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<JIN>視聴率20.3% 秋ドラマ初の大台超え(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091109-00000001-maiall-ent
8日放送された大沢たかおさん主演のドラマ「JIN 仁」(TBS系)第5話の平均視聴率が
20.3%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)と、今秋放送開始された連続ドラマでは初めて20%を超えた。
「JIN 仁」は、大学病院の脳外科医だった南方仁が、幕末の江戸にタイムスリップし、
満足な医療器具や薬もない状態で人々の命を救う中、坂本龍馬や勝海舟ら志士たちと知り合い、
2009-08-04 / Economics
城繁幸氏のブログに、台湾のメディアに日本の年功序列が理解できなかったという話が出ている。年功序列は儒教の「長幼の序」の影響だと思っている人が多いが、違うのだ。儒教の本場である中国にも台湾にも、年功序列はない。中国の科挙は、基本的に試験だけで昇進を決めるので、10年以上受験勉強して中年になってから合格する人も多かったから、年齢で人事を決めることは不可能だった。韓国には日本以上にきびしい年功序列があるらしいが、日本のように入社の年次ではなく年齢による序列だという。
では日本の年功序列は、どこから生まれたのだろうか。笠谷和比古氏によれば、徳川幕府にも年功序列はなかったという。武家の序列の基準は石高だったが、幕末には財政が苦しくなり、管理能力の高い下級武士が昇進するようになった。たとえば勘定奉行として日米修好条約を結んだ川路聖謨の家は「御家人株」を買って武士になった町人だった。勝海舟の家も、無役の最下級武士だった。このような能力主義を可能にしたのは、徳川吉宗のつくった足高制度だった。本来の石高とは別に足高として加算され、形式上の序列(石高)とは別に、実質的な能力主義による俸給制度になっていた。つまり年功序列は、家柄とは別の経験や功績による序列だったのである。
ところが明治時代に官僚制度ができたとき、高等官/判任官の身分制度や15段階の俸給制度ができ、昇給は年次によるものと(非公式に)定められた。これが戦後も実質的に継承され、Ⅰ種(戦前の高等官)は6級に編入され、「キャリア」と呼ばれる。民間では、長期雇用の定着と年功賃金は、ほぼ並行して広まったと考えられる。特に戦後、労使紛争が激化した1950年代に、安定した賃金を求める労働側の要求に対して定期昇給制度を採用したことが年功賃金につながったとする説が多い。
つまり年功序列は日本の伝統でも儒教の影響でもなく、官僚制度によって原型がつくられ、戦後の労使紛争の中で両者の妥協として大企業で成立した雇用慣行なのである。これは結果としては若い労働者に「強制貯蓄」させることによって、その忠誠心を高めてモラルハザードを防ぐ役割を果たした。しかし老人に生産性以上の賃金を払い続けることができるのは、企業が成長し、若者が増え続けるときだけである。賃金原資が減り始めると、ノンワーキング・リッチに「配当」を払うことはできなくなる。
これは年金や財政の破綻と同じ構造である。日本の企業組織も財政も、戦後の高度成長を前提にしてつくられ、それに適応して相互補完的なシステムができ上がっているのだ。その結果、老人と若者の利害の対立する問題では、つねに組織内の権力を握っている老人の既得権を守る決定が下される。この構造の前提となっている成長が止まった今は、官民ともにシステムを見直さなければならないのに、問題を先送りしてきたのが「失われた20年」の根本的な原因である。
都会の進学校出身だが、俺も中学まではだいたい下の引用部みたいな感じでした。
■歴史の授業
「正直江戸時代までの日本史なんて、中学まででも概要はやってるし、全員が勉強すべきものでもない」
「だから全員が勉強すべきは幕末以降なので、そこから昭和までだけを1年間やる」
「日本史と同様の理由で、中世ヨーロッパから、第一次世界大戦あたりまでだけやる」
「第一次世界大戦以降は日本史ともかぶるから3年で選択した奴だけが勉強すればいい」
途中で文系理系に分かれてしまうので、日本史/世界史は1年間、
つまり全カリキュラムの半分しか学べない奴が居ることを踏まえての方針でした。
そんなわけで一番面白いところを勉強できなかった皆はかわいそうだなと思いつつ
俺はラッキーだったと思うのでありました。今でも。
私が田舎の出身で 田舎の中学でほどほどの高校だったからなのか?とも思わないでもないが、
むしろ江戸に入ったくらいからはほとんどやってないような記憶だ。
これは私だけなのか?少数派なのかな。
というのも、大人になってから突然、幕末にはまった。
きっかけは竜馬がゆく。 あまりにも面白い彼の生きざまに心を奪われた。
