昔からすぐ泣くしすぐ怒るし、生きているだけで苦しいからうっすらぼんやり死にたいとは思ってたんだけど、最近は特にひどくなって、仕事サボるくせに偉そうなクズとかミスしても絶対謝らないクソ上司とかに対する怒りが治らず職場でトラブル起こしたりするようになって、それでなんで受け流せないんだろうもうダメだ死にたいと本格的に死ぬ方法を考えるまでになってきて、ひとまず人に迷惑をかけるのはダメだよなぁととりあえず病院に駆け込んで「怒りを抑える薬ください!」って言った。
先生はどんなことに怒りを感じるかとか、家庭環境とかを尋ねて、一通り聞き終わると「…ご両親というか、家庭環境や今の職場もちょっと……どうかと思うけどねえ」と言いながら怒りを抑える薬とやらの処方箋をくれた。
そのまま薬局に持っていって薬をもらうと、紙袋にデカデカと【抑うつ症】って書かれてた。
となりながらまあでも飲むことにした。職場でトラブルなく過ごしつつ寿命を待てたらそれでよかったから。
寝る前に飲む薬だったからその通り飲んで、そんで朝起きて出勤したらびっくり!!!
昨日まで死ぬほど憎かった仕事サボるクズに対しても、謝らないクソ上司が憎くない!!
昨日まで親の仇(親を憎んでるから別に親が◯されても悲しくないけど)かってぐらい憎んでたのに、少し軽蔑するけどどうでもいい!!
ただの風景というか、職場という環境の一部でしかなくなっていた。
さらに言えば休日町に出掛けた時、細い道で向かい側からやってきても避ける素振りすらせず譲られて当然みたいな態度のおっさんを脳内で包丁でぐちゃぐちゃにする妄想をしたり服屋で執拗に話しかけてきては何でもかんでも勧めてきたりする店員に舌打ちするのを必死で我慢したりとか過去にあった嫌なことを思い返して部屋で叫ぶことも減った。
気がついたら死ぬこともそんなに考えなくなっていた。
よかった、世界ってそんなにストレスで溢れているわけじゃないんだ。
生きるハードルが一気に下がった気がした。
でもそれに大して喜びは感じなかった。
心が常に凪。
怒りも喜びも悲しみも全部1/5ぐらい。
前みたいに映画見ても漫画見てもぐちゃぐちゃに泣いたりしなくなったし、世界に存在する情報に一枚分厚いフィルムがあって、そこから濾過されたマイルドな刺激しか受け取っていないような感じ。
薬を飲むと、精神的にはすごく楽だし穏やかになれて、そうか普通の人はこういう世界で生きてたのか、とか、確かに死のうとは思わないな、と感じる。
心が疲れないし、前を向いてみようと思える。
でも、なんだか心が寂しい。
薬を飲んでみて、二十数年生きてきて、薬飲んでない時の、激しく心が揺さぶられる状態がわたしのアイデンティティの一部にもなっていたのかもと思った。
でも薬飲んでない状態で生きていけるかって聞かれたら即無理って言える!!
車の車幅感覚やサイズ感を知るのに運転席の視線からの目安を出すハウトゥ的なやつ、あれって言うと必ず車種や人によって全然違う(から意味がない)って言うバカがいるんだけど
一番いいのははそういう手合いのアホと会話しないことだ
出来ることはコール否定派はコール肯定派と、コール肯定派はコール否定派と距離を置くことしか無いと思う
お互いの考えを変えることは出来ない
お気持ち表明の対象が否定派は否定派同士、肯定派は肯定派同士で話が閉じる分には問題ない
志がある人が新しいコールをしてもアイマス最高コール否定派からも指を刺され叩かれることになる
ただたいていの人は黙っている。いわゆるサイレントマジョリティ
意見表明するのはごく一部だ。ノイジーマイノリティの望む形を実現しようとしても、サイレント否定派・肯定派ともに幸せにはならないと思う
・まず前提として、他者の心は私の心ではないから、他者理解はどこまで行っても推測の域を出ない。同じリンゴを見ても、私の感じている赤さと増田の感じている赤さが同じとは限らない。その意味で他者を本当に理解することは「無理」。
・ただし、仮にその推測を「理解」と呼ぶとするなら、理解を深めるすべはあって、
"ある程度似通った性質の人間同士で偶々上手くいってるだけなんじゃね"
"相手が忍耐をしていて何も言わないとかで相手を理解してるつもりになってるだけなんでは"
コミュニケーションに巧みな人は、ただ観察しても埒があかない場合、こちらから相手に仕掛けて、その仕掛けに対する相手の反応を観て理解を深め、また仕掛けて…と繰り返すことで、相手への理解をさらに深めていく。
「心は女」には何の根拠もないんやで
何年も前からやってる
市民連合と現実にはくっついてない。特にしばき隊と連携したことは一度もない
彼らは基本的に勝手連である、自民党に勝共やネトウヨ、レイシストがついてくるのと同じ
ツムツムは、辞職だな
頭が良いって何のこと言ってるの?