はてなキーワード: はてな界隈とは
事業仕分け自体の評価と科学関係の事業仕分けの評価ぐらいわけようさ。はてなでは科学関係の予算の削減を理由として、民主党の事業仕分けについて厳しい批判がされている。それがどうも行き過ぎ、事業仕分け全体の批判につながっているようだ。事業仕分けについてはマスコミでアンケート調査がなされ、概ね支持されているという結果が出た。それに対してはてな界隈では「信じられない」という反応や陰謀論、「愚民」批判が出ている。増田だと
http://anond.hatelabo.jp/20091116140820
あたりが中心。しかしよくよく考えてもらいたいのだが、事業仕分けの対象は科学関係の事業に止まらない。他の分野では無駄な事業や天下りの温床となっている事業、省庁間で重複している事業なども取り扱っている。世間で概ね評価されているのはそれが理由だ。もちろん批判している人たちはこうしたプラスの点も含めて、批判をしているのかもしれない。しかしはてなの過剰な反応を見ていると、批判している人たちにはこうした他の点を看過しているように見える。もしそうなら総論と各論の区別をつけた方がいい。
はてな界隈では女性性に魅力を感じている男女が多いように感じるけど私は女性性に魅力を感じた事など一度も無い。
封建的なド田舎の家庭に育った私にとって女性性とはいかに笑顔で家に尽くせるか以外の何物でもない。女子力是即ち労働力なのだ。
私の母はずっと私に「女の子はハイニコポンじゃなきゃだめだ」とか「お父さんは立てなきゃだめだ」みたいなことばかり言い続けてきた。
(注:ハイニコポンとは、何かを申し付けられたら「ハイ」=気持ちの良い返事、「ニコ」=笑顔、「ポン」=黙って実行、すること)
よくテレビにはおしゃれや菓子類、アイドル、恋愛体験なんかの話をしてきゃっきゃうふふする母子が出てくるけど、そんな話をしたことは20数年の人生において一度も無かったし、
物心ついた時点で父と母の間には多分恋愛感情なんか無かった。そんなもの労働の現場ではあるだけ邪魔だからだろう。
両親にあるのは家族という組織を維持しようとする規律だけ。母が父を立てろと言うのは慕っているからじゃなくて組織の統制のためだったのだと思う。
こう言ってはなんだけど父と母の関係は頭でっかちで頼りない仕官とそれに仕える鬼軍曹(現場を取り仕切る事実上のリーダー)によく似ていた。
で、女の私は下士官候補生としてずっと忙しない母を傍で見続けてきた。
存在感の無い父を立てて、兄の尻拭いをし、寝たきりの祖父母に献身的な介護をして・・・怖くて仕方なかった。
あと十年すれば自分の番になってしまうのかと思うと怖くて気持ちがどんどん重くなっていった。
少女時代というのがこの修羅場までの猶予期間だと言うならとても楽しむ気にはなれない。そもそも楽しみ方が分からない。
一切の無駄が無い環境で訓練され続けたせいか思春期を迎える頃にはすっかり女の子女の子したものへの興味がマイナスになっていた。
大人になった現在、母の教育を拒んで一人暮らししているけど女性的なものにはどうしても嫌なプレッシャーしか感じない。魅力や良さがさっぱり分からない。
この分ではどこで何をして暮らしても生きづらいままだと思うけど、どうしたらよいものか。
経済学にはとんと疎い素人だけど、最近はてな界隈で盛り上がっているリフレ論争はなかなか面白い。
難しいところはぜんぜん判らないし、いくつか論点があるような気がするけど、要するにお金がどうやったら廻るようなるのか、という話だよね。
リフレ派の人は、日銀が国債を買ったり、インフレターゲットを宣言することで、みんなに将来的にインフレになると予想させればお金が廻るようになると考える。インフレだと現金を持ってても価値が目減りしていくからね。構造改革の必要性を否定するものでは必ずしもないけど、いまはそのタイミングじゃない。リフレ派とされるエコノミストの言葉を借りれば、風邪を引いてるときにわざわざ体力つけるためにトレーニングをするのはイクナイ、みたいな感じだろうか。