そのあと 逆の立場である新撰組について読み、手を組むことになる長州の人たちのものを読んだりしている。
そしてその辺を埋めていくと今度は日本の近代史が気になってくるわけだ。
どうしてあんな戦争をすることになったのか、について。
あんなにがんばって明治維新が起きて、どういう経緯で戦争になって、そもそもほんとに勝てると思っていたのかとか、戦後のあまりの変わりっぷりとか。いろいろについて。
で、気になってきたらふと気がついたわけだ。歴史の教科書にはどうやって載ってるんだっけ?と。
残念ながら卒業してもう●年もたつので自分の教科書などあるわけもなく。
なんとなくうすらぼんやりと「教科書にはどう書いてあって、で、他の本だとどう書いてあるんだろうなぁ」と気になってしょうがない。
そういえば、学生時代から歴史の教科書は文庫本の気分でひまつぶしに読んだりしてたなぁ。
あーっ。読みたい。歴史の本。
1990年くらいの「朝生」で学校教育について話し合ったとき、戸塚宏氏が
その伝で自分なりに考えたが、学校教育を教える側の視点で生徒達に、
・親や大人や社会の言うことをきくこと!を軸にする教育なのか、
・親兄弟だろうが社会だろうが、出し抜いてとにかく生き延びろ!を軸にする教育なのか
で立場が変わると思う。
私塾は黒船・外圧という回答のない未曾有の国難にどう立ち向かうべきだ?を議論する場であった。
今の学校教育を従来並の「体制順応者」を育成することなのか、地球上のどこに行っても生きることの出来る人間を育てるのか、どっちだ?と聞けば、そりゃ文部科学省は前者を言うに決まっている。
云々。
ケインズ学派から「構造改革」派が議論を横取り? 不況政局に利用
それが政府紙幣発行をめぐる賛否両論、とくに自民党内に議員研究会が設立されると、こんどは旧小泉スクールにも飛び火し、竹中ブレーンの一人と言われた高橋洋一(東洋大学教授)が、突如、政府紙幣発行の旗振り役を演じだした。
もともと丹羽理論を応用するかのようにノーベル経済学賞の二人が新政府発行論を揚言した。スティグリッツとクルーグマンだ。とくに後者は政局の変動にカメレオンのごとく説を曲げる、変える、豹変する。ところがクルーグマン信者が日本のエコノミストに多いから始末に負えないのだ。
日銀の08年末の資金供給量は101兆2610億円。3年ぶりに100兆円の大台を超えている。これは金融機関などの資金繰りを支える目的で、とくに年末資金を供給した。量的緩和政策である。
具体的には金融機関の日銀当座預金の残高と、紙幣や貨幣の残高の合計が通貨供給量。 日銀は2008年11月から当座預金の一部に0.1%の金利を付けている。当座預金に金利がつくというのは異常事態である。(或る意味で、この措置は政府紙幣発行が別のかたちの国債発行であるとすれば、同様な効果がある)
そもそもの政府紙幣発行とは、太政官札による幕末維新の藩札の統一が近代日本では嚆矢であり、江戸の金銀小判の流通がやんで、紙幣経済が日本に落ち着いた。日銀はまだ無かった。
丹羽説は総需要喚起、あまっている生産体制を稼働させ、実効需要を増やせとするケインズ理論の延長にあり、純粋に学問的仮説なのである。
ところが、これまで顧みられなかったこの議論、クルーグマンのインフレ目標値などの珍説とともに米国内の議論をみて、あわてて飛びついてきた経済学者、エコノミスト、ジャーナリストらの大合唱が巻き起こり、状況が激変したのだ。
政府紙幣発行議論は自民党内で白熱し、細田博之幹事長は記者会見で「そんなことができるなら毎年30兆円ずつ発行し、(国・地方の)800兆円の借金を全額返したらどうか。空理空論で意味がない」と否定的態度を表す(2月2日)。
一方、前向きなのは菅義偉・選挙対策副委員長ら。「これだけの危機の中、政治主導でいろんなことがあってもいい」と含みを持たせた。
こうした政府紙幣発行議論に対して日銀の白川方明総裁は否定的。
「通貨に対する信認が害される恐れがある」と強調したうえ、「政府の債務返済能力への疑念から「長期金利の上昇を招く」とむしろ副作用の危険性を指摘した。
▲日銀は当惑どころか明らかに反対
白川総裁は政府紙幣が市中で流通した後、日銀に戻ってきた紙幣を(1)政府が回収する場合、(2)そのまま日銀が引き受ける場合があり、それぞれ問題があるとした。
現在、10円、50円、100円、500円などの硬貨はまぎれもなく「政府紙幣」であり、日銀に還流してきた硬貨の一部は政府が日銀から回収している。
政府が日銀に回収分と同額の財源を渡しているが、政府紙幣も同じ仕組みになると、「(発行額に見合った)資金調達が必要になるという意味で国債の発行と実体的に変わらない」(白川総裁)
財務省の杉本和行次官は「政府紙幣は財政規律との関係から慎重な検討が必要。発行には法改正もいる」と官僚らしく面倒臭そう。また財政法に抵触する可能性があり、貨幣法の改正が必要だろうと手続きが輻輳する可能性にも言及した。
