はてなキーワード: 大阪市長とは
下記の文章を送信しました。
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本来、大阪市に住むものではないので、大阪市の税金の使い道にあれこれ言うのは筋違いかもしれませんが、
送信させていただきます。
必要になってきてしまうのではないでしょうか。
さらに、それらは買っておしまいではないのです。
常にメンテナンスが必要で、その維持費もバカにならないというところです。
大阪市音楽団は、東京で営利団体化し、商業吹奏楽団として変化するのであれば、
採算が合わず、解散ということになってしまう危険性をはらんでいると考えます。
これは、京阪神地区で吹奏楽の演奏活動を通じて子供の情操教育や、
楽器演奏への間口を閉ざしてしまう結果となりえると考えています。
まずは、「市民の対価への考え方を変える」こと。
このように私は考えております。
突然民営化するには大阪市音楽団をただ潰すということになってしまうことから、
そうならないように必要な環境の整備を同時に行いつつ、
段階的に民営化することは、
そして問題なのが、大阪市音楽団は全国でも数少ないプロの吹奏楽団である。
というところです。
これを潰すようなことになってしまうと、全国の音楽・吹奏楽愛好家に申し訳が立たないと同時に、
学校教育で吹奏楽で目標・指標となるものがひとつ消えてしまうことになります。
どうぞ、この点をお汲み取りいただけます様。
宜しくお願いいたします。
今のままでは、多分ならないだろうなあ、って話。
先日、内田氏をめぐり橋下市長がつぶやきまくった件(1)。個人的に「ここまで橋下氏をつぶやかせる内田氏とは一体何者なのか?」という興味が尽きずウォッチしているのだが、現役大学教授から退いたいまの内田氏、只者で無いただのおっさんだった。
例えば、当の本人が平松氏の活動に対して取る態度といえば所詮『ドタキャンご無礼』(2)で済ます程度のものだった。本当に大事なイベントなら、そのイベントも『折り込み済』で行動するのが大人だと思うが、当人はそうしなかった。仮にイベントの告知が本人に知らされたのが遅かったのだとしたら、平松陣営にとっても内田氏は、その程度、の人でしかないってことになるだろう。コミュニケーションてのは面倒なものなのだ。
平松氏相手ですら『自分のことを優先したので貴方の活動には参加できませんごめんなさい』という状態なのに、ましてその向こうにいる橋下氏に対して自ら何か行動を起こしたり直接議論することはないものと考えられる。それがいまの内田氏が、自分の範囲で出来ること、なのだろう。彼の範囲内はあくまで『旧知の仲の平松氏と話す』ということであり、今の大阪や橋下氏に能動的な興味があるわけではないのだ、多分。そりゃそうだよな、別に大阪に住んでるわけでも、大阪で雇用されていたわけでもないのに。石原都知事が大阪府知事になって橋下大阪市長と一緒になって大騒ぎ、ってんなら都立大関連でもう少しテンション上がったかも知れないが。
もしかして今の橋下氏は内田氏にとって「なんかよくわかんないけどtwitterで私に向かって吠えている人」としか見えていないのではないか。しかもその吠えてる人は直接自分に会いに来るわけでもなく、何やらあまり自分とは関わりの無い別人(田原総一朗氏のことである)を介して自分を呼び出そうとしている。そういう人に対してどういう態度を取れば良いのか、賢明なネット民ならば容易に理解出来るであろう。どう見たって橋下氏がtwitter晒しスレ行きだろこれ。
てなわけで現状、橋下氏は内田氏に対して何ら直接的な影響を出せずにいるなあ、片思いってやつなのかなあ、というのがこの日記を書いている俺の素朴な感想なのであった。
というか、この内田氏というおっさんのブレない態度が、俺はなんだか好きだなあ。
参考:
(1) http://togetter.com/li/240764
(2) https://twitter.com/levinassien/status/158122071086469120
#この文章は「シムシティ4」をプレイしたことある人向けです。プレイしたことない人は、攻略サイトなどを見てから読むとより分かりやすいでしょう。
シムシティ4は起債も不可能となりいよいよ収入不足でフローがマイナスになると「上院選立候補のため市長退任」というゲームオーバーがある。国政転出ってなんかリアルでもありそうな話だw
今回の市長選、並びに知事選を「日本のリーダーと欧米のリーダー」
考えたと言っても、「日本のリーダーと欧米のリーダー」のくだりは一ヶ月ほど前のNHK「白熱教室」の完全なる受け売りです。
そこでは「権力」と「コントロール力」という概念から、日本と欧米のリーダーの違いを説明していました。
白熱教室では日本の組織は権力とコントロール力が分かれている事が欧米との違いとして述べられていました。
リーダーが権力とコントロール力の両方を持たないと言うのもおかしな話のようにも聞こえますが、実際日本では「天皇」と「幕府」、「政府」と「官僚」のように権力とコントロール力が分断されて回ってきた歴史(現在)があります。
ここで今回の市長選を見てみると、完全に
橋本さんは大阪維新の会のトップで権力があり、かつ自分の意見で組織の方向性を決めているように見えます。
対して平松さんは元市長なので権力はありましたが、直前のTV討論を「周りが出るなと言うから出れなかった」と言って断った発言からも、コントロール力を必ずしも一人で持っていなかったのではないかと思われます。
これはどちらが良い悪いというのではなく、それぞれに特徴があり、欧米のリーダーだと決断は早いが間違った方向に進んでも止めにくい、日本のリーダーだとリーダーが変わっても安定して組織が働くが決断が遅かったり融通が効きにくい。などの特徴があります。
日本の政治で「誰が選ばれても一緒」と良く言われるのは、リーダー(権力)が変わってもコントロール力を持つ人が変わらないので組織がそれ程変わらない事から来ているのかもしれません。
しかし今回の選挙結果では、恐らく大阪市民府民は大幅な組織の変革と決断の早いリーダーを望んだのではないでしょうか。
これは日本において、大きな意味を持つのではないかと思っています。
まあ欧米風のリーダーを振舞っただけで「独裁だ!」と言いう声が出る限りは、まだ日本風のリーダーが根強いということかもしれませんが。
今回は別に橋本さんと平松さんのどちらが良いというのでは無く、このような見方で今回の選挙・これからの大阪という組織を見ると面白いのではないかと思ってダラダラと書いて見ました。
特にまとめもなく終わってしまいますが、この「権力」と「コントロール力」の考え方は、今まさに泥沼になっている読売グループの問題を見るのにも面白いのではないかと思っています。