他方で、反リフレ派の人によれば、いまの不況は日銀がお金を刷れば解決なんて単純な話ではなくて、日本の産業構造(たとえば解雇規制とか)にそもそもの元凶がある。だから、規制緩和によって企業が余剰労働力を放出しやすくして体力を回復させ、イノベーションの創出を通じて新しい需要を生み出すことが必要だと考える。日銀が通貨供給量を増やしても、どうせ銀行に貯まるだけの話でインフレにはならない。それでも無理に流通させようとすれば、国債が暴落したり、ハイパーインフレを生じさせる可能性がある。
ここからさらに憶測交じりのいい加減な話をしてみたい。
リフレ派的な視点からすると、2000年代前半のシバキアゲ型の景気回復は、輸出産業にはよかったかもしれない。けど、国内はずっとデフレ基調だったわけで、派遣労働者やバイトを増やすことで表面的には失業率を低く抑えていたかもしれないものの、平均所得はどんどん下がっていった。そりゃ、みんなお金使わなくなるよね。
ところが、それでも日本の国内市場の規模は実はかなり大きく、本当ならそれほど輸出に依存する必要はない。だから、とにかく国内市場の需要の回復が必要だという話になる。そのためにはみんなが気持ちよくお金を使うことが必要だから、気持ち的にもハッピーなほうがいい。解雇規制の緩和とか今やれば、雇用も促進されるかもしれないけど、むしろ正社員やそれに依存するパートタイマーの人たちなんかがみんな不安になって需要が一層冷え込んじゃうかも。要は、国民を「甘やかす」ことが大事だという話。バブルアゲイン、プリーズ。てか、バブルなんてはじけてみないとバブルだったかどうかなんてわからね~んだよ、みたいな。
ところがどっこい、反リフレ派からすれば、そんな甘いこと言ってんじゃないよという話になる。労働力の安価な途上国がどんどん伸びている以上、国内のデフレは不可避なのだ。比較優位なんて幻想。だから、生産性が低くて人口が減っていく日本には、国民を甘やかしている余裕はない。みんなで希望を捨てて、突然の解雇にもめげないメンタリティを獲得し、生活水準の低下も耐え忍びつつ、生産性を上げて衰退のペースをゆるやかなものにする以外にない。そのためには、非効率的な富の再分配とか論外だし、地方なんぞ切り捨てて効率のよい東京にみんなで住もうとかいう話にもなる。だから、反リフレ派の人の話を聞いていると、だんだんと暗い気持ちになる。
「国民に甘言ばかり弄するのはポピュリストで、たとえ嫌われても厳しい正論を告げるのが真の知識人」なんていう発想からすれば、反リフレ派の人はなかなかカッコいいような感じもする。
でも、超個人的な話をすれば、1歳のうちの子どもなんて「つねに希望をもって生きていきますように」という発想から名前をつけたわけだが、希望を捨てろとか言われたら、いったいどうすれば…orz
それは措くとしても、「個人の悪徳は公共の利益」とか、「合成の誤謬」なんて言葉もあるし、みんなが希望を捨てて、厳しい将来に備えちゃったら、それこそお先真っ暗じゃないかと思うんだけど、どうなんでしょうかね。果てしない縮小均衡が続いて、結局のところ、本当にみんなが貧乏になるんじゃないだろうか。社会学的に言えば「予言の自己成就」というやつだ。
あと、反リフレ派の人は「物が売れないのは、みんながもう物を持っているからだ」とか「若い人がブランドの服よりもユニクロを買うようになった」からイノベーションが必要だって言うけど、本当にそうなのかな。みんな本当はいろいろと買いたいと思ってるけど、懐が寂しいし、将来が不安だから、財布の紐を締めてるだけなんじゃないのかな。少なくともうちはブルーレイが欲しいし、新しいPCも欲しい。VAIO-Xとかいいよね。ディズニーランドももっと遊びに行けるといいんだけど、高いよね~。
それとも、そういう個人消費の話ではなくて、投資やマーケットの話になるとやっぱり変わってくるのだろうか。そこら辺、ぜんぜんわからないんだけども。
上の理解はたぶん間違いだらけなんだろうけど、どこが間違えてるのか教えてもらえると嬉しいなあ。
はてな界隈でちょっと名の知れたエンジニアが作ったサービスって必ず話題になる。
でもそれだけ。
話題になるだけ。
「~~さんが作ったサービス!面白い!」といろんな人が宣伝しまくるからはてブ数は飛躍的に伸びる。
でもそれだけ。