私見を述べれば、アカデミックな議論が、突如、政局に利用されている感じが否めない。もともと丹羽春樹教授の「政府貨幣発行による打ち出の小槌」は、学説であり、政治のレベルに降りるときは必ずしも学説通りに実行されない。与野党の妥協の結果、かえって中途半端な実行がなされると(まさに高橋洋一説は丹羽説の歪曲)、景気回復に繋がらない可能性も出る。
丹羽春喜教授の仮説は、そのまま実施される可能性がないゆえに、かえって危ない。
ちょうどドル円固定相場の復活論に似ている。つまり固定相場制というのは、理論的に正しく、しかし運用されると猛烈な投機がおこる。人民元相場がまさしく、その犠牲であり、固定の枠内で投機筋は通貨を商品と変える“商機”をそこに見いだすからである。
単に幕末維新の歴史の知識だけなら、百科事典講釈師のような物知りも沢山いるが、この対談は人物評が現代的で、政治家として官僚としての力量を問う通信簿的な作業でもあり、ことごとくがリアリスティックなのである。
しかも幕末維新を、本筋を外さないで不思議な逸話で溢れさせ、しかし歴史観の骨髄をしっかり守っている。
経済の視野から薩長と会津を比較してみると、京都守護職を越前の松平春嶽から押しつけられた会津の松平容保は、財政的艱難辛苦に耐えなければならず、藩士1000名の京と駐留経費の捻出は並大抵ではなかった。京都は島原の遊郭で遊ぶカネがなく、だから会津武士は京都人から嫌われ、薩長はすかれた。
なぜか。長州は竹島経由で、薩摩は沖縄を梃子に「密輸」をやっていて資金が潤沢、最新鋭の軍艦も鉄砲も買えた。中村彰彦によれば加賀前田藩も日本海の北と密貿易を展開した銭屋五兵衛を黙認した形跡があるという。
密輸で設けた諸藩の志士らは、経費をちょろまかして島原で遊興もできた。
本書で両人からコテンパンな酷評を受ける一つは御三家のなかでもイデオロギーの強い水戸藩、天下の副将軍と勝手に僭称した水戸光圀は、伝説では「名君」だが、じつはとんでもない御仁だった。
水戸学が、やがて水戸藩を分裂させ、悲惨な内訌が天狗党の悲劇を生んだが、じつはその後も明治三年まで復讐劇が続き、難を逃れて群馬や栃木あたりに逃げ、その末裔が現在もいるという後日談も、なんだか、西南戦争に負けた西郷軍のうちの1500名ほどが台湾へ逃れ、現地民に同化したという歴史の裏面の話に通じる。
本書は、薩摩が長州と歴史意識も政治構造も科学・天文学への心構え、軍事思想など似ているようで全く異なることを、これまた目から鱗のように別の視点からえぐり出している。
たとえば坂本龍馬が斡旋した薩長同盟の基軸の発想は公武合体の実現だった。
山内教授は「オーストリア・ハンガリー二重帝国」の例があるように、天皇を頂き、徳川と薩長が二分するアイディアの存在を告げる。
イギリスのオールコックなどの歴史観や世界の情勢から、倒幕に踏み切っていくプロセスで西郷、大久保は坂本が邪魔になったという闇の部分にも光を当てる。これは中村がまだ直木賞受賞前にかいた『龍馬伝説を追う』(世界文化社)にも詳しい。
また榎本武陽の「蝦夷共和国」構想も、じつはハプスブルグ家の「オーストリア・ハンガリー二重帝国」が発想にあった、と示唆する。
脱線ながら、評者(宮崎)が鹿児島は指宿の「伝承館」でみたパリ万博の記録展示の或る部分に驚いた。パリ万博は薩摩と徳川幕府が出展した。薩摩焼など、パリジャンの度肝を抜いた。ともにそれぞれの勲章をつくった。
薩摩は「薩摩・琉球国」として勲章をだした。つまり独立国として、国際社会にアピールしていたわけである。
もう一人、こっぴどく批判されているのは福沢諭吉だ。
福沢が欧米派遣のおりに経費を誤魔化して図書を買いあげたが、それは小学生程度の英語の本が多く、小栗上野介は「あの男の選択眼は節穴、語学能力はその程度だ」と評した逸話は有名だろう。
福沢は本来なら切腹ものだが、ばれて詮議にかかろうとしたとき徳川幕府が瓦解した。
他方では講釈やら近年の小説の裁き方や世評はともかくも、食えなくなった旧幕臣らの面倒をよくみた勝海舟と榎本武陽への評価が高い。
さて表題も示唆する「黒船来航以後」の話であるが、アメリカとロシアが日本にとって最初の接触だったのは、幕末の混乱期における日本にとって僥倖であり、もし英仏のような『ならず者国家』が日本に先に乗り込んできたらどうなっていたか。
シナにしかけたアヘン戦争のような略奪と、国内分裂は防げなかったのではないか。幕府はフランスに薩摩は英国に頼ったが、本気で内戦にのめり込んでいったら、日本は良いように利用されたあげくに英仏の植民地化されていた恐れがあった。
しかし幕末に徳川幕府をさしおいて薩長が最新鋭の武器を大量に買えたのも、その先見性や薩英戦争、馬関戦争敗北の体験から軍事知識と実践があり、おりしも南北戦争が終わって大量の武器をもてあましたアメリカから大量に買い付ける。
市場開拓を狙うドイツ人の武器商人だったスネル兄弟は河井継之助の長岡藩にガットリング銃を売りつけたが、会津に強力にテコ入れし、最後は榎本軍に従って函館戦争をともに戦った。
