2010-07-21

過剰に叱るという過ち

誰かを叱る時に過剰に怒ってしまうという、人が冒しやすい過ちがある。

叱っている時というのは、たいていの人の場合、機嫌が悪い。

この時点で既に少し間違っている。

育児書やコーチングの本などにも、怒らずに叱ることの重要性が書かれている。

叱るときに機嫌が悪いのは間違いだと何となく分かるだろう。

間違いなのだけど、まあ人間だし機嫌が悪くもなる。そこは目をつぶるとしよう。

本当に致命的なのは、そこではないからだ。

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ではどこが致命的かというと、機嫌の悪さに任せて、不必要なことに対しても怒ってしまうことだ。

例えば、相手の態度が悪いとか、質問に対して質問で返すだとか。

挙げ句の果てには、昔のことを蒸し返して叱ったり、日頃の細かいことにも小言を言ったり。

そんなことはハッキリ言って些末なことである。

相手が過ちを理解し、次は気をつけようと思うだけで良いのであって、

反省の態度が無いとかそういうことは二の次なのだ。

ましてや、日頃の態度に対する小言とか、昔のことの蒸し返しなんてもってのほか。

だのに、そういう叱り方をしている人が実に多い。

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そういう叱り方がなぜ問題かというと、第1に今回なぜ怒られているのかという焦点がボヤけてしまうから。

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これも大きな問題なのだが、もっと根深い第2の問題をも発生させてしまうのである。

それは、叱られたら過剰に自己否定するという適応を相手が習得してしまう恐れである。

あなたの周りにもいないだろうか?

ふだん平気な顔でイケないことをしてるくせに、叱られる段になったら、「本当に悪かったです。反省してます」とすぐに調子の良いことを言う人が。

また、「私という人間の不徳の致すところであります」「まったくもって私はダメ社員です。根本的に変わらないといけませんね」などと大袈裟に謝る人もいないだろうか?

彼らに共通するのは、過剰な自己否定によって、実は自己防衛しているという事実だ。

一見素直に反省しているように見えるが、実は、今回なぜ怒られているのかという点に真っ正面から向き合っていない。

「とりあえず謝っとけ」という発想は、彼らなりの適応である。

そういう適応を身につけた彼らを狡賢いと考えてはならない。

なぜなら、そういう行動パターンを身につけた背景には、過剰に叱る上司存在があるからだ。

過剰に叱る上司の前では、今回の過ちに対する自覚を示し、心をこめて謝るだけでは、効果がないことが多い。

今回の過ちだけでなく、反省の態度とか、日頃の行いとか、そういったことを全て謝り、上司の怒りを鎮める必要があるからだ。

だから、そういう上司の部下というのは、みんな過剰な謝罪を行うという悪癖を身につけてしまうのだ。

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過剰な叱り方は、過剰な謝罪を生み出すだけで、肝心の反省は生み出さないということを、世の中の上司たちは理解すべきだ。

  • 人間を内部から破壊してしまう場合があるだろう。 また彼らが過剰に謝罪しているとき、それが自己防衛やパニックに陥っているならまだいいほうで、最悪の場合、『相手の叱咤と自己...

  • これ、ずいぶん前から俺も主張してたことなんだけどさ、いざ自分が上司になったら、部下を怒れなくなっちゃった。 なんていうか、頭ごなしに怒れなくて「これ部下自身もすでに悪く...

  • わかる。でもついつい叱るが怒るにシフトしちゃうんだよなぁ。 悪いことをする>悪いことを叱る>ふてくされる>すぐに謝らないからそのことをしかる>嘘を使って言い訳をしはじ...

  • 適度な指摘というものはあまりないんじゃないかな。 ほとんどの指摘は受け手の心に過剰に突き刺さると思う。 でもそれをやらないわけにはいかない。 だから自己防衛だって必要なん...

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