はてブ数が伸びるだけ。
結局身内同士で称賛しあってるだけで実際のサービスの質で勝負できてないんじゃないかな?同じ個人エンジニアが作ったからすごい!って言ってるだけで別にサービスの中身がすごいわけじゃないから数か月もすればすっかり使われなくなる。あるいはサービスに不具合や使いづらい点があったとしても「~~さんが個人でやってるから仕方ない」と周りが甘い目で見ちゃう。だからいつまでも改善されないし低レベルなままのサービスレベルで放置される。
実例を挙げると2007年~2008年頃のロケットスタートがわかりやすいのではなかろうか。ロケスタの棟梁id:kensuuさんといえば はてなでも屈指の人気ユーザーなので彼が作ったサービスは必ず話題になる。多くの人がブログやtwitterで勝手に宣伝する。でもそれだけ。ユーザーの生活になじむようなサービスにはならない。あくまでネタサイトに過ぎない。
応援してくれるユーザー達がいるのは大いに結構。しかしそれって身内甘えにもつながるんだよね。どんなにくだらないサイト作っても話題にしてくれたり、多少使いづらくても大目にみてくれたりってのは、メリットでもあるけれど長い目で見ればデメリットにもなる。つまり開発者の心の甘えにつながる。それが日本の(個人の)エンジニア発サービスが全く大きくならない最大の理由。ヌクヌク温室育ちのサービスなんて大きくなりっこない。
海外はそういう馴れ合いみたいなのが少ない。あっちは思ったことをはっきりと言う文化だからウンコサービスにはボロクソなコメントが投げかけられる。特に英語圏は「国内の暗黙の了解」みたいなのが通用しないんだよな。アメリカ発のサービスは世界中で使われるから、国内の暗黙の了解なんてものは通用しないわけ。開発者の個人的な事情なんてどうでもいい。サービスの質が純粋に問われる。そういう世界。当たり前っちゃ当たり前だけどな。
だから日本と違って英語圏では一国の経済・政治に影響を与えるようなwebサービスが生まれる。facebookは20代前半の学生が作ったサービスだが世間はそんなものは一切考慮せずに純粋にSNSとしての価値のみを評価して利用したし、開発者が20代前半だからといって大目に見ないで改善要求は厳しくした。また開発者側もそれを望んだ。結果として今や日本のweb企業が束になってもかなわない規模に発展した。
今年に入ってロケスタは変わった。しょーもないネタサイトをユーザーの慣れ合いに頼ってリリースするのではなく、ギーク層を飛び越えて一般層の生活に馴染むようなサービスを作り出した。nanapiなんてその最たる例だよ。あれは間違いなく大きくなる。コンセプト、デザイン、ユーザーフェイス、管理体制などすべてにおいて今までのロケスタ発サービスの中で群を抜いて素晴らしい。kensuuさんの意識が変わったのだろう。ブログにもそれっぽいことを書いてた気がする。探したけれど見つからなかった(汗)
なんかいい加減一部のwebエンジニア同士の慣れ合いっつーか甘えっつーか擁護のオンパレードみたいなのは無くなってほしいね。そうすればもっと日本のwebも楽しくなるし、すげーサービスも個人エンジニアから生まれやすい土壌になるよ。今のwebエンジニア同士の排他的身内擁護な空気に嫌悪感抱いてる人多いんじゃない?でもそれをtwitterやはてなで言っちゃうとそいつらがドドーッとイナゴのように押し寄せるから言わないだけで。あれはどうにかしたほうがいいよ。
そんな甘い土壌でヌクヌクしてるサービスが海外に行って通用するわきゃない。わきゃない。でも「海外に通用するようになりたい!」という決意表明だけで日本のユーザーは称賛するんだよね。実際には何もやってないのに、海外で通用させたい(キリッ)と言うだけで称賛されちゃう。それってどうなのよ。
じゃ、おやすみ☆ミ
はてな界隈では、定期的に英語の習得法が話題になるが、俺もそろそろ参入してみようかな、と。
■自己紹介
俺の英語力は、TOEIC975点、実用書・平易なペーパーバックなら辞書なしで速読できるレベル。
CNN/BBCが字幕なしで理解できて、それなりに気のきいたことも英語で話せる。