ドイツはむろん、英仏米露の隙間を狙って日本での武器外交が主眼だった。
しかし幕府敗戦により、スネルは代金を回収できず、兄はやがて会津武士団の食い詰め組を率いてカリフォルニアに移住したり、弟は御維新後、浅草で落語を聞いていたとか。脱線する逸話もまた本質に付随した、人間の描写なのである。
それにしても幕末維新を縦横に語る中村彰彦は歴史作家だから回天の内幕に詳しいのは当然にしても、なぜイスラム中世の専門家である山内昌之が、ときに中村を唸らせるほど幕末日本に精通しているのだろう。
もう一つ不思議に思ってきたことがある。山内昌之教授は、『世界』と『諸君』の両方に論文を書く器用な論客でもあり、保守なのか旧左翼なのか、いまもよく分からないところがある。
山内がいみじくも「後書き」に書いている。
国際会議で、オスマントルコ帝国の解体過程やイスラム政治の歴史と、日本の近世・近代との比較をよく問われる。国際的要請でもある。まして日本史を知らずして世界史を語れる筈があろうか、と。
最後節あたりの日露戦争から大東亜戦争に至る山内の歴史講釈には、ちょっと首肯できない史観部分があるが、山内教授の主観だから、その部分は聞かないことにする。
小学生の頃、作文の通信添削をやっていた。すごくすごく楽しかった。添削なんていったって、好きなことを好きなように好きなだけ書いているだけで良かった。書くことが見つからない人のために、題材の例をまとめた本もあったけど、すぐに使わなくなった、書きたいことがありすぎて。
冒険小説を書いた。
自分と仲のいい友達が、自分達の住む町を探検するやつ。ネタを探しに町をさまよったり、図書館に通ったりして、町のことを調べた。商店街のお店の地図を書いた。裏道はもらさずチェックした。いくらでも話がふくらんで、書きたいことが尽きなかった。自分で書きながら、次どうなるんだろうってわくわくしてた。
浪人が竜と戦ったり、浪人なのに召抱えの殿様がいたり、からくりロボットを操縦したりする激動の幕末を描く物語。とにかく自分の好きなもの、好きな映画、好きな物語の要素を詰め込んでいったらそうなった。
どれも話が膨らみすぎて処理しきれなくなって、結局未完のままだけど、妄想にどっぷり浸って、布団に入ってからもあれこれストーリーを思い描いては、わくわくして眠れなくなってた。次の日は朝早くに目を覚まして続きを書いたりしたのはすごく楽しかった。この時間を終わらせたくなかった。たまにうっかり原稿用紙がなくなりそうになると不安になって、字を小さくしたり、撥音や句読点を前のマスに押し込んだりして節約してた。
詩も書いた。
詩の体裁をとっていても、今思えば、あれは目の前にあるものを見たまんまに記録しただけのものだったのに、光景が目浮かぶようだって言われた。言葉で絵を描くことができるんだって、そのとき子供心にすごく衝撃だったのを覚えてる。
何を書いても、必ず添削の先生は面白いねって興味を示してくれた。続きを期待してくれた。一緒に次の展開を想像してくれた、冒険のヒントを与えてくれた。期待されるともっともっと書きたくなった。伝えたいことがたくさんあった。思いに任せて本当に自由に書かせてもらってたから、作文は好きだった。学校の読書感想文は少し窮屈だったけど、それも書き始めるまでのことで、いったん鉛筆を握ったらわりとすらすらと筆が自然に進むような感覚だった。
大人になるにつれて、思いに任せて自分の考えを表現しているばかりだと、発言がどうしても論理的でなくなってしまうのが仕事に差し支えるようになった。それで、できるだけ先に頭の中で考えを組み立てて、骨組みを完成させてから言葉にするように練習してるところなんだけど、そうした練習を続けているうちに、何か別の感覚を失いつつあるような気がしてた。なんだか、昔のように筆が走るのに任せて、考えるより先に繰り出される言葉を追いかけていくうちに、自分の気持ち、自分の答えに導いてくれるような、そういう感覚を長いこと味わっていないことに気が付いた。タイピングのせいなのかなあ、手書きの頃は、肩肘張らずに自然なスピードで筆が進んでいたような気がする。程よいペースでスムーズに言葉が溢れてきていたし、リアルタイムで表現しつつある言葉の繋がりに、頭がちゃんと付いていけてた気がする。そのまま段々ノッてくると、今度は思考が追い越して、ペンの進みにもどかしさを覚えたりもしたものだけれど、そういうときに感じてたドキドキもなんだか薄くなっているようだ。タイピングするようになってから、打ち出される言葉は加速するばかりで、脳が必死で追いかけている感覚。たまにブレーキをかけたりすらする。自分の気持ちは置き去りにして、正しいか正しくないか、良いか悪いかだけを判断するマシーンと化しているようだ。麻痺してきているのかな。
今日は何だってこんな時間に目が覚めちゃったんだろう。年末、少しだけ余白の時間ができて、気持ちがゆったりしたせいで、不意に昔のことを思い出した。この機会に、ほんのちょっとスピードを落として、ときどき自分の気持ちのままに綴ってみようかな。これから何が起きるんだろうってわくわくしたり、わけも無く泣きたいような切ない気持ちをまた味わえるかな。
