こんな時期でもあるし母も病気やってしまって長くなさそうだからここにでも記録しておこうかな
増田はまだ30代だけど両親が戦時中産まれの超高齢出産で母は満州で産まれた。
小学校とかで「お祖父ちゃんお祖母ちゃんから戦争のこと聞いてきて発表してね」なんてあるけど増田だけ両親から聞いた話を発表して戦争って以外と身近なんだよって理解してた記憶がある。
戸籍を確認するとほんとに母は満州産まれだし母の父親の記載がない。そういう時代なのだ。
満州では素晴らしい生活が待っているよ、と地域ごとに募集された開拓民として満州に行った二世ということだ。
増田の母の母は現地で別のところから来た男性と恋に落ち、結婚はしていなかったけど子どもを身ごもり終戦の数か月前に出産した。だから父親の記載がなかった。
敦化県に母の家族は住んでいたみたいで戸籍に記載のないの父は日満パルプへ材木を運び入れる労働者だったらしい。
一番有名な敦化事件に巻き込まれたとは思わないが、父はソビエト軍によって捕まりその後シベリア抑留され日本には帰ってこなかった。
防衛省のロシアから提供された満州死亡者名簿を確認しても名前はないのだが骨は日本に帰ってきているらしい。
何せ結婚していなかったので繋がりがなく、お祖父ちゃんが開拓民として満州に行く前に住んでいた地域で同性の人に聞き取りしたのだが「骨となって帰ってきてる人はいる」ぐらいの薄い情報しか得られなかった。
男の大人は既にいなかったみたいで当時中学生ぐらいだった増田の母から見ておじさんに当たる人が食料を確保したりして日本へ向けて朝鮮半島南端を目指したらしい。
その食糧確保も日本軍の食糧庫に盗みに入ったりすることで食いつないでいたり、祖母も坊主にして男装したりしてレイプ対策をしていたが、それでも中国兵にレイプされかけたときは赤ちゃんの母を抓って泣き声上げさせて撤退させたり想像を絶する苦難だったそうだ。
そんな母も天寿を全うしようとしてる。所詮母も赤ちゃんだったので周りから聞いた話でしかないのだがそれでも解像度は高く直接経験した人の言葉はしっかりと伝わった。
78歳はまだまだ若い。長生きしてほしいし母には幸せを感じたまま旅立ってほしい。そのためにはまず増田が幸せな姿を母に見せることが大事だろうな、って思う
美味しいからやで🥰
感性の矯正なんていう心の根幹部分に手を入れようとするから苦しくなる
生きづらさを分かち合う創作をやってる奴も行動の矯正でひとまず期限までになにかしらを提出できる能力を身につけて作品を発表してる
滝は共学で青春出来るだろうがまぁ田舎だし、東海は旭丘が私服でキャッキャッしているのを大曽根千種駅や千種の河合塾で横目に見ることになるぞ(彼らは彼らで青春してるだろうが)。
リモートワークで同じようなことして同じような環境にいると知識が固定化して飽和してしまう
昔は自分は知らなかったのにこんなの業界じゃ当たり前だよみたいな概念に遭遇してかなり焦ったりしてたし、それがもっとやらなきゃというモチベーションになってた気がする
今や技術も環境もめまぐるしく変化していてそういうのってあるはずなんだけど、認識できないのよね
せめて「焦ることが出来る」場所が欲しい
Twitterなのかなとは思うけど、TwitterはSNS疲れから5年ほどまともに見れない。3日に一回育児垢をみるくらい