2010-09-17

ひきこもりだしニートだし

世間から見たら危ないキチガイみたいなもんだと思われてるだろうし、俺もたまにそうなんじゃないかってなんとなく直観してるからそうならないように、街出たら必ずといっていいほど叫んでる。機械的に。別にいらついてるわけでも精神が重篤な危機に陥ってるわけでもないけど、こういう境遇だからさ、いつそういう風になるかわかんないじゃん。

だからとりあえず大袈裟に叫ぶ。怒る。狂ったりする。本当にそうしなくてもいいように。ぎりぎり犯罪にはならない、あらゆる迷惑をかけ尽くそうと今も企んでいる。それらを計画どおり冷静に淡々とやってることすら気づかず、本気で憤りを感じたり、見下したりする全ての人間たちがいかに滑稽か、みるみるうちに分かってくるから。

いかなる悪も、この自分が実際に行っている悪のように、本来一つの冷徹な視座とまなざしに支えられてるかもしれないものだということを自身に焼き付けておくためには、これからも自らの思う悪をそうやって徹底させていくしかないのだと思ってる。

ところで悪とは何か?

自分にとって最も相容れない他者の究極的な形こそ悪というものなんじゃないかって俺は最近思うようになった。

そしてひきこもりニートたちにとって、現実社会でまともに生きていけるように自己改革するためには、そのような、自分が最も拒絶する現実や形式を受け入れ、克服しようとする気概を持ち、さらにはそれらを維持し続けるために、自ら悪という「自分には到底受け入れられない異物」になりきる他ないんじゃないかってのを一当事者として痛切に感じるわけだ。ね?斎藤環より良いこと言ってるっしょ?なーにがひきこもりのオーソリティー(笑)だ、せいぜい Oh!sorry!ってぇとこでしょう?謝れ職業人!!

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