via : http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数の歴史オタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない歴史の世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、日本の歴史を紹介するために
見せるべき10人を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女に「明治天皇紀」を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う近代以前の歴史は避けたい。
あと、いくら歴史的に基礎といっても基礎的すぎるものは避けたい。
歴史好きが国会図書館憲政資料室の文書群は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「明治以前」を濃縮しきっていて、「明治以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。天皇だし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この伝説過多な人物について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の立憲君主的成長を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうな薩長のリーダー(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「歴史オタとしては維新以後の木戸の存在が“空気”にされていると思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種の歴史法律オタが持ってる西洋法への憧憬と、ボアソナード監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも井上毅な
「天皇による国家統治権の正当性」を歴史性によって担保するという憲法義解
の二つをはじめとして、オタ好きのする法を歴史にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「千円札の人」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この人物がその後暗殺されたこと、それが韓国では大人気になったこと、
韓国で暗殺犯が実写テレビドラマになったけれど、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でそういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱり戦時経済は国家総動員法だよね」という話になったときに、そこで選ぶのは近衛文麿
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この人物にかける東条英機の思いが好きだから。
断腸の思いで満州に渡って人脈築いた、っていう経歴が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「統制経済」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
産業合理化運動を俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
小林一三や石橋湛山だったらきっちり自由経済にしてしまうだろうとも思う。
なのに、軍需次官に降格人事を自分でかけながらも無任所大臣に就任してしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ岸がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。戦後首相になった際の評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層で『国家衛生原理』を読んだことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
蒋介石よりも前の段階で、台湾の統治とか統制とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの人物が東京市長で大正時代にいたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなく歴史好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる改軌論争でしか後藤を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