語彙力は、http://www.wordengine.jp/vcheckで測定してみたところ、約20000語。
■趣旨
だが、巷にあふれかえる英語の勉強法は、基礎力がないのにいきなり実践を勧めるものが多い。
例えば、臆せずに何でもいいからしゃべってみろだの、辞書をひきながら本を読めだの。
この手の勉強方法は、学習者のコンフォート・ゾーン(快適な領域)を外れることが多く、大抵の人は不安感や不快感を感じて、学習をやめてしまう。事実、俺も何度も挫折してきた。
そこで、この記事で私が提唱したいのは、基礎からきちっと積み上げる、実直かつ具体的で不安のない英語の勉強方法である。
重要なところは全部網羅していると思うし、実際に自分で試してみてうまくいったものばかりだから、信頼性の高い勉強法だ。
これから紹介する勉強法に加えて、モチベーションの管理と習慣化のテクニック(これに関しては今度記事を書くかも)さえあれば確実に英語は身に着く。
■本論
やることは3つ:文法を理解する(骨組みの構築)、単語・例文(肉付け)、実践(本を読む、ポッドキャストを聴く、など)
以下が具体的なやり方。
◆1. 文法に関しては、『英語リーディング教本』(薬袋 善郎 著)・『日本人の英語』(マーク ピーターセン著)の2冊の本が超オススメ。
そもそも文法は必要なのか?という議論は常にされてるけど、俺の実感としては、文法を学んでおくと英文の理解速度が飛躍的に向上するから、後々すごく楽。
学校英語の影響で文法を忌避する人が多いし、その気持ちはわかるんだけど、本来は文法=ショートカットだよ。
莫大な文例をもとに法則を自分で見出すより、すでに見出された法則を学ぶほうがはるかに手っ取り早いでしょ?
さて、『英語リーディング教本』は英語の理解力が格段に向上すること間違いなしの超名著!!
そんなに厚くない本なのに、効果がめちゃくちゃ高い。
俺が今まで読んだ参考書のなかで一番役に立った。誇張じゃなくてマジで。
この本を理解すれば、英文法の骨格は完成する。骨格さえ出来てしまえば、後は肉付けするだけだ。
『日本人の英語』は、日本人にありがちな英語のミス(例えばI ate chicken last night.とI ate "a" chicken last night.の違いなど)が豊富に書いてあって、英語リーディング教本でカバーしきれなかった冠詞・前置詞・自制などの微妙なニュアンスを理解するのに非常に役に立つ。
文法の学習は、基本的にこの2冊だけ読めばOK。
だが、上級レベルになるにしたがって、冠詞や文法の微妙な違いが気になるようになると思う。
そういうときは、『例解 現代英語冠詞事典』(樋口 昌幸 著)、『ロイヤル英文法』がおすすめ。
ちょっと高いけど、どっちも枕元においていいほどよく出来た本だ。
◆2. 単語の習得は、P-Study Systemという無料のソフトウェアが超おすすめ。
忘却曲線理論とやらを参考にしていて、ゲーム感覚で効率的に単語が身に着くソフト。
俺はP-Study Systemを利用して、大体2年間の勉強でGREレベル(アメリカの大学院入試)の語彙力を身につけることが出来た。
これに出会う以前は、俺は単語帳を買って、音読したり、ノートに書き写したりしたが、結局やる気がなくなってやめてしまった。
もう単語を覚えるのは無理かと諦めかけていたんだが、このソフトウェアを使って毎日コツコツ学習していたら、見事なまでに単語が定着した。
きっと俺みたいな人は多いと思うんだけど、机に向かって紙面を相手に学ぶのと、PCを使って学ぶのでは、心理的な労力が全然違う。後者の方が圧倒的に気楽。
よく単語の習得方法として、英文を読みながらいちいち辞書をひけって人は多いんだけど、よっぽど根性のある人じゃないと続けられないよ。
辞書を読んでるのか本を読んでるのかよくわからなくなって、苦痛極まりないからだ。
リーディングと単語学習、2つのプロセスを同時にやるような中途半端なことをしないで、単語は単語だけ一気に覚えてしまうといい。
短期集中・個別撃破作戦で行こう。
やる気のないときはラジオを聴きながらでもいい、とにかくだまされたと思って、やり方はどうでもいいから続けろ!
