はてなキーワード: 古田新太とは
今回はせりふが聞き辛かったな。
途中から耳が慣れて聞こえるようになったけれど
野田さんや橋爪さんが聞きづらいなんて事なかったのに。
で、肝心の舞台ですが 重いです。
なので ちょっとまじめに書こうと思う。
昨日からずっと考えてた事。
好き勝手に書くのでご容赦を。
なぜ それをわざわざ触るのか?
といいたくなる題材。
きっと何か意味があるはず。
なんとはなしに感じてた事だけど
十把一絡げ に書いて申し訳ないけど
今の若めの世代の人たちって ちょっと 危ういなって思う事がある。
興味ないことへの興味のなさ度があからさま。
逆に興味があることへの 距離感が近すぎっぽい。
頭でっかち感。
現代の閉塞感のせいもあると思うけど。
「解った上で」って事がない人が多くなっている気がして怖い。
「解った上で」やっている人とそうでない人。
「カチッ」と ハマってしまって
あるんじゃないのかなって ちょっと思ったりする。
で、舞台の話。
なぜ今 この題材なのか。
野田さんもそういった今の危うさを感じていているからなんじゃないかなって思う。
幼子だった子も含めれば
そしてその子達の大多数は
どうして 暴走していく事になったのか。
目の前にぶら下げられる都合のよい作り話を
これらをみて 感じて「考えて」欲しい。
こういうものは 「カチッ」とハマっていい代物ではないんだ。
「忘れるために祈るのよ。でもね、忘れきれないものが残るでしょう。
そのことを忘れないために私は祈るしかない」
でも忘れてはいけない事が残るはず。
その事すら忘れる事がないように私は祈る。
このせりふが それを物語っているのかな。
決して 他人事ではない。
渦中に立った時に あっち側の人間になる可能性が誰にでもある。
私にも。
そして、その可能性の濃度が濃くなっている
今の危うさに気づいて何かを感じて考えて欲しい。
そんな野田さんの祈りにも似た想いなのかもしれない。
いや しかし 重かったなぁ。
いつもは戯曲とか買わないけど
そういえば、観客にエライでかい声で独り言を言ってる人がいました。
ああいう人は始めてだったな~。
信長協奏曲について
信長協奏曲 . . . 15.8__13.5__12.5__14.6__11.6__11.9__10.5__11.8__11.1__11.4__10.7(終)_12.31
2014年のドラマのヒットだと平均15%ぐらいなのでそれほどヒットしたわけではない
基本的に原作の設定を借りただけの別物だったので不評なところが多かった
なんかイケメン集めただけと言われるが
小栗旬 アゴ
向井理 貧相
だし、ジャニーズが一人だけ脇で出てるがメインは古田新太とか高島兄のムサいとこなのでイケメン集めたとかと言われると疑問が残る
映画に関しては公開遅過ぎて事前予想的には爆死であったが意外と入ってしまったという感じである
いまだなんであそこまでヒットしたのか誰にもわかっていない
終わり
わたしの妄想の中には「悪婆48」と言う架空のアイドルグループがある.
悪罵48のやり方はとにかく汚い.金の亡者と言ってもいい.限定グッズを求めるファンの心をくすぐり,同じCDを一人何百枚も買わせようとする.ここでわたしの妄想は高まる.
何故それほどまでにアコギな商売を臆面もなくやるのかといえば,その売り上げ純利益が,悪婆48を出演させてくれるテレビ局への莫大なリベートとして使う原資だからなのだ.
もちろん表向きにはやれない.だから担当プロデューサーへの個人的な闇賄賂とか,果ては枕営業も行うだろう.
そうやって悪婆48はテレビへの露出が増え,それを見た視聴者の中から新たなファンが生まれて悪婆48に貢物をするようになっていく.
しかしプロスポーツや芸能などのノベルティグッズ・ビジネスというのは多かれ少なかれ同じようなものかもしれない.