原の「政党政治」あるいは「護憲運動」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「選挙対策としての地元への利益誘導」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ田中角栄『日本列島改造論』はストロー効果以外ではあり得なかったとも思う。
「箱物行政」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源は原敬にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう統制派風味の軍人をこういうかたちで総理大臣にして、それが連合国に受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9人まではあっさり決まったんだけど10人目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に昭和天皇を選んだ。
明治天皇から始まって昭和天皇で終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、人間宣言以降の象徴天皇制の先駆けと
なった人物でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい人物がいそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10人目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
山縣・桂・西園寺あたりも入れたかったが、無理だった。
というか、ネタとして何番煎じなんだろう
なんだ、幕末時代の切った貼ったの時代の思想を今の自民党が引き継いでるとかトンデモぶちかましてたのはお前だったのか。
政党と無関係に、政治性とも無関係に、ピザ屋も含めてあらゆるビラを全部公平に逮捕するなら、まあ公平は公平だと思うよ?ww
ほんと、本題から逃げ回ってばかりだよな。こういうのしか味方に現れない共産党にはいささか同情するよ。
まあ、住民が通報すれば警察沙汰にはなるだろうな。しかし現実的に共産党や過激派崩れ以外はなかなかそういう事態にまで発展せんだろうよ。そもそもなぜ共産党ばかり逮捕されてるように見えると思う?そんだけ通報される割合が多いって事だよ。大概のビラ撒きはその場で注意したらさっさと引き下がるからその場で終息するんだが、共産党の場合はそれを無視したり、あまつさえ住民と口論になったりするようなのが多いから通報されるわけ。警察沙汰に発展した事例を調べてみ?殆どがビラ撒き禁止の張り紙を無視した常習者だったり、住民と諍い起こしたりしてるから。それに、似たような事やらかしてるエロチラシ配りや右翼崩れみたいなのも希に逮捕されてる。
この手の事案は、別に警察がマンションやアパートで待ち伏せしていて、ビラ撒きが一歩入った瞬間を取り押さえた、なんて物々しいものでも何でもない。住民や管理人が出て行けと言ったのに出て行かない、何度も何度も立ち入ろうとする、それに耐えかねて警察に通報、警官現着、なんだアカか、はいはい詳しくは署で聞きましょうねーという流れ。そしてとっつかまった奴はお定まりの黙秘。調書作成に素直に応じれば厳重注意程度ですぐに方面される可能性すらあるのに、わざわざ黙秘して拘留期間めいっぱいまで居座り続け、娑婆のお仲間は「ただの不法侵入なのに、異例の○○日間もの長期拘留による弾圧!」とかぶち上げて士気を高める、と。そして訴訟費用とかビラ作成とか名目つけてカンパをせびったり。拘留期限が切れて釈放されたら、そいつは「弾圧に耐えた同志」としてハクが付いたりするわけだ。事情を知らないアムネスティあたりから「良心の囚人」とか認定されたりしてな(笑)。
意志と表象としての世界 ショーペンハウアーは、世界はわたしの表象であるという。このことは、いかなる客観であっても主観による制約を受けていることを示している。
【懐疑論の歴史】
『あらゆる言明、判断、認識は主観的で相対的なものであり、「真なるもの」の認識は不可能。』(アカデミア学派)
アカデミア学派はストア派の「絶対知」に反対し、人間の認識の限界の強調を行った。— あ (@phirosophia) 2016年3月7日
コミュニケーションにおける最大の問題は、それが達成されたという幻想である。
The greatest problem in communication is the illusion that it has been accomplished.