これ使っとけば絶対に語彙力つくから。
例文の暗記についてなんだけど、これもやっといたほうがいい。
なぜかというと、これは文法の学習と同様に、型を覚えれば、いちいち頭使わなくても英語がスラスラ出てくるから。
書籍は、『英語丸のみ辞典』(全三巻、井上 一馬著)がおすすめ。
例文暗記は結構単調で辛いんだけど、確実に報われる。
だから、暇なときに興味のあるところだけ、気の向くままに音読するといい。
嫌になったらすぐやめるのが、続けるコツ。
◆3. 実践に関しては、特にリーディングを重視するといい。
この段階までくれば安定飛行に入ったようなもの。
既に単語はある程度覚えているだろうから、John Grisham, Sydney Sheldonの小説を読むといい。
本を読みつつ、気になった表現をたくさん蓄えよう。
前述の通りに文法をちゃんと理解していれば、特に頑張らなくても自然に英文が頭に蓄積されていくよ。
俺の場合は、リーディングをたくさんやって、表現を蓄えたから、他の3技能(リスニング・ライティング・スピーキング)は、それぞれ適当な参考書を数冊やるだけで大丈夫だった。
■終わりに
長文を書く習慣がないもんだから、ちょっと疲れてしまった。拙い文章で申し訳ない!
でも、結構たくさん書いたつもりなんだけど、完成したものを読んだらちょっとした作文程度なんだよな。
もっと作文能力を上げたいし、他にも英語に関して語りたいことはたくさんあるから、後学のためにフィードバックを募集中。
実は真の敵は英語の勉強方法ではなく、「続ける力」なんだよね。これについて後日詳しく書きたい。
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5000users御礼
http://d.hatena.ne.jp/Dr-Seton/20091023/1256302802
これに賛同してる人(はてさ?)は「愛国心」と「愛政府心」の違いは区別がついてるんだろうか?
故郷の土着性・固有性を愛することと規制とかの自国政府の権限を強化する事を望むのは別問題のはず。前者は愛国心だろうけど、後者はネトウヨと大差のない愛政府心だろう。
別に規制緩和したら文化がなくなるというわけでもない。自由競争でも多くの人から好まれていればその文化は存続する。逆に政府が規制しないと維持できない文化というのは本当は好まれていないということ。
政府による規制で文化を守ろうとするはてさは国旗国家を強制して愛国心を持たせたがるネトウヨとどこが違うのやらさっぱりわからん。
ついでにいうと最近話題になったヘイトスピーチやら構造的暴力についても外国人差別に反対する左翼は当然ネオリベのように保護貿易や移民規制には反対するべきなんだよ。ネトウヨのように「外国人労働者入れるな」「自給率上げろ」とかいってたらだめ。ちなみにはてな界隈じゃ極右政党といわれる自民党はこの前の総裁選で河野西村と二人も移民推進議連の人が総裁候補になってたが、ヨーロッパの人に「日本では移民推進派が党首候補になる政党が極右ってみなされてるんですよ」って言うと驚かれるだろうな。
国籍が違うというだけでペナルティを課されて収入を減らされるのは広義の暴力だし、政府というシステムを使ってそれを維持してるなら構造的暴力といってもいい。日本語を読めない外国人がほとんどなわけで読みもしないブログや掲示板とかに「ちょん」だの「にがー」だのしょうもない罵詈雑言並べられるのと収入減らされるのとどっちが害が大きいかといえば多くの人は後者だと思うだろう。おそらく多くの日本人も海外でJAPとか言われるより日本製品締め出しとかの方がはるかに嫌だろう。仮に前者のほうが嫌だとしても後者が差別でないということにもならないはずだけど。
こういう点をスルーして在特会のデモとかに問題を矮小化するのは「口先では男女平等といいつつ女は出世できず同じ仕事でも賃金が低い会社」のようなものなんだよ。お前ら口先できれいごと言って善良な俺様アピールしたいだけで本当に差別解消する気ないだろと突っ込みたくなる。
その知ったかぶりの中でも最低最悪なのが、はてな界隈で仕入れた知識を披露するやつだとおもう。
2ちゃんねるだと、おもしろおかしい系が多いから、二度三度楽しめるモノが多いし、毒にも薬にもならない系が多いし良いんだけど
はてなの場合、重い話が多い。
とくに半年前ピークだったガラパゴスの話
ガラパゴスが悪い訳じゃないだろうと、何度言っても、次から次にわき出てくる
はてなで、定期的に話題になってたから、新情報、新解釈を誰かが書いて、それ見た馬鹿が俺に語ってくるのだろう。
だいたいにおいて、その文章書いた人は、いろんな前提が含まれていたりする。
条件がいろいろあって、結果こうなるという考えなのだが
