はてなキーワード: パラリンピックとは
こないだパラリンピックあったばっかりじゃねーかお前よ
オスカー・ピストリウスはパラリンピックでものすごく速く走る選手である。
ブレードランナーの名の通り、ばねみたいな足をしている。そこまではいい。
ばね足を使っていないとすると、別に注意してみなければわからない程度の義足だったりするんじゃねえのか?
そして、それに仮に気づいてしまったとしても「あなたは障碍者ですね! 大変そうですね、おぶってあげましょうか?」みたいなやり取りを必要とすると思うのか?
パラリンピックって過去発達障害だと優先して選手になれたりするんか?
現在身体障害だったりして不倶を抱えてる人の祭典な気がするんだが。
まあ、オスカー・ピストリウスみたいなんは身体障碍者なん? みたいな話はあるけど。
おまえそれパラリンピックでも同じこと言えんの?
障害の重さで区切ると「次の段階に進むギリギリの範囲の障害」の人間が有利になって萎える。
そう思いませんか?
実際にそうではなくても、ギリギリの戦いに決着がついた時にそういう疑惑が生まれてしまったらその時点でオリンピックが穢れそうでしょう?
そして何より、パラリンピックにおいては装備品の強さが非常に重要です。
こうなるともう装備品の強さを縛らないことには競技性が保てません。
ですが、グレードアップパーツに変にリミットを設けたら、それはパラリンピックの面白さを損ないかねません。
選手が使用している道具の値段によってレギュレーションを区切るのです。
これならば、障害が重いとか軽いとかで勝負がついたという疑いは薄れます。
そして、もしも道具の性能差で勝ったのだと言われても、それは「国力による勝利。医療に投資する意欲の違いの勝利」なのですから何も恥じることはありません。
いいえ決して悪いことではないはずです。
人類の限界を引き上げ、そのパフォーマンスを賞賛するというオリンピックの理念に沿った行為だと思います。
安くて高性能な義手や義足を用意できた国、お金をいくらでもかけていいなら素晴らしい医療器具を選手に提供できる国が勝つ。
障害があることをバネにすると言うぐらいなら、体1つで戦うという縛りプレイを義務付けられた健常者の成績なんて軽く飛び越すぐらいで丁度いいでしょう。
そうは思いませんか?
障害者が、健常者に勝っては駄目ですか??
視覚情報の説得力を憎んでいる。私の障害は傍目にはわからない。わからないからつらい。学校でも職場でも配属されて最初に「見た目にはわかりませんが私にはこのような障害があります」と説明しているのだが半年もすればみな忘れて健常者と同等の扱いをしてくる。その度に再度説明するのが苦痛だ。
自身の障害を言い訳にしてるのではという自己嫌悪と、いや障害は障害なんだという開き直りを何度も繰り返し続け生きている。初対面の人全員に「私は障害者です」と説明しなければならない呪い。「普通に見えますけど」と言われる呪い。いやいや、普通に見えるのはあなたたちに迷惑がかからないように私が懸命に努力しているからーーー!!!!!!
もう諦めていてあえて説明しないことの方が多くなった。少しダメな健常者だと思われた方がマシなのだ。
本当につらいのは私のように障害者と健常者の狭間にいる人たちだと言いたい。見た目にはっきりとわかる障害者が羨ましい。
私のような狭間の呪いを受けてる人たち、がんばっていきまっしょい。