George Bernard Shaw
伊藤博文も塙次郎を暗殺したり、長井雅楽暗殺を画策したり、英国公使館を焼き討ちしたりと、安重根なんか足元にも及ばないテロリっぷりだったね https://t.co/N5rHoGk4Ik 「暗殺者を尊敬すべき人物とは、、厳重抗議を期待。」まずは日本政府に厳重抗議だ!(・∀・ )— PAN太 (@panta_rhei2004) 2013, 7月 1
文久2(1862)年に山尾庸三と伊藤博文が塙保己一の息子を暗殺したということが、大正時代に新聞報道された。その新聞名を知りたい。 | レファレンス協同データベース
英雄か悪党か‥コロンブス、ヴァスコ・ダ・ガマ、マゼラン(前編)
「そういうわけで、彼らはインディアンたちの手を切り落として、それが皮一枚でぶらぶらしているままにするでしょう、そして、『ほら行け、そして酋長に報告して来い』と言って送り返すのです。 彼らは刀の切れ味と男ぶりを試すため、捕虜のインディアンの首を斬り落とし、または胴体を真っ二つに切断し、賭けの場としました。彼らは、捕えた酋長を火炙りにしたり、絞首刑にしました。」
500年前にスペイン人がインディアスで行った悪行の数々・・・
米シアトル市、コロンブスデーの祝日を「先住民の日」に変更 | 世界のこぼれ話 | Reuters
コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。
NHK世界遺産 | 世界遺産ライブラリー [ランス・オ・メドウ国立歴史地区]
〈十字軍の遠征〉ではなく〈フランクの侵略〉: ボロだけどボロボロじゃない。
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1964年にNHKで製作された大河ドラマ『赤穂浪士』は当時の大映の看板俳優・長谷川一夫を大石内蔵助役にして、
Twitter / panta_rhei2004 伊藤博文も塙次郎を暗殺したり、長井雅楽暗殺を画策したり、英国公使館を焼き討ちしたりと、安重根なんか足元にも及ばないテロリっぷりだったね
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文久2(1862)年に山尾庸三と伊藤博文が塙保己一の息子を暗殺したということが、大正時代に新聞報道された。その新聞名を知りたい。| レファレンス協同データベース
品川御殿山の英国公使館焼き討ちに参加し、山尾庸三とともに塙次郎[注釈 2]・加藤甲次郎を暗殺する
初代・第5代・第7代・第10代の内閣総理大臣
自宅兼和学講談所の前で知人の加藤甲次郎と共に何者かに襲撃され、翌日死去した。
なお、大正10年(1921年)の六十年祭の折に
襲撃者
隊長:高杉晋作
副将:久坂玄瑞
伊藤博文と山尾庸三が塙忠宝を斬殺したこと | tomotake kinoshita
Amazon.co.jp: 伊藤博文はなぜ殺されたか―暗殺者安重根から日本人へ (三一新書): 鹿嶋 海馬: 本
google:安重根 テロリスト 暗殺者http://www.google.com/search?q=%b0%c2%bd%c5%ba%ac%a1%a1%a5%c6%a5%ed%a5%ea%a5%b9%a5%c8%a1%a1%b0%c5%bb%a6%bc%d4&ie=euc-jp
google:安重根 英雄 義士http://www.google.com/search?q=%b0%c2%bd%c5%ba%ac%a1%a1%b1%d1%cd%ba%a1%a1%b5%c1%bb%ce&ie=euc-jp
安重根義士記念館http://homepage2.nifty.com/hashim/seoul/seoul017.htm
安重根200ウォン普通切手http://www.kyokyo-u.ac.jp/koukou/kyoka/shakai/kankokushi/antoitoh/anntoitoh.htm
韓国海軍の潜水艦「安重根艦」が進水http://www.chosunonline.com/article/20080605000018
BoAら安重根義士記念事業会に5000万ウォン寄付http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1094718568/
[ロバ売りの親子][粉屋と息子とロバ]粉挽きとその息子と驢馬
[アローの不可能性定理][民主主義][じゃんけん][trade-off]
十銭をもって一円の十分の一。十銭をもって一銭の十倍。夏目漱石
「『空気より重い空飛ぶ機械』は不可能だ。」ロード・ケビン、英国学士院総裁
「ギターバンドはもう流行らない」と言われて、大手レコード会社デッカのオーディションに落ちたビートルズ