それを読んだ馬鹿は、そのあたりをすっ飛ばして、切れ味重視の意見でおれに伝言リレーしてくるので
大抵糞の塊のようになっている。
もうこのさいURLだけ教えてくれと思う。
なんでこんなのが人気エントリーに入ってるんだよ。はてな暇人多すぎ。
しかもブコメで文章が下手とか言われてるし。
たしかにわかりにくいと思ったが、書き換えるとまずいと思うので放置します。
頑張って読んでください。
はてな界隈では「はてサヨ」なる言葉があるぐらい、右翼とか左翼とかという単語はバズワードなので、
そもそもそれぞれどういう思想を指すのが適当なのかについて、整理してみた。
フランス革命政権において、非特権階級の利益を代表する勢力(=共和派・革新派)を左翼、それに対して旧体制における受益者の利益を代表する勢力(=保守派)を右翼と言ったことから(議会の座席の位置取りに由来)
持たざる者である左翼が、(平等志向の)分配を要求し、持てる者である右翼が非分配を主張するという構図が一般的。
左翼は(理想主義的な)平和志向が強く、右翼は好戦的とは限らないが、交戦権自体は主張する。
ただし、これに関しては例外は多い。
自民党のやってきたことは「右」路線なのは間違いない。(陳情によるボトムアップは正に「右」の手法)
しかし徐々にボトムアップの「ボトム」が経団連に代表される巨大企業になっていったことで、義理と人情の代表ではなくなった為、
小泉手法のような奇策に走らざるを得なくなり、そのあとは政権を失ってしまったのだと思う。
ここで重要なのは、陳情をしてくる相手が票をまとめられる存在であり続けたなら惨敗にはならなかったという事ではないかと思う。
企業トップの利益がその従業員、および取引先企業の利益と決定的にかけ離れてしまっているからこそ、自民党路線は民衆の支持を得られなくなってしまった。
また、一方で、企業の側も、(国内)政治による利益誘導がどうしてもと言うほど重要ではなくなっているからこそ、票をまとめられるような待遇と政治への要求をしなくなったのでは無いかとも思える。
もはや舞台は国内の議会政治がメインではなくなったのだと言う事で、もう議会の中での勢力争いそのものも時代遅れになっている。
民主党が「左翼政党」かと聞かれれば、微妙だと言わざるをえない。
なぜなら、左翼は最適社会の構築の為にこそ奔走するのであって、それに「友愛」が必要な筈はないからだ。
どちらかと言えば「人情」を謳う(日本的で穏健な)右翼の手法に近いが、「友愛」は外国に向けても謳われているところが違う。
推測するに、「全体」の範囲を「地球」に拡大した上での、経済的分配を伴わない「最適化」のツールとして言っているのではないか。
新種の左翼だとしても、多分200年は早い(かりに方向性があっていたとして)。
・ネトウヨが有名に。
・頻繁に誹謗中傷が飛び交う
・しかし余り極端な左翼論者が多いようには見えない
・ナチュラルに右翼な発言の人が散見される(そしてホッテントリ入り)
・個人ブログでの左翼な発言は目立ちにくい?(ホッテントリ入りはあまりしない)
ホモソーシャルは普遍ではないんじゃないかな。ホモソーシャル的な集団が生まれるのは、人の生まれ持った性質によるものではなくて、文化によるもの、もっと言ったらその組織を統べるリーダーの意志によるものと思う。
生まれ持った性質として若い男は若い男同士で少人数の群れを作りたがるとして、群れがホモソーシャルな状態だとメリットのある人間がリーダーになった場合に、リーダーが中心になって群れ全体にホモソーシャルな文化を波及させていくのではないだろーか。
運動部、軍隊、男子校…はてな界隈なら非モテSNSか。どれも、その組織を作った人間、それを統べる人間にとって、組織がホモソーシャルであることにメリットがあるんだと思うよ。
皆さんはid:HolyGrailという人物をご存じだろうか。
はてな界隈ではよく知られた存在である。
HolyGrailは誰かの揚げ足をとることを生業としている。
日々はてなブックマークをすることで、自身の存在を証明しようと
凶暴化させている。
以前HolyGrailは、ブコメで「死ねばいいのに」といって反感を招いた
ことがあった。そしてその瞬間だけ、彼は得意のブコメによって形式だけの
謝罪をした。しかし、彼は全く変わっていない。今この瞬間もHolyGrailは
ブコメによって誰かを「死ねばいい」と思っている。いや、「殺そうとしている」
と言い換えてもいいだろう。
HolyGrailは日々誰かの揚げ足をとることで自身を維持することしかできない。
なぜか。それが唯一の彼自身だからだ。
HolyGrailはヤフー株式会社という企業につとめていることに高いプライドを
感じている。そしてヤフー株式会社にいることで、自分は特別な存在となり、
