最近の国語の教科書には掲載されていないとかいう情報を耳にした。
真偽のほどは定かでないが、事実だとすれば理由はいくつか思い当たる。
改めて読み直すと何度読んでもごんぎつねは涙が出てきてしまうし、
たびたび議論されていることだろうが、この二作品にはどうも腑に落ちない点がいくつかある。
すでに逝去している作者の真意を知るすべもなく、
後世の読者が独自に解釈をした上で内容を改訂できるようにしたらよいとも思うのだが、
勝手な改変を加えるのは文学作品に対する冒瀆であり、すべきでないとも思うので、
「ごんぎつね」
これはもともと新美が草稿として創作した「権狐」を文学者鈴木三重吉が全国的な童話の普及を目的として改訂して上梓したものであり、
元々の草稿とは変わっている点がいくつかある。
有名なラストシーン、「ごん、お前だったのか、いつも栗をくれたのか」と発する兵十に対して、
「ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました」が、
新美の草稿では「ぐったりなったままうれしくなりました」だったそうだ。
どっちがいいんだろう、と自問しているがいまだに答えが出ない。
本来の草稿を尊重して「うれしくなりました」にした方がいいようにも思うが、
うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、
しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が一番大切なのか」という印象も持たせる終わり方になってしまうし、
かと言って「うなずきました」だと一層「自分が評価されたいだけなのか」という感を読者に植え付けてしまうし、
撃たれてもなお「うれしくなりました」の方が、自己犠牲的で感動を与えるような気がする。
どちらにすべきなのだろう。
最大の疑問はこの悲劇的な結末で子供たちに一体何を新美が伝えたかったということだ。
わかりやすい勧善懲悪物語よりも善意が報われない理不尽さを表現するこの童話のほうがよほど処世術の教本として理想的である気もするが、
それにしても得られる人生訓が一向に見えて来ない。
子供たちに、何をどう受け止め、どう人生に生かして欲しいというのか。
それとも作者はそんなことは考えていない、何の教訓も込められていない童話こそ教育材料として相応しい、ということなのか。
次に「手袋を買いに」。
母狐は自分が恐ろしくて行けないような街になぜかわいい子狐を一匹で買い物にいかせたのか。
母狐は病弱で動き回れないとかいろいろやむを得ない事情があると思いたかったが、
残念ながら作中の描写からはそのような状況は推測されない。
そこで狐の習性上の理由を思いついた。
子供が一定程度成長すると、近親交配の防止のため、親狐は本能的に子狐を強制的に巣穴から追い出す。
噛み付き、襲い、遠くに追いやって戻ってこなくなるまで攻撃を続ける。
子狐は昨日まで優しく育ててくれた親狐の豹変に驚き、必死に親にすがるが、親は心を鬼にして子供を突き放す。
母狐はいずれ子供を自立させなければいけないことを悟っており、
それの前段階として、人間とのかかわり方も含めて、世間の渡り方を学ばせるために、子供に冒険をさせた。
そう解釈したい。
作者にその解釈でいいかと聞きたいところだがそれが叶わないのでむずがゆくて仕方ない。
他にもいろいろ突っ込みどころはあるが、今更作者に聞くことができない以上、
うれしかったのかどうか読者に想像させるに留めて客観的な状況だけ描写したほうがいいようにも思うし、 しかし「感謝されたかったという思いが叶って満足なのか、自分の評価が大...
うーむ、やはり「うれしくなりました」の方がよかったのかな。 確かに兵十が贈り物は神様からだと思っているのを悔しがる描写は出て来たし、 自分の思いやりに気付いてくれて「う...
「手袋を買いに」が採用されなくなってきているとしたら、それは母狐の冷淡さがどうこうっていうか単純に世の中が冷淡だからだと思う。 「誰にでも元気よく挨拶しましょう」じゃな...
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