そこで思い出すのは,スティーブン・キングの小説『ニードフル・シングス』だ.
生きるためには全く必要のない物,ただ人々それぞれが愛する芸能人やらスポーツ選手やら文芸・芸術やらのグッズを扱う店.
だがその店の店主は実は悪魔の化身で,その店からものを買う人は知らぬ間に悪魔の企みに加担して街を滅亡させていく.
そういう小説を読んだ経験があるから悪婆48などという架空のアイドルグループを妄想してしまうのかもしれない.
※この増田はあくまで妄想であり,実在の企業,アイドルグループ,テレビ局,エコシステムとは何の関連もありません.
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そういえば去年の元日に秋元康さんがNHKに出てきた時はほんとにうまいこと言う,面白いことを言う,革命を起こすカリスマだなあこの人と思ったが.しかしその後の「あまちゃん」で,古田新太と当のNHKが彼の存在をコミカライズした時はやられたーと思った.
今朝、都内に向かう電車の中で、茶パツを小汚く伸ばした小デブなおっさんが
一心不乱に携帯を見ていた。
たまににやついたり吹き出したり、突然左手で「よしっ」と拳を握りしめたり
株価でも見ていたのだろうか。
とにかく挙動が忙しい。
それだけなら、まだいいのだけど。
このおっさんは入り口のそばに立っている。
そして電車は混み合っている。
電車が揺れるたびに人と人がぶつかる。
入り口の近くにもたれているおっさんにも誰かがぶつかる。
そのたびに、おっさんはぶつかってきた人を睨むのだ。
これがヤンキーならわかるのだが、一応、スーツを着てるおっさんである。
紫のマフラーにチェックのバッグとか持って、
ちょっと「イケてるおっさん」を狙ってる感じが見え見えなおっさんである。
顔も体も、グレート義太夫と古田新太を足したような感じだったけど。
少し老眼なのか、携帯を少し離さなければ見ることができないのか
手を伸ばして携帯を見ている分だけ、他の人よりスペースを保っている。
そして小デブ。
つり革につかまっていようとも、誰にもぶつからずに電車に立つことは困難な時間。
そこでおっさんはぶつかってきた人を睨みつける。
持っていたカバンをそのおっさんにぶつけてしまった、私のことを睨みつける。
思わず睨み返した。
おっさんはさらに睨んできた。
「醜いなぁ」と思った。
電車でドアの前に座り込み、駅で停車してもどけようともしないバカ高校の高校生の頭を
降りるときにドジを装って持っていたスチールケース(重量10kg)の角にぶつけたことを。
近くに立っていたきれいな女の人にひたすら話しかけ、無視されても話しかけ続ける酔っぱらいの足を
これまた降りるときに気づかないふりをしてピンヒールで踏みつけたことを。
18きっぷで旅をしているとき、隣に座って「一緒に賛美歌を歌いませんか!」と話しかけてきた
「私もキリスト教(の大学を卒業した)だが電車という密室で勧誘という行為をして良いと
主が述べたという話は聞いたことが無い」という、支離滅裂な理屈で追い払ったことを。
あの頃の私は若かった。
だがもう私は若くない。
あの頃の私ならどうしただろうか。
いや、今の私ならどうすべきだろうか。
降りるときにおっさんが着ているコートのフードにゴミを入れて行くか。
降りるときにおっさんの背中にぶつかるふりをして「私は心が狭いデブです」という張り紙をはるか。
やはり王道、降りるときにわざとらしく足を踏みつけるべきか。
おっさんがつけているイヤホンを外して一言「死ねば良いのに」と言うべきか。
「ぶつかりたくないならグリーン券買えばぁ?」と水銀燈の口調で言うべきか。
考えているうちに、おっさんは渋谷で足早に降りていった。
まるで逃げるような速さだと思った。
明日もあの電車におっさんはいるのだろうか。
乗り換えのためには、あの車両が都合がいいのだけど、
またあのジトッとした目で見られるのは嫌だな。