障害の重さで区切ると「次の段階に進むギリギリの範囲の障害」の人間が有利になって萎える。
そう思いませんか?
実際にそうではなくても、ギリギリの戦いに決着がついた時にそういう疑惑が生まれてしまったらその時点でオリンピックが穢れそうでしょう?
そして何より、パラリンピックにおいては装備品の強さが非常に重要です。
こうなるともう装備品の強さを縛らないことには競技性が保てません。
ですが、グレードアップパーツに変にリミットを設けたら、それはパラリンピックの面白さを損ないかねません。
選手が使用している道具の値段によってレギュレーションを区切るのです。
これならば、障害が重いとか軽いとかで勝負がついたという疑いは薄れます。
そして、もしも道具の性能差で勝ったのだと言われても、それは「国力による勝利。医療に投資する意欲の違いの勝利」なのですから何も恥じることはありません。
いいえ決して悪いことではないはずです。
人類の限界を引き上げ、そのパフォーマンスを賞賛するというオリンピックの理念に沿った行為だと思います。
安くて高性能な義手や義足を用意できた国、お金をいくらでもかけていいなら素晴らしい医療器具を選手に提供できる国が勝つ。
障害があることをバネにすると言うぐらいなら、体1つで戦うという縛りプレイを義務付けられた健常者の成績なんて軽く飛び越すぐらいで丁度いいでしょう。
そうは思いませんか?
障害者が、健常者に勝っては駄目ですか??
値段レギュレーションにしてしまうと、必ず、格安で器具を提供する輩が現れるから意味ないのでは・・・