「君にそんなことができるはずはないよ」とあなたに言ったのは誰ですか?その人は、あなたの限界を定める資格を持つほど、大きな成功を収めたというのでしょうか?ナポレオン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%9E%9A%E8%88%8C%E5%A4%96%E4%BA%A4
イスラエルの政治家。1977年から1983年までイスラエルの首相を務めた。
エルサレムのキング・ダビデ・ホテル(当時パレスチナを統治していたイギリス軍の司令部が所在)の爆破を行った。
一般市民を含む91人が死亡したもので「テロリズム」を国際的に認識させる結果となった。
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2087827/742814
大統領(第11代)
1961年11月、ウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という軍事組織を作り最初の司令官になる。
それらの活動などで1962年8月に逮捕される。1964年に国家反逆罪終身刑となりロベン島に収監される
「監視カメラ」と「防犯カメラ」とは、全く同じものを指している。どちらの語を使用するかは、本人のイデオロギーによって決めることである。
くまもとのへろ:監視カメラと防犯カメラ - livedoor Blog(ブログ)
朝日、毎日は「監視カメラ」で、まぁ予想通り。
パレスチナの地をユダヤ、アラブの2国家に分割する国連総会決議を
マナーは国や民族、文化、時代、宗教のさまざまな習慣によって、形式が異なる。
ある国では美徳とされている事が、他の国では不快に思われることもある。
例えば日本ではげっぷをすれば不快に思われるが、アラブ諸国では食後にげっぷをするのが礼儀とされている、など。
他には日本では食事の際に飯椀を食卓に置いたままで食べるのは「犬食い」と呼ばれ批判されるが、
痛いニュース(ノ∀`):毎日新聞記者「韓国の電車内は携帯電話自由でとてもにぎやか。日本でも思う存分通話してもいいのでは」
常識とは18歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう
知人・知り合いから友人・友達になる基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達から親友・心友になる基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達・親友・心友と仲違いする基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達・親友・心友と絶交する基準・標準・条件?「すべては主観である。」
友人・友達か知人・知り合いか
親しいか親しくないか
親切か不親切か
常識か非常識か
大陸到達か新大陸発見か アメリカ大陸の発見 - Wikipedia コロンブスが北米に上陸する以前の年代にバイキングが持ち込んだとされる鉄釘をイングスタッド夫妻が発見し、これによりコロンブスの「新大陸発見(西洋人視点)」説は覆った。 ランス・オー・メドー国立歴史公園
侵略か入植か 入植でなく侵略ーオーストラリア:情報浴ーブロードバンド:So-netブログ
同じか違うか
区別か差別か
良いか悪いか
美しいか醜いか
偉いか偉くないか
凄いか凄くないか
長いか短いか
大きいか小さいか
重いか軽いか
高いか安いか
高いか低いか
多いか少ないか
伝統か因習か
尊いモノか鰯の頭か
朝起きたら自分にこう言い聞かせる。
おせっかい、恩知らず、威張りやさん、裏切り者、やきもち焼き、社会性のないやつ、
こういう連中を避けて通ることはできない。
この連中の性質は、ひとえに善と悪について理解していないことによる。
「すべては主観である。」犬儒学派のモニモスが言ったことばだが、このことばの意味は明白だ。
そしてこのことばを真実である限り受け入れるならば、その効用も明白である。
人生は一瞬にすぎず、
人の本質は流転し、
その感覚は鈍く、
その肉体は腐敗しやすく、
その魂はとらえきれず、
その運命ははかりがたく、
その名声は不確実である。
一言で言えば、肉体に関するすべては流れであり、魂に関するすべては夢であり煙である。
はかない。
人の一生は戦いであり、旅のやどりであり、死後の名声は忘却される。
であれば、ぼくたちを導くことができるものは何か。
完全に我々の力の範囲内にあるものは我々の思想しかない。デカルト
人間は一生、他人の心などわかるはずもない。MASTERキートン
本当の幸せは内側からもたらされる。 誰もあなたを幸せにすることは