何をしてもよいと感じている。
自分がはてな等で暴言を吐けば吐くだけ、自分が顕示してきたヤフー株式会社に
多大なダメージを与えていることに。
私自身、会社で社員のリテラシー管理を任されているが、正直なところ
インターネットの個々の活動までは管理しきれないところがある。
昨今mixi等で犯罪を自慢している馬鹿がいるが、そういう奴らは
自分でつぶれてくれるからまだいい。しかし、HolyGrailのようにidを使ったり
(彼の場合本名もわかるが)していると、自分の会社であっても社員の特定までは
できないのが現実である。
そしてHolyGrailはいやしくもネットで自身の活動が許されたと勘違いして、
HolyGrailは自分がよければそれでよいと考えている、一番やっかいな人物だ。
この件についてはヤフー株式会社に同情するが、彼を管理できていない上司にも
責任がある。
別れる理由が
だそうだ。
でも失うのは嫌だから友達として付き合っていってくれないかって・・・
私は彼と結婚するような気がしていたので、次に会ったときに、自分の抱えている問題を話すつもりでいた。
はてな界隈でもありがちだが主にこのあたり。
→ 現在抱えている問題なので、一番話しておかなければいけない。遺伝してたら・・・という不安もある。
→ これが原因で結婚が流れた事があったので・・・彼自身が気にしなくても親類に問題視する人がいるかもしれない。
→ある程度乗り越えられそうなとこまできたと思っているが、将来子供を持った時に同じ事をしてしまうかもしれない。
→ これは話さない方がいいかとも思っていた。彼とのセックスには深刻な影響がなかったので。
別に背負って欲しかったわけではなくて、こちらの事情を知った上で判断して欲しかったから、だと自分では思っているが実際はどうだったんだろう。やっぱり依存していたのかなあ。
もう自分の頭の中もごっちゃになってよく分からない。
最後に言えたら自分が楽になるけど、彼に余計な心配をかけてしまうのが嫌だし、彼との未来がないのなら話しても仕方がないので増田で吐き出させてもらった。
実際、こんな育ちなもんで、この歳まで本当に人を好きになった事がなかったし、彼に出会うまでは一生一人で生きていくつもりでいた。
彼の仕事のこともある程度は理解していたつもりだったし、会えないだとか大した問題じゃなく、結婚も落ち着いて考えられるようになったときに考えてくれたらいいとは伝えたけど、どうしてもそれがつらくて、そういう状況にしている自分が許せなくてダメなんだそうだ。
本当に好きになったのが、彼が初めてだったから余計につらい。
きっと、友達として、なんて生ぬるい事ではずるずると引きずってしまうと思うし、友達として見れるわけがない。でも彼が自分の人生からいなくなってしまうくらいなら、友達という付き合いをしていくしかないか。
やっぱりもう踏ん切りつけて、すっぱりと関係を絶つのが一番なのか・・・
あーもうめんどくさい。
なんかはてな界隈のSI業界話に強い既視感があったので掘り出してみる
Edsger W. Dijkstra, 1972 Turing Award Lecture, http://awards.acm.org/images/awards/140/articles/4860551.pdf
Nowadays one often encounters the opinion that in the sixties programming has been an overpaid profession, and that in the coming years programmer salaries may be expected to go down. Usually this opinion is expressed in connection with the recession, but it could be a symptom of something different and quite healthy, viz. that perhaps the programmers of the past decade have not done so good a job as they should have done.
1960年代にはプログラミングは好待遇すぎる職能だった、今後はプログラマの給与は下がると思われる、という意見を最近よく耳にします。景気後退に伴ってこういう意見が出てくるのはいつものことですが、同時にこれはもっと別の、まったく健全な何かの兆候でもあると思います。即ち、おそらく1960年代のプログラマは本来やっていてしかるべき水準の仕事をしてこなかったのです。