのか。優遇だとか言われなきゃいけないのか。痴漢なんて本当はないんじゃないのかとか言うけど冤罪はそうはいわれないのはなぜ?ふぅ。


一般男性に被害にあったことを打ち明けてる女性が皆そう言うことを考えて言ってるわけじゃないだろうけど、対策を求める以前の話として、とりあえず一緒に「当事者性」を持ってくれってのはあると思うんだよね。「対策がないから」っていうけどさ、こんな社会問題レベルの対策なんて、今ちょっと話を聞いた素人が、それも今まで「いや俺痴漢じゃないから、関係ないし」で当事者性をもってこなかった素人がポンと名案を持ってこれるわけないし、そんな大きなこと求めてない。そんな壮大な対策を練ろうとする前にまず当事者性を持って欲しいだけ。いかんことだ、けしからんことだ、とマジの怒りを抱いて欲しいだけ。共感してほしいからじゃなくて、まずそういう心情を持ってもらわないことには先に進まないから。ちょっと聞いただけで素人が小手先の対策を、なんて、そんなことはいっちゃなんだけど無理だから。いきなり対策を考えます!だなんて、今まで当事者性を持ってこなかった男性(もっていた男性は何度も言うけど別ね)にとっては背伸びしすぎだし、そんなことする前に、そういう人にはただ本当に「いかんことだ、なんとかせねば」精神を持って欲しい。対策を…なんていうのはそこからの話だと、私は思う。

ちょっと前に、男はマジで知らないよ、みたいなエントリが伸びた事があったけど、あの推測が正しいか間違ってるかは(まぁブコメの反応見る限りどうも違うようだけど)別として、ああいう疑惑を抱く気持ちは私には分かるんだよね。だって、(ほとんどの)男性が「俺は関係ないし」って耳を塞いでノータッチしちゃうのって性犯罪だけじゃない?さっきもいったけど、殺人とか強盗とか、カルデロン一家の事件とか、皆全然自分関係ないのにわいのわいの盛り上がってどうすべきああすべき言ってるわけで、殺人やったやつは死刑にすべき、いや死刑はまずい云々言ってるわけじゃない?なのに性犯罪となると多くの男性が「いや、男性痴漢じゃないから。俺は男だからといってもそういうことするやつとは別だからシラナイし」で去っていっちゃう。(もともと、全ての事について「自分関係ないことはしらねえ」という人は男女ともにいるだろうけど)それってなんでなんだろうと。

何にせよ痴漢じゃない男の人にはこれを機に痴漢撲滅の道を共に考えてもらいたい。テレビ上じゃ女性が強くなったなんて見かけだけされてるけど、その実まだまだ男社会日本で、「被害者女性」だけじゃ太刀打ちできまへん。数的にも、権力的にも。

それは具体的に策を考えるとまでいかずとも。そうすることによって結果的に冤罪も減るわけだから。結局痴漢被害者女性冤罪になるかもしれない男性とがワーワー言い合ってて、一番得をするのは誰って、元凶の痴漢なわけでしょ。許せまへん。敵は本能寺にありじゃないけど敵は痴漢にこそあり。ここをぶちのめすべきであって非の無い男女同士が言い合っててもしゃーないとおもうんよ。

痴漢撲滅と、痴漢冤罪撲滅のためにも痴漢を滅する」と考えてる男性はカッコイイ、みたいな風潮が女性の中にできたらいいかなとちょっと思った。そういうモチベができれば男性も参加してくれるかも。

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